直売所直売所
久しぶりに晴れた休日。近所を散歩してみようと思った。
心地よい風に吹かれ町の匂いを感じながら歩いていると、普段運動不足気味な私の足は刺激を受けて喜びの声を上げる。
あそこにあんな建物あったっけ。ここに大きな木が生えていたはずだ。自宅と職場の往復の毎日、たまの休みは車で遠出しているので、意外と近所のことを知らなかった。角をひとつ曲がるたびに新たな発見ができて楽しい。見慣れたと思っていた町がまるで初めて訪れる異邦の地であるかと錯覚する。それが楽しく、次々に知らない地元を踏破していった。
住宅地を越えて国道をまたぐと、田園風景広がるのどかな地に足を踏み入れた。ずっとまっすぐ続く田んぼ道、今はまだ休眠していて作物のない田畑の土色に混じってカラスのつややかな黒色が点々としている。時期が時期なら田に水が入り、陽の光を反射してさぞやきれいな景色となるだろう。
遠くに見える国道から延々と行き交う車のエンジン音が聞こえる。朝と夜に私もそこを通るが、田畑をまじまじと見たことはない。こうして田んぼ道を歩こうなどと思ったこともなかった。
直線が続く田んぼ道から横に入り込むあぜ道に、小屋が備えられていることに気がついた。赤いのぼりには『直売所』と書かれている。何があるのだろう、と興味を引かれ、覗いてみることにした。
木でできた柱にベニヤ板で壁を立て、トタン板を屋根にした簡素な小屋だった。台の上にはざるが置いてあり、膨れた透明なビニール袋がある。奥には鍵付きの集金箱。収穫した作物をここで販売する、無人直売所だ。
今は何が採れるのだろう、とビニール袋の中を覗き込む。
直売所があった。
木の柱、壁と屋根、台の上にはざる。まさしく今の私がいる直売所のミニチュアが袋の中にあった。
それも三つ。
三つの直売所は私の存在に気づくと、がさがさとビニール袋内で動き回る。時折屋根がこすれ合って耳障りな音を立てた。
これは商品なのか? 採れたて新鮮なのか? 疑問が浮かぶ。ざるのそばに『一袋五百円』と書かれた紙がテープで留めてあった。間違いなくこれが販売されている商品のようだった。
疑問が引っ込まない私は携帯を取り出して検索してみる。
「……ほう」
新鮮な直売所は皮が薄く、剥かなくても食べられるという。薄く切ってわさび醤油でいくのもよし、油でカラッと揚げてもいい。直売所のバター焼き、直売所のかき揚げ、直売所のサラダ。調べればレシピがどんどんでてくる。どうやら私が知らないだけでメジャーな食材のようだった。
なるほど、と携帯をしまい、袋に目を落とす。あいかわらず三つの直売所が駆けずり回っている。好奇心が抑えきれず、ついその中のひとつをつまみ上げてみた。手のひらに収まるサイズ感はガシャポンの商品だと言われても納得できる。
直売所は落ち着かない様子で私の手のひらを踏みつける。人の手の感触が気になるのか、足(柱)をしきりに擦りつけたり。壁をなすりつけたりしてくる。ゴツっとした冷たい手触りで、少々くすぐったい。それが落ち着くと、私の顔を見つめるように正面を向けてくる。
じっと見つめてくる姿に得も言われぬ感情が芽生え、屋根をそっとなでてみる。直売所はうれしそうに体を揺らした。
手の上の直売所を羨ましがるように、残りの直売所も袋から出てこようとしている。このときにはもう私の選択は決まっていた。
直売所を袋の中に戻し、持ち上げる。その代価として財布から硬貨を取り出して箱の中に入れる。これでこの直売所たちは私のものになった。
家に帰り直売所たちをテーブルの上に放し、観察してみる。三つの直売所はどれも同じ姿だが、よく見ると微妙に個体差があることがわかった。
最初に手に取ったものは一番体が小さく、好奇心が旺盛。テーブルの上をちょろちょろと動き回って端から落ちそうになってハラハラさせる。屋根に大きな傷があって一番大きいものはよく他の直売所とケンカをする。こいつは私に対しても攻撃的で、触ろうとすると拒否するかの如く強烈な頭突きをかましてくる。中間の大きさの直売所はあまり動くことなく、なすがままを受け入れているようだ。自分から行動することはあまりないが、私や大きい直売所のことも拒絶しないでされるがままになっている。
直売所それぞれに個性があるようだ。
私は彼らに名前をつけることにした。一番大きいやつを『直』、真ん中を『売』、小さいやつを『所』と呼ぶことにする。直、売、所、揃って直売所。安直ながらわかりやすいネーミングだと自画自賛した。
私の一存で直売所を飼うことになったが、家族は特に反対しなかった。妻も娘もそれぞれ蛇や魚を飼っていて、私だけ何も飼育していなかった。ペットをうらやましいと思わなくもなかったが、命に対して責任を持つことに一歩踏み出せず、つまりは世話が面倒だったので動物を飼う気はなかった。それがふらりと散歩して帰ってきたら家族を増やしてきたものだから、二人とも驚いたことだろう。直・売・所の世話は私が一任することで納得してもらえた。
「別にいいけどわたしのアロワナに近寄らせないでね」
娘の水槽を泳ぐ大きな魚にかかれば直売所など一口で飲み込まれてしまうだろう。
ネットで調べてみると、直売所を飼育している人はそれなりにいるようだった。魚やは虫類のように温度管理に気を遣う必要はなく、哺乳類のような毛がないからグルーミングの必要もない。飼育難易度としては低いようだが、あまり飼うことを推奨していないようだ。それよりも食用としての情報の方が多く、調べるのがすっかり嫌になった。
