第三十七章 濃霧 2
森と朝靄に包まれて、厳かな館が目を覚ましたかのように、廊下で明かりがついた。メイドが各所に灯火していた。
「きゃぁ~、助けて、助けて~。」
響き渡る女性の悲鳴声。緊張感がメイドたちに走るが、彼女たちは慌てたりしなかった。メイド二人がある部屋のドアの前に立ち、そこから悲鳴が聞こえていることを確認すると、一人が小走りに去っていった。残った一人がドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。
「コリン様、どうかされましたか。」
ドアを強くたたいて、状況を把握しようと、返事を待っていたが、返答が無い。しばらくすると、メイド統括の主任と白衣を着た看護士が現れた。
「発作を起こしているようです。中から鍵がかけられてます。」
「あなたはご主人様を呼んできてちょうだい。ジェーンはご主人様の指示があるまで処置するのを待っていてください。」
「わかりました。」
メイド主任はポケットから鍵を取り出し、ドアを開けようとした。
「入ってくるな!」
中からコリンの怒鳴り声がして、殴られ蹴られるイリアの悲鳴が聞こえた。メイド主任は息を飲んで、ドアを勢いよく開けた。
この館の主人であるデューク=デ・ミストは、朝食を待っている状態だった。メイドの報告を聞き、足早にコリンの部屋に向かっていった。悲鳴でただならぬ出来事が起きていると察して妹のセイラは部屋を出ようとしたが、付きメイドに制止された。また、悲鳴がイリアの声だと気づき、パンを焼いていたコリンの養母は仕事着のまま、コリンの部屋へいった。
デュークがコリンの部屋に入ろうとしたところにコリンの養母が部屋にたどり着き、デュークの腕をとった。
「お願いです。コリンを殴って、覚醒させてください。」
養母の言葉とは思えないと少し驚いたが、狂乱状態に陥ったセシリアのことを思うと、荒療治は必要だと思った。そして、養母に向かって深くうなづき、中に入らないよう促した。
デュークが中に入ると、メイド主任がイリアをかばうように被さり、蹴っている上半身裸のコリンから守っていた。
「コリン!」
デュークはこの状況を察していたが冷静なままでの態度ではなく、怒りをあらわにして、すばやくコリンのところへいき、力をこめて殴った。
「ぐぁぁつ!!」
殴られたコリンは床に倒れこみ、デュークを睨み、起き上がって殴り返そうとしたが、足元がもつれ、デュークに向かって倒れこんだ。倒れこんだコリンを受け止め、力強く抱きしめた。
「コリン、お前の母親も狂い、わたしを殴ったり蹴ったりした。わたしは耐えた。彼女を愛していたからだ。彼女の息子であるコリンも、変わらず、愛している。どんなことにも耐えよう受け止めよう。」
デュークに強く抱きしめられて、身動きができず、握り締めた拳でデュークの背中をたたき、泣き叫んだ。
「うわぁ!!!」
しばらくておとなしくなったコリンを抱きかかえ、ベッドに連れて行き、看護師のジェーンに指示をした。ジェーンはコリンに注射を打った。
「不安に思うことはない。ここには、おまえに美味しいパンを焼いてくれる母親がいる、セイラがいる、わたしがいるのだから。」
デュークの言葉に安心したかのように、目を閉じ、コリンは眠りに付いた。寝息が聞こえたのを確認してから、デュークはイリアのそばにいった。メイド主任がイリアから離れようとしたが、イリアはしがみついて離れなかった。右目が赤くはれ上がり、ところどころ引っ掻き傷があって、全身を震わせていた。
「イリア。傷の手当が終わり、服装を整えたら、わたしの部屋に来なさい。渡したいものがある。」
デュークはイリアの左目を見ながら、言った。その目は恐怖に怯えていて、デュークに話しかけられても安心感は得られず、唇を震わせ、メイド主任の腕を強く握り締めていた。
