②
この生物には絶対に勝てない。
だが、負けると分かっていても戦うのが軍人である。
そう教え込まれてきた。
戦場において重要なのは個の勝利ではなく全体を勝利に導くこと。
レッドドラゴンは首を垂直に曲げおろし、急降下を始めた。
恐るべき速さに現実感が遠のいていく。
テレサちゃんたち二人は怯えることしかできない。
僕の命よりも大切なのは二人が無事であること。
『心 眼 開 放』
ガルボは己の魔力を爆発させた。
一生に一度。
命と引き換えに得ることのできる最大限のパワーとスピード。
武術とはパワーをコントロールする技術。
僕の体をオーラが纏う。
空気が一瞬にして変わる。
僕は全身の筋肉を活性化させ、一直線に向かっていった!
「ドラゴンじゃない! 後ろで隠れている、お前だ!!」
最高速でフードの男の顔面に、高火力のストレートがヒットした。
手ごたえあり!!
予想に反して肉感を感じる右手。
男の顔面は潰れて背後にのけぞった。
恐らく即死。
奴はもう立ち上がれない。
すぐに振り返りテレサちゃんの元へ駆け寄る。
テレサちゃんの大きな笑顔が僕の目に映る。
だがその笑顔は一瞬にして崩れ去った。
「だめ!!」
テレサちゃんが大声で叫んだとき、もうすでに手遅れだった。
僕の視界は左に傾いた。
周囲の景色がゆっくりと流れる。
「・・・・・・あれ?」
音が小さく? 視界が少しずつ狭く? テレサちゃんの表情が歪んでいく・・・・・・?
そんな顔は似合わないよ。
ほら笑った方がずっとかわいい。
左側に傾いた視界は緩やかに回転してゆく?
あ、わかった・・・・・・僕の首が・・・・・・飛んだんだ。
視界が黒く落ちていった。
まるでろうそくの火を吹き消したかのように。
視界が遮断される間際、最後に見えたのは取り乱し泣き叫ぶテレサだった。
この日、僕は死んでしまったのだ。
大切な恋人を残して。
_________________________________________
テレサの悲鳴を聞くこともなく、ガルボの意識は途切れた。
こんなに早く自身に死が訪れるなど誰が予想できようか。
あの場所は戦場ではなかった。
ただの学内。
安全地帯と言っていい場所。
それも、僕らはまだ学生の身分。
守られるべき存在。
僕は真っ暗な空間に意識を取り戻す。
あれからどのくらいの時間が経ったのか、はたまた直後なのか、それとも時間の概念などとうに無いのか、それすらも想像に過ぎない。
あのあとテレサちゃんはどうなった?
意識が途絶えて初めに思ったのは彼女のことである。
自分は死んだ。
それ自体は覆しようのない事実。
例えあの場所に戻ったとしても勝ち目はなかった。
だが、確かにあの時、フードの男の顔面に打撃を与えて殺した。
全力を放った。
奴が生きているはずは無い。
右手に残った手ごたえがそう伝えている。
あの場に居たのは僕とテレサちゃん、テレサちゃんの友達、フードの男、そしてレッドドラゴン。
僕はフードの男を攻撃後に死んだ。
誰かの攻撃を受けて死んだ。
誰だ?
僕を殺したのは誰だったんだ?
ドラゴンは空中に居たはず。
視界の片隅に捉えていた。
ともすればフードの男を殺し損ねたという事か?
一般的に召喚術においての術者の死は、術の解除を意味する。
それを考えれば、フードの男の生存によってレッドドラゴンもまた生存していることになる。
テレサちゃんたちが無事に逃げおおせたとは考えにくい。
「くそ!くそ!くそ!」
僕は叫んだがどこにも響くことはなかった。
当然だ、いまのガルボは意識のみ存在する”無”に過ぎないのだから。
どうしてこんなに僕は弱いんだ!!
好きな女の子一人を守ることもできずに何が軍人だ!
「・・・・・・死にたくない」
彼女を考えるたびに生への執着が湧いて出る。
だけれどそれでおしまい。
精神体の自分に一体何ができる?
首の切れた軟弱な肉体で何ができる?
無力だ。
僕はひたすら後悔の言葉と恨みを積もらせている。
「テレサちゃん・・・・・・どうか・・・・・・どうか無事でいてくれ。お願いだ魔神様。どうかテレサちゃんを救ってください!!」
神頼み。
それが僕に唯一できること。
要するにできることなど何も無いということ。
!!!!!!!!
突然辺りに閃光が走る。
いや閃光というよりは、山々を照らす朝日のような眩しさ。
毎日の朝練で浴びた暖かくも突き刺すような光。
眩しさは僕の無の世界を満たしていく。
空間は一瞬で本来の姿を現した。
・・・・・・そこは白い部屋だった。
部屋と表現していいのだろうか、ここは広すぎて壁も無い空間。
薄靄の掛かる幻想を思わせる。
しかし、今立っているのはキラキラとした結晶の混ざる白い床だった。
無機質だが人の手で作られた建築物。
立っている?
そう。
僕は失ったはずの全身を取り戻していた。
『あなたは死にました』
どこからか少女の声を聴いた。
声のする方に振り返る。
そこには少女が一人立っていた。
金色の髪、白い肌、大きな瞳、人族の娘か。
僕は初見でそう感じた、だが、女の子の頭上にある”輪”を見つけて思った。
人族じゃないな? 君はだれ?
『導く者、あの世とこの世を結ぶ者』
という事は、僕はやっぱり死んだんだね・・・・・・。
『あなたは死にました。黒の魔人によって』
え?
黒の魔人?あのフードの男は魔人だったのか。
異常な強さの謎はそれか。
『ガルボ。 あなたは死ぬ運命だった』
運命? 恋人を残して死ぬ運命だったって事かい? そんなのって・・・・・・。
『生まれた時から死ぬ運命』
やはり、この女の子、僕の心を読んで回答しているようだ。
死ぬために生まれてきたってことかい? そんなの酷すぎるじゃないか!
ガルボは質問を続けたが、本当に聞きたいことは聞けていなかった。
それはテレサの生存。
答えを聞くのが怖かった。
すべてが終わってしまう。そんな気がするから。
『テレサ。生きてる』
出し抜けに言われたその一言。
すべての不安と不満が消えた。
涙が溢れてくる。
拭おうとも間に合わない。
大粒のそれは床に染みを作っていた。
________________________________________
生きてる・・・・・・!テレサちゃんは生きてる・・・・・・!
でもどうやって?あの状況で生き残れるだなんて考えられない。
魔人とレッドドラゴンに太刀打ちできる魔族なんていない。
それもあんなに怯え切っていた二人が、戦って勝利したとは到底思えなかった。
『テレサとアスカ、弱い。だけど黒の魔人帰った』
帰った???
どういうことだ?
魔人の目的は僕を殺すことだったってこと?
そんな、まさか。
そんなのあり得ない。
だけどもし本当にそうだとしたら・・・・・・。
奴の、黒の魔人の目的は!?
『分からない。ガルボ殺しに来た。それは間違いない』
やはりそうか。
僕のせいで学内の罪のない犠牲者が・・・・・・。
セポイ教官・・・・・・。
黒の魔人は僕を殺した後、学校と周辺の土地を魔力で汚染した。
今は生き物の住めない土地になっているらしい。
魔人は帰る間際、目の前のテレサちゃんたち二人に忘却魔法をかけた。
そうして記憶を消し、転移魔法でどこかの大陸に適当に飛ばした。
適当にだ。
・・・・・・奴はなぜ僕を殺しに来たの?
『分からない。ただ、ガルボ特別。』
特別?よく分からないよ! たしかにこの状況は特別なのかもしれない! 君は何者なの?僕はこれからどうなるの?
混乱するガルボに対して目の前の少女は驚くべき言葉を投げかけるのだった。
『ガルボ。黒の魔人。倒せ』
倒せ??
無理だよ!!
あいつ異常だ!! ただの魔族が太刀打ちできるわけが無いんだ!!
それに僕はもう死んだ!
これはどうしようもない事実なんだ!
『元の世界、戻してやる。ガルボ戦う』
一度死んでいるのに生き返るだと?
そんな話聞いたことが無い。
だけれど生き返ったらテレサちゃんに会える!
そう考えると嬉しくなった。
しかし、この『導く者』という女の子は何者なのだろうか。
尋ねても教えてはくれなかった。
まるで”教えてはいけない”。そう強制されているかのような反応だった。
この女の子は何かに縛られている。
そんな雰囲気を僕は感じ取った。
女の子は、自身の使命をひた隠しにしている。
時折見せる悲しそうな表情。
何かを懇願するような表情がガルボの脳裏に焼き付いた。
『ガルボ。生き返るわけではない』
どういうこと?
『ガルボ、死霊として存在する。使命は魔王の復活』
魔王の復活?
魔王と言えば、かの英雄である魔王アルスが思い浮かぶ。
魔族のみならず人族や他の種族からも信頼された伝説の王。
白の勇者の襲撃。
アルス王の復活。
そのために僕ができる事?
『ガルボ。死霊として存命せよ。ただし、テレサを探すな』
え?それはどうして!?
テレサを探すな。それじゃあ生きてる意味が無いじゃないか。
僕は生き返って彼女のそばに居たい。彼女もそう望んでいるはずだ!!
『テレサ、変わった・・・・・・。ガルボ、見ても気が付かない。月日が変えた』
月日?僕が死んで月日が経ったのか。
それは一体どのくらいなのだろうか。
『厳密には分からない。ただ、魔族の感覚にして、約10年と言われる期間。』
10年。
それが僕が一瞬にして過ごした時間。
僕は10年後のテレサを想像した。
彼女は幸せになっているだろうか。
10年前の恋人が急に現れたところで・・・・・・彼女に何を期待しているのだろうか。
『テレサに伴侶がいたら? ガルボどうする気。 身勝手な感情』
きつくそう言い捨てると、導く者は暫く黙っていた。
ガルボは考えを巡らせていた。
自身に訪れた災厄、それに伴った死。
そして大切な恋人との別れ。
不条理なこの世界。
僕は一体何のために生まれたんだろう。
黒の魔人を倒せだと・・・・・・。
・・・・・・使命。
魔王復活の使命。
それを遂げた時僕はどうなるのだろうか。
導く者は黙っている。
・・・・・・どうすれば倒せるんだ?
導く者はガルボの瞳を覗き込んだ。
さっきとは異なる光がそこには宿っている。
今まで出会ってきた生物たちの覚悟の光。
生きようとする決心の輝き。
『特別な力、与える』
特別な力で魔王を復活させ、黒の魔人を倒せ。
そういう事らしい。
突然ガルボは白い光に包まれた。
そして、新たな力を受け現世に蘇るのであった。
与えられた能力は『心眼』。
心の音を聞く力。
ガルボは復活を遂げた。
それから長い年月が経った。
ガルボは魔王軍参謀へと成りあがることになる。
魔王復活と、黒の魔人の撲滅を心に誓って。
すべて終わった時、その時はテレサちゃん、
「君を探しにいくよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よーしーださんっ」
ミキの声が聞こえた。
僕は周囲を見渡したが誰の姿も無かった。
ここは僕の仕事場。
小さな部屋には机が一つ。
応接用のソファセットがあり、そのほかには何もない。
殺風景な部屋で唯一目を引くのが壁に掛けられた世界地図。
僕は一人でいるときそれを眺める。
遠くにいるはずの誰かに思いを馳せているように。
バン!!!
ドアが急に開かれた。
そこには手作りの大きなケーキを持ったミキの姿があった。
クッキーで作られたプレートに『お誕生日おめでとう』の文字。
甘い匂いが部屋に充満した。
ニコニコと輝く笑顔のミキの背後には幹部たち面々、そして居心地の悪そうな井上が立っていた。
せーの、
「芳田さん!誕生日おめでとう!!」
鼓膜が破れるか思うほどの大声。
ずかずかと踏み込んでくる仲間たち。
「あれー?芳田さんひょっとして甘い物苦手でした?」
甘い物・・・・・・。
僕は少しだけ涙ぐんで答えた。
「・・・・・・好きですよっ」
「うっわ!芳田、お前泣いてんじゃねえよ」
無神経な井上が笑う。
ソファセットに腰かけた面々は勝手にケーキを切り分けて騒ぎ始めたのだった。
みんなの笑顔を見ていると救われた気がした。
「ベリーもーらいっ」
まったく子供ばかりなんだから。
「ちょっと! 僕の分残しておいてくださいよ!」
導く者。
今の僕ならできそうです。
いや、彼らと一緒なら。
________________________________________
「ねーちゃん。 まだ着かないのかよ~。 オイラもう歩けない~」
深い森を抜け約一月が経った。
私たち4人はシベル共和国へ向けひたすら歩を進めている。
新しく仲間になったエルフの少年タオはとっても甘えん坊だけれど、低級な召喚獣を使役できるほどに成長していた。
「ヘルハウンド!!」
小枝を拾って地面に描いた魔法陣に、魔力を込めたその瞬間、黒いオオカミが飛び出してきた。
「な、なんやねん!! びっくりすんなー!」
「リールは乗せてやんないもんね~」
「ええわ! そないな乗りもん気持ち悪ーてかなわんわ」
タオは召喚したヘルハウンドに、ヘルッチというあだ名をつけてすっかり仲良くなったみたい。
そうしてヘルッチの背中に乗ってるから、すぐに遠くに行っちゃう。
「こらー! あんまり先に行っちゃダメよー!」
何度言っても聞かない。
でも、元気を取り戻してくれて本当に良かった。
リリアス師匠と約束した通り、私たちが面倒を見てあげなきゃね。
そんなことを思っているとサガンの視線に気が付いた。
「ホノカ、なんだか変わったな」
「え? どういう意味?」
「すっかりお姉ちゃんだ」
サガンも変わった。
すっかりタオのお兄ちゃんになったみたい。
あの『ヨルムンガンド』との戦闘後、私は意識を失っていた。
その間、私は記憶を少し取り戻したようだ。
思い出せたのは、私が『転生者』だっていう事。そして『聖女』だと呼ばれる存在だってこと。
それ以外の記憶はいまだに靄がかかって晴れないでいる。
私が前世で何をしていて何を見たのか、どうやって死んで転生されたのか。
そのことについて思い出せるのは、天使のような女の子の姿。
その悲しそうな表情。
それにもっと分からないのは『聖女』の意味。
リールはこう言った。
「聖女っちゅうのは、神聖な力を持った乙女のの事や。勇者みたいなもんで、歴史上でもたびたび世界が危険に晒されたときに現れるっちゅう存在のことやで。なんせ”神聖”やからな~。えらいべっぴんさんなんやろうな~。会ってみたいで~。」
自分がその『聖女』だなんて言い出しにくくなってしまった。
「ホノカ。もしかしてホノカは聖女なんじゃないのか。 回復魔法が得意。それに美人だ」
真顔で言うサガンに面食らってしまう。
「ちょ、ちょっと・・・・・・そんなハズないじゃない」
「あれー? 美人や言われて照れとるんかいなホノカ~」
「うるさいわね」
ロッドでリールの頭を小突く。
「痛っ! やっぱ違うで聖女やあらへん」
そんなことをしているとサガンが指を口に当て制止した。
「しっ! 何か聞こえる。」
耳を凝らした私たちは、遠くで響く何かの音に気が付いた。
・・・・・・・・・・・・・・・ドドドドドドドドドド
音が大きくなるにつれて地面がかすかに揺れ始めた。
「・・・・・・・・・・・・たすけてーーーー!」
私たち3人は顔を見合わせる。
「え?」
「タオ!?」
地響きと共に砂煙が舞って押し寄せてきた!!
と、その先頭に走っているのはヘルッチに乗ったタオの姿が!!
「追いかけられてるの!!?」
タオの後ろを走っているのは巨大なサソリの魔物『デススコーピオン』だった!
泣きべそをかいているタオ、息も切れ切れなヘルッチ。
サガンは槍を構えた。
「迎え撃つぞ!!」
「毒に気いつけや!」
私たちは臨戦態勢をとった。
サガンは体中に風を纏った。
「空中突き!!」
サガンは大きく上空に舞った。
続いてリールはサガンに向かって魔法を放つ。
「大攻撃強化!!」
二人のレベルは『ヨルムンガンド』との戦いより数段上がっていた。
私も負けていられない。
目を瞑って精霊に祈りを捧げる。
「大精霊の右手」
タオとヘルッチの体を白い光が包み込み、素早く移動させた。
私の近くに着地したタオとヘルッチは安心して倒れた。
「ねーちゃんありがとー」
「安心するのはまだ早いわ! タオ! 私の後ろに!」
タオは私の背中に抱き付いた。その拍子に胸をちゃっかり触っている。
タオのにやけた顔が浮かんだ。
あとで叱ってあげるわ。
「大防御!!」
私たちの前に、分厚く見えない壁がそびえ立った。
そんな壁を認識できずにいる『デススコーピオン』は激しく衝突した!!
ドゴぉぉぉぉぉぉぉンンン!!!!
あまりの衝撃に大気が揺れた。
見えない壁にぶつかった『デススコーピオン』は大ダメージを受けて混乱している。
「サガン! 今よ!!」
「ああ!!」
頭上から真っ逆さまに、頭部をサガンの攻撃が貫いた!
