39 アークソドン事変後録
キベン朝歴107年12月。アークソドン教大司祭によるキベン国王都暴動事件から一ヶ月が過ぎた。
人も町もほぼ傷が癒え、以前の姿を取り戻しつつあった。
キベン国第一王女ナンシー・ツプラ・キベンは、この事件を『アークソドン事変』と名付けたが、その名称は機密扱いの公式文書にのみ記されている。民衆には『ネクラム事変』と伝えていた。
「アークソドン教という異国の宗教がらみだなんて民衆には説明できないし、する必要もないわ。ネクラムという悪の旗印のほうがよっぽど飲み込めるでしょう?」
ナンシーは会議場で呻くアークソドン信者の山を見ながら、集まった大臣たちに言った。
「それに、このテロに対する責任もどこまで問えるかわからない。国が相手ならまだ交渉もできるでしょうけど、教団となれば、彼らは決して非を認めないでしょうし、話にすらならない。相容れない宗教観は永遠の平行線よ。だから腹立たしいけれど互いになかったことにするのが賢明でしょうね。それすらも教団が納得しないとなれば、それこそ戦争よ!」
ナンシーは大陸西方のアークソドン教本部に使者をたてた。大司祭をはじめとする捕らえた信者たち全員の解放を条件に、今後キベン国への干渉をしないようにと。ナンシーがそれ以上の賠償問題に触れなかったのは、先の発言どおり教団と事をかまえても無駄というのもあるが、単純に距離の暴力が面倒くさかったのもある。
大司祭はそれを聞いてナンシーを侮辱し、嘲笑し、教団の礎となるための殉教を申し出た。ナンシーは無視したが、大司祭が再三自決を計ろうとするので、ついには決着がつくまで魔術で眠らせておくことにした。
アークソドン教団はナンシーの条件を受け入れた。教団側も一枚岩ではない。今の段階で大陸を横断してまで一国を攻める理由もない。まずは西部の完全掌握こそが最優先である。それに捕まった司祭が強引に進めた策謀であり、失敗した無能がどうなろうと知ったことではない。が、二年間蓄えた情報には多少の価値があるかもしれない。特に勇者の存在は今後、問題になり得るだろう。結果、『今回は互いになかったこと』が暗黙の内に了解を得たのである。
アークソドンに隠れて影が薄くなったが、『闇の大神官』ネクラムの存在もナンシーは忘れていない。事変から一週間後、名探偵で情報屋のジョー・ホゥがペーパ兵団兵団長とともに王都に現れた。王女は「今さらノコノコ現れた」と呆れたが、二人を執務室に通した。彼女は今事件で有能さを晒してしまい、アークソドン事変と勇者関連事業を含めた政務を任されるようになってしまった。まったくもって望んでいないにも関わらずだ。
「あらあら、まだ生きておりましたのね」
「姫様のおかげで、こうして無事息災にございます」
となりの兵団長が睨みつけてくるが、ジョーは気にかけなかった。気になるのは、いつの間にか背後に張りついていた護衛少女の殺気である。スリルに体が震え、笑みがこぼれる。
「それで、ネクラムについての情報というのは?」
王女は応接席ではなく執務席に座って情報屋を見た。
ジョーは前置きも要求もなくネクラムと接触した数日を語った。
「……わかりました。よい情報でした。そういう仕事だけをしていれば、私の私設諜報員に取り立ててあげられたのですが」
「いえいえ、たまにだからいいのですよ。普段からこれでは、楽しみがないので」
「でしょうね」
ナンシーは机の一番下の引き出しを開け、皮袋を二つ取り出した。
「お持ちなさい」
「こりゃあ、申し訳ありませんねぇ。情報としてはちと遅かったようですが」
ジョーが意気揚々とペーパに戻ってみれば、『ネクラム事変』は終わっていた。それでも仕事の完了報告をペーパ守備兵団参謀ザバックへ行い、兵団長も交えて相談したうえでこうして登城したのである。
「裏が見えたという点で有用ではありました。他に隠し事はありませんね?」
「ありやせん。姫様には誠実でいようと誓いましたので。というか、懲りましたので」
背後のナイフの圧力が強い。
