第二十六章 空飛ぶ翡翠 3
大きなタンクのなかに緑色の液体が波を打っている。日差しを浴びると、蛍光色を放ち、おさまると色が落ちる。これを繰り返して、グリーンオイルのバクテリアは繁殖する。
大きなガラスの桶が目の前に現われると、深い緑色の液体から泡出ていた。グリーンオイルの種だ。
「こんなにいっぱい種があるのですね。」
ジリアンは目を見張ってガラスの桶を覗き込んだ。
暗がりの部屋にひときわ深い緑色に発色する様は見たこともない大きな宝石に思えた。
「貴重なグリーンオイルの種なの。これのおかげで空を飛んでも水と日光浴で繁殖できるのよ。」
レインはレテシアに歩み寄った。ジリアンも聞こえるように、話しかけた。
「お母さん。僕たちと一緒に過ごしたいって、前に会ったときに話ししたよね。」
「ええ、そうよ。」
「お父さんのことも誤解だって。」
「ええ。」
レテシアがレインを見つめて話しをすると、レインの顔は段々と真剣な顔になっていった。
「僕たちが一緒に暮らすってことだよね。」
「そうね。でも・・・。」
「でも、それって、グリーンエメラルダ号を降りるってことだよね。お母さんはそれができるの?」
「そ、それは。」
「僕たちはスタンドフィールドの人間だから、あのドックから離れることはできない。わかっているよね。」
「もちろんよ。ロブからあなたを引き離すつもりはないわ。でも、わたしは・・・。」
「この船から下りるつもりがないなら、無理な話だよ。」
「レイン・・・。」
冷たく突き放されて、胸が痛くなる思いがした。ジリアンとカスターはふたりの様子を見守ることしかできなかった。
「叔父さんの・・・ハートランド艦長が引退を考えているわ。いずれ、わたしもこの船を下りるつもりだったの。」
「まだ、引退すると決まったわけじゃないんだよね。」
「そうなの。問題解決はロブとのことと・・・。」
「ほかになにかあるの?」
「イリアよ。」
レインは驚きが隠せなかった。ミセス・ロックフォードが同じ白髪の女性だからと言って、同じだとは限らないが、胸騒ぎがして仕方なかった。
それはカスターも同じことを考えてだった。ミセス・ロックフォードとのことは最後にクレアから「殺した。」とだけ聞かされていた。
カスターが薬漬けにされたことで白い魚の存在も聞かされていた。レインが接触したホテルマンが死んだこと、スカイロードとの合同訓練で起きた訓練生の自殺も白い魚のせいではないかということも知らされていた。
レインやジリアンには知らせられていないので、レインの露骨に嫌な顔を不思議に感じた。
「イリアはね、悪い人たちに捕まって薬漬けになっていたところを助け出したの。わたしが無断で。」
悲しそうに話をするレテシアは胸に手をあてて、自分に言い聞かせていた。
「イリアの行くところがなくて、わたしの側にいてもらっているの。できたら、彼女と一緒に・・・。」
「イリアは他人じゃないか。知りもしない人とドックで暮らすなんて。」
「わかっているわ、レイン。でも、あなたたちがここでイリアと接すれば、もう知らない人ではなくなるでしょう。」
それが目的なのかとレインもジリアンも考えた。
「わたしが言うのも何だけれど、イリアはとても素直な女の子なの。お互い助け合ってここでやってきたの。どこに行っても変わらないわ。」
唇をかむレインの顔を見ているのは辛かった。あきらかに、レインよりもイリアのほうがレテシアに近い。いつも一緒だったという言葉がイリアの強みのように思えて仕方なかった。
言い出せない言葉をジリアンが口にする。
「だったら、僕たちと暮らさなくても、イリアさんと少尉と仲良く暮らせばいいじゃないですか。」
「ジリアン、それは言いすぎだよ。」
カスターが制止しても、ジリアンはやめなかった。
「ロブ兄さんとの間にある誤解は解いていたほうが良いとは思います。でも、それと僕たちと一緒に暮すのは別です。レインと少尉が別々で暮らして長いし、それを取り戻す時間なんて長くはありませんよ。」
「どうして?」
「どうしてって、レインは15歳になるんですよ。母親を必要としない年齢になるのですから。そうでしょう。」
遇の根もでない。レテシアにとっては、レインはいくつになっても自分の子供である。年をとっても。しかし、レイン自身はいつまでも子供のままではいない。わかっていても意識できていないのが現状だった。
レインより年下のジリアンは正論を吐くのだから、レテシアも言葉がでなくなった。
カスターも、レテシアが大人になりきれていない女性であることを感じていた。
艦内でサイレンが鳴り響いた。
「空挺接近の合図だわ。出動しなくちゃいけない。私は格納庫へ向かうわね。」
レテシアは逃げるようにして、その場からいなくなった。
いつになく熱くなっていたジリアンは次第に冷静さを取り戻して、レインを気遣った。
「ごめんね、レイニー。口出ししてしまった。」
レインは下を向いたまま、言葉を口にした。
「いいよ、僕だけのことを言ってるわけじゃないもの。言いたいことがいつも言えなくて、僕のほうこそごめん。」
あんなに求めていた母親と一緒にいられることがこんなにもむなしいものだと痛感させられるとは思ってもみなかった。
そばにいればいるほど、寂しさがいっそう募りそうなのを堪えるしかないのだろうか。
イリアを大事にしているレテシアの姿を目の前で見せ付けられるのではないかと、不安が襲ってきていた。
それはイリアも同じだった。しかし、それはレインたちに伝えるべきではないだろうと思っていた。
イリアにはイリアの目的があったからだ。レテシアがイリアを助け出して何もお咎めなしにグリーンエメラルダ号にいられるわけがなかった。
目的を条件にイリアはレテシアの側にいられるのであって、彼女こそ、グリーンエメラルダ号を降りることができないでいた。
それはレテシアの知らされていないものだった。