第二十九章 青い果実Ⅱ 1
どんなに日差しがきつくても、肌を焼くだけで痛みは感じない。照りつく太陽の下、汗が滲み出し時間が経過することも感じないままに、レインは岩山の天辺にいた。
なめくじのように解けてなくなってしまえばいいのに。そう思いながら、数日、数時間、その場所にいてた。レインのこころは空っぽになってしまった。レテシアが卒倒してから意識を回復した後に抱きしめられたのは自分を必要としていると感じて自分を取り戻していた。しかし、ロブが来ると、あっさりと二人は心を許しあい、抱き締めてあって、お互いを必要としていることを確かめてあっていた。その様子を目の当たりにして、張り詰めていた糸が切れて、また自失呆然の状態に陥った。ロブとレテシアは、レインのことを気にかけることができず、ジリアンが気を使って、二人からレインを遠ざけることを提案し、受け入れられた。レインとジリアンはスタンドフィールドドックに戻り、ロブとレテシアは、テオの提案でガラファンドランドドックへ行くことになった。
周囲を意識することができていなかったレインは、自分のわき腹に暖かいものを感じて、そちらのほうに意識を向けた。
「ジュニア。」
ディゴとジゼルの息子がレインのそばで寝息を立てていたのだ。声をかけても起きなかったので、しばらくそのままにしていた。
そして、自分をそのジュニアに重ねて、両親を思い起こした。
「ふたりはどうしているだろうか。」
気がかりなのは、ダンの母親アンがふたりを嫌っていることだった。叔父をうしなったレテシアに毒気づいたりしないだろうと思った。目を閉じ、ガラファンドランドドックの様子を思い描いた。一方向には海がひろがり、どこまでも水平線がつづいているように思えた。目を開け、あたりを見渡すと、山脈が地平線にひろがり、あたりは平原に川がなだらかに流れていて、ガラファンドランドックと背景が違っていた。
気持ちの切り替えをするのに、時間がかかりすぎだと、レインはようやく重い腰をあげようとしてた。
食堂では、ジゼルとひとりの男性が忙しく昼食の支度をしていた。
「ステファノ、この鍋をかきまわしていてちょうだい。」
「了解。ボス。」
「そのボスって言い方、やめてくれないかしら。」
「はい、わかりました。ボス。」
「うん、もう。」
ステファノ=ジュリアーニはディゴがSAF爆破事故から、スタンドフィールドに戻る際に拾った男だった。北方民族の血をひく人物で、黒髪に白い肌、青い目が特徴で、クレアにどことなく似ていた。性質は普段寡黙だが、ジゼルとか女性と話する時は饒舌になる。飛行士の免許をもっているところから、ディゴに拾われた。食堂でジゼルの手伝いをしているのは、ディゴの妻とはいえ、女性と一緒に仕事をしていたほうが良いと思ってのことだった。
「僕も手伝うよ、ジゼル。」
食堂にジリアンが入ってきて、ステファノは無口になった。
「ジル、ありがとう。助かるわ。パンが焼けたかどうかみてちょうだい。」
「はい。」
「レインはまた、天辺なの?」
「うん、病気だからしょうがないね。」
「失恋が病気ね。聞いて驚いたけど、まぁ、顔はそのままでも、ちゃんと成長しているのね。」
「ジュニアもちゃんと成長してるでしょ。」
「ええ、もう、目が離せないくらいに動き回っちゃって大変。今もどこにいているのかしらと。」
「天辺にいてたよ。レインと一緒にいてて寝てた。」
「はぁ?いくら、高所が大好きだからって、まだ、4歳なのよ。」
「知らないうちにのぼっちゃってるんだもの。レインがいるから大丈夫だよ。」
ぶつくさいいながら料理を仕込むジゼルと、手早く鍋をかき回すステファノ、パンが焼けたのを確認して取り出すジリアン。三人でてきぱきと昼食の支度が進んでいく。以前と変わらない、スタンドフィールドドックの日常がそこにはあった。
サイレンが鳴り響き、スタンドフィールドドックのクルーたちは食堂に集まってきた。みんなが昼食を終える頃に、精気のないレインがジュニアを連れてあらわれた。
「ママ、ご飯食べに来たよ。レインをつれてきたよ。」
「はいはい。」
ディゴとジゼルの息子ジュニアはレインたちが戻ってきた時には、悪戯盛りの子供だった。元気のないレインを捕まえては連れ回し、子分のようにして遊び相手にしていた。ジゼルは最初とがめていたが、抗うこともなくされるがままのレインの様子に何も言わなくなった。それはジリアンも同じだった。
