第二十三章 月を射る 7
レインとジリアンは、病院関係者からコーディが何者かに襲われ、行方がわからなくなっている事を告げられる。
SAFの関係者は、病室で眠らされたディゴしかおらず、コーディのことはレインたちのもとに届いた。
病院関係者がコーディの病室に防毒マスクの男が倒れているのを発見した。病室は血が飛び散っていて、当人がいない。
マスクの男は騒ぎの物音で失神から醒め、病院関係者や野次馬を掻き分け逃げていったという。
二人はコーディの病室に行った。部屋が荒らされて、壁に血のあとがある様子に、コーディの身を案じた。
「病院内にはいないって、どこへ行ったのだろう。」
「命を狙われていたのは、僕たちだけじゃないのか。」
「どうして、コーディが狙われちゃうんだよ。わかんないよ。」
クレアの事を思えば、コーディが何かを知っているかもしれない。そう考えるのが必然だと、ジリアンは考えた。
自分たちはただの囮でほんとうの狙いはクレアかもしれないと。
そして、そのクレアは、SAFを動かして、どこかへ向かっている。いったいどこへ行こうと言うのか。
「僕たちがパジェロブルーで危ない目にあっていたら、兄さんが僕たちを助けようとするから、クレアさんから遠ざかる。」
「なにを言ってるんだよ。ジル。」
「あいつらの本当の目的は僕たちじゃないんだ。クレアさんなんだ。」
「ええ?!」
このことをカスターに通信で知らせた。
「クレアさん、ひとりで問題解決しようとしないでくれよ。」
ロブは躍起になってスピードを出した。
カスターは睡眠薬からの目覚めが悪く、胃液があがってくる感じがして抑えていた。
この気持ち悪さで、麻薬を抜く時の治療を思い返した。
クレアが言ったあの言葉が頭に媚びりつく。
「悪いな。来世じゃ、ちゃんと責任とってやるよ。」
死を覚悟している言葉と感じた。
睡眠薬を飲まされたてときに見た映像が甦る。
左腕のない女性がクレアなら、来世でもまた会える。しかし、何もできないままにじっとはしていられない。
クレアの無事を祈りつつ、言葉を発した。
「アルバートを道ずれにするのか。」
ロブとカスターとで、それぞれの思いが違っていた。
操縦室でひとり物思いにふけるクレアに、ジョナサンがあらわれた。
「勝手に動き出したかと思って来てみたら、クレアさんがいるじゃないですか。動かしたのはあなたですか。」
後ろを振り返ることもなく、言葉を吐く。
「SAFを動かすことぐらいはできるさ。ただの医者じゃないからね。」
「そう。人の命を救うはずの医者のはずが、人殺しですからね。」
「あんたは、あたしの何十倍も人を殺している奴らの片棒かついでいるだろう。」
「いやはや、何をおっしゃるかと思えば、そんなつまらないことを考えていたのですか。」
「つまらないこと?」
「わたしを疑っていたのは、その人物たちの仲間だと思われたのですか。」
「いや。」
振り返り、三日月の光を背にジョナサンを睨みつける。
「皇帝という太陽を手駒にして、人殺しの目算を実行しているんだろう。」
鼻で笑って、相手の言う事が耳に入らないという素振りをみせた。
「どうして、わたしがそのようなことを。皇帝を手駒にとは、そんなことできませんよ。わたしは普通のエンジニアですよ。」
ため息をついたクレアは間をおいた。ジョナサンの様子を見計らって口を開く。
「マルティン皇帝の父ジョアンには姉がいた。その姉は嫁ぐ前に、身分の低い男の子を身ごもった。生まれた子供は養子に出された。誰が母親かわからないように引き取られるはずだった。」
ジョナサンは歯軋りをした。怒りは隠しきれない様子で、強く握った拳はいまにもクレアを襲いそうだった。
「出産に立ち会った医者がそのネタでジョアン皇帝を脅した。折りしも黒衣の民族に襲われて、娘セシリアを死んだことにした時だった。」
クレアは髪をかきあげた。髪を切り落とした部分がアシンメトリーな髪型になり、異様さが際立つ。
「ジョアン皇帝死後、マルティンが即位し、そのことを知った。現皇帝は軍隊の圧力とグリーンオイル製造会社の圧力により、立場を維持できず苦しんでいた。手足となる従者が欲しいとおもった。」
「待てよ。いま、クレアは皇帝を手駒にと言ったじゃないか、今の話だと皇帝が手駒を欲しがっているように聞こえたぞ。」
冷静さを失いつつあり、言葉遣いが悪くなる。いままでの人格が崩れていく証拠だった。
クレアはニヤリと笑った。
「皇帝は従者ほしさに、自分が手駒になっていることに気がついていないんだよ。そうだろう。落とし子さん。」
ジョナサンは顔が真っ赤になった。いちばん、聞きたくない言葉だった。
「太陽が落とせなくても、月を射ることぐらいできるんだよ。ジョナサン。」
クレアはジョナサンの顔めがけて足蹴りをした。頬を強く蹴られて、倒れこんだジョナサンは、すぐさま起き上がり身構えた。
「もともと、エンジニアなんて性格に合ってなかっただろう。軍隊で訓練を受けただけでなく、人殺しの遊びまで覚えたのだろ。」
なにもかも見透かされていてることに、ようやく気がついたが、出生の秘密がばれることぐらいはわかっていた。
しかし、ジョナサンにはまだわかっていないことがあった。クレアが心理的に追い詰めようとしていることに。気がつかないのは相手を陥れる術がほかにあり、大丈夫だという確信があるからだった。
「ああ、楽しかったね。レッドオイル精製に立会い、人が死んでいく様を想像するのはこの上ない。人間を実験に遣い、ぼろぼろになっていく姿も味わい深かった。」
次第に穏やかだった元の顔が保てないくらい表情は歪み、醜い顔の表情へと変化する。
「グリーンオイル製造会社の社長の言いなりになって、皇帝を操ったのはさぞやご満悦だろう。仕返しができたと思ったかい。」
「そうだなぁ。レテシアの話をし始めた頃には、もう、こっちの手の内に入り込んだと思ったさ。そして、ロブやレイン、ジリアンを殺したいと言い出したときには、こころのなかで笑いが止められず表に出てきそうだった。」
「残念だな。殺すことが出来なくて。」
薄笑いを浮かべたクレアは、また、足蹴りをした。
グエェ。
倒れたものの、すぐに起き上がってくる様子は、ゾンビみたいだった。声をあげたものの痛みを感じていない様子だ。
クレアは不審に思った。
「へっへっへっへっへぇ。バイオグリーンオイルも研究していたのを知らなかったか。」
「グリーンオイルを体内に獲りこんだのか。」
「ふはっはっはっ。最高に気持ちがいいよ。痛みを感じないんだからね。」
ブハッ。
口から血を吐いてもなお、首を左右に振って、正気を取り戻そうとするジョナサン。
愕然としたクレアは思いもしなかった展開に、血の気の引く思いがしてきた。