第二十六章 空飛ぶ翡翠 4
レインたちはタンク周りの掃除を言い付けられていた。
「イリアのことだけど。僕は養子だからすごくよくわかるんだよね。受け入れ難いのはあるかもしれないけど、しばらく様子をみたらどうかな?」
不服そうにカスターを見る二人はブラシで擦る音を立てて作業を続けていた。
「ロブ兄さん相手だとどこまで理解してくれるかだと思うんだよ。」
三人は頭を垂れた。
(難しい。)
「何、三人でうな垂れているんだ。滑稽じゃないか。」
三人が声をかけてきた人物のほうへ振り返ると、ルディ=アルドラー少尉がいた。
「少尉。僕は今とても落胆しているのですよ。」
「落胆?なぜだ。」
足元が影になり、上を見上げると空挺が飛行していた。
「少尉、任務に就かなくていいのですか。」
「ああ、空挺は計器類が故障して、飛行誘導を求めてきたんだ。レテシアの出番だよ。」
「それは、フォンド・デル・マーレ・デリィラシオーネの所為ですか。」
「塩山脈、あそこは計器類を故障させる。ルート的に接近しないはずだが、天候不良によって寄ってしまうらしい。」
「SAFもやられました。」
「聞いたよ。だから、シヴェジリアンドの地に行ったのだろう。」
「ええ、そうです。」
「紅い閃光の爆撃地にSAFがいたことをここじゃ、不思議なことだと口にしていたからね。」
「確かに、ルート変更を迫られてあの地に駐屯していましたが。」
「ところで、レイン、君はなぜ落胆しているのかな。」
アルドラー少尉は含み笑いをしていた。
「ハートランド少尉の様子が・・・。」
「母親という印象がなかったかな。」
「そ、そうですね。でも、笑顔の素敵なお母さんっていう印象はそのままで。」
「少尉は全然変わらないよ。僕はレテシア少尉とこの船で育ったんだ。ここに戻ってきて母親になっても、変わらない人なんだなぁってなんとなく安心したかな。」
「ハートランド少尉は、ここではどんな女性なのですか。」
「サービス精神旺盛な人だよ。人を喜ばせるのが好きかな。まぁ、鬼艦長のことは怒らせばかりいたけどね。」
レインたちは暗い顔からようやく笑い声が出た。その様子を確認するかのようにアルドラー少尉はレテシアのことを話し始めた。
幼少に両親を亡くし、兄と二人でこの船で生活していた。その兄もスカイロードに入ったときに亡くしていた。
どんな辛いことでも、辛いといわず、笑顔で人々を喜ばせていた。それがアルドラー少尉にあるレテシアの姿だった。
「正直、鬼艦長と同じく面食らったんだ。ロブとのことはね。いつまでも変わらないで欲しいと願っていただけに、10代で母親になってしまうなんて考えもしなかった。」
「ましてや、3歳も年下のロブ=スタンドフィールドだったからでしょ。」
カスターがクレアから聞いていた妊娠した時の話を出してきた。アルドラー少尉は深くうなづいた。
「よっぽど辛かったのだろうって、鬼艦長は言っていたんだよ。エアジェットで事故に合い、リハビリしないと元にもどれないことが。」
レインは鬼艦長のことを想っていた。
「今でも、辛いのでしょうか。」
「ロブのことか?」
レインは返事をする代わりに、うなづいて見せた。間があいて、アルドラー少尉は重たい口を開いた。
「辛いのだろうと思う。イリアの前ではロブの話をするのに、僕たちには一言も話しをしないからね。」
「イリアの前で?」
「立ち聞きしてしまったのだが、一所懸命ロブの話をするハートランド少尉がそこにはいたんだ。」
レインの耳に、あのホテルマン・ベルボーイの言葉がよぎった。
(でも、僕は、君を殺したくはないんだ。君を殺すと、悲しむ人がいて、その人が悲しむ姿を僕はみたくないから。)
口を手で押さえていたが、震えは止まらなかった。
「どうしたのかい、レイン。」
「いえ、何でもありません。」
「気分を悪くさせたかな。イリアのことはその・・・。」
レインはもう、言葉を発することができないでいた。
「僕たちは理解できてますよ。イリアがハートランド少尉の大切な相棒であること。」
ジリアンが察して、レインの代わりに答えたつもりだった。
「確かにそうだが。それ以上に・・・。」
「もう、いいです。」
投げやりなジリアンの言葉をカスターは眉間に皺を寄せた。アルドラー少尉は怪訝の顔をした。
「そんな露骨な言い方をしなくてもいいじゃないか、ジル。少尉すみません、イリアのことでは女性同士というのもあるでしょうから。」
「ああ、そうだね。」
「グリーンエメラルダ号のクルーも、みんな違和感持っているのでしょう。」
「ジリアン、やめないか。」
カスターはジリアンの肩に手を置き、強く握り締めた。
「女性ならクルーの中にも居てて、レテシアとは変わらない間柄だ。ただ、違和感があるのは、二人が仲が良いというわけじゃないのだよ。」
「どういうことですか。」
「完全シャットアウト。コミュニケーションさえ、止められている。レテシア意外誰も、彼女と会話を交わしたことがないのだ。」
三人は考えもしなかったことだけに、唖然としていた。
「イリアがここにきたいきさつはみんな知っている。軍が認めたのにも違和感がある。鬼艦長も干渉しないのには何かわけがあるのだろうとみんな思っている。」
輝く太陽が頭上にあって、熱くなり汗ばんでいたが、心地よい風が吹いてきた。
「雲が出てきますね。」
「ああ、そうだね。レテシアの居ない、旗の役目は僕の仕事だ。」
アルドラー少尉はそう笑って、袖をまくった。
レインたちは手を止めていた床掃除の作業を再開した。