31 ツージーの休日
半月以上にわたった西山の竜血掃除もあらかた終わり、勇者ディーネ・オーズマリーは本日休業を告げた。「疲れたので一日寝る」と使用人ツージー・Oにも休暇を与え、彼女は本当に一日中寝ていた。
そう言われては家事などで家の中を騒々しくもできない。ツージー・Oはペーパ町へ来て初めての休暇を街の散策で使おうと決めた。幸い、懐具合はかなりよい。実家に給金の8割を仕送りしても、ツージーが使うには多すぎるお金が残っていた。ディーネが彼女に不便がないよう、食事はもちろん衣服や小物も過剰に与えており、生活にはいっさいの金がかかっていなかったせいもある。
「ディーネ様と旦那様に感謝して、今日だけは銀貨10枚遣わせていただきます」
手を合わせて拝み、10枚の銀貨をディーネからもらった革の財布に入れた。
着替えを済ませ、お出かけ用の肩掛けカバンを取る。ふと思い出し、机の引き出しからさらに銀貨20枚をカバンに収めた。これは本家に送るディーネの近況を伝える手紙の代筆と配達代だった。彼女はすでに二通の手紙を送っていたのだが、いずれもツージーが自分で書いたものだ。その返信があり、『字が汚い。誤字が多い。要領を得ない』とさんざんであった。彼女の文章力は低く、最低限の読み書きはできるが、他人に伝えるには単語とスペルを知らず、まとめる力もない。『次からは代筆屋に頼むように』と命令され、信用ある代筆屋の所在まで書かれていた。
ツージーはそれが情けなく、また、心配でもあった。ディーネへのメイド派遣は文字が書けることが前提であった。偶然にも本家でもっとも若い新米使用人が字を書けたのは、渡りに船であったろう。それがこのざまなのだ。それにいくら信用ある代筆屋とはいえ、勇者の日常を知られるのは心苦しかった。
そんなわけで代筆屋に依頼をしたものの、内容はごく無難な活動報告で終わった。健康状態、活動内容の羅列、結果報告、それだけである。これで済むならツージーでも問題なく書くことができたであろうデキであった。ツージーはモヤモヤしながら投函したが、その不安は的中した。後日、内容の薄さにお叱りの返事が届くこととなる。父オーズマリー伯爵が知りたいのは大事な娘の生活であり、勇者としての働きなどどうでもよかった。このような『報告書』を届けられるくらいなら、ツージー直筆の『手紙』のほうがよほど生活が感じられた。伯爵はツージーがなぜこのような報告書を送ってきたのか考えに至り、以後はつたなくともツージーの手紙を寄越すようにと指示して返事を締めた。
ともかく、休日唯一の仕事を終えたあとは、ツージー・Oは気ままな散策をはじめた。市場で買い食いをし、珍しい南方の装飾品を眺め、噴水広場のベンチで休み、賑やかなサーカス馬車の後を追い、道に迷って兵士に迷惑をかけた。
散歩の最後に、ツージー・Oは第二防壁に上がってみた。町を取り囲む三重防壁の真ん中であり、平時は一部区画が一般解放されていた。彼女が上ったときにも、数十人の市民が壁からの景色を楽しんでいた。
ツージーはぐるりと町を眺め、目立つ時計塔で視線をとめた。あと10分もすれば16時の鐘がなる。多くの市民が仕事を終え、家路につく時間だ。ツージーも勇者ディーネ・オーズマリーの待つ家へ帰り、お腹を空かせたお嬢様のために食事の準備をする。相変わらずディーネからは感想らしい言葉もないが、ツージーは自分ができる数少ない仕事に張り合いを感じている。
鐘が鳴ったら休暇は終わり。そう思って針の動きを見つめる。と、針に変わって時計塔から動くものが見えた。
目を凝らすと、それは勢いよく飛び出し、ある一点目がけて飛んでいった。ツージーが「なんだべ?」と首をかしげている間に、その地点で消えた金色の物体が再び空へ舞い上がり、時計塔へと戻っていく。が、たどり着く前にそれはまた違うところへと飛んでいき、戻っては飛びをさらに二度ほど繰り返した。
「あれは、も一人の勇者様でねか?」
飛び交う金色が鎧の反射だとわかれば、勇者ゲイリーと行きつくのは簡単だ。
周囲も彼の存在に気付いたようで、ツージーと同様に壁を乗り出して勇者の姿を追っていた。
町の住人にとっては、久々に見る勇者の姿だった。勇者が山間部にこもっていたのは一般には知られておらず、不安を感じていた者は少なくなかった。
「勇者ゲイリー!」
「戻ってきた、黄金勇者!」