「よい心がけです。私も疑ってはおりませんよ。あなたは計算のできる人間ですからね。あなたは私を裏切らない。ですよね?」
「はい、もちろんです……」
頬がヒクついた。
「と、冗談はここまでにしましょう。参考にあなたの意見を聞きます。ネクラムは今後、どうすると思いますか?」
「どうもしないでしょう。彼は一人で楽しくやりますよ。気が向けば町にも下りてくるでしょうが、放っておいて大過ないかと。かえって構うほうが彼の『祝福』を増大させるでしょうよ」
ネクラムの『祝福』は、周囲の生物の本能を増大させる。彼がなぜこの『祝福』を望んだのか、想像ではあるが、ジョーもナンシーも環境と彼の性質から理解していた。
彼は怠け者なのだ。生来の、芯からの怠け者だったのだろう。子供のときから大人になっても働く気力もなく、ダラダラと過ごしたかっただけなのだ。それを周囲は許さなかった。厳しく叱られてきたはずだ。ゆえに彼は思い知らせたかったのだ。『人間だれしも本能には逆らえない』と。他人の本能を揺さぶってやりたいと。本当はみんな、ダラダラと食っちゃ寝して過ごしたいはずなのだ。それが『本能』という部分においてだけ、『闇』とつながったのである。『闇の神』は彼の純粋な想いを聞き入れ、『本能を刺激する』という『祝福』を彼に授けたのだった。クーダ村の一件も、彼の『祝福』の作用である。彼は『闇の大神官』などではなく、ただの怠け者だった。しかしたまたま偶然に『神の御導き』によって大司祭と出逢い、彼の能力は研究された。大司祭はネクラムの『祝福』を魔術として扱えるようになったが、ネクラム自身はそれすら気付かなかったのである。
「同意見です。話は以上です」
ナンシーはネクラムについての報告書を束ね、机でトンと叩いて揃えた。
「失敬。一つだけ質問をよろしいでしょうか?」
「おい!」
ジョーが余計な口を開き、兵団長が声で、アリスがナイフを押し当てて無礼を咎めた。
「二人ともよい。……なんでしょうか?」
「いえね、たんなる興味本位の質問なんですがね、ディーネ嬢は大丈夫でしょうかね?」
「は?」
さすがの王女もその質問は意外過ぎた。
「なにね、噂で聞いちまったんですよ。勇者ゲイリーの顔が割れたってね。ま、結局、空高くで一般人にはぜんぜんわからなかったらしいですがね。しかし、ディーネ嬢はどうかと思いまして」
「なぜあなたが気にするのです? いいネタになりそうですか?」
「怖い顔しないでくださいよ。ただの興味です。失礼ながら、彼女はあなたよりよっぽどお姫様ですからね、いろいろショックがあったのではと。満更、知らない仲でもないので」
「そうですか。ですがそれは本人に聞いてください。私の関知するところではありません」
「ですよねぇ。ではこれで失礼します。いつでもご依頼をお待ちしておりやす」
ジョーは一礼して、皮袋二つを抱えて部屋を出た。兵団長も続いた。
ナンシーは立ち上がり、窓に寄った。城内外を行き来する馬車が下に見える。
ついため息が出た。
「あの情報屋、少々うるさいわね」
「殺すか?」
アリスが真顔で言った。
ナンシーはキョトンとして、それから笑った。
「今はいいわ。それより、問題はお姫様のほうよ」
「妹たちがどうかしたのか?」
アリスは首をかしげた。目の前の第一王女に問題は見られないので、残りの妹たちのことだろうと彼女は思ったのだ。
「違うって。情報屋の言っていたお姫様のほうよ」
ナンシーはまたため息を吐き、窓ガラスを曇らせた。
そのナンシーのいる場所から数十メートル離れた城の東塔に、問題のお姫様がいた。
客間に仕立てられた塔の最上階で膝を抱えてうずくまり、ときどき思い出したように呻くのだった。
「わかんないわかんないわかんない……。どうすればいいの……」
ディーネ・オーズマリーは勇者ではなくなっていた。
今回のウンチく
カイ・ハーンの処遇……国営鉱山で強制労働(採掘)。懲役20年。恩赦を受け解放後も彼は望んで鉱山に残り、現場責任者となる。恩赦理由は崩落事故が起きた際に20名以上の人命を救ったため。