「イリアを別室へ。」
「はい、かしこまりました、ご主人様。」
メイド主任はイリアを抱きかかえるようにしてたたせて、抱え込むようにして、部屋から連れ出した。
手の震えがとまらないのを押さえ込むように両手を握り締めて、メイドに付き添われイリアはデュークの部屋に来た。
「失礼します。」
中に入ると椅子に座るよう促されて、イリアは怯えながら座りこんだ。右目を包帯で巻かれた顔はうつむいたままで、震える両手を膝の上に押し付ける様にしていた。
細くて白い腕、キラキラと輝く白い髪、今にも消えてなくなってしまいそうなくらい、イリアは気力も体力も消耗しきっていた。その姿をみて、デュークはためいきをつき、イリアがこの館に来たときのことを思い出していた。
コリンを連れてイリアはグリーンオイル財団に保護された。レッドオイル爆弾に怯えていたコリンだったが、イリアにこころを許すうちに、親しくなり、次第に惹かれていった。それはイリアの思惑でもあった。イリア自身が理解してくれる異性はコリンしかいないだろうと思い込んでいたからだ。
デュークにはコリンを養子にするメリットがあった。愛娘セイラが成人になるまで、セイラの血縁者を代理に財団の跡継ぎでのつなぎさせることだった。セシリアからジリアンの存在は聞いていたので、ジリアンを養子にと思っていた。しかし、死んだと思われていたセシリアの第一子が生きていて、イリアがつれてきたのだから、状況は変わった。セイラと残していたセシリアの遺伝子を照合し、血縁者であることが証明されて、正式に養子となった。イリアを一緒にしておくことには反対だったが、養子になる条件に取り入れられたので、受け入れた。 デュークはクレアからイリアの情報を知らされていたので、財団で預かるつもりではいた。しかしその存在が黒衣の民族で白い魚と称された者だということはコリンにとっても害を成すだろうと思っていた。そして、コリンの発狂と言う発作を起こして、一緒にいさせることは間違っていたのだと理解した。
イリアのほうでも思い違いをしていて間違いであると理解した。イリアの思いはただの思い込みでしかなく、イリアが思った以上に、コリンは複雑な心の病を抱えた。幼児のころに頻繁に出た発狂する発作があったが、それは年齢とともに、発症しなくなっていた。しかし、実母の存在を明かされ、ジリアンが異父兄弟でまた異父兄弟の妹がいることを知ると、一変した。最初は受け入れる覚悟でいたが、次第に平常心が保てなくなり、イリアに触れる度、不安が押し寄せてきた。そして、妄想状態で錯乱しはじめ、発狂する発作が再発し始めた。
イリアはコリンを制御できると思っていたが、できないでいた。次第にコリンの機嫌を伺うようになり、そして、暴力を振るわれるようになった。そして、レインの身に危険が迫っていることをつげたことで、発作を起こしてしまった。
デュークは用意していた箱を持ち、イリアのそばまで来た。そして、その箱を開け、中から取り出し、イリアの手を取った。
「これは、セシリアがコリンの実父からもらったものだそうだ。」
翡翠の指輪が白くて透き通ったイリアの手のひらに乗せられた。驚きの表情でイリアはデュークを見ていた。
「コリンの父親がどんな人物であったか、君はよく知っているだろう。この指輪はもう要らないものだからとセシリアから譲り受け、私がコリンに手渡そうとしたのだが、拒まれたのだよ。」
デュークは温和な面持ちでイリアに話しかけ、優しく両手でイリアの手を包んだ。
「この指輪を受け取ってほしい。そして、もし、黒衣の民族に襲われるようなことがあったとき、この指輪を差し出すといい。守ってくれるはずだ。」
