第三十八章 オレンジローズ 3
エミリアはガラファンドランド・ドックから充てがわられた部屋に篭もっていると息が詰まりそうだった。ドックでは夜の間でも空挺の整備で機械音がした。かすかに聞こえる波の音に魅せられて窓を開けた。窓の下に広がる崖下に波が打ち寄せ、潮の香りを運んでくる。エスパニシーオネの海を眺めていると、そこには大きく白いものが写りこんでいた。視線を上にむけ、大きな満月が目に入ってきた。その瞬間、目の前が真っ白になった。
降り注ぐ雪のなかにレインがいた。よく見ていると、レインは笑顔を浮かべながら、両腕で抱え込み寒さをしのいでいた。
「寒い、寒い。」
口にした言葉を聞いただけでも、さぞ寒いのだろうと思わせたが、エミリアにはどうすることもできなかった。なぜなら、自分の手のひらに雪がつもり、その雪の上にいるレインを見下ろしていたから。自分の手のひらの冷たさに耐えるしかなく、その雪を払いのければレインがいなくなってしまうと思い込んでいた。
「レイン。」
声をかければ、吐息がレインにかかり、寒さを一層感じている風だった。辛さがにじみ出てきて、悲しくなってきた。大きく息を吸って、雪を吹き飛ばそうとすると、レインまで飛んでいってしまいそうな気がした。優しく暖める気持ちで息を吹きかけると、吐息はオレンジ色を放ち、レインを包み込んだ。雪は次第に溶け出し、エミリアの手のひらにはレインだけが残った。両手でレインを包み込み、胸元に寄せると痛みを感じ、手のひらをそっと開いた。
「エミリア、何をしてるの!」
そこにはオレンジローズを手に差出したフェリシアが見上げており、オレンジローズにはありえない大きさの棘があった。そして、フェリシアはエミリアの体に飛び移り、肩めがけて棘を突き刺した。痛みは感じなかったが、棘が刺さった場所から大量に血が出てきた。血を手で押さえながらも動揺しなかった。
「エミリア、こんなことじゃ済まないわよ!」
フェリシアは怒りに任せて、つぎつぎと棘をさしていくが、肩以外のところは血が出てこなかった。オレンジローズはフェリシアが乱暴に扱うので一枚一枚花びらが散っていった。最後のまんなかのところにレインがうずくまっていて、フェリシアは摘んだ。そして、口を大きく開けて、レインを食べてしまった。
「そんな!」
エミリアが次に目を覚ました時に、目の前に見知らぬ男性がいた。
「大丈夫か。」
黒髪の男性は心配そうにエミリアを見ていたが、さっきまでいた場所が思い出せないでいて、両手で頭を抱え込んだ。
「正気にもどったのかな。」
横で話す声に覚えがあって、そちらのほうを見ると、確かに知っている人物であるレオンがいた。
「あなたは、確か・・・。」
エミリアはそう言って、見知らぬ男性のほうに向きなおした。
「あなたは、どなたなの?」
「俺?俺はステファノ。それより、どうしてここに。そしてその格好は・・・。」
「え?!」
自分の姿を改めてみると、黒い服を着ていた。あたりを見渡し、鏡があったので覗き込むと、全身黒い格好だった。
「これを着けていてたんだよ、エミリアさん。」
レオンは手にしていた白い髪の鬘を差し出した。エミリアは首を横に振り、「わからない。」とつぶやいた。思い出そうとすると、頭が割れそうに痛かった。
レオンたちの話はこうだった。
赤い小型空挺がホワイトソードに近づき、格納を求めてきた。ホワイトソードは塩山脈を目指していたのだが、同じく塩山脈を目指していたジェフとはまだ落ち合っていなかった。赤い小型空挺を格納すると中から出てきたのは全身黒ずくめ白い髪の人物。ステファノは黒衣の民族の白髪の男の存在は知っていたが交信の際は女だと知っていた上で、身構えた。しかし、近づこうとすると、黒服の人物はいきなり倒れこみ、気を失った。倒れた拍子に鬘が取れてしまい、顔があらわになると、レオンが言った。
「エミリア・サンジョベーゼ少尉。」
レオンはエミリアがどんな女性かを知っていた。気を失っている間ステファノに話すと、ステファノは眉間に皺を寄せた。
「まさか、レインの思い人を餌にしようってわけじゃないだろうな。」
レオンは絶句した。ニコラの次の一手がエミリアなら、その手の話があってもおかしくないと思った。レオンは鬘を手にして、レインが苦しんでいる様子を思い浮かべた。ステファノは気を失ったエミリアの肩を抱き、気付け薬を取り出した。
エミリアはレオンの話を聞き、様子を把握すると、レインの救出に向かうホワイトソードに乗り込んだと理解した。
「どうして、ここに来たのかは覚えていません。どうしてこんな格好をしたのかもわかりません。」
エミリアはレオンが手にしている白い鬘を見ていて、思い出した。
「黒衣の民族で白髪の男がいたわ。その男に襲われてレインが大怪我したことがあったけど、まさか。」
ステファノは少し考えてから、嫌な気分になった。ステファノが用心棒としてついていたジャーナリストが追いかけていた事件の内容に白髪の男がいたことを思い返していた。ジャーナリストが口にしていたことは白髪の男とグリーンオイル製造会社の幹部がつながっていることだった。
「ま、まさか。」
レオンはレオンで白髪の鬘を手にしていて、ジリアンから聞いていたイリアの話を思い出した。イリアが人の心を操ることができるということをジリアンは財団理事長から聞いていたからだ。いま、どこにいるかも知っていた。
「エミリアさん、あなたはどこにいてたのでしょう。」
「ガラファンドランド・ドックだったはず。」
「それはアニーさんのところにいてるイリアも知っているかな。」
「イリア?誰のことかしら。アニーさんならお会いしたわ。」
読めたといわんばかりの顔をレオンはした。
「イリアって、何者なんだ。」
「白髪の少女で、黒衣の民族では魔術師であり、白髪の女性は白い魚といわれていたらしい。」
「知ってる!」
ステファノは驚愕した。ジャーナリストの話を半信半疑で聞いていたことがあった。
「実在していたんだな。」
エミリアは何の話をしているかわからなかった。
「エミリアさんはイリアに操られてここまできたと思う。イリアが何をしようとしていたかはわからないけど。」
「そうか。そういうことか。」
「どういうことなの?」
「白髪の男は行方不明になっていて、裏社会で捜索依頼がきていてるそうだ。多額の懸賞金がかけられている。その懸賞金がどこから出ているのか調べさせようとしたが、グリーンオイル製造会社だと知っていたんだ。」
「誰が?」
「ああ、俺がついていたジャーナリストだよ。」
レオンとエミリアは理由がわからないという顔をしてステファノを見ていたが、ステファノは天井に目を泳がせて言葉を選んでいた。
「ジャーナリストは事故で亡くなったことになっているが、消されたと思っている。なにか証拠をつかんだと思うんだが。俺にはどうすることもできなかった。」
「それが白髪の男と、イリアと、どういう関係あるんだよ。」
「イリアは知っているんだ。白髪の男とグリーンオイルの社長との関係をさ。」
「だから、偽者として登場して敵地に乗り込もうってわけ?そんな短絡的な。」
エミリアは首をかしげながらも言った。
「その手は有効かもしれないわ。レインを襲った人物がレインを助けにいくわけないもの。」
「ああ!!」