第三十一章 月夜の後悔 7
陽が沈んだころ、学校に敷地内で髪を切り無精ひげをそり落とした。学校の明かりが完全に消えたころ、カスターは校舎に侵入した。不法侵入は何度となくやってきた。難しいことでもなかった。教職員室で懐中電灯と緊急災害マニュアルを見つけ出し持ち出した。向かった先は通信室だった。カスターの得意とするところなら、通信手段しかない。ひとりの人間が騒ぎを起こしたなら、その人物しか責任を追求されないだろう。
攻撃を止める手段がまったくないって言うのも考えものだが。皇帝の宮殿が無くなった以上、国政は不安定だし、そこが狙いどころかもしれない。
緊急災害マニュアルには、地下空洞のことが書かれていた。アレックスの時代につくった細身の大人がやっと通れるぐらいの幅しかない穴が各家庭の家から伸びて、街の郊外へと走ってたどり着ける空洞があるとのことだった。
「避難勧告の理由を考えなくては・・・。」
飛んでもない理由しかおもいつかない。ここのところ、国民は精神的にも不安定だった。シヴェジリアンドの地でのレッドオイル攻撃は軍によるものだと発表され、表向きにはテロ行為をもくろむ組織の破壊とされてきたが大多数は疑っている。シヴェジリアンドの地を知らない国民なら、いざ知らず、ジャーナリズムの浸透で多くの国民が難民キャンプとして認識されているからだ。
夕食を終え、くつろぎの時間帯にサイレンは鳴り響いた。アナウンスされた避難勧告の内容は、レッドオイルの誤射があり修正が効かないので非難するようにとのことだった。町中の人々はいっせいに避難する準備を始めた。いつ起こるかわからないレッドオイル爆弾の投下。多くの人が嘘の避難勧告かもしれないという疑いを持てなかった。シヴェジリアンドの地でのできごとは明日のわが身という思いが強かったからだ。しかしのこの街には緊急災害マニュアルが用意されている。避難訓練を受けてきたわけじゃないが、冷静に対応して逃げ延びれるとみな、そう思っていたからだ。
タンディン診療所からコーディ=ヴェッキアはエアタクシーに乗って、街にたどり着いた。コーディそのものではなく、イリアにのっとられてしまっていたのだが。コーディが診療所からでて、イリアに塚づくと、早業で麻酔を打たれた。意識を失い倒れこむと、イリアはコーディの心の中に進入し、乗っ取った。イリアはコーディの体を使い、コリンに会おうとした。乗っ取った際、コーディの頭の中にある情報も手に入れた。興味深かったのは、レオンのことだった。
「面白いことになりそう。」
診療所に戻ると、急な用事ができたと、テレンス夫妻には街に行きたいといい、タクシーを呼んでもらった。レオンが心配そうにしていたが、カスター=ペドロが街にいるとの情報で確かめにいくからおとなしくここで待っているようにと説き伏せた。不適な笑いをうかべるコーディに違和感があったが、まさかトラブルに巻き込まれるなんて、レオンには想像も着かなかった。
イリアであるコーディが街にたどり着いたのは、サイレンが鳴り止み、アナウンスが終わったところだった。街路に人があふれかえり、何事が起きたのか、検討もつかなかった。人に尋ねて計画が失敗することを恐れて、まっすぐ、コリンのいるパン屋に向かった。
店に入ると、コリンがいて、目を丸くしてみていた。
「コーディさんどうしたんですか。早く避難しないと。診療所は大丈夫ですか。」
避難?と聞き、まさかレッドオイルのことが漏れて街中で避難が始まっているとは思っていなかった。
「そうね、避難しないといけないわよね。わたしはその前にコリンさんに話をしなければいけないと思って。」
そう言って、コーディがコリンの腕をつかもうとすると、コリンの父親が静止した。
「こんなときに話って何ですか。」
