第二十九章 青い果実Ⅱ 6
食事を始めて、気がついた。コーネリアスにいつも付いていた執事のピエトロがいないことに。そのことを口にすると、コーネリアスは用事で出かけているとだけ言った。レインは不審に思った。コーネリアスの眉間に一瞬皺が寄ったからだった。
「レイン様、料理が口に合いましたでしょうか。」
「うん、とっても、美味しいよ。」
ジゼルのスタミナが付く料理と違って上品な深い味わいだが、野菜を中心にした素朴な感じは変わらなかったからだ。
「マリンさんが作ったのですか。」
「いいえ、料理人です。」
「ほかに使用人の方がいらっしゃらないように思えたんだけど。」
カチン。
コーネリアスがフォークを皿に当てた音がした。
「どうかしたの?」
「いいえ、何でもないわ。行儀が悪くてごめんなさい。」
「いや、そんなことわからないから、気にしなくていいよ。」
レインは二人の顔を交互に見た。二人とも引きつった顔をしているようにしか見えなかった。気まずいことを口にしたんだと思った。
「こちらこそごめん。気に障るようなことを言ったんだね。」
「いいえ、そうではありません。気になさらないように、お食事を続けてください。」
マリンは少なくなったレインのグラスに水を注いだ。レインは気まずさを補うように食事を進めた。そして、マリンは下げた皿とともにワゴンを引いて部屋をでた。コーネリアスはテーブルにうつ伏せするように前かがみなりレインに話しかけた。
「ピエトロの替わりにマリンがこの屋敷でひとりまとめなくてはいけないから、気を張っているのよ。」
そう言っているコーネリアスの胸元が真正面に目に飛び込み、胸を寄せているので谷間らしきものが見えて目をそらした。コーネリアスはそのレインの様子を見て、笑顔を傾けた。
「そうなんだ。」
恥ずかしさから、一言しか言えなかった。
マリンがまた部屋に入ってくると、ワゴンにはワイングラスが二つとワインの瓶があった。レインはお酒を飲んだことがなかった。10代でも食事をするときはワインぐらい飲むのだろうかと考えていた。
「レイン様、ワインをお持ちしました。お酒の方は、いかがしょうか。」
「僕は飲んだ事が無くて。」
「マリンが持ってきたワインはあのブドウ畑で取れたもので製造したワインなのよ。」
「へぇ、そうなんだ。」
「わたしたちにぴったりな未成熟なワインでもあるの。」
レインはコーネリアスの言葉に唖然とするしかなかった。表現の意味が理解できていなかったからだ。ラゴネがワインの熟成とグリーンオイルの熟成は似ていると聞いたことがあったが、そのことだろうかと考えた。
「とてもフルーティな味わいです。苦味も特にありませんから、初めての方でも美味しくいただけると思います。」
マリンは二人の前にグラスを置き、ワインを注いだ。マリンはレインの耳に小声で言った。
「乾杯の言葉をおっしゃってください。」
レインはちょっと恥ずかしさを出して、グラスを手にして言った。
「誕生日おめでとうコーネリアス。」
「ありがとう、レイン。」
満面の笑みでコーネリアスはレインを見ていた。レインは乾杯の後、グラスを口につけた。甘酸っぱいぶどうの香りが口に広がり、ジュースのように思えて、量を多めに飲んだ。
「ワインって、美味しいね。」
ほめ言葉のつもりだった。
「ええ、ママの自慢のブドウ畑ですもの。太陽をたくさん浴びて収穫されたものだととっても甘いの。」
レインは喜んでグラスのワインを飲み干した。そして、またマリンはレインのグラスにワインを注いだ。そのことが何回か続いて、食事を終えたころには体が思うように動かず、椅子から立ち上がると床に倒れてしまった。レインは倒れる寸前までしか記憶がなかった。
陽が沈み、夕闇が迫ってきて、ジリアンはレインの帰りが遅いことを心配し始めた。ジゼルに相談して、向かいにいくことにした。ジゼルが気を利かせて、ロブの同級生ヴァンに連絡をして、レインの居所を確認した。
「え、何ですって、まだ、もどってきていないの?」
ジゼルの話し声に気が気でなくなったジリアンはディゴに頼んでテントウムシの用意をお願いした。
「どうしたの?ジゼル。」
「ぶどう園にアンコーナ家のエアカーが迎えに来たそうだけど、まだ、もどってきてないって。エアバイクはそのままって。」
「アンコーナ家って・・・、あ、レインの手紙友達。」
「知ってるの?」
「ああ、うん。爆破事故のときにいてた病院でいろいろお世話になった人なんだよ。」
「ぶどう園のオーナーだから、有閑マダムかなにかしら。」
「いや、僕と同じ年の女の子だよ。」
「まぁ。」
「ヒューっ、やるね、レイン。」
「やめてちょうだい、ステファノ。」
「ふっ。だって、15歳で父親になった子供だろう。蛙の子は蛙だっていうじゃないか。」
「そんな言い方しないでちょうだい。」
ジゼルもジリアンもステファノを睨んだ。
「おお、怖いよ、退散退散、ボス、退散するよ。」
ステファノが食堂から出て行く姿を心配そうにジゼルは眺めていた。
「まさか、レインがそんなことするわけないわよね。失恋した人に会いに行くわけないわよね。」
「うん、別のひとだよ。コーネリアスはレインに気があるみたいだけど。」
「あら、そうなの。」
ジゼルは余計に不安になった。なぜなら、自分も同じ年頃にはやましい事を考えていたからだ。
「女の子はおませだから、ちょっと大丈夫かしら。」
「レインは大丈夫だとおもうけど、コーネリアスはどうかな。」
電話のベルが鳴り、ジゼルが取るとそれはロブの同級生ヴァンからだった。電話を切って、ジゼルは言った。
「アンコーナ家の使用人から様子を聞いたらしいわ。そして何だかおかしいと言ってたそうよ。今からだと夜遅くなるから朝早くこっちに来てほしいって。ジリアンと一緒にいってくれるみたい。」
「そのほうがいいかな。場所はよくわからないし、大人の人が一緒の方がいい。様子がおかしいってどういうことなの?」
「屋敷の使用人が一日暇を出されたらしいわ。執事の方もいらっしゃらないみたいなので、おかしいって言ってたわ。執事の方と連絡をちゃんと取っておくと言ってたわ。」
「そうなんだ。犯罪とかに巻き込まれて無ければいいけど。」
ディゴがテントウムシの用意ができたと言いに来た。一部始終を説明すると、ディゴは深くうなづいた。
「犯罪に巻き込まれるようなことがあったとしたら、レインなら、大丈夫だろう。心配はいらない。」
「そうだね。」
「テントウムシならエアバイクを収納できる。明日の朝のほうがいいだろう。」
「うん、そうするよ、ディゴ。ありがとう。」
ディゴはジリアンの肩をポンと叩いた。それがなんだか、ジリアンにとって、安心感を与えてくれた。