暫くうごめいた後、デススコーピオンは動かなくなった。
「いきなり心臓に悪いで~」
「タオ! あなた危なかったわよ!」
「オイラちびっちゃった」
私は『デススコーピオン』の巨体によじ登り、大きく開いた穴から中も覗いて言った。
「サガーン! 大丈夫?」
サガンはサソリの体内から這いつくばって出てきた。
どろどろの体液を身に纏って・・・・・・。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「精霊の水浴び」
精霊の力を借りた私の水魔法で、サガンの体えを洗ってあげる。
「俺の負担、でかくないか?」
「・・・・・・」
なにも言わない私たち。
わざとらしくリールは口笛を吹いていた。
いつもごめんね・・・・・・。ははは。
水浴びを終えたサガンは手に何かを持っていた。
「・・・・・・サソリの体内で偶然見つけたんだ」
それは赤い革製の鞄だった。
中には何も入っていない。
「襲われた人の遺留品かもしれないわね・・・・・・町まで持っていきましょう」
_______________________________________
デススコーピオンの襲撃から丸一日たった日の晩、私たちの眼前に夕闇に明るく光る都市が姿を現した。
この都市から北の領土は『シベル共和国』である。
私たちはようやくシベル共和国に踏み込んだのだ。
門番の衛兵はろくに私たちの顔を確認もせずに通してくれた。
平和な証拠だ。
この辺りは魔物も少なく盗賊もめったにいないらしい。
私たちが人殺しの逃亡犯だなんて思いもしないだろう。
久しぶりに触れる文明の温かみに安心感を覚えた。
私たちはまずは宿屋を探すことにした。
もう最後に水浴びをしたのはいつだっけ・・・・・・。
うら若き乙女にとっては地獄の日々であった。
町の名前は『シベリアリス』。
小さくこじんまりとしているが活気のある綺麗な町だ。
衛門をくぐると美味しそうな匂いのする屋台や露店が目に入った。
旅の途中の魔物料理も悪くなかったが、久しぶりにちゃんとした物が食べられると思うと、お腹が鳴った。
宿をとった私たちは夕食を探しに夜の町に繰り出した。
この町にも何軒かの酒場があるようだ。
小さなタオを連れていたためか、最初に寄った二軒の酒場からは入店を拒否されたが、三軒目で当たりを引く。
『パラサイ亭』というこのお店は、太ったオークの親父さんとその娘さんとで営業されていた。
「かわいい嬢ちゃんだね! うちの自慢は『鶏肉の香草焼き』と『葡萄酒』だよ!」
「かわいいですって! お上手ですわ、おじ様!」
「いーからねーちゃん早く注文しよーぜー」
「なんや~麦酒無いんかい麦酒~」
ちゃんとした食用の鶏肉なんて久しぶりだった。
私たちは脇目も振らずにがっついていく。
香草とスパイスの刺激が心地いい。
甘くて吞みやすい葡萄酒はどんどん進む。
最高!
生きてて良かった!
箍が外れたかのようにお酒を飲み続けた。
気持ちいい~
あーだめだ眠くなってゆく~
サガンの顔がぼやけて揺れていく。
「も~むり~ごちそうさ・・・・・・ま・・・・・・」
私の意識はそこで途絶えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ホノカの奴、寝てもうたな」
「無理もない。道中一番気を張っていたからな」
タオは店内の水槽に顔を付けて珍しい魚を眺めている。
すー。すー。
「寝息立ててはんな」
「そうだな」
「・・・・・・」
リールと目線がぶつかった。
何かを言いたげな顔だ。
「サガン。ホノカの事どう思っとんの?」
「どうって・・・・・・。」
「分かるで。サガン、ホノカの事が好きなんやろ?」
突然何を言い出してるんだ。
リールは面白そうに聞いてきた。
「隠しても無駄やで~お前の顔見てたら一目瞭然や」
指でわき腹をつつかれている。
「そりゃ、仲間としては信頼している」
好き?それがどんな感情なのか俺にはよくわからない。
「まあええわ。これからもじっくり楽しませてもらうで~」
何だか嬉しそうな顔をしている。
俺がホノカの事を好きだとして、どうしてリールが嬉しくなるんだ?
よく分からない。分からないことは考えても無駄だ。
俺はこいつらと冒険できるだけで楽しいんだ。
あれ?
楽しい?
俺はあの魔法使いに復讐するために旅をしているんじゃなかったのか?
旅の目的を見失っていた・・・・・・。
いや、俺が本当にしたいことは復讐なのか?
酒が入っているからな。判断が鈍っているんだ。
「さ、タオ!! そろそろお愛想や~帰るで~」
勘定を支払うとパーティの財布が一気に軽くなった。
「こりゃ、明日から頑張らなあかんな~」
「ホノカ、帰るぞ」肩を軽く揺らしてみた。
「・・・・・・」
「サガン。負ぶっていったれ」
ホノカの体はとても軽く、柑橘系の優しい匂いがした。
宿までの道中、乾いた風が心地よく吹いていた。
ホノカは転生者だ。
この世界とは違う世界から送られてきた。
それがどういう意味を持つのかはよく分からない。
だが、何か『使命』があって転生させられたと考えるのが普通だろう。
サガンはいつか夢の中で聞いた言葉を思い出していた。
『君と彼女は出会う運命にある。この世界とあの世界にとって二人は特別な存在なんだ』
その運命とやらの為にホノカが転生させられたのだとしたら・・・・・・。
その使命を終えたホノカはどうなる?
元の世界に戻ってしまうのか?
サガンは怖くなった。
この背中で静かに眠る少女を失いたくはない。
この感情は、多分、運命とは反対方向にあるのではないだろうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
「ふわぁぁぁ~」
カーテンから差し込む朝日によって目を覚ましたホノカは、昨晩の記憶をたどった。
どんなに考えても酒場のテーブルからの記憶がない。
でもここは宿屋のベッドの上。
「どうやって帰ったのかしら?」
「そんなことより・・・・・・お腹空いたわ」
熱めのシャワーを浴びながら丹念に歯を磨く。
宿屋のシャワーの剥がれかけた鏡を見て、ホノカははっとする。
「あ、私こんな顔だっけ・・・・・・」
そこには陶器のように白く美しい肌とアーモンド形の澄んだ瞳があった。
「鏡を見るのも久しぶり。冒険者ってみんなそうなのかしら」
鏡を見て思う。
幾度となく戦闘を繰り返してきた。
大きな怪我もなくここまで来れた。
それは私に回復魔法の適性があったことが大きい。
これも『聖女』の力という事なのだろうか。
以前のショートカットも今や胸まで伸びていた。
長い髪の毛は濡れて胸にへばり付いている。
胸元に視線を落とした時、ホノカは違和感に気が付いた。
「・・・・・・何? この模様」
小ぶりだがハリのある美しい二つの胸の、ちょうど谷間にそれはあった。
丸く複雑な模様がくっきりと肌に刻まれている。
「これってまさか・・・・・・魔法陣?」
ホノカが右手でそれに触れると、一瞬それは揺らいで光を放った。
________________________________________
「今、一瞬光ったような・・・・二日酔いかしら・・・」
この娘、聖女である。
「でもおかしいわ。 こんな痣(?)今まで無かったもの。いつの間に? もしかして昨晩、私が酔いつぶれているのを良いことに・・・・・・」
サガン達は有らぬ疑いをかけられていた。
「んん・・・・・・無抵抗の女子を相手に! 許せないわ!」
ホノカは蛇口を絞った。キュッという小気味良い音が響いた。
掛けてあったタオルで髪の毛を拭いてお団子に束ねると、バスローブのまま部屋を飛び出し、ズンズンと足音を立て隣の男子たちの部屋の前に立った。
木製のドアを激しく叩く。
ドンドンドン!
「ちょっと! 開けなさいよ!」
ガチャ。
安っぽい木の扉がやる気なく開くき、リールが半開きの目で迎えた。
「なんやねん朝っぱらから・・・・・・ておい! そんな恰好でうろうろすな!」
「あなた達! ちょっと入るわよ!」
大股で入った男子の部屋にはベッドが二つ。サガンとタオも目をこすっている。
「なんだよねーちゃ~ん。 まだ寝かせろよ~」
「どうしたホノカ。 そんなに騒いで、魔物か?」
「ここは町の中よ! 魔物なんていないわよ! それよりこれはどういう事よ!!」
ホノカはバスローブのの前を開いて胸の谷間を露わにさせた。
!!!
突然のホノカの行動に目を丸くさせる三人。
「うっひょ~・・・・・・て、なんやつるペタやないかい」
「誰がつるペタじゃ~!!」
ホノカの右フックがリールの顔面に炸裂した。
白目を剥いた情けない顔が床に落ちる。
「ホノカ隠せ!」
サガンはホノカを毛布で覆った。そして真っ赤になった自身の顔も覆っている。
「おっぱい! おっぱい!」
タオは小躍りを始める。
「違うの! ちゃんと見て!」
ホノカは胸の痣のようなものを強調して見せた。
両胸の先端はバスローブで隠れて見えない。
「こ、これは、魔法陣か?」
「え? あなたたちの仕業じゃないの?」
「なんで、わいらがそないな危険地帯に魔法陣描くねん」
「その魔法陣、もう少し詳しく見せてくれ!」
サガンはその魔法陣に顔を近づけて暫く観察している。
悪意のない表情だったが、次第にホノカはむず痒い感覚に襲われてきた。
「この魔法陣、どこかで・・・・・・」
あーでもない。こーでもない。
真剣なサガン。
むずむずと恥ずかしさが増してくる。
ちょっと、私、女の子なんですけど・・・・・・?
「このルーン文字・・・・・・それに複雑な構成・・・・・・」
あーだ、こーだ。
「ちょっと、触ってもいいか?」
真っ赤になったホノカは大きく右手を振りかぶった。
「いいわけないでしょ!!」
バチンっ!!
出血。鉄血。
回復術師のビンタは痛い。
鈍感系男子が一番悪いんやで!
リールが歓喜の声を上げている。
バスローブの裾がなびいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「タオ、分かるか?」
「よく分かんねーけど、複雑な魔法陣は強大な魔力を必要とするってじいちゃんが言ってたよ」
「強大な魔力・・・・・・ホノカが転生者なら、何らかの特殊な能力が有ってもおかしくはないはずだ」
「これがその特殊能力のトリガーみたいなもんっちゅうことか?」
「推測だがな。ホノカ、召喚術は使えるか?」
「やったことないわ。イメージのようなものが分かれば試してみたいけれど・・・・・・」
「召喚術は高等魔法やからな~。使えるやつはそうおらへんで」
「あ」
その時やっとサガン、リール、ホノカは気が付いた。
パーティに召喚術師が居ることを。
「タオ、魔力が切れそうになったらすぐにやめるんだぞ」
「わかってるって」
タオは、左掌をホノカの魔法陣に構え詠唱を始めた。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うなら応えよ!」
しーん。
「・・・・・・」
「なにも起きないわね」
「だな。魔法陣じゃないのか」
「うーん。ただの痣なのかもし」
そう言いかけた時、辺りが急に音を失った。
な、なんだ!?
まるで水を打ったように不自然に静まり返る。
そして私の胸元は鈍く光り始めた。
「な、なにこれ!?」
光はだんだんと強くなり、部屋いっぱいに広がった。
眩しすぎるそれに目を覆った矢先、だんだんと光は弱くなっていく。
四人はゆっくりと瞼を開けた。
サガンはすぐにホノカの元へ駆け寄った。
「なんともないか?」
「ええ。びっくりしたけど何ともないみたい・・・・・・」
「驚いたな。タオも平気か?」
返事をしないタオ。
「・・・・・・なあなあ、みんな」
緊張したタオの声が聞こえた。
「あれ、見てくれよ」
タオの指さす先にあったもの、それはこの部屋に元からあったものではない。
元からあったのならば、確実にそれは全員の興味を引くものであったからだ。
そうだ、それはさっきまでは存在しなかったものだ。
では、いつから存在しているか?
答えは察しの通り。
タオの詠唱後。
私の胸元から光が溢れた時からだ。
一つ訂正しよう。
それはものではない。
紛れもなくそれは生き物だった。
体長は、サガンを三人並べたほどに大きい。
青色の固そうな毛並みが光の具合によっては赤くも見える。
それは呼吸に合わせて静かに、そしてゆっくりと波打っていた。
とがった肩甲骨は後ろにせり出し、丸い胴体に器用に納まって見えた。
左後ろに向かって折りたたまれた首の先には、長い嘴とそれよりも長い二本の角を携えた頭部があった。
とても珍しい。
だが誰もがこの生物の名を知っている。
その種族名は『ドラゴン』という。
________________________________________
ここでの『ドラゴン』とは魔物、すなわち召喚獣の『ドラゴン』である。
一言に『ドラゴン』と言ってもこの世界には様々なドラゴンが生息する。
大空を翔るもの、地を這うもの、大海を泳ぐもの、死してなお蠢くもの。
目の前のそれは大きな翼を持っている。おそらくは飛行能力を携えた種だろう。
私たち四人は驚き、しばらくは圧倒されていた。
「ケツァルコアトル・・・・・・」
私の側でサガンが呟くのが聞こえた。
そのドラゴンは首を少し伸ばす。ちょうど猫が伸びをするように。
その様子からは不思議と恐怖心を得ない。
なぜだろう。
このドラゴンは私の一部。
恐がる必要なんて無い。
誰から言われたわけでもない。
なぜだかそんな気が・・・・・・。
私はドラゴンに歩み寄った。
「ちょ! 待ちーな! 危ないで!」
「ねーちゃん!」
リールとタオは怯えていた。
「大丈夫」
そう。大丈夫。この子は私の分身。
なぜだか私にはそう感じる。
サガンは黙っていた。
触れそうなほど手を伸ばした時、ドラゴンも同じように嘴をむけた。
私の指先と嘴の先端が触れた瞬間、ドラゴンの体は少しずつ小さくなってゆく。
それは筋肉の収縮活動を思わせる。同時に骨格、毛並み、鋭い嘴も次第に変形してゆく。
そして、ドラゴンは二本の細長い脚、くびれた腹囲と盛り上がり始め(?)た胸部、か細い腕、青く長い髪色という”正体”を現した。
顔つきは、まるで人族の女の子のよう。
大きく丸い金色の瞳は愛嬌を持っていた。
まだ10歳ほどにしか見えないそのドラゴン娘は
「我はケツァルコアトルのリンファじゃ。聖女ホノカ。お主の守護神であるぞ。」
そう細く高い声色で堂々と言い放った。
さっきまで大きなドラゴンの姿をしていたが、変化後は服を着ている。
それはどこかの民族衣装のようにも見える。
「どうしたホノカよ。 そんなにドラゴンが珍しいのか? お主の隣の男とそう変わらんじゃろ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「何も分からないの?」
「うむ。」
大きく頷く少女。
「話をまとるわ。リンファちゃんは私の守護神として魔法陣から召喚された。
大昔の竜族で、サガンの先祖にあたる。それ以外は分からない。」
リンファはひたすら頷いている。
「そうじゃ。サガンと言ったかの? ご先祖様じゃ。崇めるがよいぞ」
「・・・・・・」
「なんじゃ! 無視するで無いぞ! 噛み殺してくれるわ!」
リンファという少女はサガンの太い腕に嚙みついた。
「あむっ!」
「・・・・・・」
サガンにダメージはない。
「こいつホンマにドラゴンか?」
「なんじゃと一つ目小僧! 噛み砕いてくれる」
サガンから離れリールに飛び掛かった。
「はいはい! 終わり! 誰かれ構わず嚙みつかないの!」
ホノカが少女の首元を引っ張って止めた。
「むふー! 離せホノカ! 我は小僧を噛み砕かなければ気が済まんのじゃ!」
「なんや危ないやっちゃな~! 腹減っとんかいな?」
ぎゅるるるる・・・・・・。
「わ、我は、朝食を所望しておるぞ!」
私たちは食堂で朝食をとることにした。
宿屋の主人はリンファを見て不審に思ったようだが、何も聞いてはこなかった。
冒険者のパーティーは増えたり減ったりするもんだ。
そこまで気にしてもしょうがないと思っているのだろうか。
固いパンとスープ。それが私たちの朝食だった。
日持ちがしそうな固いパンは、味は有って無いようなものだがお腹は満たされた。
リンファはその固いパンをとても美味しそうに貪っている。
「なんじゃこのパンは! 美味なるぞ! 程よい歯応えに酵母の香り、美味じゃ! 美味じゃ!」
「こないなもんで満足できるんかいな。今までどんなもん食ってきたんや?」
「そうじゃのう。主に昆虫じゃ! 昆虫は香ばしくて美味じゃぞ! なかでも甲虫と呼ばれる奴らは格別じゃ! 食感、クリーミーさ、同時に押し寄せる塩味がまた堪らんのじゃ! もっともこのパンの美味しさには遠く及ばんがな!」
「リンファちゃん・・・・・・パンあげるからもう食べないでね・・・・・・」
「なんじゃ! ホノカは優しいの! 大好きになってしまいそうじゃ!」
「リンファ」
サガンが質問する。
「なんじゃ小童」
「さっきリンファが言っていた、『聖女ホノカ』っていうのはどういう事なんだ?」
「聞いての通りじゃ。ホノカは異世界からの転生者。ある使命を持った聖女じゃよ」
「ある使命?」
リンファは食べかけのパンを皿に置き話し始めた。
「立花ホノカ。それがホノカの前世での本当の名じゃ。お主は一度死んでおる」
「それは本当か!?」
「我が嘘を言うメリットがあるとでも?」
私は死んだ。
なぜだか驚きはしない。
以前にもこんな会話誰かとしたような・・・・・・。
「立花ホノカは生まれつき不思議な力を持っておった。『完全治癒』の能力じゃ。」
「『完全治癒』?」
「ホノカはあらゆる傷や病に対しての治癒能力がある。それも並大抵のレベルではない。じゃが、前世はとても平和じゃった。その能力が明るみに出ることはなかったんじゃ。
しかしじゃ。ある魔人によってホノカは命を狙われ、殺された。その者にとっての最大の障害になったからじゃ。」
「でも転生した」
「そうじゃ。それも魔人のいるこの世界に」
「この世界のどこかに、その魔人がいるっていうの!!?」
サガンはホノカの肩に触れた。その華奢な肩は震えていた。
「その魔人を殺すことこそが『聖女の使命』なのじゃ」
「・・・・・・」
ギリっ。
歯を食いしばる大きな音が響いた。
サガンが立ち上がる。
「リンファ! その魔人の特徴を教えてくれ!!」
その眼には燃えさかる炎が宿っている。
「恐ろしい魔力量を誇り、複数の悪魔を使役する元人族の魔人。名をグレイシード」
「グレイシード!!!!」
サガンの予感は的中する。
「ま、まさか!! サガンの里を襲った例の魔法使いかいな!?」
「そ、そんなことって・・・・・・!!」
記憶のないまま異世界への転生を果たした私、立花ホノカ。
故郷を滅ぼした魔法使いへの復讐に生きる竜族の生き残り、サガン。
いま、私たちの運命が繋がった。
________________________________________
「お主らの目的は初めから一つだったというわけじゃ。
その二人が偶然出会ったのか、はたまた出会いは必然だったのか、それは神のみぞ知るといったところかのう。我は神など崇めはしないがの」
「それじゃ、リンファちゃん。あなたはそれを私たちに伝えるためにここに召喚されたってことなのかしら」
「そうかもしれんの。だが、それだけじゃないのかもしれぬ。我も願っているのじゃ。奴の死をな」
「何らかの力、意思によって、リンファとホノカ、それから俺たちが出会うことになった。裏で糸を引いている者がいる。どうしてそいつは姿を現してはくれないんだろうか」
私たちは各々思考を巡らせた。それは、砂浜で小さな宝石を探すような、困難で当てもない作業に思えたのだった。
「考えても無駄だという事じゃ。我も、お主たちも誰かの手の上で踊らされているのかもしれんの。じゃが。力になろうぞ。我は守護神じゃ。聖女の目的は我のもの同然じゃからな!」
こうしてドラゴン娘がパーティーに加わった。
リンファちゃんはすぐに私たちと打ち解けた。
やはりこの出会いは必然ととらえるべきだろう。
リールに助けられ、サガンを助け、タオと出会った。
これも必然という名の運命なのかもしれない。
私たちはこれからの事を話し合った。
ここシベリアリスの町は『シベル共和国』領土であったが、王都への道のりはまだしばらくあった。
まずはこの町で装備や食料品を補給するのが当面の目標だった。
しかし、私たちにはお金がなかった。
「ギルドに登録しよう」
それは当初からの予定だったが、いざとなるとあまり気乗りしないのだった。
それは私たちに労働意欲が無いわけでも、戦闘能力に不安があるわけでもない。
ギルドと聞くとどうしても頭をよぎるのだ。あのアルガリアでの事件が。
しっぽ亭主人のトマさんが何者かに首をかみ切られて殺害された。
それを発端に因縁をつけてきた猫耳族の戦士を殺害してしまった事。
意図せずともリールの身体には強力なブーストが掛けられていた。
私たちは苦しんでいた。
自責の念に圧し潰されそうになる。
そしてそれを一番感じているのはリールだった。
なにはともあれ働かなくては生きてはいけない。
私たち五人はギルドロビーへ向かった。
シベリアリスのギルドには画期的なシステムがある。
『魔力クラスプレート』
そう呼ばれるそれは、対象の冒険者ランクを能力値で判断してくれるものだった。
構造は分からなかったけれど、プレートは魔族が長年魔力を込めて作った水晶を応用して作っているらしい。
平たいその石にまずはサガンが両手を置いた。
「準備はいいですか?」
ギルドロビーの女の子はそうサガンに聞くと、詠唱を始める。
プレートが光り、そこに適性な冒険者ランクが表示される構造となっている。
サガンはBランク。
単純な強さでのランクがこれにあたる。
想像以上の結果に私たちを始めロビーの女の子もどよめく。
近くで見学していた他の冒険者たちも驚いて注目した。
この旅の中で、私たちは知らないうちに強くなっていたんだ!
