第三十章 魔のささやき 6
スタンドフィールド・ドックの司令室である展望台でステファノの笑い声が広がる。食堂から息を切らせて上がって来たジリアンはドアを開ける前に、嫌な思いを感じた。ステファノの笑いはレインの告白から始まったことがあったからだ。以前と違う状況、それはレインが父であるロブからの電話を受けていたことだ。
「いったいどういう内容で、ステファノは爆笑しているんだだろう。」
勇気を振り絞ってドアを開けると、レインが情けない顔でこちらを見ていた。
「ジル。」
「どうしたの、レイニー?」
「どうしたも、こうしたも、父さんと母さんがこっちに来るっていうんだけど・・・。」
「あははは、はははは。」
「笑いすぎだよ、ステファノ。」
「ごめん。ほんと、ごめん。こないだの、これだからさ。」
眉間に皺を寄せたジリアンはレインの腕を引き、レインの顔を自分のそばに近づけさせた。
「この前のことと関係あるの?」
「ないよ。ステファノが勝手にそうつなげて爆笑しているだけなんだ。」
何を話しているのかわからないままに、ジリアンは口にした。
「なぜ、こっちにもどってくるか聞いたの?」
レインは深くうなづいた。そして、頭をすこし下げたまま、上目遣いにジリアンをみた。
「それがさ、母さんが・・・、その、そのぉ。」
「なに!なんだよ。」
「妊娠したんだよ。」
いまさら、小声で話すこともないので、はっきりとした口調でレインは言ってのけた。
「あははは、はははははは。」
ジリアンは開いた口がふさがらず、ステファノはまた、腹を抱えながら笑い続けた。心配してジゼルが展望台にやってきた。
「どうしたの?笑い声が食堂のちかくまで聞こえてきたわよ。」
「ステファノ、まさか、スピーカーを」
一瞬で青い顔になったステファノはスピーカーのスイッチを確認したが、スイッチは入れてなかった。
「だ、だいじょうぶだ。」
ジゼルが心配そうにレインを見ると、レインは泣きそうな顔になっていた。
「レテシアになにかあったの?」
ジリアンはため息をついた。
「僕の口から言わないほうがいいよね。」
「どうしたの、レイン。」
モジモジする、レインの尻をステファノは叩いた。
「俺、退散する。ごめん、ほんと、ごめん。悪気はなかったんだ。」
ステファノはジゼルに軽くウィンクすると、展望台から出て行った。
レインは下を向きながら、吐いて捨てるように言った。
「母さんが妊娠したんだよ。」
「ええ?もう!」
「もうっって・・・。」
「いや、早いなって。」
ジゼルは流し目でジリアンをみた。ジリアンはジゼルからの目線をそらした。
「まぁ、そこまで仲良くなっているなんて、受け入れがたい話かもしれないけど。」
ジゼルはレインを慰めようとしたが、レインは納得できない気持ちを隠しきれずにいた。
「僕ってさ、何のために母さんから引き離されたわけ?」
「大人には大人の事情があるのでしょ。」
ジリアンはわかった風な口をきいて、レインの気持ちをなだめようとした。そんなジリアンの様子をみて、レインは我に返った。ジリアンの本当の母親はジリアンを虐待したことを思い出したのだ。ジリアンが吐いた言葉が痛く感じて、それを理由に、実母セシリアのことを受け入れていたのかと思えるようになった。
「そ、そうかもしれないけど。僕、どうしていいのか。」
「なにを言ってるの。親子でちゃんとすごしたらいいじゃない。ジルのことだって、丸っきりの他人じゃないんだし、兄弟だと思って育ったんだから、遠慮しなくていいんじゃない。ねぇ、ジル。」
ジゼルはジリアンに笑顔を向けた。ジリアンは苦笑いを返した。
「そうだけどさ、気を使われたくないね。でも、一人ぼっちにはされたなくない。わかってるよね、レイン。」
ポンと肩を叩かれて、レインは泣きそうになった。レインがジリアンにスタンドフィールドドックを出たいと話をしたときに、一人にされたくないといわれたことを思い起こし、それからの日々で出ることなんてなかなかできないと思い始めていたことに痛感した。
「スタンドフィールドにはほかに仲間がいっぱいいるんだから、ひとりで背負いこまなくていいわよ。レイン。ロブは頼ってくれなかったけど、あなたは違うでしょ。」
レインは照れくさそうに、うなづいて見せた。ジゼルはレインの頭をなでた。
「ジゼル、ありがとう。」
一息ついてジゼルは言った。
「じゃ、あの二人が帰ってくるんだから、大変なことになるわよぉ。」
レインとジリアンは顔を見合わせて、苦笑いした。
「そんな顔をしないの。ねぇ、クレアさんは喜んでくれていると思うのよ。」
「そうかな。」
「二人別れた後、クレアさんがロブを殴った話聞いてね、そこまでしなくてもって言ったことがあったの。」
二人は神妙な面持ちで聞き入った。
「クレアさんが言ったの。『別れたことが悔しかった。』って。そして、『二人が幸せでいることがあたしにとって幸せだった。』ってね。」
二人は納得した顔になった。
陽が沈もうとしていた。岩山の天辺にレインは寝そべって、ジリアンは階段にもたれかかっていた。
「なんだかさ、父さんに本当のことを聞かされた時が昨日のように思えるんだよね。」
「レイニーがロブ兄さんのことを父さんと言う様になったのに?」
ジリアンは笑いをうかべて、レインをみた。
「じゃ、ジルはずっと、ロブ兄さんって呼ぶわけ。」
「そうだよ。いまさら、叔父さんなんて呼べないよ。」
ジリアンは肘をついていて、あごをささえていた。
「ほんとうに、クレアさんは喜んでくれているのかな。」
「喜んでいると思うよ。ほんとうに、父さんや母さんのことを気にしていたんだ。僕はそのことを感じていたよ。」
夕日が二人をつつんで、赤く照らしていた。