第三十章 魔のささやき 4
魂が抜けたような目をしたレインの姿を思い浮かべて、ロブはうなだれていた。
「また、嫌な夢でも見たの?」
傍らに横たわるレテシアが言葉をかけた。
「いや、大丈夫だ。」
ガラファンドランド・ドックでこうやってレテシアと二人で過ごしていいのだろうかと罪悪がないわけでもない。体調が悪いのに、ロブにしがみついて離れないレテシアを放っておくわけにいかなかった。安心感を与えるために抱いた。それが精一杯のつぐないだろうと思った。
レテシアの冷たい肌に触れて、強く抱きしめていくと、温かみを取り戻すかのように、熱くなっていくのを感じた。この体の温もりを忘れられずに求めていたことにようやく気が付いた。
以前はレインを見てはレテシアを思い出し、現在はレテシアを見てはそばにいないレインを思い出す。
レテシアを迎えに行ったときのこと。レテシアの憔悴しきった様子に何をしてあげればいいのかとわからなかった。そばに近づくと、抱きついて離れなかった。レテシアを抱き締めながら見たレインの姿が目に焼きついた。魂が抜けたような目をして、放心状態だったからだ。事情はジリアンから聞いた。レインに対してもどうしていいかわからなかった。ジリアンの提案を聞いて、承諾した。ほかに方法が思いつかなかった。
ガラファンドランド・ドックでは、レテシアをつれてくる前と変わらず、仕事をこなした。スタンドフィールド・ドックにいてることと違ってクルーのボスとしての役目がない分、こなせる仕事を目いっぱいした。男臭い力仕事はスタンドフィールド以上だが、体を酷使していることで不安や焦燥感から解放感を得た。
「シモンには、感謝しているよ。俺だけじゃなくてレテシアまで受け入れてくれて。」
「気兼ねなんてしなくていい。ゴメスや鬼艦長には恩がある。こんなことくらいで返せるとも思っていないからな。」
ガラファンドランド・ドックのオーナーのシモンはレテシアを気の毒に思っていた。ロブが仕事をしている間じゅうずっと、デッキに立ち、試運転で飛行するエアジェットを眺めているのだ。
「エアジェットで空を飛びたいのだろうなぁ。」
「ええ。でも、医者からバランス感覚が崩れているからと止められている。」
「アンが言っていたが、鬼艦長はレテシアをグリーンエメラルダ号から降ろさせたかったみたいだな。」
「空を飛べないように?」
「ああ、そうみたいだ。いつまでも、空を飛ばせておくことはできないと思っていたみたいだ。」
「危険なアクロバット飛行を止めることができなかったのだろう。だからと言って俺がやめさせることもできないと思っていたんだ。」
「そうだろうなぁ。」
二人が会話を続けているそばに、老婆が近づいてきた。
「ロブ、元気そうだね。」
「アン。ご無沙汰してました。」
平然と返答したものの、ロブは驚きを隠せないでいた。アンがロブの事をこころよく思っていないのを知っていたからだ。
「アン、待ってたよ。いつになったら来てくれるのかと思ったよ。」
「すまないね、シモン。こっちじゃ、息子の嫁が大変なことになったんだよ。」
「大変なこと?」
「亡くなったんだ。幼い子を残してね。」
「それはご愁傷さまでした。言ってくれればお手伝いでもできたのに。」
「いやいや、嫁の家族に気兼ねさせちゃ悪いからね。報せはしなかったんだよ。」
「そうですか。」
「ロブに話があるから、シモン、悪いが部屋で待っててくれないかね。」
「いいですよ。アン。」
仕事場でアンと二人っきりにされたロブは、会ったときに話しようと思ったことを考えていた。
「いい顔になったね、ロブ。」
「初めてだなぁ、アンにほめられるなんて。」
「男前が台無しなってしまったが、悪いつき物が取れたような顔だよ。おまえさんはいつも苦みばしった顔をしている印象があったんだよ。思い通りにいかなくて人生を嘆いているような、そんな男に思ってたよ。」
的を得てて、何もいえなかった。自分で起こしたトラブルや、自分でどうにもできなかった兄フレッドの死、レインやジリアンを一人前に育てていかなくてはいけない責任を感じていて、自分を追い込んでいた。
「アン、あなたに話したいことがあったのだが、何を話したらいいのかわからなくなってしまった。」
「先に痛いことを言われたからかい。」
「自分自身のことをどういわれようがかまわない。話したかったのは、言いたかったことは、誰に謝っていいいかわからなくて。」
アンは笑顔をロブに向けた。少しの間を得て、口にした。
「クレアのことかい。」
「そうです。」
アンは深くうなづいて、ロブの手をとった。
「誰もおまえさんを責めたりしてないよ。」
「わかってはいるんですが・・・。」
ロブの目から涙がこぼれた。今まで言い出せなった、想いの言葉がなかなか出てこなかった。
「レテシアと再会して、抱き締めて、ようやく、たどり着いて、気づいたのです。クレアさんの気持ちを。」
アンは「知ってるよ。」といいながら、ロブの手をなでた。
「早いうちから、レテシアと復縁していたら、クレアさんは死なずに済んだのでしょうか。」
あふれる涙がとめどなく、子供のように泣きじゃくったロブは、アンの手を握り締めて、頭を下げた。
「気に病むことなんてない。クレアがそうしたかったら、そうしたんだ。誰も止めることなんてできなかった。私だって、クレアの死、ダンの死をとめることができたのではないかと気に病むことはいくらでもあった。でも、あの二人はそれを望んでしたことだったんだ。そうすることによって誰かを守れると信じてしまったんだ。どうにもできなかった。」
「自分の死を持って、誰かをまもることなんてできるのですか。」
真剣なロブのまなざしにアンは微笑んで言い切った。
「ないよ。そんなのことはないよ。フレッドだって、そう思って命を犠牲にお前を守ったわけじゃない。そうだろう。」