11 わたしだけが知っている
ゲイリーは視線を感じていた。戦場に着いてからずっとである。それは闇神官ネクラムが操る魔物の軍勢を打ち破った今も続いていた。
その視線の主はディーネ・オーズマリーである。
彼女も魔軍迎撃の任を受けてやってきたのだが、なぜか彼女の集中力はゲイリーに向けられていた。ときおりニヤリと笑っては、愉しそうに魔物を狩るのである。
ゲイリーはうすら寒さを感じてなるべく距離を取っていたのだが、気が付くと彼女は近くにいて視線を突き刺してくる。さすがに怖くなって彼女に何か失礼でもしたのだろうかと記憶をフル回転させたが、心当たりはない。
戦いが済んで王国軍が去ったあとも、ディーネはその場に残っていた。何か話でもあるのだろうとゲイリーは緊張で胃が痛くなりながらも周囲に誰もいなくなるまで待った。
「あー、えーと、お、お疲れ様。思いのほか早くカタがついたな」
恐るおそる声をかける。
「ええ、そうね」
ディーネは弾むように応えた。やはり顔は笑っている。
「そ、それで、何か話でもあるのか?」
「別に。特にないわよ」
ニヤニヤ。
「そうか。なら、ここでお別れだ。わたしは先に帰る」
「うん、お疲れ。またね」
ニコやかに手を振られ、ゲイリーは悪寒を感じつつ飛んで帰った。
その後ろ姿を見ながら、ディーネは笑みを強める。
「あの勇者ゲイリーの素顔を知ってるのはわたしだけ。うっふふ~」
教えてくれたナンシー王女等は都合よく除外し、ディーネはご満悦だった。
翌日の午後、城塞都市ペーパにて市内巡回をしていたディーネは信じられないものを見た。
「え、ゲイリー?」
思わず足をとめ、近づいてくる青年を凝視した。ナンシーからもらったスケッチと同じ顔が歩いている。
(うわ、ヤバ、生ゲイリーじゃない! 歩いてる。歩いてるわ!)
などと混乱しながらも顔はニヤケてしまう。
周囲から見れば、あの魔銀騎士が路上でいきなり立ち止まり、正面をガン見しはじめたのだから驚きである。何かあったのだろうかと彼女を視線を追ったり、彼女自身を不安のそうに覗き込む。
それにハタと気付き、ディーネは素知らぬ顔で歩みを進めた。
距離が縮まると、相手も魔銀騎士を目にして面食らった顔をした。あの勇者の一人が間近にいるのだから、一般市民としての反応は適切ともいえた。
ディーネはそんな芝居をするゲイリーに可笑しくなる。昨日は肩を並べて戦いあった仲ではないか。まぁ、むこうは自分がゲイリーの素顔を知っているなど思いもよらないのだろうから、わざとらしいリアクションをとったのだろうけど、と好意的解釈をする。
(ここでは声をかけないほうがいいかしらね。正体を知られるのを嫌がっていたし)
それに自分だけの秘密という優位性も惜しい、と一人でニヤニヤした。
二人はすれ違った。
と、そのときディーネに不遜な考えが浮かんだ。
(そういえば、彼の私生活ってどんなのかしら。いつも時計塔で消えちゃうのよね。【転送魔術陣】があったから、そこから自宅へ跳んで市民に紛れるんでしょうけど)
気になると突き詰めたくなるのが人情であろう。こんな機会はまたとない。ディーネは一日、ゲイリーを追ってみることにした。
ゲイリーは中流階級の集まる住宅地に向かっていた。
「ゲイリーの自宅はこのへんなのね。予想どおり一般市民に紛れて暮らしているようね」
ディーネは自分の鋭い推理力にニンマリとした。が、彼は一軒の家の前で扉を叩いた。
すぐに若い女性が顔を出した。
ディーネは脳天から電撃を喰らったような衝撃を受けた。今までの戦いすべてで負ったダメージより深刻な痛みだった。
「まさか……まさか……あの女性は……」
物陰から見ていた彼女は、誰にも気づかれることなく地面に膝をついていた。もしも誰かに見られでもしていたら、大事件として報じられていたであろう。
「先生、お待ちしてましたわ」
「こんにちは。調子はどうですか?」
二人の会話が聞こえ、ディーネは立ち上がった。
「先生……? ゲイリーは普段、医者をしているの……?」
そんな職業予想よりも、彼女が恋人ではないと判明したことが彼女の思考を引き戻していた。
ディーネは壁に張り付き、中をうかがう。これもまた、他人が見たら驚くところであろう。
ゲイリーと女性は客間らしき部屋で楽器を取り出していた。そして同じ曲を弾きはじめる。
「先生って、バイオリンのだったのね……。さすが勇者ゲイリー、素晴らしいわ!」
ディーネは耳を澄まして音楽に身を委ねた。目を開いていたら、きっと輝いていたことだろう。
