第三十二章 生命の灯火 8
小型空挺が財団の開発した避暑地に降り立った。周囲には山々が連なり、新緑が生き生きと彩を誇るかのようなみずみずしさの森が広がっていた。点在するホテルやコテージは森に山に身を隠すように建てられ、そのなかでよりいっそう古めかしさを持ち合わせながら威厳をみせつける館があった。そのそばにある草原に小型空挺は着陸したのだ。
「ようやく、到着いたしました。ながらくのご搭乗でお疲れでしょう。すぐにご案内いたします。」
グリーンオイル財団の第六秘書セリーヌ=マルキナは空挺から降りるとすぐさま、乗客を外に出した。出てきたのは、レインとジリアンで、二人は周囲を見渡して以前のリゾート地を思い出して気後れしていた。
「セリーヌさん、コリンが来てるって本当なの?」
「ええ。ロブさんからお聞きになりましたか。コリンさまのことを?」
「あ、はい。」
レインはジリアンのほうを横目でみた。
「コリンのお母さんが心配しているんですよ。」
「ええ、ロブさんからお聞きしまして、連絡だけはさせてもらいました。」
「もう、もどってこないとか?」
「それはコリンさまが決めることですわ。」
セリーヌの物言いに釈然としない思いを抱えて、レインたちは建物の中に入っていった。
外見と同じように、厳かな調度品が廊下の隅に壁に飾られて、重苦しさをより書き立てているかのような装飾だった。少しの間、休息をとって、長い廊下を歩いた。ジリアンの視界にひとりの金髪の少年が入ってきた。パッと見ると、レオンにそっくりだった。ここにいるはずはなく、いるとしたら赤毛のそばかすらだけのコリン。しかし、そこにいるのは、金髪でカッターシャツにベルベットのベストとスラックスを着こなした少年だった。
「やっとあらわれたな。」
ジリアンは驚いていなかったが、レインは思わず言いそうになった言葉を飲み込んで口を押さえた。
「み、見違えたよ。」
「まったく、借りてきた猫みたいだよ。」
前なら、ジリアンをにらめつけたコリンだが、そこには少し大人になったコリンがいた。優しい目で潤んでいた。
「ジリアンさん、この部屋に入っていただけますか。」
セリーヌに促されて、ジリアンが入ろうとすると、レインは自分も入るのかと尋ねた。しかし、コリンがレインのを制止した。なぜなら、レインが驚愕するの姿を想像することができたからだ。セシリアがスタンドフィールドドックにいてた頃、パンを買いに来たことがあり、顔見知り程度に知っていた。
「レインは止めたほうがいい。」
「どうして?」
コリンは無言で返事をして、レインの腕をとって、部屋から引き離した。ジリアンはその様子をみて、部屋のドアをにらんだ。そこにどんな姿のセシリアがいるのか、想像できたからだ。
セリーヌがドアをノックして、中から老婆の声がして、ドアが開かれた。レインはジリアンが部屋に張っていく姿を見守った。
部屋の中には、窓際にベッド置かれて、そこに誰か寝ているのがわかった。ベッドのそばに老婆が立っており、ジリアンのほうを向いてお辞儀をしていた。
「ご無沙汰しております。」
その老婆はセシリアがスタンドフィールドドックを去るときに迎えに来ていた。ジリアンは虐待を受けていた後でセシリアに別れを告げてはいなかったが、老婆のことはよく覚えていた。老婆はジリアンに近づき、手をとって、じっと目を見て小声で言った。
「お姿を見ても、驚かないでください。グッと堪えてください。」
老婆に強く手を握られて、気を強く持つよう促されたように思えた。
「わかりました。」
老婆が後ずさりし場所を開けると、ジリアンはおそるおそる歩み寄った。ベッドのそばの窓は少し開きけられていて、風が吹き、新緑の匂いがかすかに部屋に広がった。ゴゴッと鼻が詰まって息をする音というか声が漏れた。ジリアンの歩みが止まった。
そこには、以前のセシリアの姿はなかった。少しふくよかな色白の淡い青い目に金髪で皇族らしい威厳を放ったプライド高き女性、それが以前のセシリアだった。今ある、セシリアはそばにいている老婆よりかなりひどい状態の浅黒い皺だらけの顔、こけた頬、くぼんだ目、縮れた白い髪や眉、青紫の唇。老婆の注意されたことを忠実に守るために、ジリアンは歯を食いしばった。
老婆はセシリアの耳元に口を持っていき、ささやいた。天井を見ていた目がジリアンを見たとき、そこに生気が宿っていないと思えた。
「ジ、ジリアン、あ・い・に~きてくれた・の。う、う・れ・し・い・わ。」
たどたどしい口調で必死にしゃべろうとするセシリアをみて、目を背けたい気持ちになった。老婆がジリアンの手を引っ張り、セシリアの顔の方へ寄せた。嫌だという気持ちがこころに脳に駆け抜けたが、抵抗できなかった。そして、老婆はジリアンの耳元にささやいた。
「ひとこと、許していると言って下さい。お願いです。」
ジリアンはギョッとして老婆を見たが、老婆は凝視したあと、瞬きをした。仕方なく、セシリアの生気のない顔を撫でて言った。
「あなたのことは・・・、許していますよ。」
頭が真っ白になりそうだった。気が遠くなって、倒れそうな想いがした。しかし、その気持ちを一掃するかのようなことがそのとき起きた。ジリアンを見ていたセシリアのくぼんだ目、まぶたがゆっくりと閉じると、涙が出てこけた頬に零れていった。
「あ、あ、あ・り・が・・・と・うぅ。」
動かした唇が乾燥し、ひび割れして血が滲んだ。老婆はガーゼでそっと涙と血を拭った。ジリアンはセシリアを凝視しながら、後ずさりした。笑顔になったセシリアの顔を見届けて、逃げるようにして部屋を出た。
廊下でレインが心配そうにしていた。ジリアンはレインを一瞬みたあと、コリンをみていた。コリンはまっすぐジリアンの方へ歩み寄り、抱きしめた。抱きしめられたジリアンはコリンの背中に手を回し、ギュッと抱きしめ返し、声を押し殺して泣いた。