その言葉でイリアは凍りついた。この館から追い出されるのだと思ったからだ。震えが止まったものの、涙が出てきて、止まらなかった。
痛々しさに儚さが加わって泣きじゃくるイリアをデュークは片手で抱き、慰めた。
「クレアの遺言で、イリアを保護することができたなら、預けて欲しい人がいるとあったのだよ。」
デュークはイリアの頭を撫でながら、言った。
「クレアの養父であるダン=ポーター氏の母親でアン=ポーターという人だ。」
イリアは息をのんだ。
レイン=スタンドフィールド(主人公・愛称レイニー)
ジリアン=スタンドフィールド(主人公の実従弟・愛称ジル)
ロブ=スタンドフィールド(主人公の実父)
ラゴネ=コンチネータ(レインたちの大叔父・グリーンオイル生産責任者)
ディゴ (スタンドフィールド・ドックのクルーで板金工)
ジェイ(スタンドフィールド・ドックのクルーで塗装工)
テス(スタンドフィールド・ドックのクルーで溶接工)
ジゼル(スタンドフィールド・ドックのクルーで食堂担当。ディゴの妻)
ディゴJr(ディゴとジゼルの息子)
レテシア=ハートランド(主人公の実母)
シーアリア=スタンドフィールド(主人公の妹)
カスター=ペドロ(スカイエンジェルフィッシュのクルー・愛称キャス。故人)
コーディ=ヴェッキア(スカイエンジェルフィッシュのクルー。故人)
ステファノ=ジュリアーニ(スタンドフィールドドックのクルー、北方民族)
マーク=テレンス(タイディン診療所の医者)
ミランダ=テレンス(マークの妻。診療所の看護士と医療事務員)
ダン=ポーター(前タイディン診療所の医者。故人)
クレア=ポーター(ダンの養女。医者。故人)
カイン(山岳警備隊パイロット。カスター=ペドロの軍隊時の元同僚)
デューク=ジュニア=デミスト(現グリーンオイル財団理事長)
セシリア=デミスト(グリーンオイル財団理事長の妻。愛称セシル。故人)
セイラ=デミスト(セシリアとデュークの娘。ジリアンの異父兄妹。)
カミーユ(セイラ付きのメイド)
セリーヌ=マルキナ(デューク=ジュニア=デミスト理事長の第六秘書)
ダグラス=Jr=デミスト(前グリーンオイル財団理事長、故人)
コリン=ボイド(レインのクラスメイト・ジリアンの違父兄弟)
ジョイス=ボイド(コリンの養父)
プラーナ(ジリアンのクラスメイト)
ウィンディ=ゴールデンローブ(クレアの恋人)
レオン=ゴールデンローブ(ジョイスを名乗っていた少年。ウィンディの息子。)
フレッド=スタンドフィールド(主人公の亡き叔父)
ゴメス=スタンドフィールド(主人公の亡き祖父)
ロザリア=スタンドフィールド(フレッドとロブの母。ゴメスの前妻。故人)
アレックス=スタンドフィールド(主人公の祖先)
ジョセフ=ハートランド(グリーンエメラルダ号の艦長、レテシアの伯父、故人)
コーネリアス=アンコーナ(ワイナリー農園のオーナーの娘)
ピエトロ(コーネリアス付きの執事)
ヴァン(ロブの同級生)
シモン(ガラファンドランド・ドックのオーナー)
ダニエル(シモンの息子)
チャベス(ガラファンドランド・ドックのクルー)
アン=ポーター(ダン=ポーターの実母)
テオ=アラゴン(ガラファンドランド・ドックのクルー。ホワイトソードの艦長。)
エミリア=サンジョベーゼ(皇女殿下のルームメイト)
ジェフ=マックファット(レテシアの同級生。民族解放派。)
マルティン・デ・ドレイファス(コン・ラ・ジェンタ皇国の皇帝。セシリアの実兄。)
フェリシア=デ=ドレイファス(皇帝の第一皇女。)
ニコラ(ホワイトソードの乗組員)
エリオ(ホワイトソードの乗組員)
パトリック=クロス(クロス商会の社長。ホワイトソードのオーナー。)
一男(黒衣の民族)
厳 (黒衣の民族)
イリア(白髪の少女・白い魚)