第三十一章 月夜の後悔 4
「パジェロブルーには、怖くて乗れないよ。」
高所恐怖症のレオンはドックにもどってきたパジェロブルーがドックのデッキに着岸すると青い顔してそう言った。しかも腹立たしくも展望台でステファノが大笑いしていたことがあったからだ。レインはパジェロブルーのドアを開け、レオンを外に出そうとした。
「ステファノのこと、気を悪くしたらごめん。」
「レインが謝ることじゃないよ。」
気分の悪さであまり空気が読めなかったレオンだったが、ジリアンはステファノのことをよく思っておらず、レインはその逆であることは理解できた。無言でレインの腕を取り、操縦席から出た。
「ステファノに、レオンを紹介したら、毒を吐かれたんだ。」
「毒?なに、それ。」
「気にしてないから大丈夫だよ、ジル。」
レインが考え込んでいる様子にジリアンは肩をポンとたたいた。
「もう、いいよ。考えなくても。レインが謝るとかそのまえに、僕たちのことを快く思っていないことを言ってくれたんだよ。」
「ステファノが?」
「僕たちって、ジリアンは違うだろ。」
「いや、僕たちだよ。スカイエンジェルフィッシュ号のクルーなんだから。」
首をかしげたレインは口をついていった。
「ディゴが連れて来たんだよ。スタンドフィールドのことをよく知っていたんだから、僕たちのことを快く思っていなかったのなら、ここに来ないはず。よくわからない話だね。」
「キャスのように、アレックスに興味があったんじゃないか。」
ジリアンは手洗い場にいって、タオルをぬらしてくると、レオンに差し出した。
「少しは気分がよくなると思う。顔に当ててみて。」
「ありがとう。」
ジリアンはため息をついた。
「ロブ兄さんがもどってきたら、どうなるんだろう。」
「え、まさか、追い出されたりしないだろう。」
間をあけてジリアンは言葉にした。
「スタンドフィールド・ドックはどれだけ人がいなくなったと思ってるの?」
「それって、父さんのせいなの?」
呆れたという顔をジリアンがすると、レオンは笑いをこらえていた。
吹き込む風を背後から感じて、三人は外を向いた。
「ここは、ガラファンドランド・ドックと違うにおいがする。」
「あそこは海のそばだから、塩のにおいがするよね。」
「ここは、みずみずしい草木のにおいがする。そう、アンが住んでいるところと同じだ。」
「レオン、顔色が良くなったね。」
「ああ。助かったよ、ジル。」
ジリアンはレインの汚れた作業着を注視していた。
「レイニー、作業着の色が変わってきているよ。」
「あ、本当だ。着替えてくるよ。じゃ、また、レオン。」
「うん。」
レインが去っていく姿をみながら、レオンはジリアンに色が変わったことについて質問した。
「グリーンオイルは微生物で水気がなくなると死んでしまって色が変わるんだ。死骸となって服に付着するとなかなか取れなくなるから。」
「そうなんだ。」
「取れなくなったら異臭がしちゃうんだ。いつも洗濯しておかないとだめなんだ。」
「手の汚れは?」
「あれは体液みたいなものだから。」
「体液?」
「人間で言う汗かな。」
「ああ、なるほど。」
「死骸じゃないから、腐って異臭にはならないけど、落ちにくいんだよ。」
ジリアンはエアジェットを収納する段取りを始めた。
「なにか、手伝うよ。」
「ううん、大丈夫。力が無くてもできるようになってるから。」
手持ちぶたさのレオンをみて、ジリアンは訪ねた。
「ほんとうにもう、パジェロブルーには乗らないの?」
レオンは眉をひそめて泣きそうな顔をした。
「ああ、もう、いいよ。足元が見えちゃうとだめだ。」
苦笑しながらジリアンはクレーンのアームでエアジェットを動かした。天井に目線を向けると、昇降棒の隙間から、ステファノがのぞいているのが見えた。ジリアンは手で合図を送った。それはデッキを閉じる合図だった。
コーディは診療所から街に出て、ミランダから言付かったパンを買いにきた。わざわざ、レオンに似ているという少年に会いに来たつもりはないが、機会を与えられたと思って確認しようとした。
「いらっしゃいませ。」
声をかけたのはコリンだった。コーディは変に思われないように、笑顔を傾けて、ポケットからメモを取り出し、コリンのほうに向かって言った。
「ミランダ=テレンスさんから言付かって、パンを買いに来たのです。」
「先生の奥さんですね。先生のお知り合いですか。」
「私は先生のご好意で泊めていただいていて、コーディといいます。」
「そうですか、コーディさんですか。僕はこの店主の息子でコリンといいます。」
「コリンさんですか。よろしくお願いしますね。」
コーディはメモをそのままコリンに渡した。そして、気づかれないようにコリンをみていた。
(髪の色は赤いから、より一層ジョイスさんと呼ばれていたレオンさんに似ているわ。)
コリンはメモをみながら、いつも買うパンとはちがうものが含まれていることに気づいた。
「くるみパンなんて、奥さんはいつも買わないのですが、コーディさんがお好きなのですか。」
勘がするどいと思ったコーディは、考え込んで答えた。
「そうですね、コリンさんと同じ年頃の方もお世話になってまして、その人が好きなのですよ。」
「へぇ、そうなのですか。男の子に人気だとは思わないんだけどな。」
コリンはそうつぶやきながら、メモがあるとおりにパンをそろえて、レジのそばにおいた。
「メモに書いてあったパンはこれだけです。」
コーディはお金を差し出し、コリンは受け取ると、おつりとレシートを差し出した。
「ありがとうございます。奥さんによろしくお伝えください。」
「はい。」
コーディがパンを抱えて、店を出ると、調理場からコリンの父親が出てきた。
「コリン、今の人は見かけない人だな。」
「うん、テレンス先生のところに泊まりにきている人なんだって。」
「テレンス先生の?」
「コーディさんって言う人。僕と同じ年頃の子も一緒にいるって言ってた。」
「そうか。クレア先生が亡くなって、先生や奥さんも落ち込んでいたけど、お客さんとは珍しいな。」
「そうだね。」
しみじみとコリンが言うと、父親は思量深い顔をした。
(コリンのことで調べに来たんじゃないだろうな。)
コーディは街で買い物をしながら、街中を歩くときに目を泳がせていた。どこかに行方不明のカスター=ペドロがいるのではないかと思っていたからだ。レオンとの道すがら、カスターを見かけたのは、セシリアの最初の子に会いに行くためだと思っていた。皇帝の子かもしれないレオンに似ている子がセシリアの子である可能性はあるかもしれないことはわかっていた。しかし、それはレインの友達という認識でしかなかったが、ミランダの口からコリンの名を聞いて、確信した。そして、コリンに会いにカスターが来るとも確信できた。