二人が大人しく昼食を食べ始めると、ジゼルやジリアン、ステファノもキッチンを片付け終え、自分たちも昼食を食べ始めた。
「ジゼル、今日は晩御飯要らないからね。」
「あら、そうなの。どうして?」
「プラーナが戻ってきてて、晩御飯をご馳走してもらうことになってるんだ。」
「まぁ、それはそれは。ゆっくり楽しんでくるといいわ。」
「うん、そうさせてもらう。ひとりでエアバイクに乗れるしね。」
その話をしながら、ジリアンはレインをちらりと見たが、何の反応もなかった。会話すら入ってこない状態が続き、いつになったら、元にもどるのだろうと思った。
「レイン、昼からはちゃんとじいさまの手伝いをするんだよ。僕がいなくても大丈夫だよね。」
「ああ。」
生返事が少々気がかりではあったが、すこしは体を動かさないと、余計に塞ぎこんでしまう。ジリアンは食事を終えると、食堂を後にした。
ジリアンがいなくなると、途端にステファノは話し出す。
「プラーナって、川向いの町の女の子なのか。」
「ええ、そう。でも、今は親元を離れて中等科の学校へ寮に入って通っているの。」
「レインの失恋相手は?」
「こら、ステファノ。」
「いいじゃないか、人の話を聞いていないみたいだし。」
確かにレインの反応はなかった。黙々と昼食を食べ続けていた。
「さぁ、ジリアンから何も聞いていないからわからないわ。」
「きっと、気の強い女じゃないか。年上って話はディゴが何か言っていた。」
「ええ!わたしは聞いてないわよ。」
罰を悪くしたステファノは、話題を変えようと考え込んだ。
「レインの母親って、そっくりなんだってね。今も、あんな感じなのかな。」
「そうね、ディゴの話だとちっとも変わっていないって言ってたわ。」
「まぁ、あんなに童顔でかわいらしければ、気の強い女じゃないとだめだよね。」
「こら、また、そう言う。だめよ。」
ステファノは含み笑いをして、食事を終え席をたった。
「ごちそうさま。食器は片付けるよ。」
「ありがとう。」
レインが食事を終えると、ジュニアがついていこうとした。
「だめよ。レインはこれから、じいさまのお手伝いをするのだから。」
「僕もタンク、見てみたいよ。」
「だめ。パパに言われたでしょ。危ないからって。」
「ええ!?」
「パパに怒られたくなかったら、ママとお昼ねしよう。」
ジュニアは仕方なく、その場で立っていた。
レインはお構い無しに食堂を出て行った。
「ほんと、いつになったら、失恋って治るのかしら。」
登場人物
レイン=スタンドフィールド(主人公・愛称レイニー)
ジリアン=スタンドフィールド(主人公の従弟・愛称ジル)
ロブ=スタンドフィールド(主人公の父)
カスター=ペドロ(クルー。通信士。愛称キャス)
ラゴネ=コンチネータ(レインたちの叔父・グリーンオイル生産責任者)
ディゴ (スタンドフィールド・ドックのクルーで板金工)
ジェイ(スタンドフィールド・ドックのクルーで塗装工)
テス(スタンドフィールド・ドックのクルーで溶接工)
ジゼル(スタンドフィールド・ドックのクルーで食堂担当。ディゴの妻)
ディゴ・ジュニア(ディゴとジゼルの息子)
ステファノ=ジュリアーニ(スタンドフィールドドックのクルー、北方民族)
テオ=アラゴン(ガラファンドランド・ドックのクルー)
シモン(ガラファンドランド・ドックのオーナー)
アン=ポーター(ダン=ポーターの実母)
セリーヌ=マルキナ(デューク=ジュニア=デミスト理事長の第六秘書)
エミリア=サンジョベーゼ(皇女殿下のルームメイト)
ジェフ=マックファット(レテシアの同級生。民族解放派。)
レティシア=ハートランド(主人公の実母)
マルティン・デ・ドレイファス(コン・ラ・ジェンタ皇国の皇帝。セシリアの実兄。)
フェリシア=デ=ドレイファス(皇帝の第一皇女。)
コーネリアス=アンコーナ(ワイナリー農園のオーナー・食品企業の財閥の娘)
ピエトロ(コーネリアス付きの執事)
イリア(黒衣の民族、白髪の少女)
ウィンディ=ゴールデンローブ(軍医)
レオン=ゴールデンローブ(ウィンディの息子)
コリン=ボイド(レインのクラスメイト)
ジョイス=ボイド(コリンの父親)
プラーナ(ジリアンのクラスメイト)