リールも同じくBランク。
タオはCランク。
リンファちゃんはというと・・・・・・なんとAランク!
これにはギルド中が湧いた。
「あの娘、何者なんだ!?」
「嘘だろ!? 何かの間違いだ!」
「いいや! あれがミスの表示をしただなんて聞いたことないぞ?」
「負けた。あんなに可愛らしい女の子に・・・・・・」
このあと、自信を無くし冒険者を辞めた者も増えたらしい・・・・・・。
まったく罪な少女である。
「はははーん!! どんなもんじゃ!! 我の強さがバレてしまったようじゃのう!」
高笑いしたリンファちゃんにギルド中が湧いた。
後で知ったのだけれど、あの清廉で可憐な見た目から、たくさんのファンがつくことになったようである。
「まあ、中身はドラゴンなんだけどね・・・・・・」
なんとなく最後になった私がプレートに手を置いた。
そのままロビーの女の子は詠唱する。
その瞬間、女の子の表情が完全に失われた。
そのあと次第に強張っていく表情は恐怖のそれになっていく。
プレートに示されたのは「Sランク」
もう一度言おう。「Sランク」だったのだ。
辺りは一瞬にして静まりかえったあと。
奇声と歓声が飛び交かった。
そう、冒険者の離脱が増えたのはリンファちゃんの影響ではなく、「S級冒険者・ホノカ」の仕業だったのである。
「待って!! ちょっと待って!! そんなのあり得ないってば!!」
私は何に対してか抗議を始めた。
だって守ってもらってばかりの私がSランク?冗談じゃないわ!!
Sランクと言えば、国賓として招かれたり、専属のお抱え魔術師としても働けるのだ。
目立ちたくも無いし、そんなランク消してください!
「残念ながらそれは出来かねます・・・・・・」
そう。
一度刻まれたランクは消せないのだ。
と言っても消す方法が無いわけではない。
その方法とはギルド登録の抹消である。
しかしながら一度抹消したものは登録しなおすことはできない。
よって、ここシベル共和国内のギルド登録ではSランクで登録されたのだった。
そこうしていつしか私は、Sランク冒険者『聖女ホノカ』と通称されることとなった。
誰が言い出したのか、言い得て妙というか勘が鋭い奴がいたものだ。
そう思っていたら、言いふらしていたのはリンファちゃんだったのだと判明した。
「さすが我らが聖女さまじゃ!! ははは!」
________________________________________
「パーティー名はどうなさいますか?」
パーティー名?もちろんそんなものは考えていなかった。
「そうやな~『Sランホノカと仲間たち』でどうや?」
「絶対ヤダ! ふざけないでよね!」
「ドラゴンズ」
「だっさ!!」
「深淵の爪」
「だっさ!!」
「不思議戦隊タオレンジャー」
「却下!!」
「ていうか付けないとダメなんですか?」
「そうですね。ダメだっていうわけじゃありませんが仕事の受注も一括で行えて便利ですし、評判も得やすいので皆さんつけてますよ」
皆やってるよ。そう言われると付けた方がいいような気がしてきた。
でもどうせ付けるなら親しみやすくてかっこいいのが・・・。
「ひとまず保留で・・・・・・」
それよりも仕事の受注である。
私がSランクになっている兼ね合いで、この国の最高ランクの依頼まで受注できるようになっているらしい。
だけれど、タオはCランクの冒険者。
無理に厳しい依頼に挑むのでは危険すぎると判断した私たちは、Cランクの依頼を中心にこなし、余裕があればBランクの依頼に手を出そうという計画に落ち着いた。
パーティーのリーダーはリール。
普段はふざけているけれど、年長で、なおかつ一番の常識人だという事で任命された。
依頼書の内容をサガンが熱心に一枚ずつ読んでいた。
先日、『デススコーピオン』の体内から発見された「赤い鞄」。
その持ち主の捜索依頼が出ていないか確認していたのだ。
そして私とサガンはⅭランクの一枚の依頼書に辿り着く。
依頼文はこうだ
『先日から町の外に出た妻が帰って来ない。
妻の名はキャシディ。Ⅽランクの冒険者だった。職業は戦士。
彼女はある魔物の討伐依頼を受注していた。その魔物は『砂モグラ』。難易度はさほど高くないはずだ。
しかし討伐の途中で何らかのアクシデントがあったのは確かだ。キャシディとパーティーを組んでいた二人(魔術師のロン、僧侶のデプト)は昨日遺体で見つかった。
危険だと分かっていても止めることができなかった自分を恥じている。
どうか、妻の遺品を少しでも持ち帰ってほしい。
当日の妻の服装は、皮の鎧の下に鎖帷子、鉄の剣、皮の鞄。(妻は赤色を好んで身に着けた)
依頼主:シベリアリス3番街ユイノ通り リスト防具工房 店主リスト 報酬10リル』
私たちは暫く黙り込んだ。
恐らくキャシディさんはもうすでに亡くなっている。
それはリストさんも認識しているようだ。
だけれど・・・・・・。
諦めともとれる希望も何も無いこの依頼文を、リストさんは一体どんな気持ちで書いたのだろうか?
キャシディさんのパーティは三人。
推測するに前衛は戦士職のキャシディさんただ一人。
砂モグラ狩に出掛けたところに、あの『デススコーピオン』から襲われた。
正直なところ、Cランクの冒険者が敵う相手では無いように思う。
不意を付かれ、逃走もままならなかったのだと推測される。
こと冒険者の死は珍しいことではない。
そして、命を落としても遺体が帰ってくること自体が稀である。
それを理解したうえで人々はパーティを組み、討伐に向かい、ダンジョンに潜る。
それを生き甲斐にする者もいれば、それが生活の為に必要な者もいる。
魔物を倒せば貴重な素材を得ることができる。
それを売れば金になる。
誰もが生き方に折り合いをつけているのだ。
自分の本当にやりたいことを仕事にできるわけではない。
少しでも向いていることをするべきなんだ。
私たちはユイノ通りのリスト防具工房へ向かった。
素朴だが立派な外観の防具屋さんだった。
店先にはよく手入れされた花壇がある。
そこには北部特有の美しい花たちが咲き、風に静かに揺れる。
ところどころ雑草が生え始めたそれを見て、私はとても苦しい気持ちになった。
店内にはいくつもの甲冑などの装備品が並ぶ。
暗くどんよりと重苦しい店内。
その時、店主のリストさんが明るい声と共に奥から顔を出した。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
赤い鞄と引き換えにリストさんからギルド証明書を受け取った。
証明書と引き換えに報酬を得るため、私たちはギルドに向かっていた。
「なんじゃホノカよ。元気がないではないか!」
「・・・・・・」
知らない人だとは言え、人の死に直面すると考えさせられることは色々とある。
「そっとしておいてやってくれ」
「オイラ、何だかじいちゃんに会いたくなったぞ・・・・・・」
「お主ら。何にも分かっておらぬな! キャシディは冒険者じゃ、戦士じゃ、己の死などとっくに覚悟しておったじゃろう。それなのになんじゃお主らは! くよくよしおって。この中の誰かが死んだ時はどうするつもりじゃ? 立ち直れぬぞ! その時は旅を辞めるのか?」
この中の誰かが死んだ時?
そんなの考えたことも無かった。
だけれど、いつも私たちの戦いはギリギリの連続だった。
そう。
いつ、誰が死んでいてもおかしくなかったのだ。
その覚悟はあったのか?
答えはノーだ。
私は死にたくないし、それ以上に誰も死なせたくはない。
『死』についてこんなに考えたことはなかった。
自分自身がすでに一度死んでいるのにだ。
一度殺されてこの世界に転生された私が、もう一度死んでしまったら?
私は一体どうなってしまうんだろうか。
ギルドのロビーで報酬の10リルを受け取った。
10リルでできる事といえば五人が2日間町に滞在することくらい。
命と引き換えに得た報酬ではないが、リストさんは妻を失った上に、遺留品との引き換えに10リル、いや冒険者ギルドのマージンを考慮するとそれ以上の対価を支払ったことになる。
殊更、『報酬』という代償の意味を考えずにはいられなかった。
こうしてこの世界は回っている。
しかし、こういった仕事が無くなれば冒険者は職を失うのだ。
冒険者にとって、いや、この世界にとっての最善とは何にあたるのだろう。
それは、やはり魔物と呼ばれる存在の殲滅以外に無いのだろう。
世界には常識では語れないほどの強大な力を持つ者が居る。
それでもこの世界は変わらない。
「トマさん・・・・・・キャシディさん・・・・・」
失われた命。
残された人たち。
『この世界から魔物を無くす』。
それはきっと誰にとっても不可能なことなのだ。
_________________________________________
シベリアリスの町に滞在してから数日が経ち、私たちはこの町に少しずつ馴染んできた。
カーテンから日が差し込む前に、眠っているみんなを起こさないようにサガンはトレーニングに向かった。
「もっと強くなってホノカ達を守るのが俺の役目だ」
そう言うと朝食の前まで走り込みに出掛けるのだった。
頼もしいのだが少し心配になる。
自分のランクがリンファちゃんや私よりも低いことで、無理に気負ってしまっているのかもしれない。
聖女である私。
復讐に燃えるサガン。
大丈夫。
サガンは強い。
私なんかよりもずっと。
「ホノカ! 待ちくたびれたぞ! 我を待たせるとは100年早いのだぞっ!」
ロビーへ降りるとリンファちゃんが不機嫌そうに言った。
今日はギルドの依頼はお休み。
リンファちゃんと二人で町の探索に向かう約束だった。
「罰として我に固いパンを馳走するのじゃ!」
「固いパンでいいんだ・・・・・・」
リンファちゃんの容姿は10歳前後の少女である。
実年齢は本人も把握していないらしいのだが、精神年齢も見た目通りであることから、恐らくは未成熟のドラゴンなのだろう。
リンファちゃんは私の胸にある魔法陣から召喚された。
しかし、一般的な召喚獣と違い、術が解除されることがない。
なので、もはやリンファちゃんが召喚獣だってことはみんな忘れているほどだった。
肝心の魔法陣も、私の胸から跡形もなく消え去っていた。
「どういうことなんだろう・・・・・・」
私は疑問に思っていたが、当のリンファちゃん本人は気にも留めていなかった。
「我はこの世界の食べ物が大好きじゃ! すべて味わうまで絶対に帰らんぞ!」
食べ盛りの妹が増えたようでとても嬉しい。
だけど心配事が一つあった。
それはリンファちゃんの人気である。
『Aランクの美少女がいる』
その噂は瞬く間に広まった。
可憐な容姿から彼女とお近づきになりたい男たちが後を絶たないのだ。
リンファちゃんがお年頃の女の子であるのならば何も言うまい。
だけど彼女はまだまだ子供なのだ!
ロリコンどもから守ってあげなければ!
私は意気込んでいた。
(ロリコン?なんで私そんな言葉知ってるんだろ・・・)
町の探索と言っても、衣料品店や、お菓子屋さん、演劇小屋など私たちの興味は娯楽にこそあった。
リンファちゃんの綺麗な青い髪によく似合う髪飾りを見つけた。
「それよりも、ジェラートとやらが食べたいんじゃ~」
そう言っていたけれど、私とお揃いだと言うと納得して身に着けてくれた。
「ホノカ! お主も似合っておるぞ! おそろじゃ!」
姉妹のようにお揃いの髪飾りを付けて肖像画屋に似顔絵を描いてもらった。
満足そうなリンファちゃんを見て私も満足だった。
そのあとも、ジェラートを食べて散歩をした。
「ホノカよ、我には一つ秘密があるのじゃ」
何やら自信ありげにはにかんでいる。
「秘密って?」
「そうかそうか、そんなに気になるか。これは二人だけの秘密じゃぞ!」
そう言うと私の袖を掴んで路地裏まで引っ張っていく。
「え?ちょっと、どうしたのー?」
人通りの無い路地裏に連れて来られた私。
「特別じゃからな。」
リンファちゃんはそう言って一瞬のうちにドラゴンの姿に変化した!
