第三十章 魔のささやき 7
グリーンオイルを燃料に空気圧で移動するエアバスが丘の上に到着し、少年と大柄な女性が降り立った。二人はあたりを見渡し、タンディン診療所のほうへ向かって行った。玄関まで来ると、ドアに「休診日」と書かれた札がかかっていた。
「わたしは裏に回っていますから、レオンさんはここにいてくださいね。」
「わかったよ。」
少年は荷物を置き、後ろを振り返った。川に挟まれた三日月のような岩山が見えていた。
「あれがスタンドフィールド・ドックなんだな。」
「今日は、休診日なんですよ。どなたかしら。」
洗濯物を抱えた女性が立っていた。診療所の医者の妻ミランダ=テレンスだった。振り返ったレオンの姿をみて、笑顔を傾けた。
「あら、コリン、髪の色を変えたの?」
少年はしばらく考えた。レインたちが言っていた、似てる人物がいてることを。
「あ、いえ、僕はコリンって人じゃないです。」
「あら、そうなの。ごめんなさい。とても似ていたものだから。」
「知ってます。レインたちから聞いたことがあって、似ている人がいるって言ってましたから。」
「レインの知り合いなのね。」
「ええ、はじめまして。僕はレオン=ゴールデンローブといいます。」
「はじめまして、わたしはミランダ=テレンスよ。ミランダって呼んで。」
ふたりが自己紹介をしているところへ、大柄な女性がもどってきた。
「ここにいらっしゃったのですね。」
ミランダは目を丸くしてみていた。
「ミランダ=テレンスさんですか。」
「ええ、そうです。」
「わたしは、スカイエンジェルフィッシュ号のクルーでコーディ=ヴェッキアといいます。クレアさんには大変お世話になったものですから、こちらに伺いたいと思って参りました。」
「まぁ、そうなの。それなら、うちにあがってもらわないとね。」
ミランダは洗濯物を抱えながら、二人を裏口に行くよう促した。歩みを進めながら、レオンは言った。
「クレアが苦手だって言ってた人?」
コーディが人差し指を唇にあてて、レオンに促した。
「自己紹介はもう、したんだよ。」
「そうですか。裏口が開いてなかったものですから。」
裏口のドアを開けて中に入ったミランダの後を二人はついていった。中で新聞を読みながら、くつろぐ男性がいて、ミランダは声をかけた。
「マーク、お客さんよ。クレアの知り合いですって。」
マークは立ち上がって、ミランダの背中越しに見えたコーディに驚いていた。
「これはまた。話には聞いていたけど。」
「コーディさん、主人のマークよ。」
「はじめまして、マークさん。コーディといいます。」
「よろしく、コーディ。で、そっちの少年は・・・。」
コーディの後ろからひょっこり顔を出したレオンは頭をぺこりと下げて、前に出てきた。
「クレアさんの知人の息子さんでレオンさんです。」
ミランダは少し苦笑し、マークは驚いた顔のままだった。レオンは知人の息子と紹介されたことをいささか疑問に思い、コーディーの顔をみた。
「髪の色が違うだけでコリンに似てるね。」
「レインとジリアンの友達でもあるんですけど、よく言われました。」
「ほう、レインたちのね。」
ミランダに促されて、ふたりはソファに腰をかけた。
「いま、飲み物でも用意するわね。」
「あ、はい、お構いなく。用事が済んだら、スタンドフィールドへ向かうので、お気遣いなく。」
「なんだ、素っ気無いな。せっかくの休診日だし、今日はとまって行きなさい。」
「いいえ、突然連絡なしに来させてもらったのに。」
「いやいや、遠慮することはない。クレアがいつでも帰ってこれるようにしてるんだよ。」
コーディとレオンは顔を見合わせて、切ない顔をした。
「クレアは私たちにとっても、娘みたいなものだった。お二人さんを歓迎するのは当然のことだろう。」
「しかし・・・。」
ミランダがトレーに飲み物を運んで持ってきた。
「遠慮なんていらないのよ。二人暮らしで寂しいものだから、お二人がいてくれたらにぎやかになっていいわ。」
「あはは。そうだな。」
。レオンは窓のほうをみて、窓の向こうに見える岩山をみていた。
「スタンドフィールドへ行くのかい。」
「ええ、レインたちに会いに行くと約束したものですから。今日行くとは連絡してませんが。」
「まぁ、そう、急ぐこともないだろう。無くなったりしないよ、あれは。」
遠目でレオンはながめた。シヴェジリアンドの地で起きたことを思い起こして、つぶやいた。
「無くなったりしない・・・。」
「どうかしたかい、レオン。」
「いえ、なんでもないです。」
マークは上半身を二人に近づけて言った。
「本音をいうと、クレアの話を聞きたいんだよ。わたしたちのわがままを聞いてくれないかな。」
コーディとレオンは笑みを浮かべた。
「いいですよ。迷惑でなければ。」
コーディとテレンス夫妻が談笑している間に、レオンは窓際に歩み寄り、外を眺めていた。窓に手をおいて、窓枠の古さを確かめた。クレアが育った家、そう物思いにふけりながら、あまりにかけ離れた景色が広がっているので不思議に思っていた。
「どうかしたのかい。」
マークに声をかけられて、少し振り返り、また、窓を眺めた。
「環境のいいところですね。喧騒な街から離れていて、のどかです。」
「そうだね。クレアの養父ダンが好んでここに診療所を立てたんだ。街にも病院があるが、お年寄りが時間をかけてここをたずねてくるのも居心地がいいからだと思うんだ。」
「そうですね。居心地が良いですね。」
そう、レオンが理解したのは、居心地の良すぎて、クレアにとって悪さを感じていたのではないかということだった。
「クレアにとって、ここは長居したくないところだったのでしょう。」
マークは戸惑った。クレアのことをよく知りすぎるには年齢が若いと思ったからだ。
「あ、ごめんなさい。知ったような口をきいてしまって。」
「そうだな。」
「アン=ポーターさんのところにしばらくいたものですから、ギャップがありすぎて。」
「アン、ダンのお母さんのことか。なるほど、それはそうだな。」
「知ってますか。」
「話を聞いただけだがね。魔女のような家だと。」
レオンは噴出し、口で抑えながら、謝った。
「いや、いいんだ。ダンは人を避けているところがあったからな。人気の無いところを好んでいた。育った環境かと話を聞いたときは思ったよ。」
「クレアもそうなのでしょう。」
「そうだね。」
マークは不思議そうにレオンの顔をみた。それはクレアをさんづけで呼ばない少年をはじめてみたからだ。
「あ、なにか?」
「いや、クレアと親しいんだなって思ってね。」
「ええ、母さんはクレアの恋人だったからです。僕は幼いころから、戦場や難民キャンプを転々として育ったんです。」
マークは驚きを隠さないでいた。そして、つぶやいた。
「そういうことだったのか。」