第三十五章 こころ模様 9
日が昇る前、暗いうちに、オレンジローズは空港を離陸した。オレンジ色のライトを光らせながら、静穏で飛び去る様は、優雅に席を立つ淑女のようだった。甲板でうらめしそうに眺めていたレインは意を決したかのように、中に入り込んだ。
無言で航路を作成するニコラと、通信機をチェックするステファノで操縦室は張り詰めた空気をはなっていた。お互いがいろんな思惑を腹にかかえて、ホワイトソードから外出した際に準備をしてきた。ニコラはエリオとパトリックの命令指示通りに動くことのシュミレーションを、ステファノは何か事が起きたときに安全策として戦闘準備が即座に整う手はずをしてきた。ステファノはニコラとエリオを信用していないばかりか、彼らとは別なやっかいごとに巻き込まれるのではないかという予感があった。その隙を突かれたら、レインたちを守り抜くことができないかもしれないと思っていたからだ。
そんな二人の思惑を知らないばかりか、危機感がもてないレインだったが、出発する前に連絡が入った。それはゲストルームに手紙が届いたことだった。エミリアからの手紙だとはもはや期待していなかった。手紙を受け取りに行こうとしたが、ジリアンから止められた。
「手紙はレインだけじゃないみたいだから、僕が取りに行くよ。」
「ほかに誰が?」
「レオン。」
レインはレオンに会いにエミリアがきたことは知らない。レオンへの手紙が誰なのか、ジリアンは見当がついていた。だから、レインに行かせたくなかった。
手紙を受け取りにいくと察したとおり、レオンへの手紙はエミリアからだった。レインへの手紙はコーネリアスだった。レオンあての手紙を先に渡し、あとでレインに手紙を渡した。
「レオンあての手紙って、誰からだったの?」
「さぁ。レオンから聞いて。」
ジリアンの言葉が腑に落ちなかったが、レオンから聞くのが筋だというのはもっともだと思った。
レインに会って、すぐさま空港を去ったコーネリアスは、泣き続けていた。
「悔しいわ。こんなにレインのことを心配して思っているのに、レインはわたしのことを見ようともしなかったわ。」
コーネリアスは彼女自身のなかで、レインの思いを強くしていた。そして、レインが別の女性を想っている真実も知ってしまった。
「私を見ないばかりか、皇女殿下と一緒にいた女性ばかりを見ていたわ。悲しい顔つきで。」
そばにいた執事のピエトロはなぐさめのことばをかけようとはせず、ただコーネリアスの話を聞いていた。
「私はあの人より、ものすごくものすごく、レインのことを想っているわ。大事に想っているんだから。」
ピエトロはただひたすらにうなづいていた。ハンカチを手に何度も悔しいと口にするコーネリアスは出された食事を口にしようとしなかった。困っていたピエトロはコーネリアスに言った。
「レイン様にお手紙を書いてはいかがですか。」
「手紙?いまさら、書いてどうするのよ。」
「お嬢様の様子を伝えなくてどうするのです。それでは相手にわかってもらえませんよ。」
「恨みつらみを書いてしまいたくなるから嫌だわ。」
「それでもかまいません。お嬢様の素直な気持ちをお伝えするのです。」
コーネリアスから吐き出すだけ吐き出させないと、こころが壊れ身体まで壊してしまうと危惧した。恨みの手紙でも書いて抜け出すのが手段だと思っていた。
そして、コーネリアスはピエトロに言われたとおり、素直に手紙を書いた。
『悲しくて悲しくて辛いです。レインのことをとても心配しているのに、わかってもらえなかったから。』
レオンが受け取った手紙は確かにエミリアの名が書かれていた。しかし、封を切ると、中から手紙がでてきて、そこにはフェリシアの名が書かれていた。
『次回会った時には二人っきりでお話がしたいわ。必ず、二人っきりで。』
読んでから即座に手紙を閉じた。レオンは動揺した。
「二人っきりで?」
冷静になろうとして、目を閉じてみた。二人っきりの意味が何をあらわしているか、わかっている。そこには皇帝の存在がないんだと。
「知りたいのだろうか。それとも、知っているのだろうか。」
皇女殿下フェリシアに初めて会い、その威厳たるものを目の当たりにして思っていた。同じ血が流れていようとも、同じように振舞えるわけじゃない。
「俺は俺自身。ほかの何者でもない。俺は俺の信じた、求めた道を生きるだけ。」
トランスパランスで得た自分への指標だった。
「だから、臆することなんて何もないんだ。」
手紙を白衣のポケットに仕舞いこんだ。部屋を出ると、廊下でレインが待っていた。