神話のドラゴン『ケツァルコアトル』の、どこか妖艶で美しい姿。
「わ!! こんなところ誰かに見られたらまずいわよ!?」
「大丈夫じゃ! さあ、早く乗れ!」
美しい毛並みの波打つ背中によじ登ってみると、リンファちゃんの血液の温もりと鼓動が全身に伝わった。
「しっかりと掴まっておくんじゃぞ!」
「え。飛ぶの!? 待って!」
私の懇願など耳にも留めず、翼を大きく開き力強く地面を蹴った。
砂埃を巻き上げてドラゴンが飛び立つ。
とてつもない風圧に、我慢ができずに瞳を閉じた。
振り落とされないようにしがみつくのがやっとだった。
暫くして風圧が落ち着いた頃合いを見て、私は瞳をゆっくりと開ける。
眼前にあるのは広い大空と眩い太陽、連なった白い山脈の頂き、限りない涸れた大地だった。
「どうじゃ? 圧巻じゃろう! これがお主の住む世界じゃ!」
「す、すごい・・・・・・」
あまりの壮麗さに私の語彙力は消え去った。
「この世界はこんなにも美しいのじゃ! ホノカよ。ここからでは誰一人見えぬじゃろう? お主が転生したこの世界には、見えないほど小さく数えきれないほどたくさんの者が住んでおるんじゃ」
そう。
私はこの世界のことをまだ知らない。
「使命じゃ? 復讐じゃ? そんなの辞めてしまえ! 悲しみや憎しみに囚われてはならんのじゃ!」
「その為にも私が、私が倒さなければ・・・・・・」
「見えぬ者の為に戦って何になるというのじゃ!」
「でもそれじゃ、被害は増える一方なんじゃないの?」
「ならばサガンはどうなる? あ奴はホノカが使命を全うすることを辞めたとしても、きっとやり遂げるぞ!」
あ、そうか。
私が頑張る必要は無いんだ。
誰かがやってくれるんだ。
心のずっと奥、私の根底を形成する部分に無理やりに張り付いていた何かが、いま剥がれ落ちる音がした。
運命だとか、使命だとか、そんな形の無い思想に私の精神は支配されていたのだ。
それを、この少女の背中は教えてくれたのだ。
「リンファちゃん。ありがとう。もう大丈夫!」
私は私という人物を少しだけ理解することができたのかもしれない。
「そうか! それならば」
「でも!」
私はリンファちゃんの言葉を遮るように続けた。
「私は、聖女よ!」
「仲間たちと、ともにあるわ!」
ふむ。結局はそうなるのじゃな。分かっておったぞ。
さすがは我の主。本当に強い。
だが、お主はお主の思うままに進まなければいけないのじゃよ。
リンファちゃんとの飛行は日が暮れるまで続いた。
「ちょっとリンファちゃん。おトイレ行きたいからそろそろ降りましょう・・・・・・」
「何を言っておる! そこからすれば良いではないか! 聖女の聖水じゃ~!」
「なにを馬鹿なこといってるのよーーーーーーーーーーーーー」
二人だけの秘密がもう一つ増えた。
________________________________________
「さあ、出発だ」
サガンが高らかに宣言した。
『シベリアリスの町』を離れ、私たち五人は王都を目指す。
準備万端。
これほどまでに充実した出発は今まで一度もなかった。
私たちはそれぞれ十分以上の装備を身に着けた。
これも冒険者ギルドのおかげだ。
初めは様子見でCランクの依頼をこなしてきたが、タオの戦闘力の成長が著しく、私たちのメインの依頼はBランクの討伐になった。
『デススコーピオン狩り』は特に報酬が高く、しかも討伐経験済みだったので攻略法も手の内。
まさに金の生る蠍だった。
初めこそ体液でドロドロにされていたハズレ役のサガンも、要領を得て急所突きの一撃必殺で討伐した。
その場に居合わせた旅の商人は、サガンを命の恩人だと称え、町中で吹聴して周った。
そこで付いた異名が『デススコーピオンキラー』。
『頭痛が痛い』ような何とも絶妙な異名だった。
「どうでもいい」
そう吐き捨てたサガンだったが、胸当てにはその異名が彫られていた。
どうやら内心は嬉しかったようだ。
Bランクの依頼で一番報酬が高かったのが『サンダーキャットの捕獲』である。
『サンダーキャット』は、黄色い毛並みと長く立った耳、大きな尻尾を持つ魔物だ。
その愛らしいルックスから貴族の間で絶大な人気を誇った。
頬の電気袋から高威力のライトニングを放ち、動きは肉眼で追えないほどに素早い。
広範囲の攻撃魔法で挑めばすぐに死んでしまうほど脆弱なため、通常ならば捕獲に大変な労力が必要だった。
通常ならばだ。
私たちは頭脳戦に切り替えた。
まずは目撃情報のあった巣の近くに張り込んだ。
星は時折姿を見せたが素早いうえに警戒心が旺盛。
そこで登場したのがタオの召喚獣『サンダーキャット』のチュウチュウである。
何とタオは『サンダーキャット』をも召喚することができたのだ。
チュウチュウが『サンダーキャット』の警戒心を解く。
それからあとは簡単だった。
私の「大防御」と「大精霊の右手」の合わせ技で挟み込んで捕獲。
リールの「睡眠魔法」で一網打尽。
こんな荒れ果てた地で暮らすよりは、貴族の御屋敷で可愛がられて欲しいものだ。
そして、なんとタオにも異名が付いていた。
その名も『サンダーキャットマスター』
数々のサンダーキャットをゲットした称号だとか・・・・・・。
そんなこんなで私たちのお財布は十分な潤いを享受したわけだ。
『シベル共和国王都』までは歩いて3日程。
リンファちゃんに乗っていけば1日で到着しちゃうんだろうけど、みんなを一度に乗せるのは無理だし、あ、飛べるのは秘密だったんだ。
道中は野宿を余儀なくされた。
快適な宿屋のベッドでの生活に甘え切っていた私たちは、久しぶりに味わう土の匂いや冷たさに神経をすり減らしていった。
本日の行程は順調に進み、今夜は偶然見つけた洞窟で休むことにした。
食事当番は私とリール。
本日の献立は「ホーリートードのスパイス煮込み」と「キラートレントのサラダ」だ。
さっき倒したばかりのホーリートードを丁寧に血抜きした後、皮を剥いでぶつ切りにする。
モモ肉以外は細かい骨が多く食べ辛いので、その辺の野犬にあげる。
ポイッ
モモ肉には塩と胡椒で下味をつけておく。
この際、スジに切り目を入れておくと火を通しても縮まりにくく、なおかつ柔らかくなる。
スパイスはシベリアリスの町で調達した渡来品。
熱した深めのフライパンに油とニンニク、玉ねぎを入れ色が付くまで炒める。
ホーリートードに焼き色がつくまでしっかり火を通し、四種類のスパイスと熟したトマトを入れ蓋をして暫く煮込む。
ちょっと味見。
「・・・・・・うん! 美味しい!」
「もう旨いで! 完成品を想像すると恐ろしくなるで!」
煮込んでいる間に、キラートレントの皮を剥ぎ芯の柔らかい部分を斜めにスライス。
この時期のキラートレントは葉が柔らかくそのままでもいける。
オリーブオイルと塩、少量のはちみつを掛ければサラダの出来上がり。
そうこうしてる間に、煮込んでいたホーリートードもいい塩梅になっていた。
トマトの水分で無水のスパイス煮込みの出来上がり!
最後に塩で味を調整して・・・・・・完璧ね!
荷物で簡易的なテーブルを作るとそこにシートを敷く。
皆のお皿に適量を取り分けて・・・・・・
「いただきます!!」
「ねーちゃん!カエル旨いぞ!」
「もー、カエルって言わないでよー」
「キラートレント食ったことある奴なんて聞いたことないで~」
「意外と食えるな。食感がいい。」
「サガン。その言い方なんかちょっとむかつくー」
「す、すまん。気を付ける」
「我の固いパンはどこじゃ~!」
笑い声と共に夜は更けていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
荒野を歩き続けた聖女ホノカ御一行はついに北の大国『シベル共和国』の中枢、『王都シベル』に到着した。
そびえ立つ高い城壁、そこからは無数の砲が顔を出し、城壁の周辺には堀がある。
堀の水はとても澄んでいて小魚が確認できる。
トラド山脈からの雪解け水がこの国を豊かにしているようだ。
シベルにはタオの祖父リリアスさんの友人である『大賢者アイリッシュ』が居るという。
大賢者様は大変変わった人物だそうだけれど・・・・・・。
衛門をくぐり王都に入った。
まずは宿屋探しね。
物価もよく分からないから慎重に。
私たちは町の冒険者ギルドで情報収集をすることにした。
驚くほどに立派な建物だった。
歴史的な建築様式で作られた由緒正しき建造物。
神話の登場人物を模したモニュメントが荘厳さを表現している。
重々しい扉を押して入ってみると、広く上質な空間があった。
都会的で小奇麗な佇まいの冒険者達が一斉にこちらに注目している。
対して私たちの服装ときたら防寒重視のくたびれた装い。
臭わないかな・・・・・・。
私は鼻をきかせてみた。
到着したばかりで薄汚れていた私たちは、さながら田舎の冒険者といった様子だ。
冒険者だけでなく、受付の女性たちも洗練されている。
お揃いの制服を身に纏い、統制されているかのような薄化粧。
その制服のスカートは短く胸元は大きく開いている。
きっとここのギルドの支部長かなんかの趣味嗜好を体現したのだろう。
そんな受付嬢に見惚れていたリールの肩に、1人の男の手が掛けられた。
その男の顔に見覚えはない。
しかし、私たちはその男の放つ只ならぬ迫力に足を止めざるを得なかった。
________________________________________
「え? ・・・あんた誰やねん?」
肩を掴まれたリールは男に向き直った。
どこかおかしい。
その男を見た時、誰もが少なからずそう感じた。
長身で細身。男性にしては少し長めの髪。色は落ち着いたブラウン。
少年のような冷たくも儚げな瞳。
その不可解な違和感を除けば目立った特徴こそ無い。
魔術師を思わせる白いローブを身に纏い、隙のない腰元には短剣が二本。
剣士なのか魔術師なのか。
ともすればその両方を操るのか。
いずれにせよ、こいつは危険だ・・・・・・!
「リール! 離れろ!!」
サガンが男の背後に素早く移動した。
「ああ!」
リールも後方に飛び跳ね間合いを保った。
じりじりとお互いの境界がひしめく。
男は身動ぎ一つせず、何かを探るように私たちの顔を一つずつ見ていた。
「ホノカ! こ奴、我より強いぞ!」
「ええ。私も感じるわ!」
タオは私の後ろに隠れていた。
最大限の警戒をしている私たちに対して、男が口を開いた。
「安心してください。争いに来たわけではありませんよ。」
男の声は見た目に反して低い。
「そんな不可解な魔力を纏って、安心しろだなんて無理な話だわ!」
男は微笑を浮かべた。
「へー、あなたが聖女・・・・・・」
どうしてそれを知っているの?
私たちの警戒の度合いは増した。
「面白いパーティですね。特にあなた。」
男はサガンを指差して核心を探るように呟く。
「グレイシード」
私たちは絶句した。
全員の頭の中に浮かぶのは『魔人グレイシード』。
私たちの敵。旅の目的。
サガンの因縁の相手。
男は暫くサガンの表情を眺めた。
何かを読み取っている。
そんな感覚を受ける。
いや、間違いなく、この男は何かを感じ取っているのだ。
「・・・・・・よくわかりました。どうやらあなた達と僕達は『同志』だというわけだ。こんな大陸くんだりまで出向いた甲斐がありましたよ。」
そう言った時から男の雰囲気が変化した。
柔らかく穏やかに。そして寂し気に。
「どういうことなの? あなたは誰? 同志って、まさか」
男は遮るように口を開く。
「聖女様。復活の時にあなたが現れるとは。これも運命なのでしょうか。僕の名前はヨシダ。以後お見知り置きを。」
男は踵を返すと出口へ向かって歩き出した。
「ま、待て!」
サガンは男の背中に手を伸ばした。
二人の距離は近く、直ぐに指先がローブの端を捕えようとした。
しかし伸ばした手は、空を切った。
まるで男をすり抜けたかのように。
(すり抜けた!?)
サガンは続けた。
「貴様! グレイシードの何を知っている!?」
「知りませんよ。何も。」
「嘘をつけ!!」
「・・・・・・嘘ではありません。何も知らない。いや、否定したいのですよ。奴の、存在をね」
そのときの男の顔色には、泣き出しそうなほどに不安定で、壊れそうなほどに繊細な何かがあった。
なんて辛そうな顔をしているの?
あの表情、見たことがあるわ。
ああ、そう。そうなのね。
サガン。
あの人は、あなたと同じなのよ。
「また会いましょう。聖女様。それと、竜族の生き残りの少年よ。」
ヨシダと名乗る男は人ごみに消えていった。
「くそ! あいつは何を知っていた!?」
「サガン、少し落ち着いてくれよー。 あの人、なんだか悪い奴じゃなさそうだったぞ?」
さっきまで怯えていたタオが言った。
「・・・同志。それって、グレイシードを殺すことが目的だってことかしら?」
「あ奴も何かを抱えているようじゃったな。」
「あいつに、触れなかったんだ」
「触れなかったって? 確かにあの時、サガンの手が届いていたはずだったわ」
「そうだ。あいつ、俺の腕をすり抜けたんだ」
「どうゆうことやねん? 実体がないっちゅうことか?」
確かにあの時、サガンの腕はヨシダに届いていた。
だけど何の抵抗もなくすり抜けたように見えた。
あれは見間違いではないはず。
「・・・・・・人ではないのかもしれぬな」
突如現れた特異な男の存在は、今後のサガンに大きな影響を与えることになる。
自身よりも遥かに強く得体のしれないものが、この世界には石ころのように転がっているのだ。
道端で魔王級の化け物に出会うことだってあるのかもしれない。
そして『グレイシード』。奴の生存を図らずとも確認することとなった。
私たちの目指すべき指針が、ずっと明確に現実味を帯びてくるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは王都の中心地から抜けたある路地裏。
黒いマントの男と妖精のように華やかな少女が石段に座っている。
「おっせーぞ芳田! どこまで便所行ってんだよ!」
「面白い物が見れましたよ」
「え? 面白いものってなあに?」
少女は大きな目を更に大きく見開く。
「そうですね。ミキちゃん。聖女って知ってますか?」
「聖女・・・ですか?」
耳元で囁くように話す。
「(ここだけの話、さっき聖女と話してきました。魔力量は井上さんといい勝負です。)」
「え!? そんな人間いるんですか? バケモノじゃないですか! ミキも聖女様に会ってみたかったなー」
「声が大きいですよ。ここは人族の国なんですから。」
ミキは両手で口を覆った。
「それよりもあの聖女、日本人に見えなくも無いんですよ」
どこから来たのだろうか。思考が読み辛かった。
「なにごちゃごちゃ行ってんだよ。ヨシダ、次はどっちだ?」
えっとルート上だと、
「次はいよいよ最後です。目的地、『軍事国家オルテジアン』」
「やっと目的地か。よーし! 一気に行くぞ! しっかり掴まれよ」
ヨシダとミキは井上の肩に手を置いた。
『転移魔法!!』
瞬間、三人の姿は音もなく消えた。
________________________________________
この国を一言で表すならば『激烈』。
一度この国に立ち入ると、最初に目に付くのは富国を謳ったスローガンの数々。
人々は皆一様に足元を見ながら早々と歩く。
聞こえる会話は金か経済の難しい単語ばかり。
至る所に武装した魔法兵が立ち、善良な市民さえ反乱因子であると決めつけるように、往来する人々をただ睨みつけている。
『物騒』であると言い換えても差し支えないだろう。
さすがは軍事国家と称するだけのことはある。
建築物は総じて防護壁の様に巨大かつ強靭だ。
国家の名は『軍事国家オルテジアン』という。
転生魔王の俺と、芳田、ミキの三人は転移魔法によりチート旅を行っていた。
今日も徒歩で10日、馬車でも丸2日はかかるであろう距離を俺の魔法は数秒に縮めてくれた。
そうして、魔大陸から遠く離れたオルテジアンまで旅行気分で来たわけだ。
俺がなぜこんな魔法が使えるかって?
答えは簡単だ。
それは俺が魔王の生まれ変わりだからだ。
初めは魔力をたくさん貯蔵しているだけの俺だったが、魔王軍のみんなのおかげでいろいろな使い方を学んだってわけだ。
それは攻撃魔法だけに留まらず、回復魔法や時空魔法、召喚術などありとあらゆる魔術の基礎を叩きこまれた。
基礎を知ってしまえば後は楽勝。
ちょっとだけ魔力の蛇口を捻るだけで俺の思い通りになる。
魔法って最高に便利だったんだな。
もう魔法の無い生活になんか戻れないっつうの。
日本に戻りたいか?
もちろん戻りたくはない。
この世界の文明レベルは中世ヨーロッパ並み。と言っても実際の衛生状態はすこぶる良好。
まるでゲームの世界だ。
どう良好に保っているかはよくわからんが。
まあ、魔法のある世界だ。
都合よくなんでもできてしまうんだろう。
だがほとんどの者は魔法は使えても、火を起こしたり少量の水を出したりという程度。
そして、魔力切れで倒れてしまう危険性があるから、簡単には使ったりしないみたいだ。
魔物の討伐などを生業にしている冒険者なんかは別としても、「身近で便利」ってわけにはいかないのが現実だ。
だからか道路が舗装されていなかったり、物が十分に流通していなかったりと、不便なことも多いな。
ア〇ゾンみたいなサービスを開発したら当たりそうだ。
いや、便利すぎて色んな混乱を招きそうだし手を出すのは止めておこう。
だけれどその分、現代社会の複雑さや不健康さは皆無。
むしろ空気は旨いし水は綺麗だし最高に居心地がいい。
そして何よりも、俺を必要としてくれている仲間がいる。
それだけで頑張れちゃう。
俺はつくづく馬鹿でお人好しだ。
だけどそれでいいんだ。
さてここからが本題だが、
この世界の国家には特別にお抱えの魔術師みたいな存在がいるみたいだ。
その理由はいくつかあるが、もっとも大きな理由の一つとして挙げられるのが「武力」としての運用だ。
かつてあった魔族と人族の争いのような大規模な戦争こそ最近は無いらしいが、近隣諸国との利権争いなどの大小様々ないざこざは絶えないのが現実である。
それらを牽制するのが、お抱えの魔術師たち『国家魔術師』である。
他にも教育、インフラの整備など活躍の場は多岐にわたる。
優秀な国家魔術師を抱えることが独立国家の一つのステータスだと言えるほどだ。
そう。
『グレイシード』がオルテジアン専属の国家魔術師なのだ。
「ここまで来たのはまあ良いとして、これからどうすれば俺たちはグレイシードに会えるんだ?」
「そうですね。いくつか方法はあります。」
芳田は左人差し指を一つ立てた。
「まず一つ、暴れる。」
「暴れる?」
「オルテジアンに入国したのであとは簡単。全員で思いっきり暴れればいつか絶対現れます。」
「確かに手っ取り早いんだけどよ、グレイシード本人が必ずしも現れるとは言えないだろ?」
「別の強い人が来ちゃうかもですね」
昼食後で眠たそうなミキが言う。
「みんなやっつければいいんですよ。」
「おい、お前そんな過激なやつだったか? 俺は嫌だね。関係の無い奴とは戦いたくはない。」
「ミキもヤダ。てか取り合えず寝たいです。」
「・・・・・・」
芳田は人差し指の次に中指を立てた。
「なるべく混乱を避けたいのであれば、潜入です。」
そう言うと芳田は一枚の紙切れを広げた。折り目のついたそれにはこう書かれている。
_____求ム! 国家魔術師
この国の為に働いてみませんか?
未経験でも高収入。実力が認められれば爵位も夢じゃない!