一時間ほどのレッスンが終わった。二人が楽器を片付けていると、女性の甘い声がした。
「先生、今日はゆっくりしていけるんでしょ?」
その声を聞き、「ああっ!?」とディーネは一瞬で黒い闘気を放った。家の中のゲイリーはその卓越したセンスのせいか、それを感じとった。
「い、いえ、今日はこれで……。また明日、来ますね」
彼はそそくさと家を出ていった。
「当然よ。勇者ゲイリーが色香に騙されるものか」
ディーネはフフンと自慢げに胸を張った。
ゲイリーはその足で次の家に向かった。今度は絵画の先生として、次の家では詩を詠んでいた。
「ゲイリーって芸術方面全般に精通してたのね……」
貴族の息女でありながら武術に全振りしていたディーネは、ゲイリーに感心しつつも自分が恥ずかしかった。自ら共通の趣味となりえた教育を放棄していたのが悔しい。
「……それにしても、どこへいっても誘惑だらけってどうなのよっ」
教え子が全員、若い女性だった。美形の芸術家ゲイリーがモテるのはわかる。わかるだけに憤りも湧くのだった。
夜になると、彼は手近な酒場で食事を済ませて帰宅の路についた。その間も、ずっと背後から黒い闘気を感じていた。
家の前まで来ても圧力が消えず、ゲイリーは思い切って振り返った。
「あ、あの、何か御用ですか!?」
まさか気付かれているとは思いもしなかったディーネは、その不意打ちを真正面で受けてしまった。とっさに隠れることもできず、うろたえる。
「え、えと、な、なんのことかしら……?」
彼女にできるのはとぼけることだけだった。
「ごまかさないでください、ディーネさん。昼からずっとつけていたじゃありませんか」
ゲイリーはもちろんディーネ・オーズマリーを知っている。
「え、気付いてたの……じゃなくて、そんなわけないじゃないっ。わたしがなんでゲイリーをつけないといけないの?」
「わたしの名前まで知っていて、ごまかせると思うんですか? 何か用があるんでしょう? ……もしかして王都の先生に何かあったんですか?」
「……王都? 先生……?」
「まだとぼけるんですか? 先生と言ったらアートマン先生ですよ。ナンシー殿下の芸術指導教師をしている」
「アートマン先生……。あ、あーっ!」
ディーネはやっと彼の言葉の意味を理解した。
「なんですか、そのリアクションは。もしかして、本当に覚えてなかったんですか? わたしがアートマン先生の直弟子で、あなたが近衛騎士だったころに何度かあいさつ程度ですが話をしたことがあることも」
「い、いや、そそそそんなことはない。うん、ちゃんと覚えていたよ。うんうん」
ゲイリーは目を逸らす勇者に疑いの目を向けた。けれど話が進まないのでため息で場を流し、本題に戻った。
「……それで、何の用ですか? 忘れていたのでしたら、別件があったのでしょう?」
「いや、面目ない。正直に話すと、知っている顔を見て、だが、思い出すこともできずにいたので、ついつけてしまったのだ。不快にさせて申し訳ない」
あながち間違いでもない言い訳をしてディーネは頭を下げた。
「ですが、わたしの名前は憶えていたではありませんか」
「な、名前だけだっ。素性が思い出せなかったのだ」
「そういうことですか。でしたらすぐに声をかけてくださればよかったんですよ」
ゲイリーは一応の納得をした。それではあの黒い闘気の理由にはならないのだが、訊くのはやめた。芸術に生きる彼の感性は、一つの可能性を瞬時に導き出していた。そしてそれが当たっているのが彼のすごいところである。
「本当に申し訳ない」
「ディーネ様も人間ですから、いろいろとあるのでしょう。今回は残念な再会となりましたが、今度お暇なときにでもゆっくり王都のお話などいたしましょう」
「ああ、そうだな」
ディーネは顔を上げ、笑みを浮かべた。
「では、失礼する」ディーネはきびすを返して去っていった。
「勇者ディーネ・オーズマリーか。近衛のころよりもずっと綺麗になっていた。そんな彼女を嫉妬させたのは、いずれのゲイリーであったのか」
わかりきった答えに芸術家ゲイリーは肩をすくめた。
悠然と立ち去ったディーネは、自室に戻るともんどりうった。
「うわぁぁぁぁ、恥ずかしいぃぃぃぃっ」
その叫びは深夜遅くまで続いた。
今回のウンチく
芸術家ゲイリー……ナンシー王女の芸術指導をしているアートマンの弟子の一人。ナンシーが人物画を描く際のモデルとして何度か師匠と登城していた。現在は各地の芸術に触れる旅の途中で、路銀稼ぎに家庭教師をしている。このゲイリー違いで数話引っぱろうと思ったが、考えるのがめんどくさくなったのでやめた。




