第三十章 魔のささやき 2
湿った暗闇の部屋。腹部を強打されて、イリアは痛みに絶えていた。どれくらいそうしていたのだろう。血の気が引き、体が冷たくなっていくのがわかるくらい衰弱していく感覚を感じていた。
イリアはグリーンエメラルダ号を落とした後、脱出したものの、グリーンオイル製造会社の手の者に連れられて黒衣の民族・厳に引き渡された。以前、グリーンエメラルダ号に襲撃され渡した液体が偽者であることに腹をたて、イリアは暴行を受けた。カスターとの間にできた胎児は体内で成長できずに流産となった。
「お前、妊娠していたんだな。誰の子を身ごもったかは知らないが、また、妊娠してもらおうか。」
黒衣の民族魔術師で白髪の者は隠語で白い魚と呼ばれていた。白髪の女が子を成し、その子が成長し大人になったころに魂を乗っ取るということを繰り返して永遠の命を手に入れてきたのが白い魚でもあった。
厳がイリアに言ったのは、白髪の女カオルが死んでしまったので、代わりにしようとしてのことだった。
イリアは唇を噛んで抵抗を意思表示した。厳は癇に障ったと言って、暴行をした。イリアは耐えるしかなかった。
(逃げるチャンスは必ずある。)
自分にそう言い聞かせて、逃げる行程で後の行動を考えていた。
チャンスはすぐやってきた。イリアを妊娠させるためにあてがわれた若い男と二人っきりにされたとき、その男を精神的に追い詰めて、自我を破壊した。若い男を操り、監禁から逃れた。とりあえず、セシリアの子コリンのもとへ行こうと衰弱した体で向かって行った。途中、行き倒れてしまい、親切なものに拾われて病院に連れて行かれた。意識朦朧とするなか、身元を確認されて口にしたのは、カスター=ペドロの名だった。
闇の中に光り輝く一筋が見えて、まぶしいながらもその光に向かって行った。光はだんだんと広がり、自分を包み込んだ。
「ここはどこ?」
目を開けてみると、そこには白い清潔な天井があった。
「ここはグリーンオイル財団研究所の病院です。」
看護師が語りかけた。
「私は・・・。」
「今、関係者の方をおよびしますので、お待ちくださいね。イリアさん。」
看護師はそう言って、部屋から出て行った。
自分の名を呼ばれて、はじめて素性が知られていることに不安を覚えた。逃げ出そうと体を動かそうにも力が入らなかった。点滴を打たれていた。管が腕に伸び、針が刺さっている感覚がなかった。点滴の瓶を眺め、そこに書かれている内容で栄養剤だと理解した。
コンコン。
「失礼します。」
スーツ姿の女性が部屋の中に入ってきた。
「お目覚めですが、イリアさん。私、グリーンオイル財団研究所の理事長の第六秘書セリーヌ=マルキナといいます。」
財団研究所が自分を陥れた製造会社とは別物だということは認識していたが、まったく繋がっていないとは思っていなかった。
「財団研究所の秘書がなぜ?」
「あなたはカスター=ペドロ氏の名前を語りました。あなたを助けた人々が保護者か後見人ではないかとこちらに問い合わせがあったのです。」
「カスター?」
「ええ、ペドロ氏はいま行方不明です。判明しない今、以前所属していたスカイエンジェルフィッシュ号を管轄していました財団研究所がその問い合わせに応じ、責任者でもある私くしがあなたを引き取った次第です。」
イリアは天井を仰いだ。カスターを自分で始末しなかったことをすぐに後悔したことが、ここで功を奏したのだろうかと。
「あの、わたしはどうなるのでしょうか。」
セリーヌはイリアの顔に近づき、小声で返事した。
「こちらにはあなたを保護することでメリットがあります。お分かりですか。」
イリアは驚きの表情でセリーヌを見た。検討も付かなかったが、カスターのことで責め立てられるのではないことがわかった。
「わかりません。検討も付きません。」
セリーヌはイリアから引き、手に持った書類に目を通した。
「あなたが、白い魚であることは、クレア=ポーター氏が残した資料により、確認しました。」
「それで?」
驚きの表情をみせずに相槌をうつイリアに、セリーヌは想定内と思いながら、チラ見をした。
「クレア=ポーター氏が明かさなかった真実とやらをご存知でしたら、あなたの身柄を保護し、安全かつ安定した生活を提供いたします。」
「クレアさんが?」
「ええ。」
「何のことを言っているのかわからないわ。」
しらを切るので、セリーヌは書類を握り締める手を強く握って、音をたてた。
「では、はっきりと申し上げましょう。セシリア様が最初にお生みになったお子様のことです。」
イリアは目を閉じた。知っていると悟られたくなかったからだ。
「こちらとしては、そのお子様を財団に招き入れたいのです。」
セリーヌは、目を閉じたイリアの顔に近づき、また小声で話しかけた。
「セシリア様はいま瀕死の状態で、生きているうちにそのお子様に引き合わせてあげたいというのが夫である理事長の願いなのです。」
イリアは目を見開き、セリーヌを凝視した。
「死んでいると聞かされているのでしょう。」
セリーヌはイリアが知っていると確認して、ニヤリと笑った。