「・・・・・・」
めちゃくちゃ怪しい。
てか経済大国のくせにコピーライティングがショボすぎるな。
「奴がこの国家のお抱え魔術師だとしたならば恐らくは相当な地位に居るはず。外部の者が簡単に謁見できるとは思えません。なので前提として、僕たち三人が国家魔術士試験に合格しなければならないというわけです。」
「確かにこれが一番の近道かも知れねえな。」
「近付いて油断してる間にドンですね!」
「有り体に言えば、会えればOKてことです。」
「会うまでが試練ってわけだな。」
「そういうことですね」
採用試験は三日後。
俺たちは魔族であると言うことを隠しつつ試験に臨むこととなった。
試験内容は二つ。
一次試験は実技。ようは戦闘だ。ルールは単純明快。
一対一の逆トーナメント戦。武器や魔法の使用は全面的に認められているが、相手を死に至らしめた時点で負け。
一度でも勝利すれば一次試験合格となる。
負けた場合も次の試合で勝利すればいいわけだ。
戦闘に関しては俺たち三人に問題はないだろう。
芳田とミキは遊びで加盟した冒険者ギルドでSランクの評価をされている。
もちろん偽名を使い、芳田は女剣士、ミキはじいさん魔術師の変装をしてだ。
変装の必要性はさておき、ここでの名割れ顔割れは避けておきたいところだ。
一次試験は突破できたとして、問題なのは二次試験が「未公開」だということだ。
これが筆記試験だったらどうしよう。俺とミキは絶望的だろう。
「花のJKになに言ってるんですか!」
どこから来てるんだその自信は。日本の高校に通ってても何の役にも立たないんだよ!
まあ、その時は魔法でカンニングだ!
芳田の『心眼』で受験生の脳内覗き放題だぜ!
_________________________________________
______試験当日。
俺たちは、ここオルテジアン国立公園に居た。
俺たち以外にも沢山の受験者が居る。
見るからに魔術士って連中から、どう見ても肉弾戦向きの体格をしている輩、ロリッ娘や子供くらいの見た目の奴らもちらほら。魔族も何人か居たが、俺たちの姿を見た途端諦めの表情と共に去っていった。
哀れ、我が国民よ・・・・・・てかこいつらオルテジアンの魔術師になってどうするんだよ。ま、そこらへんは自由にさせてあげたいところなんだが。去る者は追わず来るものは拒まない。俺の性格上無理な強要はしたくないんでね・・・・・・。
しっかしほんとにすごい人だかりだ。
お祭りでもあってんのかと疑うくらい。
オルテジアンの市民からしたらお祭りみたいなもんなんだろう。あちらこちらに露店が構え、串焼き、砂糖菓子、それから鉄板焼き?などなど日本の夏祭りの様だな。
ビール(日本のとは少し違って濁っていて甘い)も売ってるから観戦しながら楽しめる。
そう、今日の一次試験は戦闘だ。
トーナメント形式で一戦勝利すればOK。
この国のレベルに合わせて少し魔力を制御するように。そう芳田からは釘を刺されている。
そんな事しなくてもいいのに。
俺はそれほど自分が強いという認識はない。
それに魔王軍の幹部連中と訓練で手合わせした時も、あいつらはそこそこ強かった。
『鉄壁のグランドラード』師匠はとにかく屈強そのもので、何度魔法をぶつけても魔力を込めた打撃を放っても柔らかい毛布のように吸収し、一度も表情を歪ませることはなかった。
グランドラードの攻撃も単純ではあったが破壊力は抜群で、普通の人間(魔族)ならば一撃で即死だろう。文字通りの化け物だ。
計り知れない体力値を持ち、こいつを倒すことなんて無理だろ!そう本気で思った。
何度もヒットさせた攻撃のダメージが少ないことに苛立ちを感じた俺は、「この一撃で決めてやる」と言って最大限の魔力を右腕に込めた。
周囲の観戦者はみな戦慄したらしい。
その時、グランドラードは降参していた。
後に聞いた話だが、俺から殴られ続けてずっと痛くて死にそうだった。最後の一撃で殺されるかと思った。と泣きそうな顔で漏らしていたらしい。
なんかごめんよ・・・・・・。
きっと真面目なあいつのことだ、俺の訓練のためにずっと恐怖と痛みに耐えていたんだろう。俺は上司失格だった。会社員時代に俺は一体何を学んできたのだろうか。
俺は恥ずかしくなった。
改めよう。俺はいい魔王になるぞ!
次に強かったのは『黄昏のサイエン』だ。
あの怪しい見た目に反して奴の戦いはさわやかだった。
というのもサイエンは風の魔神の加護を受けている。繰り出される攻撃はまさに「疾風」そのもの。素早さで言えば恐らく魔族一。
攻撃力こそは軽いものの、その俊敏さに翻弄され気が付いた時にはあたりに乱気流が発生していた。
それらはお互いにぶつかり合い至る所から斬撃のような疾風が飛び交った。
竜巻の壁に包まれた瞬間、光すら届かない空間が出来上がる。
そこからは外の音も声も温度も何もかも遮断される。
あるのは真っ暗な空間。
まるで精神の牢獄に囚われたような。
一つ牢獄と違うのは、全周から切りつけられるということ。ここはサイエンの手の中なのだ。
『黄昏の辻斬り』。
そう聞こえた時の魔力の膨張にはさすがの俺もまずいと感じた。
俺はまずこの風の壁を払おうと自分の魔力を体から爆発させた。
あっけなく風の壁は取っ払われた。
風が引いた跡には、目をアニメさながらにぐるぐると回したサイエンが倒れていた。
これも後で聞いた話だが、失礼の無いように全力で風の壁を作ったあと、張り切りすぎたサイエンは段々と自分の魔力が切れていくのを感じていた。最後の大技を放とうとした瞬間に、爆発的な魔王様の魔力に圧倒され失神してしまったのだとか・・・・・・。
こいつも意外とメンタル弱いんだな・・・・・・。
何だか親近感をおぼえる。
だが使い方によってはサイエンの力は驚異的だろう。
対象を風の壁に封じ込めてしまえば中からの攻撃はかき消されてしまうだろう。
それに壁の中から外の様子が分からないのは恐怖だと言える。
音も温度も光さえも遮断される空間は閉じ込められるのは、けっして楽しいものじゃなかった。
こうして部下の能力を把握することも大切だ。
リスクヘッジだと言えるだろう。
これらの幹部連中と戦ってきて気付いたことがあった。
それは自分の能力についてだ。
俺に、芳田の『心眼』や、ミキの『エナジードレイン』のような特殊な能力は無い。(ユニークスキルというらしいが)
だが一つだけ、みんなと、いや誰とも違う能力があった。
その名は『対精神性』。
これは俺の切り札だと言える能力だ。
恐らくこの能力の発端は先代魔王の性格に起因するところが大きい。
側近だったバズじいさんが教えてくれた。
魔王アルスは胃痛持ちだったとさ。
「アルス・・・・・・。あんたも苦労したんだな」
「井上さんっ! もうエントリー始まっちゃうよ!」
最近のミキときたら敬語すら使わなくなった。
こいつが俺のお世話係だってことはもはや誰も覚えちゃいない。
「いつかメイド服着させてやるからな!」
想像すると悪くない。いやむしろいい。
そのあとスイリエッタのメイド姿も想像した。
あいつなら喜んで着てくれそうだ。
「ダ、ダイ様・・・。恥ずかしいですわ・・・・・・」
うむ悪くないぞ。
帰るのが楽しみだ。
「井上さん・・・・・・。またいやらしいこと考えていますね・・・・・・」
「え! またミキでエッチなことを考えてたんですか!?」
「か、考えてねえよ!!(汗)」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
国立公園の中央には闘技場が作られていた。
石畳の闘技場の周りには円状に客席がある。
ざっと見積もっても10000人以上の観客が観戦できるよう、階段状に形作られていた。
その闘技場の正面に位置する観客席の上には貴族の特別観覧席があった。
そこから戦いの様子がよく見ることができ、なおかつ魔法兵に警護された安全地帯となっているようだ。
観客席に座りきれないほどの数の観戦者。
至る所で売り子が飲み物を捌いている。
今日だけは、堅苦しいこの国の雰囲気を忘れているかのように、市民は皆一様に騒ぎ楽しんでいるように見えた。
まさにお祭り騒ぎといったところだ。
俺もミキも何だか落ち着かず、芳田の目を盗んでは露店で食べ物を買って食べた。
ミキに至っては、この後に控えている戦闘のことなど忘れている様子で、存分にお祭りを楽しんでいる。
やっぱりJKだからな。楽しんでくれ。
だけど怪しい男には付いていくなよ!
ミキは何度もナンパされていた。
『静まりたまえ!!!』
魔力拡声装置の大音量が会場に響き渡った。
オルテジアン軍参謀長オルテガだ。
オルテガは人々を静まらせたあと、装置から身を引いた。
そして、特別観覧席の中央にある玉座から老人が一人立ち上がり、聴衆の面前に姿を現した。
オルテジアンの現国王である。
聴衆は静まり返っている。
『ゴホン。・・・・・・我がオルテジアンの市民よ。
新たな力を得る時だ。存分に楽しめ。すべては国家の為! ここに開幕を宣言する!』
口下手か。実に短いスピーチだった。
いや、スカートとスピーチは短い方がいい。
俺も見習おう。
聴衆は大歓声で迎えた。
________________________________________
ここ『シベル共和国王都』で、不可思議な男『ヨシダ』に遭遇した聖女ホノカたち一行は、ヨシダとの邂逅後『大賢者アイリッシュ』の居場所を探していた。
アイリッシュさんは人族の魔法使いだったが、なんと年齢は130才だという。
一体どんなご老人なのか、期待半分、不安半分、いや不安八割の私たちだった。
なにせリリアス師匠でさえも『少々変わった人物だ』と言っていたし、高齢の魔法使いに常識人が居るはずがない!
私はそんな風な偏見を持ってアイリッシュさんを探した。
やはり変人であるという評判は伊達ではなく、すぐにアイリッシュさんの情報は掴めた。
なんとアイリッシュさんは『国家魔術師』だったのだ。
シベル共和国の国家魔術師団、通称『シベル魔術団』。その団長こそがジャック・アイリッシュその人だったのだ。
ギルドの受付嬢はもう一つアイリッシュさんの情報を教えてくれた。
___約100年ほど前、この世界には凶悪な魔族の王アルスが君臨していた。
魔王アルスは、その強大な魔力を使い、世界中のありとあらゆる種族とその領土を我が物にしようとしていた。つまりは魔王アルスこそが悪の権化だったのだ。
そんな中、人族に光の勇者が生まれる。名をタリウス・オブライエンといった。
タリウスは不思議な能力を持つ。それはあらゆる闇を浄化する能力だった。
次第に彼のことを人々は勇者と崇めることとなる。
なぜそのような能力を持っていたのか、それの理由を知る者はいない。
しかし、それは何者かに与えらえたものだったという。
勇者タリウスとその一行は討伐隊を編成し、魔王軍に進軍。
見事、魔王アルスを討ち取ることに至ったのだ。
そして世界は平和を取り戻したというわけ。めでたしめでたし。
そのタリウスの故郷がここシベル共和国なのだった。
そして、なんとその勇者の仲間の一人が何を隠そうアイリッシュさんだというのだ。
受付嬢は鼻高々に語って見せた。
他にもアイリッシュさんは、この王都の冒険者ギルドの最高責任者だという。
受付嬢のやけに扇情的なユニホームは、どうやらアイリッシュさんのプロデュースのようだ。
なんか嫌な予感がしてきた。私はリンファちゃんの手をぎゅっと握る。
「おろろ?」
受付嬢の対応を見るにそれほど評判の悪い人物ではないようだった。
リリアス師匠のご友人だもの、いい人に決まっているわ! 私は私に言い聞かせた。
「ところで、アイリッシュさんにはどちらでお会いできるんですか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私とサガンの二人は、受付嬢から聞いた町はずれのお屋敷を目指し、日が翳る道を歩いていた。
他のみんなは先に宿で休んでもらうことにした。
リールはお子様二人のお守としてお留守番。
「オイラも変なじいさん見たかったぞー!」
「我はホノカと一心同体じゃ。いつでも呼ぶのじゃよ! ところでリール。その固いパンを我に寄越すのじゃ!」
騒がしい三人が居ないとどこか寂しかったりするのだけれど、こうしてサガンと二人で歩くのも久しぶりで何だか楽しい。
「パーティも賑やかになったな」
「そうね。始めは私とリールの二人だったのよ? サガンと初めて会った時のこと、今でも忘れられないわ」
私は思い出し笑いを浮かべていた。それこそそのの時は笑い事じゃなかったけれど。
「あの時、ホノカたちが居なかったら、俺は死んでいた」
「血だらけで倒れていたんだもの。驚いたわよ」
「あの時、俺は不思議な夢を見たんだ。ある魔物がグレイシードのことを教えてくれた。ずっとただの夢だと思っていた。だけど、ヨシダがその名を出したんだ。そこですべてが夢じゃなかったんだと知らされたんだ。ビッグバード。その魔物はそう名乗った」
「ビッグバード・・・・・・」
「どうした? ホノカ」
「私、その名前、知ってる・・・・・・」
「知ってる!? どこで聞いたんだ!? 思い出してくれ!!」
サガンは力任せにホノカの肩を揺らした。
「痛いわ・・・・・・ごめんなさい、思い出せない」
「そうか・・・・・・すまなかった」
私たちの間に暫くの沈黙が流れた。
その足は町の喧騒を抜け、大きな葉を付けた並木道へと歩みを進める。
その整備された並木道の前を数人の通行人とすれ違った。
子供の手を引く母親。
仕事帰りの男性。
学校帰りの男女。
私たちとすれ違うたびに、それぞれがそれぞれを意識せぬよう、干渉せぬよう絶妙な距離感を保って歩く。
私はなぜだか急に、サガンの手を握りたくなった。
そう思っていた時、サガンの固く骨ばった左手が、私の右手を優しく臆病に包み込んだ。
「えっ」
私は驚いた。驚いてサガンの左手を握り返した。
お互いがお互いの手を握り返す。強すぎず、優しすぎず。
心臓の音が大きく聞こえる。
激しく。
サガンは私の大切な人。
いつでも側に居てくれる。
握った手は温かい。
大切・・・・・・。
「あ・・・・・・」
私は私の記憶の綻びを見つけた。
お母さん、お父さん、ミキ。
サガンの顔を見上げた。
そこには照れた表情を隠すように前を向いている少年が居た。
「私、記憶が戻ったのかもしれない・・・・・・」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そこからは、洪水のように記憶の波が押し寄せてきた。
日本という島国で生まれ、父、母の二人に温かく育てられた。
何不自由なく大きくなり・・・・・・小学生の頃にある事件に巻き込まれた。
誘拐された私を救ってくれたのは『ビッグバード』。
サガンの夢に出てきた魔物だった。
幼い私は『ビッグバード』から「特別な存在」だと聞かされる。
その時は理解できなかった。
けれど、その事件の後、私には不思議な力が芽生えていた。
親友のミキにも話せない、人知を超えた回復能力。
今となっては分かる。それこそが聖女の力だったんだ!
そして17歳のある日、私はある男から殺された。
そして、天使ちゃん! あの可愛らしい天使ちゃんに使命を与えられ、転生した。
そう、グレイシードの抹殺! それが私の使命。
どうしてこんなに大切なことを忘れていたんだろうか!
私は本来の自分を取り戻した。
それは忘れ物を取りに来たのにも、探しものを見つけたのにも似ていない。
まったく新しい人生の始まりと呼べるような、そんな大袈裟な感情に似ていた。
「ミキ・・・・・・。あなたに会いたいよ・・・・・・」
_________________________________________
ジャック・アイリッシュのお屋敷は奇妙だった。
『シベル魔術団』団長にして、ギルドの最高責任者。そして国家魔術師。
数々の肩書をもち、かつては勇者と旅をしたアイリッシュさんの邸宅は何ともこじんまりとしていた。
小さな庭にはベンチが一つ、邸宅の入り口には季節の花が咲いている。
花壇や鉢植えはとてもよく手入れされているようだが、どこか不自然に感じる。
ここに咲いているのではなく、まるでここに咲かされているような。
何かが不自然。だけれどそれは説明できないほどには自然だった。
私とサガンは、その大して重くもなさそうな、ごく普通のドアをノックした。
コンコンッ
・・・・・・返事はない。
もう一度。
コンコンコンッ
・・・・・・ガチャリ。
やはり一般的な開放音をもって、その一般的なドアは開かれた。
そこには一人のメイドが立っていた。そのメイドは丁寧な姿勢で私たちを迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。わたくしは当お屋敷のメイド、ピノでございます。お二人のことはギルドの従業員から聞いておりますわ」
ピノと名乗る小柄で可愛らしいメイドは、軽く自己紹介をした後、私たち二人を室内に招いてくれた。
室内はとても整頓されていた。
それでいてなんとも庶民的。
窓は鳥がぶつかりそうなほどに美しく磨かれ、床にはチリ一つない。
適度に使い古された家具がこの部屋の人懐っこさを表現していた。
恐らくはメイドのピノさんが一人で手入れをしているのだろう。
そこはかとなくピノさんの趣味が反映されているような気がした。
主人はそれを良しとしている。
もしかすると主人とメイドは主従関係以上の繋がりを持っているのかもしれない。
少し羨ましくなったが、そんな邪推は振り払った。
短い廊下を歩いた先の部屋に通される。
応接室などはない様で、案内されたソファは普段から部屋の主人が使っているものだろう。
ソファに腰かけた私たちは、やはり居心地の悪い様子で運ばれた紅茶をいただいていた。
二杯目の紅茶を飲み干すくらいには時間が経った頃、玄関先を歩く音が室内まで聞こえてくる。
私たちもあんなに足音をさせていたのかしら。
そんなことを思っていた時、玄関のドアが勢いよく開かれた。
そしてそのまま大きな音を立てて閉まるドア。
そのドアの閉まる衝撃が窓をカタカタと揺らす。
ちょっと苦手かも・・・・・・私はそう思った。
自然と眉を顰める私。
隣のサガンは落ち着いた笑顔をしていた。
ピノさんと主人が何かを話している。
そしてズンズンと足音が近づいてくる。
私たちはソファの上で自然と姿勢を正した。
バンっ!
