第十七章 青すぎる空 9
「要塞は、空があまりに青すぎる。」
それはある日記の最後の文章だった。
エミリアの亡くなった兄が書いていたという日記は人知れず、スカイロードでのルームメイトの手に渡り、エミリアの手元に届いた。
エミリアの兄は小等科から寄宿舎学校へ行ったが、それは母親が亡くなったからだった。
父親は、母親のいない家庭に長男を置いていけないと思い、寄宿舎を選んだ。
自身も軍の任務で家庭にいられないからだったが。
エミリアは父方の祖母に育てられて、離れて暮す兄の事をよく知らなかった。
日記には、エミリアの知らない兄のことが書かれていた。
兄は、中等科を卒業すると、父親に反抗してスカイロードに入った。
軍人としてエリートコースを歩み、父親の威光をうけて、軍の上層部に行くのを嫌がったからだ。
しかし、スカイロードを卒業して、初の任務地が山岳警備隊の要塞であるキャティナ・マウントーサ・ロッソ駐屯地に決まって、落胆したのは父親が管轄していたからだった。
ずっと寄宿生活だった兄は、世間をよく知らなかった。
知らないがゆえに、のめりこんだものがあった。異性だった。
そして、性質の悪いことに、黒衣の民族と知らずに恋をしてしまったのだった。
周囲にばれないように、思いを寄せ、秘密裏に密会を繰り返した。
相手の女は最初、邪険に扱っていた。軍にあがったばかりの新兵にしか思っていなかったからだ。
しかし、その男が要塞の将軍の息子となれば、態度も変わってくる。
本気ではなかったから、尚更、利用できるものは利用しようとおもっていたにちがいない。
利用されていると、知らずに夢中になった兄は、女の言うがままに何でもしてしまった。
自分のしたことの重大さに気が付いた時は、鉄鉱石窃盗団の捕獲作戦で犠牲者を出したことで、もうすでに遅かった。
捕獲作戦で、一部を捕まえる事ができ、そこから、エミリアの兄が情報を流したことが知れてしまったのだった。
エミリアの兄は、自害したのだ。
日記には、最後まで、相手の女のことを思い、利用されている事を夢にも思っていないことを綴っていた。
ただ、自分の未熟さを強く嘆いただけだった。
そして、その思いをエミリアに託したのだった。
「エミリア、僕は君の事を良く知らない。君も僕の事を知らないと思う。
僕の事を知って欲しくてこの日記を託すわけではない。
愛するということを知らずに成長してしまった僕は、自害しなければいけなくなったのだと思う。
君は、僕より、母より、父よりも、長く生きていて欲しい。
だから、人を愛するということを、早いうちから知っていて欲しい。
空があまりに青すぎて、僕は自分の未熟さを痛感したんだ。
命を絶っても、僕は君を見守りつづけたい。」
エミリアを案じての言葉だったかもしれない。
エミリアがこの日記を手にしたのは、入学してからまもなくのことだった。
父からは、事故死としか聞かされていなかっただけにショックだったが、エミリアを思って日記が届いたことに涙した。
兄弟がいたことを実感したのは、これで最初で最後となった。
エミリアはカスターに兄の事を語って、人を愛することの難しさを口にした。
「だから、わたしは思い続けることで、わたしの気持ちを大切にしたいと思っているのです。」
カスターは少し残念に思ったが、人を愛する態度や気持ちはそれぞれで、これが正しいっていうことはないかもしれないし、それをカスター自身がエミリアに諭すには自分が未熟であることも痛感していた。
エミリアはレインの事を口にしなかった。
口外して欲しくないというのは、兄の自害のことがあったからだった。
「君はまだ、幸せかもしれない。」
「幸せ?」
「ああ、自分自身が人を好きでいるという気持ちが持てるのは幸せことだと思う。
僕は誰かを好きでいてるのかどうかさえ、わからない。
そして、ロブなんか、好きな女がいてるのに、好きだといえず、会わないでいる。」
エミリアはカスターの話しに耳を傾けていた。
「自分の気持ちに素直になれることは素敵なことだし、幸せなことだと思うよ。
話を聞かせてくれて、ありがとう。僕も素直な行動がとれるようになりたいな。」
カスターはエミリアに微笑んで見せた。
「こちらこそ、重たい話を聞いてもらって、ありがとうございます。」
「重たい話だなんて。・・・そうだな、君は君の素直さに、助けられている。」
「素直さ?」
「うん。素直だから、まわりに助けてくれる人が寄ってきてくれるんだよ。」
照れながらもエミリアは笑顔になった。
「だから、自信を持って、思いはいつか通じるから。」
エミリアは深くうなづいた。
二人は、照りつく太陽から退散した。
カスターはエミリアに教わって、カインのところにたどり着いた。
カインは、カスターにいろいろ大変だろうががんばっていくようにと言った。
事件の真相を知りたいと思わない二人だが、自分たちが何かに巻き込まれていることには気が付いていた。
それは、ふたりが輸送隊として任務についた、あのときからだった。
スカイエンジェルフィッシュ号通称SAFは、午後から、山岳警備隊の要塞であるキャティナ・マウントーサ・ロッソ駐屯地を発った。
離陸の際は、正気にもどったレインは、名残惜しそうに窓から要塞を眺めていたが、視界の中に小さいながらも目に焼きつく姿があった。
人気のない場所から、エミリアがスカイブルーのスカーフを降って、見送っていた。
レインは涙を堪えた。
そして、空を眺めた。
エミリアがSAFを見送った後、ひとりの男性から声を掛けられた。
「アップルメイト大尉から、聞いたんだが、君がエミリア=サンジョベーゼさんかね。」
「はいそうです。」
「クレア=ポーターさんから頼まれてね。」
男は、白い封筒をエミリアに手渡した。
表書きはエミリアあて、裏には何も書かれていない封筒から、一枚の写真を取り出した。
それは笑顔のレインの写真だった。