第三十二章 生命の灯火 9
館は深い霧に包まれていた。館の使用人は黒服で忙しく、仕事をこなしていた。冷気が古びた館の隙間から進入して、中にいている者たちを体温を奪っていくような感じさせして、暖炉を炊いても一向に温まる気配がなかった。
「まるで森の妖精が嘆きの人々をいたわっているかのようだ。」
グリーンオイル財団の理事長デューク=ジュニア=デミストは窓から外を眺めていた。黒いベロア生地のワンピースを着こなしたセイラが何も知らず、そばに立ちデュークの手を握っていた。部屋にはセシリアの棺が置かれ、弔問客を迎える準備がされていた。
セイラ付きのメイドであるカミーユはセイラの姉のように母親のように世話をしてきた。幼いセイラを残してセシリアは理事長の屋敷を出て行った。女学校の理事長であり皇帝の影武者だった男がセシリアを連れ出したのだ。そのときから、セイラはセシリアの存在を忘れ、母親は死んだものと思うようになっていた。そして、エメラルだグリーン号爆破事件で影武者が死に、余命幾ばくもないセシリアは財団理事長の下に戻ってこれたのだった。セイラには変わり果てたセシリアの姿を見せることはできなかった。母親の存在さえ、忘れてしまったセイラにいまさら、母親の死を告げることは必要ないだろうとの判断から、親戚が亡くなったことになっていた。
レインたちはコリンと共に、用意された喪服を来て、棺の部屋に現れた。セイラはジリアンを見るなり、駆け寄り、ハグを求めた。ジリアンは求めに応じてセイラを抱きかかえて持ち上げた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
「大きくなったね、セイラ。」
不思議な顔をするコリンに、レインは事情を説明した。
「すでに認識しているのかと思った。」
「コリンは紹介されたの?」
「もちろんだよ。真っ先に紹介された。こんなかわいらしい妹がいたなんて、夢にも思わなかったよ。」
ジリアンとコリンは理事長のデュークに呼ばれてセシリアの棺のそばに来た。棺にはセシリアが眠るように横たわっていた。口に綿を詰めふっくらした顔に仕上がり、血色の良いようにメイクされていた。
「不思議なものだな。健康そのものだったこの人と知らずに会っていて、死に際には息子として面会された。そして、父親の違う兄弟がここに揃って偲ぶのだから。」
ジリアンはセイラの手を強く握った。セイラは棺の中の人物が母親であることはわかっていない。コリンが言ったことも理解できていなかった。そして、ジリアンの手を強く握り返した。
「わたしは寂しくないよ。コリンお兄さんがいてるんだもの。」
ジリアンは目を見張ってコリンをみた。コリンはただ、黙って頷いた。
セシリアの葬儀は近親者だけで厳かに執り行われた。皇帝はお忍びで現れ、皇女フェリシアは自重して来なかった。レインは親族の一人として参加し、ジリアンと共に、墓に葬られるまでいた。無事葬儀が終了し、個々に散り散りと去っていく人々に霧雨が降ってきた。
ジリアンとコリンは終始一緒にいてて、間にはいることが出来ず浮いた存在を感じていたレインは、いままでとこれからの違いを感じ始めていた。暗くて重たい霧が立ち込める森の中を車にのって館へもどる道すがら、レインはなにも知らずにいた今までと、知り得て前に進まなければいけないこれからのことを考えていた。亡くなった人たちの顔を思い浮かべ、死の意味を生きている証を無駄にしたくない思いに駆られた。兄弟として育ったジリアン、友達だったコリン、SAF<スカイエンジェルフィッシュ>号でたどり着いた場所で知り合ったレオン、そして自分自身とあわせて全部つながっていったこと。偶然じゃなくて必然性を感じて、これからのことを考えた。それまでそんなことさえ、考えたり思ったりできなかったレインはこれからのことを考える衝動に駆られた。
レインの思いはスタンドフィールド・ドックに戻ってからも変わらなかった。ドックから去るまで背伸びしようと必死だったと気づき、知らされないままSAF号のメンバーになって、SAF号を失うまで何もできないままの自分に苛立ちを感じていた。いや、それまで何度も感じていた。考えようとしなかっただけだった。今は違う。考えても全体を把握できるので、前に進める。
ロブとレテシアが幸せなオーラを放ち、仲良くしている姿を寂しく思っていたレインは、葬儀から戻ってきてようやくその状況を受け入れることが出来た。理由はただひとつ、レテシアに新たな生命が宿っているからだ。その命がこの世に生を受けて産声を上げた時は、何も状況をしらない。知らないままに生きていく辛さを感じるのではなく、生を受けたことを喜びで感じられるように、レインは守られなければならない存在を意識し、自覚していく強さを見につけようとしていた。
ただ闇雲につっぱして来たそれまでと違い、地に足をつけて、守っていくためにもっと強くなっていこうと決意した。