部屋のドアがやはり激しく開け放たれた。
勢いよく入ってきたのは、年齢にして30歳前後の男性だった。
「ようこそ! 俺がジャック・アイリッシュだ。 ジャックと呼んでくれ!」
豪快な言いぶりに面食らった私たち。
そして何より驚いたのはその若さだった。
「お初にお目にかかる。サガンだ! アイリッシュ卿。」
「ホ、ホノカと申します。突然訪ねて来て申し訳ありません。アイリッシュ卿」
アイリッシュさんの表情が曇る。
「・・・・・・ジャックだ!」
びくつく私。
「し、失礼しました、ジャックさん。私たち、リリアス師匠からジャックさんを訪ねるように言われてきたんです。」
「さんはいらないよ」
「で、でもいきなりの呼び捨ては・・・・・・」
「分かった! 今日のところはジャックさんで許してやろう。ところでリリアスの野郎はもう死んじまったのか?」
「・・・・・・はい。」
「そうかそうか。エルフのくせに情けねー奴だ。」
「リリアスさんは立派な方だった。」
サガンから怒りの念が漏れる。
「ああ、分かってるさそんなことは。俺とあいつは昔っからの腐れ縁でな。よく喧嘩もしたもんだ。意見が合わねー。性格が根本的に違いすぎるんだよ。」
それはなんとなく私にも想像できた。
穏やかで控え目なリリアス師匠。
横柄なジャックさん。
ジャックさんが二人の仲を「友人」ではなく「腐れ縁」だと表現したところに二人の信頼や関係性が垣間見える。
「お嬢ちゃん。あんた、転生者だな?」
えっ、どうしてそれを・・・
「あー、違ったか? 最近は見えづらくていけねえ」
見えづらい。まるで視力の話をしているかのような口ぶり。
「そうです。私は転生者。でもどうしてそれが分かったんですか?」
「やっぱりそうか。お嬢ちゃんからは転生者特有の魔力を感じるんだ。俺の知り合いににも一人居てな、いや、もう今は人じゃねえんだった」
「人じゃない・・・・・・。まさか」
「ああ、お嬢ちゃんたちが探している奴のことさ。驚いたかい?」
立ち上がるサガン。
「ジャックさん!! そいつのことをもっと詳しく教えてくれ!!」
「おい少年。落ち着けよ。今からたっぷり教えてあげるんだからよ。だがいいか、俺が知ってるのはあいつが人だった頃の話だ。それに、人じゃなくなっちまったあいつのことは、正直よくわからねえ」
人だった頃、そして人ではなくなった後、その間にはいったい何があるのだろうか。
ピノさんがグラスを運んで主人の前に置いた。グラスの中から強いお酒の匂いが漂った。
ジャックさんは礼も言わずにグラスを一気に空にした。
ピノさんは事もなげにグラスを下げ、奥から酒瓶を持ち込み一度酌をした。そして酒瓶をトレイに乗せたまま入り口に立っている。
「いいか、お嬢ちゃんたち。今から俺が語ることはこの世界と他の世界の真理に関することだ。にわかには信じがたいこともあるだろうが、理解しようってのがそもそも無理な話だと思っていい。それだけ不可解だし、胸糞悪い話も混じっている。それでも聞くかい?」
どんな話でも、受け止める構えはできていた。ここまで続けてきた旅の答え合わせでもするかのような気持ちになる。
「頼む、ジャックさん。俺の一族に関わることなんだ」
「少年。お前は竜族だな? そうか・・・・・・」
人には呼び捨てを強要するのくせに、自分は名前さえ呼んではくれない。
ジャックさんは再びグラスに口を付けると、大きく一度ため息をついた。
甘いお酒の匂いが漂って消えた。
「100年前、俺たちは若すぎた」
_________________________________________
「______今から100年ほど前。
駆け出しの冒険者だった俺は、ここシベルである男に出会った。
やけに真っすぐな目をした戦士だった。名前はタリウス・オブライエン。
貧弱なその男は、その体に似合わず尊大な正義感を持っていた。
タリウスの夢は「全種族の統一」。この世のすべての種族の平和だった。
突拍子のないその発言には誰もが後ろ指を差した。
俺だってそうさ。
尊大すぎる思想に自分の体力が付いてきてないんだからよ。
あいつはとにかく弱かった。
そこら辺の魔物にも殺されかけるくらいにな。
当時は今よりも魔物の数は多かったが、無理をしなければ死ぬほどじゃない。
だけどタリウスはいつも死にかけていた。
おそらくあいつは生き急いでたんだと思う。
早く強くなりたかったんだろうよ。
気が付いたら俺はタリウスと行動を共にしていた。
危なっかしいあいつを放ってはおけなかったのが大きな理由だ。
だがそれだけじゃない。
あいつのひたむきな姿勢にいつからか惹かれていったってのは事実だ。
俺とタリウス、それから女剣士のシェルビーの三人はパーティを組んだ。
俺たちは数々の討伐をこなし、段々と成長していった。
シベルの冒険者ギルドでは俺たちの名前を知らないやつはいなくなった。
いつの間にかタリウスに後ろ指を差すやつもいなくなった。
ここまではよかったんだ。
この後、俺たちはとんでもない過ちを犯してしまう。
あれはポイズンリザードを討伐するために『古代の祠』を訪れた時だった。
首尾よく討伐を終えた俺たちは、王都へ引き上げようと荷物をまとめていたんだ。
シェルビーがある物音に気が付いた。
音のする方には洞窟がある。
人一人入るのがやっとだって程の狭い洞窟だった。
その中から人の呻き声が聞こえるっていうんだ。
熱血漢のタリウスは、すぐにその洞窟の入り口を開いて中に這いずって侵入した。
洞窟の中は蒸し暑くじめじめとしていた。
少し進んだところでタリウスはある男を見つけた。それが、」
「グレイシード・・・・・・」
「ああ、その通りだ。やつは裸だった。それに衰弱しきっていた。すぐに王都に連れ帰って治療を施した。
二、三日眠った後、グレイシードは目を覚ました。そして言った。自分は転生者だと。」
グレイシードが私と同じ転生者・・・・・・。
元は私と同じ世界に生きていたってこと?
そして命を落としてこの異世界に転生した。
だとしたらその強さの理由も頷ける。
私がこの得体の知れない過大な能力を得たように、100年前の転生者も同じく、強大な能力を得て転生した可能性がある。
「グレイシードは一体どんな人物なんですか?」
「お嬢ちゃん。そんなことを今聞いてどうするんだい? いいやつだって言ったらやつの抹殺を辞めるのかい? 残忍なやつだと言ったら安心するのかい?」
「それは・・・・・・」
「いいかいお嬢ちゃん。俺はグレイシードの仲間だったんだ。少なからずあいつとの楽しい思い出だって俺の中には残っている。だけど今更、それを振りかざそうとは思わないさ。だってそれは無責任なことなんだから」
無責任。
ジャックさんが責任を感じているのと同じように、同じ転生者として、同じ世界を故郷に持つ者として、責任を感じずにはいられなかった。
サガンはひたすら黙って聞いている。
ジャックさんは話を続けた。
「自分が転生者であると明かしたグレイシードだったが、やつの体は不自由だった。転生前に失ったという両足は動くことはなかった。代わりにやつは不思議な能力を使った。『黒い黙示録』。それは精神破壊の能力だった。俺たちは徐々に、その攻撃に侵されていたんだ。まったく気が付くこともなく!」
悔しそうな表情を浮かべるジャックさんを私たちはただ見つめた。
「それから俺たちは、わけのわからない正義を掲げて戦い続けた。数々の憎しみを生み続けながらな!」
洗脳。
それは影のように迫ってくる。
そして当たり前のように寄り添ってくるのだ。
再び口を開いた時、ジャックさんは懇願していた。
「頼む! あいつを殺してくれ! 俺にはできなかった。俺には精神の呪縛がまだ残っている。だから!」
飄々としていたこの男の態度が変わった。
「あいつは今、軍事国家オルテジアンに居る。ここからだと馬で数週間はかかる。だが。」
だが?
「俺の力をすべて与える。お嬢ちゃん。あんたにはその器がある」
器。
これが聖女の宿命ならば、受けなければいけないのかもしれない。
天使ちゃんは使命だと言った。リンファちゃんは辞めてしまえと言った。ジャックさんは器だと言った。
サガンは・・・・・・。
「俺がやる!!!」
ジャックの口元が緩む。
私の周囲に心地よい風が流れた気がした。
「俺に力を与えろ!」
サガンは立ち上がって叫ぶように言った。
「聖女だ、器だ、勝手なことばかり言って、ホノカの気持ちはどうなる!? ホノカは一番の被害者だ!」
「ああ、それもそうだ。しかし驚いたぜ。そんな表情もできるんだな少年は」
そう言うとジャックさんはピノさんに目配せをした。
ピノさんは一旦奥に下がるとグラスをもう一つ持ってきた。
それをサガンの前に置くとニコッと微笑んでボトルからお酒を注いだ。
「少年よ。酒はいけるほうか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「これは儀式だ。伝承の儀と言えるだろう。俺はお前のグラスに注ぐ、お前は俺のグラスに注ぐ。それを交互に飲み干す。何の意味があるのかって? ルールを作ることに意味があるんだよ少年。お前はお嬢ちゃんの代わりになるんだよ。器じゃねえ分、せいぜい無理するんだな」
みるみる二人の顔色は紅潮していく。
私はピノさんのお手伝いをしていた。
「ピノさん。これ、一体何なんですか? ちょっと意味が分からなくなってきました・・・・・・」
「わたくしも分かりませんっ」
にこやかにそう答えるピノさん。
しどろもどろに話す二人を要約すると、ジャックさんの力をサガンが受け継ぐ。そうすると転移魔法が使える。
オルテジアンでグレイシードと対峙する。そういう展開を想定しているらしい。
バタン!
「だ、だいじょうぶ!?」
酩酊状態のサガンが倒れた。すかさずヒーリングを唱える。なんと酔っぱらいにヒーリングは有効なようだ。
「お! お嬢ちゃんやるじゃねえか~。ほらほらもっと飲め~!」
だめだこの人。
「お、俺は負けないぞ・・・・・・」
こいつもダメだった。
こんな事してほんとに伝承されるのだろうか。
まあいっか。
『俺がやる!!!』
さっきはかっこよかったし。
私をこうしていつも救ってくれる。
サガン。いつもありがとう。
二人の伝承の儀は朝方まで続いた。
まるで結婚の挨拶に来た若い二人を、不器用ながら祝福している父親の様だ。そう私は思った。
だが、そう思ったことは秘密である。
「サガン。頑張って!」
________________________________________
酒盛りが始まって数時間。
眠くなった私はピノさんのお部屋で先に休ませて貰うことになった。
ピノさんのベッドから見える町明かりを眺めながら、私はこれまでの旅のことを考えた。
前世でグレイシードから殺され現世に転生した私。
たくさんの出会いを経験し、そして仲間たちと共に今、グレイシードの尻尾を掴みそうになっているんだ。
大切な人もできた。
そして私は、前世の記憶に思いを馳せる。
お父さん、お母さん・・・・・・。
小学校六年生の時、私は反抗期を迎えていた。
お母さんの声が嫌いで、顔が嫌いで、話し方が大嫌いだった。
いつも面倒なことばかり言って、余計な事ばかりするお母さんが鬱陶しくてしょうがなかった。
友達と居る時に外で会うと無視をした。知らないおばさんだって。
ちゃんとわかってた。
がみがみと五月蠅いのは、立派な大人になってほしいからだってこと、本当は知っていたんだよ。
少し大きくなって、そんな時期を過ぎたけれど。
あの頃の私の酷かったこと全部、まだ謝ってもいなかった。
本当は大好きだったのに。
ごめんなさい。
お母さんより、お父さんより、先に死んじゃって、本当にごめんなさい。
私が居なくなった日、二人は一体どんな気持ちになったのかな。
悲しかったよね。辛かったよね。
でもね。
私はいま、ここで生きているよ。
二人の自慢の娘は、ここで精一杯生きているよ。
私は、大好きだった人たちの顔を1人ずつ思い浮かべた。
そしてその名前を呼んでみた。
お母さん。
お父さん。
おばあちゃん。
ミキちゃん。
会いたいよ。
結局私の頭に浮かんだ人は四人だけだった。
もう一生会う事のないその顔は一つづつ町明かりに溶けていった。
___翌朝。
「そうだお嬢ちゃん。あとで仲間を連れてきな。強くなりたいんだろう? 扉を開いてあげよう。なに、心配しなくても大丈夫だ。」
ジャックさんはこんなことを口走った。扉?それを開けば強くなる?
「さ、帰るわよ!」
未だソファに横になって動かないサガンを揺り動かす。
何とかサガンが立ち上がった時、太陽は既に真上に差し掛かっていた。
不思議とサガンの表情は晴れて見える。
そして同時に不思議な魔力の揺らめきを感じることができた。
どうやら伝承は成功したらしい。
サガンの力強い様子とは裏腹に、ジャックさんの生気は失われつつあった。
「お嬢ちゃん。俺はこのために研究を続けてきたんだぜ? この先燃え尽きようが野垂れ死のうが本望ってもんだ」
どっちにしても死ぬのは覚悟しているってことなのね。
ピノさんの表情だけは硬い。
「それに少年。伝承の途中で気づいちまったんだが、お前に俺の力を与えてやれるってのは冥利に尽きるってもんだ」
「どういうことだ? 初めは器じゃないって言っていたが」
「そうだ、お前は器じゃなかった。だが、お前の魂はどうやら器だったらしいぞ。まったく笑える話しだぜ」
魂なんて概念があったとして、体と魂に器としての違いがあるというのは、どういうことなのか、私たちには合点がいかない。
正真正銘、健康で誠実な体の持ち主であるサガンが器ではなく、魂が器だったとは、それ自体に納得のいかない出来事のように思われた。
「なんだ? お嬢ちゃんは細かいことを随分と気にしているようだが、少年の体が否定されるのがそんなに嫌なのかな?」
「そ、そうじゃありません! ただ魂が器って、なぜなんですか?」
ジャックさんは朝酒を引っかける。やや浮腫んだ顔に向かい酒を煽りながら、不誠実そうな声で話す。
「この少年も、お嬢ちゃんと同じように、転生者だってことさ」
私も、そしてサガンも声を失った。
「転生者ってのは、単にお嬢ちゃんの様に異世界からのお客さんだけじゃあないのさ。輪廻転生っていうのは本当にあるんだぜ? こいつだって誰かの生まれ変わりなのさ」
____生まれ変わり。
前世の記憶はなくても、一度母親の胎内に戻ったとしても、そこには前世の魂が宿っているという事なのか。
ジャックさんは続ける。
「少年。信じられねえかもしれねえが、お前の魂はそんじゃそこらの魂じゃない。大枚をはたいても買えない。迷宮に潜っても拾えない。人事を尽くしても与えられることはない。お前は英雄サガンの生まれ代わりだ」
風の谷の少年は、空の戦士『英雄サガン』の生まれ変わりだったのだ。
「お、俺が、俺が本当に空の戦士サガンの・・・・・・」
様々な感情が”サガンの心”を駆け巡っていた。
いや、あの日、自身の名前を捨て、自らを”サガンと名乗った少年の心を”である。
音もなく伝う温かい涙は、サガンの濁っていた心を洗い流すように、しばらくの間その流れを止めることはなかった。
人は心理に触れた時、わけも分からずに涙を流すものなのだ。
「泣きべそは辞めてくれ。酒がまずくなるといけねえからな。それよりも少年。お前の翼はどうして折りたたまれたままなんだ?」
「俺の翼は破れて使いもんにならない。空も飛べない。今は気にしていないが、これが使えればできたことも多かったはずだ」
ふー。
ジャックさんの短いため息が聞こえた。
「少年よ。いいから広げてみろ! お前の隣に居るのは誰だ?」
サガンと私の視線がぶつかる。そう、聖女である私と。
その瞬間思い立ったように服を脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょっと何してんのよ!」
「いいからホノカ見ててくれ!」
私は両手で目を覆う。
覆う。
ちょっぴり隙間を作って覆う。
隆々とした筋肉を見逃さないように、ちょっぴりの隙間から覗く。
いや、わざとじゃないの!不可抗力よ!だって急に脱ぎだすんだもん!しょうがないじゃないの!
私は私自身に言い訳をしていた。
そんなことよりいい体・・・・・・。
「ホノカ」
「はい!」
「目を開けてくれ」
・・・・・・私は、元から瞑っていなかった目を、さも今しがた開けたかの様に開いて見せた。
そこには彫像のように神々しく、完全体の雄大な翼が広がっていた。
「どうやらお嬢ちゃん。この少年に特別な触れ方をしたんじゃないのかい? まったく若いってことは素晴らしいじゃないか」
「そんなんじゃありませんからっ!」
顔を真っ赤にしていたのは私だけではなかった。
だけれど、私とサガンのふれあい?
昨日、手を握って歩いた時に、サガンの翼は元の形を取り戻したということなのね。
すごいじゃない。聖女の力。
手を繋いだだけでこんな奇跡的な能力が発生するだなんて、正直なところ未だに実感はない。だけれどこれが聖女の能力だっていうのなら、存分に使ってあげようじゃない。
それが私にできる精一杯のことなのだ。
_________________________________________
宿に戻った私たちに、リールたち三人は「待ちくたびれた」と口を揃えた。
「なんや、お泊りかいな~。隅に置けんなサ・ガ・ン」
「隅ってなんだ? サガンは置物なのか?」
「違うわよ! いろいろあって帰れなかったのよ!」
「そんなことより、我はお土産を待っておったぞ! ホノカ! 土産じゃ!」
いつもの調子に安心する。変な誤解は解くとして、私はジャックさんの指示通りみんなをアイリッシュ邸に連れていくことにした。
途中、お土産を買うときかないリンファちゃんに付き合って、お菓子とお酒を買っていくことにした。
しかし案の上、リンファちゃんとタオはお菓子を食べてしまう。
呆れた私は菓子折りをもう一つ購入するが、それもリンファちゃんとタオの悪ガキコンビに強奪されてしまった。
なんという質の悪さ。ゴブリンなんて目ではない。
途中、サガンと手を繋いだ道を通るとき、お互いは目をそらした。
大切な二人だけの思い出にちゃちゃを入れられては困る。
あれから私たちの間には少しだけよそよそしさが残っていた。
みんなと一緒の時はできるだけ自然でいよう。
そういう事なのかもしれない。
それなら私としても安心だ。
まだ、お付き合いをしているわけではないし、ただ手を繋いだってだけなんだ。
でも二人の時には、少しだけ甘えてみたかったりはするのだ・・・・・・。
そう思っていた私の表情がおかしかったのか、リールからはすぐにバレてしまった。
というか、いろいろと質問されたサガンが簡単に喋ってしまった。
この、鈍感系男子・・・・・バカ!