数日もすれば直売所たちは我が家に慣れたようだ。トイレの場所をしつければすぐに覚え、餌の時間には私の足下に寄ってくる。小さく切ったキャベツやジャガイモ、ナス、トマト、畑で収穫できるものならなんでも食べるようだ。私の食事時に興味深そうに白身魚のフライの匂いを嗅ぎに来るが、すぐにふいと去って行く。魚や肉は食べないようだった。
しつければきちんと理解する。犬並みの知能があるのならば芸を仕込むこともできるのではないか? そう思って試してみる。
「お手」
すっと前柱が乗せられた。思った通り頭がいい。
「おかわり」
逆の前柱が乗る。
「ちんちん」
後柱で立ち上がる。が、売はバランスを崩してそのまま後ろに倒れてしまった。所は心配そうに近寄って起き上がらせようと体をこすりつけるが、直はからかうように周囲をくるくると走り回る。
直のイタズラにはほとほと困らされるもので、積んであった新聞紙の束を倒すわ、冷蔵庫の扉を勝手に開けるわ、妻の蛇のケージに体当たりするわ、傍若無人の振る舞いをする。多くのことは笑って流せる家族だが、蛇に手を出された妻は少し眉を上げていた。怒らせるのはまずいので、直にはきつく叱りつける。少しは大人しくなったかと思ったが、その分のやんちゃエネルギーは怒らない売に向くようになった。
売の分の餌を横取りする、寝てるところを踏みつける。ちょっかいをかけては、売に代わって怒る所に追い回される。怪我をしそうならば私が介入することもあるがその塩梅を理解しているようで、直は強く怒られないような加減をしてイタズラをしかけるのだった。ただ暴力的な性格なのだと思っていたが、どうやら構ってほしい寂しがり屋な性格でもあるようだった。
三つ、いや三匹の直売所が愛おしいと思うようになってきた。
直売所との生活も慣れてきた頃、悲しい事件が起こった。
時間のある晴れた朝は、直売所にハーネスを着けて三十分程度の散歩が日課になっていた。公園そばを流れる川沿いに歩くいて帰ってくるとちょうどいい時間になる。
すれ違う犬の散歩に吠えられると、所はビビって私の足にすがりつく。直は逆に威嚇を返す。売は我関せずといった様子で散歩を続ける。三者三様の様子を微笑ましく思いながら、短い時を楽しく過ごしていた。
だが、そんな私たちに黒い影が襲いかかった。
カラスが飛来し、直売所をついばんだ。まず狙われたのは体が小さい所。黒いくちばしが薄い屋根をくわえ、飛び立った。
一瞬の出来事で、何が起こったのかわからないままリードが私の手を離れていった。カラスは五十メートル先の地面に降り立つと、所を足で押さえつけてバラバラに分解してしまう。ざるや集金箱がでろんと飛び出し、木の柱はバキバキに折られ、トタンの屋根は穴だらけ。あっという間に無残な姿に変貌してしまった。
私は解体されていく所をただ呆然とみていることしかできなかった。そうしている間にもしなければならないことがあったというのに。
別のカラスが私たちのところへ飛んでくる。今度は動きが遅い売が狙われた。
慌てて大声を上げて手を振り回すが、なかなか離れようとしない。しつこく狙ってくるカラスに、なんと直が果敢に立ち向かっていった。普段から持て余しているエネルギーをここぞとばかりに解放し、体格に二倍もの差がある相手と渡り合う。くちばしが刺さりかぎ爪で引っかかれようとも、売を守るために決して引かない。
カラスが逃げた、と思った瞬間、先のカラスが入れ替わるように低く飛んでくる。別の方向からの襲撃に対応できず、直は捕まってしまった。
逃してなるものか、とリードを引っ張る。ボキリ、と嫌な感触と同時に、ハーネスを取り付けていた背中の壁が割れてしまった。分解し散らばっていく直を、カラスがついばんで飛んでいってしまった。そのままこちらに一瞥もくれず、空の彼方へ消えた。
時間にして二分にも満たない刹那。いつもと変わらない日に降って沸いた災難が通り過ぎた路上には、直と所の残骸だけが残った。
私はそれを震える手でかき集める。悲しみも怒りもなく、ただただ頭が真っ白になって何も考えられない。気持ちが追いつかない。さっきまで一緒に散歩していた直と所が、もう動かなくなった。その事実を認めたくなかった。
集めた残骸に目を落としていると、いつの間にか売が私の足にすり寄ってきていた。じわり、と目の奥が熱くなった。
その日は会社を休んだ。
悪夢のような日から数日が経った。起こってしまった現実はもうどうしようもないのだと心が受け入れてきた。
これまで直・売・所が使っていたベッド。今では売だけが使っている……わけではなかった。
なんと、売が出産したのだ。
まだショックから覚めやらぬ頃、突然売が横になったまま動かなくなった。直と所に続いて売まで失ってしまうのか、と激しく不安に駆られたが、数時間後に訳が判明した。直売所の赤ちゃんが生まれたのだ!
妊娠していたなんて全く気づかなかった。それどころか売が雌だったなんて知りもしなかった。
直売所のミニチュアのような直売所の、さらに小さな直売所が二十匹。母親の売を囲むようにしてベッドで眠っている。この子らは直か所のどちらかが父親なのか。愛らしい寝姿はどちらにも似ているように見えた。
しかし、合計で二十一匹もの直売所は飼育するには多い。飼育を推奨しない人が多かった理由がわかった。もらってくれる人を探すことも考えた方がいいだろうか。
誰かに譲る時は、直売所で販売しよう。
(了)