にらめつけられてた理由がわからないわけでもなかった。イリアが調べたところ、コリンの父親ジョイスはグリーンオイル製造会社で研究者だった。突然行方不明となったが、イリアの知るところではスワン村にいたことが判明している。その後、パン職人の妻と知り合ってこの街でパン屋を営んでいた。黒衣の民族の血をひくコリンを引き取ったのは、ジョイスが以前愛した女性が黒衣の民族の脱獄者でその女性との間に子供がいたが、女性と子供との二人ともを人種差別の名の下に命を失ってしまっていて、そのときの償いにという思いからきていた。
「こんなときだからこそ、コリンさんに伝えておきたいのです。」
「なに、どうしたの?とうさん。」
「いったいどういうことなのか。いや、話をしてもらいたくないが。」
イリアであるコーディはコリンの腕を取り、大きな声で叫ぶように言った。
「あなたを生んだお母さんがいま、瀕死の状態なのです。あなたが生きていることを知らせてあげたなら、あなたの姿をみせてあげることができたなら、どんなにか救われることでしょう。」
まんざら嘘でもなかったが、イリアの目的とするところではなかった。それはコリンを連れ出す理由でしかなかった。
「いったい、何を言い出すのかと思ったら。」
「ほんと、ほんとなの?」
ジョイスは仕舞ったと思った。コリンが実の子でないことは前から言い聞かせていた。それは黒衣の民族であるという意識を持たせて、自分の身は自分で守らせるためのものだった。実子でないということを知っている以上、実の母親がいるなら、会いたいと思わないわけが無かった。
避難勧告を受けて、街中は逃げ惑う大人たちでごったえがえしていた。地下空洞へつながる穴には子供たちだけが降り立ち、避難進路にしたがい進んでいった。穴に入れない大人たちが街路に出て、郊外へ向かい始めたのだ。
人をかき分け、急いでコリンのいるパン屋にむかてたどり着くと、カスターは店の前で躊躇していた。店の中にコーディがコリンの父親と言い争いをしている姿をみたからだった。
「いったい、どういうことだ。」
呆然と立ち尽くすカスターの姿が、イリアが操るコーディの目に飛び込んできた。驚きのまなざしでみるとともに、不適な笑いを浮かべた。その不適な笑いをカスターは見逃さず、イリアが操っていると判断した。カスターが店の中に入ろうとすると、コーディはドアに鍵をかけた。店の前でこぶしをたたきつけるカスターを指差した。
「あの男は、スタンドフィールドドックの人たちをだまし、クレアさんを殺したひとです。危険ですから、早く逃げてください。とにかく逃げないと。」
コーディは背中でドアを押さえ込み、親子を逃げるように支持をした。
父親のジョイスは穴には入れず、外に逃げるといい、妻とコリンを穴に無理やり押し込んだ。
「父さん、俺は・・・。」
「わかった。あの人が言ったことが本当かどうかちゃんと確かめる必要がある。母さんと一緒に逃げ延びてくれ。お互い命があったら、落ち合おう。」
「わかったよ。父さん。」
「あなた、無事でいて。」
「ああ。お前たちもな。」
二人が穴を降りていくのを確認すると勝手口から出て行った。それを見届けて、イリアはコーディの体から抜けた。コーディの体から力が抜けて、ぐったりとした。カスターはすぐさま、それがイリアがいなくなったことだと気がついた。店のショーウィンドウのガラスを割り、中に入って、コーディを抱き起こした。意識がもどったコーディに理由をつぶさに話した。
「カスターさんが無事ならそれで。」
そういって店をでて、二人は逃げるために街中を走った。多くの人ごみのなかを一緒に走っていくと、遠くのほうから轟音が聞こえてきた。地面が地響きするようにも感じられた。コーディとカスターに背筋が凍る思いがした。そして、一瞬にしてその思いを跳ね除けようと言葉を口にした。
「クレアさんのところへいけるかな。」