5人で歩いているとあっという間にアイリッシュ邸に到着した。
「意外と小さな家じゃな! 国家魔術師は儲からない職業なのか?」
家の中まで聞こえる大声で話すリンファちゃんに肝を冷やしつつ、ジャックさんを訪ねる。
「おいおい失礼な嬢ちゃんだな・・・・・・ほう」
出迎えたジャックさんはリンファちゃんの正体に気付いていた。そのあとタオに話しかける。
「リリアスの残した子供ってのはお前か?」
「じいちゃんはもう行っちゃったんだ」
「始めから行っちまってたよ。あいつはな・・・・・・」
彼は遠くを見つめる。
遠い日の青春を、若かりし頃の二人を思い出していたのかもしれない。
ジャックさんは百数十年の人生でたくさんの仲間と時間を共有し、そしてたくさんの別れを受け入れてきた。
人族の寿命よりもあまりに長すぎる彼の人生は、いま、終着点に近づいているのかもしれない。
「世間話をしている暇はねえ。早く入りな」
ジャックさんの部屋には訪問するのはこれで二回目だったが、前よりも明らかに違うところがある。
部屋の中心にあったソファは片づけられ、代わりに大きな魔法陣が飾りの様に描かれている。
どうやらこれが『転移魔法』の入り口のようだった。
「お嬢ちゃん。俺が言ったことを覚えているかい?」
「・・・・・・扉、のことですか?」
「そうだ。扉を開く。だが、それには強力な魔力を必要とするんだよ」
強力な・・・・・・魔力・・・・・・。
きっとジャックさんにはもうほとんど魔力は残されていない。
「本当ならよ。お前ら全員の『扉』を解放してからオルテジアンに送ってあげたかったんだが、いかんせん俺の魔力はほとんど残されちゃいねえ。失われた魔力がもう戻ってこないことも自分で承知しているつもりだ。もう十分魔力には世話になったしな、ここいらが潮時ってやつだ。いや、どっちかと言うと年貢の納め時だな」
ジャックさんは、お土産に渡したお酒をゆっくりと口に含む。
「一度しか言わねえ。よく聞け。今からお前ら5人は魔法陣の中で念じろ。なりたい自分を強く念じろ。余計なことは忘れてとにかく念じろ」
なりたい自分。グレイシードに対抗できる強い自分。私たちは強くなるのよ!
「魔法陣はオルテジアンに繋がっている。覚悟しろよ。お前らの『扉』と転移魔法の『扉』は同時に開く。すかさず飛び込め。取り残されたら帰って来れなくなるぞ」
大丈夫。私たちは叶えられる。きっと、きっとみんな一緒なら。
「さあ、早くしろ。俺はもう眠てえんだ。とっとと魔法陣から旅立っちまえ」
そう急かされ、そそくさと魔法陣の中に並び立つ。
・・・・・・なりたい自分。なりたい自分。
じわじわと冷たい魔力が足元から立ち上った。それは温度を上げていく。温かく、陽だまりの様に心地よい。
続けて詠唱が囁かれた。
『彷徨える旅人よ 幽玄なる守り人よ 狭間発ち 彼の地へと向わん』
集約された鋭い魔力が魔法陣の円形に従って丸く円を描き、光の柱が天を衝くほどの衝撃を持って放たれた。
私たちは、ただ動じずに自分自身をイメージし続ける。
そして、一瞬にして私たちは消え去った。
後に残ったのは何もない部屋だった。
足元の魔法陣は既に消え去りそうになっている。
「やれやれだぜ」
床にへたり込んだ俺は重くなった全身を愛おしく思った。
こんなに人の為に本気になれるとはな。疲れちまったぜ、まったくよ。
ピノが駆けて来て、俺の肩を支えた。
俺の重くなった体を支えることなどできるはずもなく、俺たち二人はその場に倒れ込んだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・泣くなピノ」
「だって、ご主人様・・・・・・」
「これが俺が望んだ最高の終わり方なんだぜ」
「分かっています。だけれど・・・・・・わたくし、あの二人が訪ねてきた時から覚悟しなきゃって思っていたのに・・・・・・」
「ああ。最後まで苦労かけちまったな。魔法使いなんてろくな死に方しないってな」
「そんなこと言わないでください・・・・・・わたくしがずっと一緒に居ますから」
俺はピノの小さな頭をなでる。
ピノは体を少し起こし、自分の豊満な胸に俺の顔をうずめた。
「ふふ。最高だぜ・・・・・・」
「ええ。死にたくなくなったって知りませんからね・・・・・・」
耳元でピノのか細い声が聞こえた。
ずっと聞いていられる。そう思わずにはいられなかった。
俺は、初めてピノと会った時のことを思い出した。
『ご紹介で参りました。ピノと申しますわ。どうぞよろしくお願い致します。』
『ご主人様。気安く触らないでくださいまし!』
『ご主人様。この制服、ちょっと過激じゃ・・・』
『ご主人様! またそんなところで寝ちゃってー。風邪ひいても知りませんよ!』
『ご主人様ー。ほら、星がよく見えますよ』
『ご主人様______』
「・・・・・・愛してるぜ。ピノ・・・・・・生まれた甲斐が、あったってもんよ・・・・・・」
偉大な大賢者は息を引き取った。
ロマンチックな言葉を残して。
粗暴な男の見事な最後だった。
ピノは冷たくなっていくご主人さまの顔を、ずっと抱きしめ続けた。
_________________________________________
大賢者ジャック・アイリッシュの転移魔法は、私たちを時空の狭間に瞬間移動させた。
左も右も、そして上下さえ不自由な状態で、恐ろしく驚異的な速度で移動する私たちは、絶叫する間もあたえられずただ流れに身を任せるのみとなっていた。
「わわわわわわ」
「うっぐぐぐぐうぐぐぐ」
言葉にならない呻きが周囲から聞こえる。
高速に移動しているというのに、私たちは付かず離れずの距離感を維持しながらぐるぐると時空の狭間を飛んで行く。
段々と目が慣れてくると、一瞬だけ眼下には街並みが見え、山々が見え、険しい谷が見え、そんな調子で瞬く間に景色は移り変わってゆく。
なるほど。
私たちは何かに防護され、包まれながら高速で空を飛んでいるんだ。
以前、リンファちゃんの背中に乗った時の速さよりもずっと早い。
これならばいくら広大なこの大陸でも瞬時に移動できるわけだ。
だけれど感覚的にはけっして気持ちのいい移動方法ではない。
一瞬で到着するのならまだしも、既に数十秒間の高速飛行を余儀なくされている。私はだんだんと気分が悪くなってきた。
「早く着いて・・・・・・うぐっ」
胃の奥の方から苦く熱いものがこみ上げるのを感じた。
それよりも・・・・・・。
私は大切なことに気が付くのだった。
「・・・・・・着地は・・・・・・どうすればいいの?」
この速度、そしてこの高さからの生身の着地がいかに危険か。そんなんことは考えなくても分かる。
そしてこの状況をジャックさんが想定していただろうということも。
「みんな!! 着地に合わせて魔法を地面に繰り出すんだ!!」
サガンが全員に叫ぶ。
そうそうこれが正攻法。でも私やタオにはそんな攻撃魔法は使えませんから!
・・・防御魔法で壁を作る?
いや無理でしょ!
あの丈夫なデススコーピオンでさえもぶつかって失神するほどの壁だ。それを作ったところで、私のか弱くて柔らかい体が耐えられるわけがない!
・・・じゃあどうする?
タオは・・・・・・あ! あの子、何か柔らかそうなクッション(スライム)召喚してる!!
サガンに助けてもらう?
いや。それだけはダメだ! 私はこれでも聖女なのよ? いつまでも男の子の世話になるなんて許されるはずが無いじゃない!
私は私の力で助かるのよ! うん!
そう意気込んではみたものの解決法は全くというほど浮かばない。
そうこうしているうちに大都市が眼前に迫ってきた!
まさかあの大都市がオルテジアン!?
ヤバい! 着いちゃうじゃない!
予想できる着地点はオルテジアンの付近の草原。緑が続く広い原っぱ。
着地まであと一瞬!
「もうどうにでもなれ!!」
私は出せる魔力のほとんどを大雑把に地面に放った!
すると______
静かなものだった。
地面に追突することもなく、攻撃魔法の衝撃を感じるわけでもなく、私たち5人は・・・・・・浮いていた。
ふわふわと、浮いていたのだ。
・・・・・・え?・・・・・・なにこれ? どんな状況なの?
「ホノカ、やるではないか! 我ら、宙に浮いておるぞ! 我は人の姿で浮くのは初めてじゃ!」
リンファちゃんが言う。
「おっかしいで~! さっきわいは強めの風魔法を地面に放ったはずやで。なんでかき消されとるんや?」
「そういえば俺の魔法も発動しなかった、いや、発動はしていたぞ」
「オイラのスライムもいきなり消えちゃったよ」
「まさか・・・・・・」
私以外の4人の視線が向けられる。
「これ、聖女の力かも。あはははは・・・・・・」
笑っているのは私だけだった。そんなに引かないで・・・・・・。
どうやら私の何らかの能力によって、みんなの魔法がかき消されたらしい。
そうリンファちゃんは言った。
「聖女様のお力じゃぞ。尊いんじゃ!」
自信気にリンファちゃんが話し出した。
「その秘密はホノカ特有のスキルにあるのじゃ! その名も『崇光の導き』。あらゆる魔術を無効化する能力じゃ!」
「だからオイラのスラリンも消えちゃったのか? 姉ちゃんすげえ!」
「『栄光の導き』? ジャックさんが言っていた勇者タリウスの能力のことじゃないのか?」
「サガンよ。そうじゃ。かつて魔王を追い詰めた能力じゃぞ。」
思考が、いや感情が付いていかない。
私はただがむしゃらに魔力を放っただけだ。つまりは無意識の産物と言っても差し支えない。これも聖女の能力だっていうの?
完全回復・・・。リンファちゃんの召喚・・・。そして魔法の無効化・・・。
万能すぎて具合が悪くなってきたわ。てか、さっきの移動酔いが_________
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「だ、大丈夫か?」
「い、いや、触らないでっ! 一人にさせてーーーー」
「なんじゃー、そんな小さなことを気にするな。嘔吐しただけではないか。ホノカ、それよりもこの前なんか我の背中のうえで」
「それは言わないでーーー!!!」
最悪だ。
皆の前で戻してしまうだなんて。
サガンにもはっきり見られた・・・・・・。
それなのにこの男は優しい。
ああ死にたい。
それにリンファちゃん。
背中の上で粗相をしちゃったこと。
それだけはどうか忘れてください・・・・・・。
とにかく私たちは到着したのだ。
ここが旅の終着点、『軍事国家オルテジアン』。
ジャックさんが言うところには、ここオルテジアンにグレイシードが住んでいる。
サガンの故郷を襲い、ジャックさんや勇者タリウスを洗脳した男。そして私を殺した男。
シベルのギルドで偶然出会った『ヨシダ』と名乗る男もグレイシードに因縁がある様子だった。
数々の憎しみを生み続ける怪物。グレイシードの目的は何なのだろうか。
その意図がなんにせよ、私たちに、いや私に課せられた使命はただ一つ。
私は、グレイシードを殺さなければならない。
町の中は物々しい。これが軍事国家か。
反り立つ防護壁に無数の砲迫が連なり、街角には武装した魔術兵が立つ。
人々は下ばかり眺めて歩いていた。
大きな道路には、道いっぱいの車幅を持つ武装車両が通り、轍を作り砂塵を上げた。
街の痛んだ壁には、富国を謳ったスローガンが来国者を威圧するように貼られている。
町の雰囲気に縮こまる私たちは、意識的に人通りの多い国立公園の方角に歩いた。
グレイシードに関する情報を収集するのだ。
餅は餅屋、情報は情報屋と相場は決まっている。
ジャックさんから紹介されていた情報屋のドアを叩いた。
情報屋によると、二日後に国立公園である一大イベントが開催される様だ。
______求ム! 国家魔術師
この国の為に働いてみませんか?
未経験でも高収入。実力が認められれば爵位も夢じゃない!
「・・・・・・」
めちゃくちゃ怪しい。
安っぽいコピーライティングが怪しさを際立たせていた。
_________________________________________
情報屋は更にこう続ける。
「お前さんたち、グレイシードに会おうってのは無理な注文だぜ」
「それはどうして?」
「グレイシード卿はこの国の王族の次に身分が高い人なんだぜ? おいそれと一介の冒険者が会えるわけがないだろ? だが、」
「だが?」
「この国家魔術師の採用試験に挑めば、お目にかかる機会くらいならあるかもなっ、ていう話だ」
「希望的観測ってわけね。だけど私たちはグレイシードに会わなくちゃいけない。それが例え僅少な可能性だとしても、試験に挑むしか方法はないってわけね」
「お姉ちゃんたち、なんでそんなにグレイシード卿に会いたいのかは聞かないでおくけどよ、あの人の命を狙う輩は日常茶飯事に出現するんだ。それを返り討ちにしちまってるていうんだから、グレイシード卿は相当な実力者だぜ? 毎年たくさんの暗殺者が吊るしあげられてるのを俺は見てきたが・・・・・・ありゃ酷いもんだぜ」
「・・・・・・」
私たちは黙り込んでいた。
私たちがやろうとしていることは暗殺なのだ。
綺麗ごとでは済まされない。どんな卑怯な手を使ってでもグレイシードを殺す。
それが正義。それが復讐。それが私たちの旅の目的。
____失敗。そのリスクは大きく、失敗は私たちの死を意味する。
私たちは戦争を仕掛けに来た。剣をふるうことができるのは斬られる覚悟がある者だけだ。
情報屋は更に続ける。
「なにもこの国で優秀なのはグレイシード卿だけってわけでもないんだぜ。部下の1人に人型のキメラが居るらしい。噂話の域を超えねえが、何でも武装魔法兵の100人分の能力を1人で持ってるって話だ。にわかには信じられねえ話だがよ」
おしゃべりな情報屋は予定の二倍の金額を請求してきた。
出し渋る私たちにこう話すのだった。
「グレイシード卿の弱点を知りたくはないかい?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宿に戻った私たちは作戦会議を開いた。
私たちに残された道は結局のところ一つだけ。
居場所も分からないグレイシードをおびき出すには潜入しかない。
そこで私とサガン、リンファちゃんの三人は『国家魔術師採用試験』にエントリーすることになった。
一次試験は『戦闘』。
戦闘向けのサガンとリンファちゃん。そして魔力量の膨大さから私が選ばれた。
対人戦は初めてだったけど、二日後の試験に向け私たち三人は特訓を始めた。
『グレイシードの弱点』。
情報屋の話が本当ならば、その準備も必要になるだろう。
あっという間に二日間は過ぎていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
_______試験当日。
試験会場であるここ国立公園の中央には闘技場が作られていた。
石畳の闘技場の周りには円状に客席がある。
ざっと見積もっても10000人以上の観客が観戦できそう。
その闘技場の正面に位置する観客席の上には貴族の特別観覧席がある。
観戦に便利なうえ、そこは魔法兵に警護された安全地帯となっているみたい。
観客席に座りきれないほどの数の観戦者。
至る所で屋台のおじさんや、飲み物の売り子の声が聞こえる。
緊張している私にサガンが飲み物を買ってきてくれた。
「ありがとう」
その飲み物を受け取って口を付けた。温かくて甘い。とても落ち着く。
『静まりたまえ!!!』
魔力拡声装置の大音量が会場に響き渡った。
オルテジアン軍参謀長オルテガだ。
オルテガは人々を静まらせたあと、装置から身を引いた。
そして、特別観覧席の中央にある玉座から老人が一人立ち上がり、聴衆の面前に姿を現した。
オルテジアンの現国王様が登壇した。
騒がしかった聴衆は水を打ったかのように静まり返った。
『ゴホン。・・・・・・我がオルテジアンの国民よ。
新たな力を得る時だ。存分に楽しめ。すべては国家の為! ここに開幕を宣言する!』
シンプルな挨拶に沸く聴衆。
国民はこのイベントを素直に楽しんでいるように見える。
なんとなく周囲を見渡してみると、ある違和感に気が付いた。
「サガン・・・・・」
「ホノカも気付いたか? いる。この場所にあいつが」
鋭い魔力の残り香を辿る。
それはシベルで出会った「ヨシダ」と名乗る男のそれに間違いなかった。
休憩所を抜け、案内所を過ぎたころ、私たちは追ってきた魔力と大きく性質の違うもう一つの魔力の存在を確認していた。
異質で禍々しく、強大で暴力的。
触れればただでは済まされない。とても危険な香り。
サガンの顔色が険しくなる。
だけれど私は他の違和感を感じずにはいられなかった。
魔力の周囲から感じられたのは、私の故郷、こことは違う世界、そう、『日本という島国』の匂いだったのだ。
この魔力の持ち主は、もしかすると私と同じ日本からの転生者かもしれない。
敵なのか、それとも味方なのか・・・・・・。
だけれどもっと気になったのは、その禍々しい魔力と「ヨシダ」が一緒にいるという事だった。
ヨシダは日本の匂いをもつ者と共にいる。
それにヨシダの目的はグレイシードの抹殺。
これにはどういう意味があるのだろう。
と、そのとき私はふと気が付いた。
何の疑問もなくとらえていた「ヨシダ」という名前。それは日本人特有の苗字『吉田』ではないか!
