41 かくて勇者は囚われの姫君のもとへ
思わぬハプニングで素顔をさらしてしまった勇者ゲイリーは、すぐにホリィから兜を取り戻した。幸い、天空高くにいたため王都の住民には見えてはいなかったはずだ。だが、安堵したのもつかの間、アークソドン教団員を確保中で飛び回っていたディーネ・オーズマリーと目が合った。その表情でわかる。バレた、と。
ディーネはフラついたのち、王城目がけて飛んでいった。以後、彼女との接触はない。ナンシー王女いわく、東塔に引きこもったらしい。
どうにか話ができないものか王女にかけあったものの、ナンシーはしばらく放っておくようにと言い、ゲイリーを追い返した。
彼はその『しばらく』を消化する合間、倒壊した住居などの修復に尽力した。数日後、彼が必要となる大仕事がなくなると再び王女を訊ねたが、ディーネはまだ部屋から出てこないと聞かされた。
「勇者ゲイリー、あなたはペーパに戻りなさい。王都でできることはありません。あなたはあなたにしかできないことをしなければなりません。それが勇者としてのゲイリーなのでしょう?」
「……はい」
ゲイリーは頭を下げた。
ペーパに戻ったゲイリーは、勇者として周辺地域の巡回やペーパ兵団の指導に励んだ。私人としては斡旋所の依頼をこなし、金細工をこしらえては商工会に卸していた。何かをしているほうが気が楽だった。彼は勇者としても私人としても休暇をとらずに絶えず動き回っていた。
ふとしたときにディーネ・オーズマリーを思い出す。あのときの顔が真っ先に浮かんでしまう。そして後悔するのだった。正体を隠して近づいていたことが、酷く悪いことのように感じていた。勇者仲間として、尊敬する人間として、一人の女性に対する態度として、最悪だったのではないだろうかと。さまざまな事情はあったが、ディーネにだけは隠す必要はなかったのではないか。今さらに強く思うのである。
市場の真ん中で買い物袋を抱えたまま、夕日を浴びて庶民ゲイリーは立ち尽くした。この賑やかな大通りで、彼一人が暗い気持ちで佇んでいる。周囲の活気にあふれた声は、勇者ゲイリーが求めて作りあげたものだった。少なくとも、その一助にはなっていたと自負していた。だが、そこに自分の声はない。大きな過ちに押しつぶされるようだった。
「ゲイリーさん」
ハッとして見ると、斡旋所窓口担当のアナベルがいた。彼女も買い物帰りなのだろうか、パンが刺さった袋を抱えている。
「や、やぁ、アナベル。今、帰りかい?」
「はい、本日の業務は終了です。今日は依頼品をありがとうございました」
「オレにはそれくらいしかできないから」
「……? どうかしたんですか? 元気ないですね」
怪訝そうなアナベルに、ゲイリーは苦笑いで応えるしかなかった。彼女には正体を知られているが、だからといって何でも話せるわけではない。
アナベルは距離を近づけ、耳打ちした。
「……ネクラムの件は片付いたのでしょう? もう大きな脅威はないんですよね? それとも違うんですか?」
勇者と聖光神官の活躍で、ネクラムの魔軍は壊滅し、キベン国を覆っていた脅威はなくなった――と、国は公式に発表している。それは間違いではないが、正確ではない。
「いや、魔軍については本当に大丈夫。……ちょっと個人的にいろいろあってね」
言葉を濁すゲイリーに、アナベルはもう一点の問題に気付いた。
「兜が取れたという話ですか? 正体がバレたとか。あ、でもそれならもっと大騒ぎですよね? 少なくとも、こんな町中を素顔で歩けるわけもないか……」
「うん。空にいたから市民には見えなかったはず」
「その言い回し……」視線を逸らせる勇者の中身に、アナベルの鋭い感が光った。
「わかった。ディーネ様には見られたんでしょう?」
「……」
ゲイリーからの反論はなかった。表情が固まっている。
「それで気まずいんですね。内緒にしていただけじゃなく、素顔で接触もしていて、さらに庶民ムーブもかましていましたものね。信頼度ガタ落ち案件ですねぇ」
率直な意見はゲイリーの胸を突き刺す。
膝と手を地面について落ち込むゲイリーに、アナベルはからかいすぎたと反省し、咳払いした。
「冗談はここまでにして、それで、ディーネ様に何て言われたんですか?」
アナベルから差し出された手に引かれてゲイリーは立ち上がった。そのまま道の端の植え込みに腰を下ろした。彼女も隣に座った。
「話していない。会ってもくれなかった。だからペーパに戻ってきた」
「あらぁ、それは嫌われましたね。信頼を裏切られたと思ったのかしら。……ううん、違うわね。わたしなら――」
