第三十章 魔のささやき 1
ラ・ベレッツィア宮殿を失い、マルティン・デ・ドレイファス皇帝は別荘宮殿に身を置いていた。傍らには不安を押し隠そうとしている娘フェリシア皇女がいた。
「こちらにおいで。」
「お父様、なぜ所以に宮殿を破壊してしまったのですか。」
「なぜ、そのような質問を。私が壊してしまったかのようではないか。」
フェリシアは父である皇帝にしがみついた。
「私くしが知らないとでもお思いでしたか。お父様の代わりの者が成りすましてました。」
皇帝は娘の頭をなでつつ、もの思いにふけっていた。
「気づかないわけがないか。」
皇帝自身が想い続けたことは、相手には気づかれなかった。それで良いと思っていた。想いが通じたとしても、結ばれないものと思っているからだ。果たしてその相手は別の男性を想っていた。たった一人の男性をずっと想っていることを知っていた。それでもなお想いが募るので、遭える回数を増やしたかった。その手段が、影武者だった。
皇帝の影武者はブライアン=シーアズといい、落ちぶれた貴族の出身だった。容姿がほとんど似ていて、髪型が違うだけで使い分けをしていた。普段は上流階級のお嬢様学校の理事長をしていた。似ているというだけで皇帝に近づいてきて、内部事情を知り尽くすと、皇帝を裏から操るようにしてきた。薄々感じていて、それを逆に利用していたところもあった皇帝だったが、疎ましく思っていた。ブライアンは皇帝の弱みをにぎり、度を越してきたからだ。皇帝の弱みに付けこもうとブライアンが手始めにしたことは、皇帝が想いを寄せていたレテシアとのことだった。レテシアに近づきやすいように、公務の身代わりをしてきた。思惑がいかなくなりそうだったことがあり、それはレテシアが別の男性との間に子供をもうけたことだったが、それがまたブライアンにとって、チャンスとなった。
ブライアンは皇帝にささやき続けた。ある種、洗脳だった。恋しいレテシアを思い通りにできなかった、そのフラストレーションをぶつける手段。そんなことを考えて行動することは馬鹿げていると理性が働くことができず、皇帝はブライアンの誘いにのってしまった。それが強姦だった。
そして、ブライアンは皇帝の弱みをものにすることができた。既成事実がこの世に生み出されて、より一層皇帝を苦しめた。
ブライアンには黒幕がいた。彼ひとりが、その手の情報に詳しくなかったからだ。軍、民間、どんな情報網でも金で解決させ、手に入れる人物がブライアンを手管に皇帝を動かそうとした。
皇帝は清算したかった。その代償が輝かしい皇帝の象徴たる宮殿が破壊されようとも、疎ましい人物を葬り去り、愛しいレテシアを遠ざけることで危険から守ることを望んだ。
皇帝は自身のための裏の組織ホーネットに加わっているイリアが黒衣の民族・厳と繋がっていると知っていて、命令をくだした。自分を滅ぼす液体になるとしらずにブライアンは未完成のレッドオイルをイリアに渡した。そのレッドオイルはブライアンの黒幕がグリーンエメラルダ号を破壊するために用意した者だったが、皇帝はブライアンが影武者となって滞在する宮殿にむけて落とすようにと、指示していたのだった。
イリアの願いはレテシアをスタンドフィールドに引き取らすことだったが、そのためにレテシアから離れなければならなかった。そこに乗じてブライアンの黒幕はイリアを黒衣の民族に引き渡した。皇帝がそうさせたのだった。イリアの思惑通りに行かず、皇帝やブライアンの黒幕を恨んだ。
皇帝は自ら望まないことを行動に移したことに後悔し始めた。レテシアがロブと寄りを戻したからだ。レテシアをホーネットに加えたのは、懐柔して安心感を得たからだった。
「お父様、私くしに何でもお話ください。もう幼い皇女ではありません。」
「そうだな。これからの重い責任を背負う覚悟ができているのなら、すべて話そう。」
フェリシアは口を硬く閉ざし、決意を固めようとした。しかし、皇帝は彼女の背中を摩り、優しい笑顔を傾けた。
「そなたはまだまだ辛い経験をこなしていない。権力とは何たるかも知り得ていないだろう。焦らずとも良い。私はまだこの国でやらなければならないことがたくさんある。その間にしっかりと身につけるのだ。相応しい帝王になるために精進するのだ。」
「わかりました。」
娘として皇女として、まだまだ、その父親の心に助けにもならないことを痛感し、強くならなければと決意を硬くした。