第三十章 魔のささやき 5
クレアの義父であるダン=ポーターが服毒自殺したのを、ダンの実母アン=ポーターは知っていた。突然アンのところへ尋ねてきて、実験用の毒を持ち去ったことを知っていたからだ。クレアもまた、同じ事をしているのを知りながら、止められなかった。止めても無駄だろうと思っていた。
「ロブ、よくお聞き。クレアはお前たち二人を愛していた。だからこそ、二人が幸せになってくれることを誰よりも望んでいたし、そのために力を尽くしたかったんだ。」
「わかってます。」
「それがクレアの死につながっていたとは思ってはいけない。わかるかい。」
「頭でそう考えようとしても、なかなかできなくて・・・。」
「コーディが私に話をしてくれたんだよ。クレアの心の闇をね。」
「クレアさんの?」
それはコーディがクレアと二人で医療行為をするために空挺で飛び回っていたときのことだった。悪夢をみることは良くあることだった。それは人の死を直面していての後悔の念がそうさせていたのだ。しかし、よくある悪夢とは違うものをみていると、コーディが思ったことがあった。それはクレアが叫び声を上げて、泣いて言った言葉だった。
「あたしは汚れているんだ。」
コーディにとって、その言葉の意味が理解できないわけでもなかったが、言葉を発する理由を知りたかった。それゆえ、アンに話したのだ。
「誰にも心の闇はある。その心の闇と戦い続けている。クレアにとって、その闇は背けては生きていけなかったのだろう。」
「アン、そのための死だったというのですか。」
「ああ、そうだよ。お前さんたち二人の幸せを願うのためなら、それは大義名分。本当の理由はこころの闇だよ。」
ロブはアンの手を強く握り締めた。
「心の闇で死を選んだのではなく、心の輝きを放って死んだのだと思っていて欲しい。」
「何とか抜け出せそうです。」
「そうかい。ロブの事を死に急いでいるかのようだとコーディが心配していた。これで歯止めになってくれたらいいのだが。」
「大丈夫です。レインたちを置いて、兄さんたちのところへはいけないですよ。」
笑顔になったロブの手をアンはそっと離した。
「レテシアもいい顔になったね。落ち着きの無い性分は変わらないようだが、それでも沈んでいるのはお前さんらしくないね。」
レテシアが二人に近づいていた。その顔は穏やかな笑顔だった。
「わたしらしくないですね。アン。」
アンはレテシアに近づいて、両腕を摩った。
「艦長は、地上で死にたくなかったんだよ。それだけ。思い残すことはおまえさんのことだけ。艦長に安心させてあげてほしいね。」
「アン、ありがとう。」
アンはロブとレテシアが笑顔で向き合う姿をみて、安心し、その場から離れた。
「ロブ、私、あなたに話しないといけないことがたくさんあるわ。」
「わかっている。聞くつもりがなかったわけじゃないんだ。」
「つらい話もあるわ。でも、目をそむけてばかりいられなくなったの。」
「仕事を終えてから、夕食後にでも、聞こう。」
ロブは穏やかな気持ちでレテシアに部屋に戻るよう促した。しかし、その夕食後の話しで穏やかでいられなくなることをある程度想定していたがそれ以上のことが起きるとは、想像もつかないでいた。
ロブは夕食前にシャワーを浴びて汗を流し、すがすがしい気持ちで食事を取っていた。このとき、初めてレテシアの様子がおかしいことに気がついた。体調の悪さは叔父の死を悼んでのことだろうと思っていて塞ぎこんでいるのは仕方ないと思っていた。以前とは違う笑顔を傾けてきたことで、その死から解放されたのだと思っていた。夕食時はガラファンドランド・ドックのクルーたちと一緒に食事をするのだが、以前とは違うレテシアにみな、安堵して話しかけていた。話しかけられて答えるレテシアの笑顔がなにか違って感じていた。安心感という単純なものでないものだと思うようになった。そして、夕食後に言われた言葉で驚愕するのだった。
「ロブ、私、妊娠したみたいなの。」
「ええ?!」
恥ずかしそうに照れ笑いするレテシアに対して、対照的に青くなったロブは理性をつないで取り繕うとした。
「妊娠って、そのまだ、わかるような時期じゃないよね。」
「そうね。二週間ぐらいかしら。昨日、こっそり抜け出して病院へ行ったのよ。」
「抜け出してって、自覚があったのか。」
「ええ。」
紅潮する顔のレテシアが、一瞬にして顔を曇らせた。
「その前に話をしておかないといけないことがあるの。」
「話し?」
ロブは唾を飲み込んだ。聞きたいことがないわけじゃない。それを口にすることはいけないことだと思っていた。
「ロブと別れる前に、私は妊娠していたの。」
ロブにとって、聞きたくない内容だった。目を閉じて、どう言葉にすればいいのかと考えたが思いつかない。
「二人目の子のために、除隊しようと決めてたの。」
「どう、言ったらいいのか。謝ることで済む話でないことぐらい・・・。」
「違うの。あなたを責めるつもりはないの。確かにあの時恨んだわ。おなかの子を大事に撫でて一人で生んでやるって思ってた。でも、その子は胎児のまま、生まれ出ることなく・・・。」
ロブはレテシアを引き寄せ、抱きしめた。
「いい。もう、言わなくていい。いや、言って気が済めば、言えばいい。つらいのなら言わなくても。」
「ロブ、あの時は確かに辛かったわ。でも、あなたもレインも辛い思いをしているのだと思えば、乗り越えるしかないって思ったの。」
ロブは震えていた。レテシアはそれを感じていた。
「わたしには何も残されなかった。あなたやレインのことをずっと想うしかできなかった。そして、わたしは・・・。」
言葉にできない気持ちを推し量ろうとしても、おそらく出来ないだろう。ロブは申し訳ない気持ちでレテシアを強く抱きしめていた。
「わたしは解散してしまったはずのホーネットに入ったの。そうすることによって、ロブの手助けができると信じていたから。」
ロブは沈黙していた。言葉にしなくても、わかるだろうと思っていた。
「クレアさんは知っていたの。スワン村で会ったから。おそらくはイリアのことも知っていたのでしょうね。」
語りつくせない思いを抱えていた二人だが、ひとつひとつ絡まった糸を解くように、その夜は二人とも語り合った。