言いかけて、アナベルは完全に気付いてしまった。信頼を裏切られただけなら怒るだろう。百の文句と千の拳をぶつけて絶交するところだ。そうではなく、会うのすら拒否するのは、心底嫌いになり会う価値すら感じなくなったか、あるいは――真逆だ。だから迷うのだ。どう接していいかわからなくなるだろう。裏切られた悔しさと、それ以上の好意が入り混じってわけがわからなくなるだろう。許したいけど許せない。気にはしていないが気になる。考えたくないが考えてしまう。『まさかあの勇者ディーネ・オーズマリーが』とアナベルは自分の思考にビックリしたが、ストンと落ちる気もした。自分の彼氏ほどではないが、ゲイリーはいい人だとはっきりと言い切れる。勇者ゲイリーとは違うようだが、中身だけをみれば、たしかにそれは庶民ゲイリーなのである。
「……これは、ワンチャンある?」
「……?」
アナベルは真面目な顔でゲイリーの肩を掴んだ。
「がんばって!」
彼女は行きついた答えを教えようとは思わなかった。自覚のない感情を、他人が揺さぶるべきではないからだ。それは誘導された意思にさえなるだろう。だから彼女は黙っている。
「え、はぁ……」
何か的確なアドバイスを期待していたゲイリーは、拍子抜けした。
「あなたはとてもいい人よ。わたしに彼氏がいなければ、もしかするとあなたを選んだ可能性がわずかにあるかもしれないくらいにね。自信を持って。あなたは世界で六番目くらいの素敵な人よ」
ゲイリーはあまり褒められてる気がしなかったが、アナベルの心意気は感じられた。少なくとも鼻息は感じられた。
「それじゃ」アナベルは興奮して去っていった。ゲイリーは無意識に手を振って彼女を見送る。
「……なんだったんだ」
ゲイリーは大きなため息を吐いて空を見上げた。星が見え始めていた。
その後も彼は日常を続けていく。思い悩みながら、勇者として、私人として。
芸術家ゲイリー・シナモンと偶然に出逢うその日まで。
「おや、ゲイリーさん、お久しぶりですね」
あいさつからはじまるいくつかの平凡なやりとりが終わると、ゲイリーはつい口を滑らせた。
「ディーネ様はどうされていますか?」
あれから三週間も経つが、ディーネの噂は何も聞こえてこない。まだ王都にいるのかすらゲイリーは知らない。そこに恋人のシナモンが現れた。せめて現状くらいは知りたかった。
「あの方は今、王都にいらっしゃるはずですよ。連絡手段も格別な用件もありませんので、それ以上はわかりませんが」
「……え?」
ゲイリーは首をかしげた。
「最後に会ったのも……会ったと言っていいかも怪しいのですが、ほら、情報屋が彼女に連れさられたことがあったでしょう? あれ以来ですね」
「そうなんですか? 失礼ながら、ディーネ様とはお付き合いをされているのでは……」
「やめてくださいよ。あの方の相手がわたしごときに務まるわけがないでしょう。無理です、ムリ」
大げさに否定するシナモンに、ゲイリーは強い衝撃を受けた。勘違いをしていた。とんでもない勘違いだった。シナモンがいたから、ゲイリーは諦められた。諦める理由があった。諦めるべきだと自分を抑えられた。勇者仲間でいられるだけでいいと納得してきた。ディーネ・オーズマリーは素晴らしい女性なのだから、貴族なのだから、自分のような平民のエセ勇者など相応しくないと言い聞かせられた。
「あの方のお相手になる人など、それこそ同じ――」
シナモンは言葉をとめた。目の前のゲイリーの様子に気付いたからだ。安心したように息を吐き、「ゲイリーさん」と呼びかけた。
「お姫様を閉じ込める塔を壊すのは、いつだって勇者なんですよ」
「……!」
ゲイリーはシナモンの言葉を理解しなかった。ただ子供が絵本に感動するように、心から湧き上がる昂りを感じた。彼が初めてオリハルコンを纏い、勇者たらんと誓った日と同じように。誰かの喜びの声を聞き、多くの笑顔を見たときのように。共に戦える仲間と出会ったときのように。尊敬できる本当の勇者と出会ったときのように。そして、美しいと思った女性と出会ったときのように。
「ありがとうございます!」
ゲイリーは自然と感謝を述べ、その場を急いで離れた。
「かくて勇者は囚われの姫君のもとへ。……もっとも、自分自身に囚われているのですが」
シナモンは歌うようにつぶやき、カバンから一つの水晶球を取り出した。
「殿下、あなたの予想、いえ、希望どおりです」
黄金の鎧を纏った勇者は鉄壁の塔を打ち破り、美しき勇者姫に手を差し伸べた。
今回のウンチく
アナベル……半年後に結婚。斡旋所勤務は続けている。




