第三十三章 青眼の姿勢 2
テントウムシ(小型空挺)でレインはレテシアとシーアリアをタンディン診療所に送迎していた。操縦していたレインは落ち着いていたが、レテシアは落ち着きがないままにシーアリアを抱いていた。操縦していない状態だと緊張してまともにいられない性分だった。そうとも知らないシーアリアはスヤスヤと寝息を立てていた。診療所の横、丘の上にホバリングして着地した。ドアを開けると物音がして、シーアリアは目覚めた。レインは先に外へでて待機していた。レテシアは青い顔をしてシーアリアをレインに手渡した。まだ、首がすわっていないシーアリアを抱かされたレインは微動だにせず、全身がかちこちに固まっていた。その様子を気づくこともできないままレテシアは荷物をおおざっぱにテントウムシから降ろしていた。
「ごめんね、レイン。そのまま、シーアリアを抱いて診療所に行ってくれないかしら。」
「ええ!嫌だよ。僕、怖い。」
「大丈夫よ。お願い。」
レインはシーアリアを見た。同じ大きな瞳でレインを見つめ、何も恐れない笑顔を傾けていた。レインが泣きそうな顔をすると、シーアリアも泣きそうな顔をしたので、レインは顔を引き締めて、診療所に向かって走り出した。その様子に驚くこともなく、泣くのをやめたシーアリアは小さな両手を広げてレインの顔を触ろうとした。
「やだよ、触らないで。」
レインのなかで、早く診療所に行ってミランダに託してしまおうと考えていた。しかし、診療所の中に入ったレインが見たミランダの姿に愕然とした。
「あら、いらっしゃい。かわいい天使ちゃん。」
笑顔で明るい声のミランダだったが、以前の健康的な姿ではなかった。
「こんにちわ、お世話になります。」
「そうね、3ヶ月検診だったかしら。」
「ミランダさん。」
「なぁに?」
「また、痩せたんじゃないですか。」
「そうかしら。」
シーアリアを抱こうとするミランダの腕が細くて抱きかかえられないのではないかと思うくらいだった。
「これでも、体重が増えたほうなのよ。」
レインはレオンから話を聞いていた。オホス川の街の悲惨な事件から、日に日にやつれていくミランダのことを。
「いやぁね。そんな病人をみるような目でみないで。」
「あ、ごめんなさい。そんなつもりは。」
ミランダに渡されたシーアリアは、嫌がって泣き出したが、すぐにレテシアが現れて、レテシアに渡った。
「ごめんなさい。突然、来てしまって。」
「いいのよ。うちはいつでもいいの。」
いつもの調子のレテシアをみて、レインは歯がゆい思いをした。ミランダの様子がおかしいことに気づかないのだろうかと。レインのミランダを見る姿を夫であるマークが見ていた。
「ミランダ、シーアリアの身体検査をまかせるよ。」
「ええ。レテシア、こっちに来て。」
「あ、はい。」
ミランダとレテシアが診療室に入ったのをみて、マークはレインの肩をたたいた。
「不憫だと思わないでくれ。」
「ご、ごめんなさい。」
「いや、謝らなくていい。」
マーク自身も辛い思いをしているのだろうと、レインは察した。
「野戦病院でも、ああいう状態になったことがあってね。看護士としては失格だと自分を責め立てるんだ。」
「野戦病院って、戦場の病院ってことですよね。」
「ああ、戦場だけでなく、災害や避難民の避難先での病院施設のないところでも、そう言ったんだ。」
マークは台所にレオンがいてるからと伝えて、診療室に入っていった。
レインが診療所の住居スペースに入っていくと、台所で料理をしているレオンが目に入った。
「こんにちわ、お邪魔するよ。あれ、レオンが料理するの?」
「ああ、うん。僕が作った料理をミランダが食べてくれるから。」
レオンは将来医者になることを決心した。そのためには医療学園都市の医療学校へ進学しないといけないのだが、まともに学校に通えなかったレオンはその資格を取るために、マークたちに世話になることにしたのだった。
「ミランダさんの体調はどうなのかな。」
「うん、だいぶ良くなったよ。最近まで寝込んでいたんだよ。マークが作った料理をくちにつけてくれなくてさ。」
「それで、レオンの手料理を。」
「そうなんだ。僕はこう見えても、避難先で優秀なコックだったんだから。」
「ああ、はいはい。」
おそらくは、ミランダがレオンに気を使わせないように、料理を口にするようになったのだろうと思った。あの悲惨な事件がこんなにも人のこころの闇に大きな溝をつくって、病にさせてしまうんだと、憎んだ。そのことをレオンに話すと、かえって笑いとばした。
「憎んだって、人の命はもどってこないし、ミランダの病が治るわけじゃない。」
「でも。」
「僕は、憎しみで怒りで行動を起こした人々が身を滅ぼした様子を目の当たりにしたんだ。何度も。」
レオンは料理をする手を止めて、震える手を強く握り締めた。
「惨めなものだった。小さいときから、そんなものばかり見てきたせいか、憎しみや怒りなんて、何も役に立たないって思ってきたんだ。」
レオンはレインの目を見つめた。その目は真剣そのものだった。
「でも、何もしないことも罪になることを今回で知ったんだ。」
「何もしないこと?」
「ああ。」
レインの脳裏によぎったのは、クレアのことだった。子供ながらに、クレアの養父ダンの死を知っていた。大人たちが口にした言葉の中から、復讐という意味を知った。クレアがダンの復讐をしようとしているんじゃないかと。しかし、それは、知らない大人たちの思い込みでしかないとわかった。
「僕のできることは何だろうって考えていた。わかっていたことだけど、医者になることは簡単ではないし、どこかで抵抗していたから、決心に迷いがあったんだ。でも、あの悲惨な事件のことで、もう、迷っている時間なんてないと思った。」
「復讐することに意味なんてない。でも、できることはしなくちゃいけない。」
レインは自分に言い聞かせるように言葉をつぶやいた。
「怒りや憎しみはエネルギーを生み出す原動力にはなる。その使い道を間違ってはいけないってトランスパランスでの先導師は言っていた。」
レオンはレインに笑顔を向けた。すこし拍子抜けでレインは驚いた。
「そんなことを考えたり、決心したりできたのは、レインやジリアンがいたからだ。避難所での仲間たちとは語り合えなかったことだ。あのころは、まだまだ、僕自身こどもだったし。」
レインは苦笑いするしかできなかったが、レオンの決心したことの凄さを感じることができて、嬉しくなった。
「僕でできることがあれば、手伝うよ。」
「もちろんだよ。スカイエンジェルフィッシュ号の活躍は僕たちで受け継がなくちゃ。」