第二十三章 月を射る 5
左腕の無い女性が右手で赤子を抱えて、自分が左腕で支えている。
視線はその女性の肩越しだった。
その女性の顔は見えない。声は頭のなかに飛び込んでくる感じだった。
「額に星のような痣があるの。泣くと出てくるんだけど、こうやって寝ているときは見えてないわ。」
「興奮すると出てくるのかな。泣くっていうのは顔を赤くするだろう。」
「そうねぇ。この星のように、みんなを明るく照らすように輝いて欲しいわ。」
「君を明るく照らす女の子だ。星にちなんだ名前にしよう。」
「ええ、そうね。そうしましょう。」
自分が何者かもわからないのに、会話がはずんでいる。
違和感はなく、幸せな気持ちだけがこころにじわじわと広がっていくのを感じていた。
エアジェットのエンジン音が聞こえてきた。
「もう、空を飛べないのね。」
「そうだね。」
「この子が楽しげに空を飛ぶ日を見る日がわたしに来るかしら。」
その女性の頭に頬擦りをし、そしてキスをした。
「大丈夫、きっと来るよ。」
エンジン音は次第にけたたましく耳障りになり、その幸せな映像が薄くなっていく。
カスターは、近づいたり遠ざかったりするエンジン音で目が覚めた。
ベッドで仰向けになっている状態を知り、起き上がった。
寝ていたのはわかったが、ここがどこなのか、一瞬わからなかった。
記憶が飛んでいるのがわかると、すぐにアルバートがいないことに気がついた。
部屋を飛び出し、ロブたちの部屋へ。ドアをあけると、煙が顔を撫でるようにしてあらわれる。軍にいた時に訓練をうけていたので、すぐに腕で口を押さえ、窓に向かった。
窓を開けて、煙を吐き出させると、ロブとディゴが倒れているのがわかった。
ロブを助け起し、目覚めさせた。
「大丈夫かロブ。」
カスターが何度も呼びかけて、ロブはようやく目が覚めた。
意識が朦朧とするなか、現状を把握しようとしていた。
「ジョナサンは?・・・いるわけないか。どこへ逃げたんだ。」
「ジョナサンがしたのか?」
「ああ、おそらく。」
カスターはディゴを起そうとした。エアジェットの音がするのに気がついたロブは、起すのを止めた。
「トラブルに巻き込みたくない。そのままにしてやってくれ。」
二人が窓から顔を出すと、パジェロブルーが飛んでいるのが見えた。病院周辺を旋回しているらしい。
部屋を出て、屋上に向かった。
病院で旋回を続けていることはジリアンが提案した。飛行場に戻るわけにいかず、敵に襲われた場合、どこへ逃げればわからなかったからだ。
しばらくして、柵の無い屋上にロブとカスターがいてることに気がついた。
レインはパニック状態で、ロブたちのことが見えていない。その様子はジリアンにもわかっていた。
ロブが屋上から指図している様子をみて、パジェロブルーに乗り込もうとしているのが理解できた。
キャティナ・マウントーサ・ロッソ駐屯地で受けた訓練を実践してみることにした。
パジェロブルーは低空飛行で、屋上のしたまで降下すると、屋上で走るロブに合わせ平行する。
屋上から飛び、パジェロブルーに移った。その衝撃ではじめてレインはロブの存在に気がついた。
ロブは即座にレインの操縦席のドアを開けた。
「どうするんだよ。」
「どうするって、入れ替われ。」
「え?!」
シートベルトをはずされて、ようやく理解できた。高度を保ちつつ、安定した飛行で操縦するジリアン。パニック状態からようやく醒めたレイン。
レインが外に出て、ロブが操縦席に乗る。パジェロブルーから屋上に飛び移ると、レインは振り返った。
そして、初めて、翼に何か取り付けられていることに気がついた。
病院ではエンジン音で、入院患者や当直の者たちが騒ぎ始めた。
クレアとアルバートは乱れた着衣を整えていた。
白衣の下の防具を締めなおし、防具を覆い隠すように白衣のボタンをはめた。
アルバートは着衣から外した銃を手に、もう一度中身を確認して、ホルダーに入れなおした。
紅潮したアルバートの頬をクレアは両手で押さえた。
「興奮が醒めてから、おいで。待ってるよ。」
頬を抑えられたまま、深くうなづいた。
頬から汗ばんだ首筋を拭うようにして、アルバートの肌を両手でなぞる。
クレアはアルバートから離れて、操縦室に向かった。
クレアの後姿をみながら、唇を指でなぞって、感触の余韻を味わっていた。