「なにか用?」
「いや、手紙、誰からだったのかな。」
しばらく考えた。手紙はエミリアからだ。それを口にしたら、レインが動揺することはわかっていた。
「皇女殿下からだよ。」
「え?」
「野暮なことは聞くなよ。」
レオンはそのまま、レインの前から立ち去った。レインは違う意味で動揺していた。
「どうして、皇女殿下から?聞くなよって・・・。」
あとから、ステファノに訳を聞いた。もちろんステファノはエミリアの名を口にしなかった。
「コリンってやつに似てるんだってね。」
その一言でジリアンが言った。
「皇女殿下はコリンに会ったことがあるんだね。」
ジリアンは納得した様子だったが、レインはまだ意味不明で理解できてなかった。いつものようなことをジリアンは言わなかった。
「コリンがセシリアの息子だって知ったんだ。似てるってことは親戚だと思ってもおかしくないでしょ。」
「ああ~。」
拍子抜けするような言葉が返ってきて、ジリアンは呆れていた。
「僕たちの知らないところで、いろんなことが進んでいっているみたいだね。」
ここ数年で、レインとジリアンに訪れた真実というのが数々あった。受け入れ難いものから、嬉しかったことまで。これからさきも知らされていない真実が待ち受けていても、それを受け入れるしかないだろう。
「ところで、レインの手紙は?」
ピンと張り詰めた空気が漂い、レインの次の言葉をみんな待っていた。その空気を読めずに、ただ思ったことを口にする。
「コーネリアスからで、悲しませてしまった。」
「当然だな。どうしようもない偶然が重なったが、お互いそれぞれに知らなければいけないことだっただろう。」
ステファノだけでなく、みんな同じことを思っていた。
「傷つけるつもりはなかった。自分が傷つくことを怖がってばかりいたから。」
ニコラは作業を終えて、席を立った。
「だったらさ、誰かのために強くなろうって思えばいい。自分のために強くなろうなんて、所詮強くはなれないよ。コーネリアスを悲しませないために、何も好きなろうって思わなくていい。」
ニコラはレインに微笑んだ。レインは気持ちが晴れたような気がして、深くうなづいた。
「レインが誰を想おうともレイン次第。レイン次第で誰かが傷つくなら、レイン自身の想いを貫くのことが、現状を受け入れることができるんだよ。」
その言葉にあとに、レインが想っている女性が優柔不断な態度を取っていることの意味を言葉にださずに飲み込んだ。そして、レインの満面の笑みをみて、頭を撫でて、操縦室から去った。
レインは仲間がいて、言葉をかけてくれる幸せを感じた。
「そだね。悩んでばかりいたら、みんなに心配かけちゃうね。」
操縦室から出たニコラは唇を噛んで、辛さをかみ締めた。
「純粋無垢な少年たちを陥れることなんて、あたしにできるのかな。」
ニコラ自身はわかっていた。傷つけることを怖がって守ってあげても、成長しないことを。育った環境が違いすぎた少年たち、そして幾日か過ごした平和で他愛もない日々、良心が痛むのを感じていた。
「レインを餌に、あいつらを釣る。たしかに、新鮮で甘くて生き生きとした餌だ。うまく喰らいついてくれるだろう。」
あいつらのことを考えると身震いがした。身体を両手で押さえて、意を決するニコラだった。
自分の部屋にもどり、レインはコーネリアスあてに手紙を書いていた。コーネリアスのことを思うと、いろいろあって、心配かけてばかりいたことを思い出した。
「心配されたくないとか、書けないしなぁ。」
ふと思えば、自分自身がエミリアを心配しててもおかしくなかった。エミリア自身は軍人で、危険な目にあうのは必然だから、やきもきしながらエミリアを思っている自分がいてもおかしくない。
「女の子はいろいろと心配するんだろうけど。」
だとしたら、エミリアがレインを心配することってあるのだろうか。あるからこそ、キャティナ・マウントーサ・ロッソ駐屯地で殴られたんだと。
「エミリアさんは僕のことを思ってくれてる・・・。」
そう思えば、こころが熱くなったが、手にしていたペンを強く握り締め、気持ちを切り替えようとした。
「コーネリアスには謝らないと。そして、心配かけないように・・・。」
レインは強くなれるような気がしてきた。たとえ、エミリアがどう思っていようとも、自分自身がエミリアを想うことは自由なんだと。
『コーネリアスへ。心配かけてごめん。でも、安心して欲しい。僕にはジリアンがいてるし、信頼できる仲間がいてる。そして僕は強くなるから、大丈夫。レインより。』