「ゲイリー、ゲイリー!」
興奮を高める周囲に圧倒され、物理的にもツージーは壁に押し込まれた。
「ちょ、ちょっと押さないで――!」
ツージーが困惑と恐怖に抵抗を試みる。が、それは届かず、さらなる圧力に壁を乗り越えてしまった。
「あ」と声を出せたものかどうか、ツージーはわからないまま地上まで20メートルの落下に身を委ねることとなった。
だがそこはもちろん、勇者が見逃すはずもない。ゲイリーは視界の隅に映ったツージーに向かって、一秒もかからず到着していた。
ゲイリーが彼女に無事かどうか訊ねるころには、二人は地面に着地していた。
「あ、ありがとございますた。助かりますた」
ツージーの礼を聴き、ゲイリーは黄金兜の奥でかすかに微笑んだ。懐かしい言葉だった。気が緩んでつい余計な質問が出る。
「北方の出かな?」
「そうです。覚えでらっしゃらないかも知れまぜんが、わだすはディーネ様のとごでお世話になってるツージー・Oです」
「あ、ああ、そうか、思い出した。これは失礼した」
ゲイリーは言われなければずっと気付かなかったであろう。それくらい彼女の外見の印象は薄かった。
「いえ、とんでもないです。むしろ勇者様の使用人が、同じ勇者様のお手を煩わせたなんて、お嬢様に知られたらお叱りを受けます」
「ディーネは――オーズマリーは叱ったりせぬよ。勇者の役目が人々を守ることである以上、困っていれば助ける。立場や身分など関係はない。オーズマリーはまぎれもなく勇者だ」
輝く黄金の兜の奥からまっすぐ向けられる瞳に、ツージーはドキリとし、『さすがはお嬢様が尊敬なさる勇者様』と感動した。
「では、わたしは行く。気を付けて帰りなさい」
ゲイリーが背を向ける。ツージーはそれがなぜか残念で、名残惜しく思えた。
「あ、あの!」
「……?」
振り返る黄金勇者に、ツージーは両手をワタワタさせて言葉を探した。
「そ、そういえば、今日は、お嬢様はお休みをしているのですが、ゲイリー様はお元気なのでずねっ」
言った瞬間、ツージーは頭を抱えたくなった。問いかけの内容もそうだが、『元気』などと子供っぽい言葉を選んでしまうとは、無教養をさらけ出すようなものだった。
ゲイリーは笑った。ツージーはさらに恥ずかしくなったが、彼の声に嘲りはない。
「いや、また失礼した。元気ではなかった。つい先ほどまでわたしも寝ていたのだ。知っていると思うが、わたしとオーズマリーはずっと山間部の問題に取り組んでいた。思いのほか困難で、キツイ日々であった。オーズマリーも相当疲れていただろう。一段落がつき、共に今日の休暇をとる提案をしたのもわたしからだ。だが一方で、長くこの町を放っておくことになってしまった。だから少しでも早く、町のために働きたかったのだ」
「そうなんですか」
「この町には優秀な兵士たちがいる。わたしが頑張る必要などないのだが、性分なのだ。できることをできる範囲でやる。それがわたしの勇者としての在り方だと思っている。……そうだ、その意味では、君も充分、オーズマリーの助けになっているようだ」
「わだずが……?」
「うむ。彼女は昼食のたびに、君の作った弁当を美味しそうに食べていた。毎日工夫を凝らして、力が出るように、飽きがないように、たくさんのものを詰めていたね。わたしも少しいただく機会があったが、美味しかった。北方の懐かしい味がした」
「……お嬢様は喜んでくれていたんですか」
「もちろんだ。それまでも任務先で食事を共にする機会はあったが、空腹を満たす作業以上ではなかった。疲れているときこそ、自分のための食事は励みになる」
「……っ」
ツージーは言葉を忘れ、震える両手を力いっぱい握りしめていた。鼻と目頭が熱くツンとして、涙がこぼれた。
「……オーズマリーが待っている。早く帰るといい」
ゲイリーはそう告げると飛び去った。
「はいっ。はいぃ……!」
もういない黄金勇者に応え、ツージーは涙を拭って走りはじめた。彼女にとっての最高の休日はまだ終わらない。
今回のウンチく
ツージー・Oの手紙……オーズマリー伯爵への手紙には、ディーネの毎食の献立が添付されるようになる。伯爵はその意図を掴めなかったが、知らないメニューがあると料理長に指示して作らせるようになった。おかげで料理長は聞いたこともない田舎料理を作るために苦労を重ねることとなる。