なんでこんなことに今まで気が付かなかったんだろうか!
だけれど無理はなかった。この世界に慣れ親しんでいた私に、今更日本人的な感覚や解釈は頭から抜け、無くなっていたのだから。
それにヨシダは、日本人の顔つきとは少し違った顔つきに見えたのだ。
そう、この世界にありふれているような顔つきだったのだから気付かなくたって無理はなかったのだ。
これ以上探るのは危険なんじゃないのか?
サガンと私は話し合ったが、ここで引き返すようじゃグレイシードに勝つことなどできないのではないだろうか。それにヨシダと一緒に居るのがグレイシード当人だという可能性も捨てきれないじゃないか。
グレイシードは転生者だったというジャックさんの言葉がよぎった。
大きな柱の裏。
そこから二つの大きな魔力が香る。
私とサガンの二人は恐る恐る様子を探ることにした。
柱との距離は約20メートル。魔術師の感覚では完全に射程範囲内。
まさにギリギリだった。
ヨシダの姿を見つけた。
やはりこの既視感はヨシダに対してのもので間違いなかったのだ。
そして、ヨシダの隣には30代後半くらいの男性が立っていた。
禍々しい魔力を滲ませたその男性は、硬そうな黒髪に無精ひげ。死んだ魚の目のような瞳をしている。
漆黒のマントを身に纏い、これまた漆黒で装飾のないロッドを持っている。
さながら魔王とでも形容できる男性。
気怠そうにしているその男性を、私は知っている。
「・・・・・・お父さん・・・?」
________________________________________
______9年前
俺には家族が居た。
妻は近所でも有名な美人だった。
俺よりも二つ上で名前は佳世子と言った。
当時でもすでに30歳を超えていた妻だったが、よく町ではナンパをされていた。
佳世子の事を学生だろうと声を掛けて来ていたのだ。俺を見ると舌打ちをして帰っていった。
性格もよく、俺には勿体ないと誰もが口を揃えて言った。俺もそう思った。
逆向きに脱ぎ散らかした洗濯物を黙って洗濯機に入れ、使い終わった食器を黙って下げ、お茶を出してくれる。そんなできた妻だった。
佳世子は22歳の時に娘を生んだ。
俺はまだ20歳だった。幸せの絶頂ってやつだ。
当時の俺はというと、高卒で入った会社での仕事に慣れてきた頃だった。
毎晩帰るのが楽しみだった。
美しい妻とかわいい娘が俺の全てだったんだ。
娘が三歳になってからは、妻もパートタイムで働くようになった。
娘は幼稚園に通うようになり、我が家は一層騒がしくなった。
それから俺も家事を覚えた。
二人の為にしてやれることが嬉しく感じられようになっていた。
娘も妻の美貌を受け継いでいた。
成長するにつれ、その美しさは増していき、近所での評判は芸能事務所にまで届いた。
突然スカウトマンが訪ねて来ることも珍しくなかった。
テレビの取材で取り上げられることもあった。地方局のバラエティー番組だ。
俺はいい気になっていた。
それが招く危険性なんか、考えたことが無かったんだ。
週末は近くの公園に出掛けた。
やはり娘はモテた。
同級生ぐらいの男子が、娘を気にかけながらボール遊びをしている。
それならばまだ良いのだが、中学生や高校生ぐらいの男子も、娘を見ると美少女だの将来が有望だのと話しているのが耳に入ってくる。
世の中には幼児性愛者もいると聞く。
だが、そんなことはまるで都市伝説かの様に思っていた。
娘が8歳の時、事件が起きた。
下校途中の娘が何者かに攫われたのだ。
ある夕方、妻から電話がかかってきた。
「あの子が居ないの!!」
慌てふためく佳世子。その様子は尋常じゃない。
俺は急いで家に帰った。道中、まるで生きた心地がしなかった。
妻もそうだっただろう。
一晩中、警察と探し回った。
かねてから、近所に不審者が出たという情報があったにはあった。だがどこか他所事の様にしか思っていなかった。
俺は自身の認識の甘さを恥じた。そしてあろうことか佳世子にあたり散らした。
佳世子も取り乱し、普段では決して言うことの無い汚い言葉を吐いたりした。
交番の警察官だけが冷静だった。俺たちを勇気づけてくれていたのだが、それすらも腹が立った。
俺は無力だった。さんざん騒ぎ立て周囲に当たり散らすだけの情けない男だった。
今でも思い出すだけで吐き気を催す。
娘は無事に保護された。
奇跡だと思った。
どこか最悪を想定していた俺は、胸をなでおろすどころか、虚脱感と自己喪失感に襲われた。
結局のところ俺には何もできなかったのだ。
泣きべそをかきつつも無傷の娘を見た途端、力強く抱きしめた。
そして妻と三人大泣きをした。
その晩、俺たちは三人で一緒の布団で寝た。
娘がそうしたがったからだ。
この事件は犯人の死と共に終結した。
犯人の死は他殺だった。それも全身の血が抜き取られるように無くなっていたのだ。
謎は深まるばかりだったが、現場になったあのアパートには犯人と娘しかいなかったのだ。
容疑者を上げるとすれば、娘になるのだろう。しかし8歳の少女が大人の血液をすべて丸々と抜き取るだなんて不可能だ。
もしそれができたとしたら吸血鬼の仕業か、呪いの魔術か、そんな非現実な推測は誰もが頭から捨て去った。
そして捜査は打ち切られたのだった。
俺たちは元の幸せな家族に戻った・・・・・・
いや、そうはいかなかった。
この事件をきっかけに佳世子は変わってしまった。
佳世子は俺のことを嫌うようになった。
それはきっと事件の最中、取り乱した俺の言葉や行動に不信感を抱いたからだろう。
それは俺の責任だ。
俺は挽回しようと、より一層家族の為に働いた。
今思えばそれがダメだったんだろう。
俺が仕事に出ている間、妻は何かに関する不安を高め続けた。
全身の血を抜かれた死体の謎も、得体の知れない恐怖として弱った佳世子に付きまとうこととなった。
美しく聡明な妻の姿はだんだんと失われていくのだった。
元々は他人同士。一度綻びた夫婦の溝は、とうとう埋まることはなかった。
俺たちは夫婦関係を解消した。
それから佳世子は娘と二人で暮らした。
俺は耐えられなくなった。
有ろうことか、二人から離れるために他県に移った。
同年代の男が一度は誰もが思うように、何もかも捨ててしまいたかったんだ。
それから9年間二人には一切会っていない。
______ところが。
運命とは無情なものだ。
今、目の前に立っているのは紛れもなく生き別れた娘の姿であった。
顔を見ればすぐにわかる。
お母さんそっくりに美しく成長している。
だが、再開の場所がここオルテジアンとは。
何がどうなっているんだ?
連れて来られたのは俺だけじゃなかったのか?
娘はじっと俺を見つめていた。
そのアーモンド形の美しい瞳は一体何を考え、何を思っているのだろうか。
俺は17歳の少女に、生き別れた娘に、話しかけるのが怖くなっていた。
けれど、娘が俺に言った言葉を俺は聞き逃さなかった。
『お父さん』
確かに娘はそう言った。9年間も放っておいた男に対してそう言ったのだ。
俺はこの9年間も、目の前の美しい彼女の父親だったのか・・・・・・。
自分の人生もろくにこなすことができなかった自分が、一人の少女の父親であり続けることができたのだろうか。
いや、それは驕りだ。
俺に父親を名乗る資格はない。
家族を繋ぎとめることができず、逃げるように消えた男がこの俺だ。
もう一生、俺は娘の人生に関わってはいけないのだ。
そうだ、人違いのふりをすればいいんだ。
こんなところで生き別れた父親に会う事なんてあるわけがないのだ。
ここは日本じゃないんだ。
そして、俺の体の半分は魔族のものだ。
俺は復讐の魔王なのだ。
そんな血塗られた運命に関わらせられるわけないだろ?
終わりだ。
俺は踵を返す。
そして一歩踏み込んだ。
その時、背中に衝撃が走る。
続いて新芽のような爽やかな香りが俺の背中を包んだ。
耳元で、せがむように甘えた声で
「お父さん!! お父さんだよね? 会いたかったよーーーー!」
17歳になった彼女は、大好きなお父さんの背中に抱き付いた。
場所もはばからずに泣き出す彼女。
俺は、9年間の距離をハグで一気に詰めてきた彼女に感謝した。
そして、こらえきれずに涙を流した。
そのあと俺は、涙を拭い彼女に向き直る。
そして、世界一美しい彼女の名を呼んだ。
「大きくなったな。帆乃佳!」
_________________________________________
それから俺と帆乃佳は、9年間の時間を埋めるように話した。
騒がしい控室のベンチに腰をかける。
目の前の娘は、信じられないほどに美しく成長していた。
だがこの世界の住民の美人の基準とは違うようで、誰も帆乃佳を特別な目線でみてはいないようだ。
安心すべきなのだろうか、だが少し納得がいかない気はする。
帆乃佳とその仲間は、芳田と顔見知りだったようだ。
聞いたところによるとシベルで一度会ってるらしい。
なんて世界は狭いんだろう。
俺はこの時以上にそう思ったことはない。
俺も一緒にシベルに行ったはずなんだが、なんで黙ってたんだ?
そういえば、聖女が何とかかんとか言ってたな・・・・・・
まさか、聖女って・・・・・・
帆乃佳の話によると、どうやら本当に帆乃佳が聖女なんだそうだ。
どうりで異常なまでの魔力を感じるわけだ。
親父が魔王で娘が聖女。
この世界の創造主は何を考えてるんだ?
センス無さすぎだろ!
しかしさっきからこの竜族のガキは何者だ?
「お父さん」なんて呼んできやがって。まさかこいつ帆乃佳のアレなのか!?
はにかむ帆乃佳を見て俺は全てを理解してしまった。
このガキは帆乃佳のアレなのだ・・・・・・
くそったれ!!
一瞬漏れ出した殺意を感じ取った人々が振り返った。
周りで二、三人倒れた。
竜族のガキは動じなかった。
少しは根性あるじゃねえか。
「・・・お父さんの事、怒って無いのか?」
俺はおずおずと探るようにそう聞いた。
「どうして怒らなきゃいけないの? 大人同士の話し合いでそうなったんでしょ? 私はまだ小さかったし、よくわからなかったんだ。だけど、ずっと寂しかった・・・・・・」
笑顔でそう答える娘を抱きしめたくなる。
だが、まだ聞きたいことはたくさんあるんだ。
帆乃佳はこの世界に転生してからの今までを話してくれた。
単眼族の小僧と出会い、竜族のガキを助けた。
エルフの子供や、ヨルムンガンドとの戦い。
色んな死や別れを経験してきたこと。
俺は黙って聞いていた。一生懸命に話す帆乃佳を見ていたかったんだ。
帆乃佳がこの世界に来たきっかけを俺が聞いたとき、どす黒い感情が俺の中に生まれた。
「私、殺されたんだ・・・・・・」
この美しい娘は、何者かに殺されていた。
日本で帆乃佳は殺されたのだ。
そ、そんな・・・・・・うそ・・・だろ?
という事は、帆乃佳はずっとこの世界に・・・・・・?
そうだ。その犯人の名前を俺たちは知っている。
グレイシード
殺してやる
「・・・・・・お父さん?」
それからのことはあまり覚えていない。
とにかく俺は暴れちまった。
どす黒く凶悪な魔力が暴走して、どうにも止めることができなくなっていたんだ。
俺は、特別観覧席に転移していた。
突然の男の出現にその場の全員が驚き顔をしかめた。
そこには王の他に参謀長オルテガ、そして魔法兵が8人居た。
一瞬で王と魔法兵の体力を燃やした。
オルテガを残し、全員が気絶する。
オルテガは果敢にも強力な火炎魔法を放ってきたが、俺には通用しない。
それは俺の肩にぶつかった後、煙になって散った。
単純な話だ。
俺とお前とじゃ、レベルが違いすぎるんだよ。
続けて大剣を振りかざしてきた。
俺は寸前でそれを躱す。寸前であればあるほど、相手は力量の差を思い知る。
「お、おい待ってくれ! 何が目的だ!? 貴様どこから入ってきた!?」
「質問は一つにしてくれよ。俺は頭にきてるんだ」
慌てたオルテガは泣き出しそうな表情で言った。
「分かった! 金なら用意する! 命だけは助けてくれ!」
「グレイシードはどこだ・・・・・・」
「い、いまなんて?」
「グレイシードを出せって言ってるんだよ!!」
自分でもこんな大声が出るのかと、心底驚く。
ひいっ
そう情けない声を上げると、オルテガは塔を指さして言った。
「ぐ、グレイシードはあの研究所におられるぅ!」
何ともおかしな言葉使いだったが伝わればそんなことはどうでもいい。
やつがいればどうだっていい。
「そうか」
俺は塔の先端まで転移する。
オルテガは腰を抜かして動けないでいた。
1キロメートルほどの距離を一瞬のうちに移動した。
俺は研究所と思わしき、塔を持った建築物のてっぺんに立った。
そして背中から羽を生やし、わざとらしく飛んでみた。いよいよ俺もバケモノじみてきたか。
羽目は鳥のそれだった。
イメージしやすいカラスの羽だ。
その羽を使って飛行している。ホバリングをしているヘリコプターのように。
外側から見た建物の中にはいくつもの大きな魔力を持つ個体が居る。
そのなかのどれかがグレイシードなんだろうが、俺には判別できない。
俺は考えるのをやめた。
そうだ。すべて壊せばいい。
最初に、この反り立った塔を爆風で破壊した。
衝撃波が周辺に広がり、民家の洗濯物を吹き飛ばす。
その衝撃に、市民が俺を認知した。
指を差す者、怯えふためく者、逃げまどう者。
一気にこの町は混乱した。
倒壊していく研究所。あたりに粉塵が立ち込めた。
何者かの叫び声が聞こえる。
まあ、大丈夫だろう。
こいつらも魔術師だ。簡単には死なないだろう。それに禁忌をおかしてキメラを製造してるんだろ?
やはりいくつかの魔力は消えない。少しだけ安心する。
次の瞬間、倒壊した建物の粉塵の中から一筋の光が俺の胸元を差した。いや、刺したのだ。
俺の心臓のすぐ横を貫通したその光は驚異的な殺傷力を秘めている。
俺は驚き、動揺で羽を消してしまった。羽を失った俺は真っ逆さまに落ちていく。さながら殺虫灯にぶつかった蛾のように。
がれきの山に墜落したとき、目の前に光を放った魔術師の姿があった。
それは魔術師と言うには少し奇妙だと思った。
人の顔をしているがその肌には鱗があり、両手の爪は驚異的に長い。
大きな翼を違和感なく持ち、尻尾はふさふさと長い。
獣というより、悪魔と人との混血を思わせる。
それが自然発生的な存在ではないことを俺は知っていた。
こいつがキメラか。
軍事的に考案されたオルテジアンの武力の要。
そいつはじっと俺を見ていた。
俺は魔力ですぐに傷口を塞ぐ。
すでに俺には、魔力でほとんどの事が出きるようになっていた。
治癒魔法は苦手だが、傷を塞いで保護しておけば自然と良くなっていく。
血流が関係しているのかもしれない。
すぐに立ち上がった俺をそいつは不思議そうに見ている。
まるで観察しているようだと思った。
________________________________________
無傷の俺を不思議に思ったのか、目の前のそいつが口を開いた。
「お前が魔王か・・・・・・」
落ち着いているとも、達観しているとも取れる口ぶりだった。
「口も聞けるのか。驚いたぜ」
「魔王がなぜここに」
それが疑問符なのか感嘆符なのか、やはり疑問符か。
「えらく棒読みだな。そんなんじゃ会話にならねーぜ」
「会話。必要ない」
「必要かどうかは俺が決めるんだよ」
「・・・・・・」
「だんまりか。おいキメラ。お前のご主人様はどいつだ?」
「ご主人様」
それは初めて聞いた、というようだ。
「お前を作った奴の事だよ」
「パパの事」
パパだと? グレイシードはこいつにそんな呼び方を教えているってのか?
ちっ。
悪趣味な野郎が居たもんだ。
「残念だが、そのパパを殺しに来たのがこの俺だ」
たじろぐキメラ。俺との実力差を感じたうえであきらかに動揺している。
「どこだ? グレイシードは」
すごんで見せる。
「させない。ぼくが相手をする」
人語を話すそのキメラは臨戦態勢をとる。
全身の鱗の色が青く変化した。
硬く美しいブルー。触れれば滑らかに指が滑っていく。そんな想像をさせるような。
その肌は装飾品を思われるほどに美しく光る。
そして瞬時に両手を体の前に移動させた。
その構えた両手から水魔法が飛び出した。それもかなりの高威力。
驚いてそれを正面から食らうがダメージは無い。この体は異常なほどの耐久性を持つ。例えるならば魔力の防護衣のようなイメージだ。
どうやらこいつは鱗の色で属性を操っているようだ。
それって弱点を晒しているだけじゃねえか?
再び繰り出された水弾を俺の指先がはじく。それは霧になって消えていった。
キメラの顔が明らかに焦って見えた。
キメラは大きな翼を広げて後方に飛んだ。ちょうど俺との距離をとった様子になる。
そして今度は全身が黄色に染まる。
黄色。今度は多分、雷魔法だな。
俺の予感は的中する。キメラは雷を身に纏い、がれきの山の中から手ごろな鉄骨を掘り出した。それにも雷が纏われ、強力な磁場が発生した!
奴の持つ鉄骨に周囲の鉄片が吸い付くように集まっていく。
その状態で、奴はそれを俺目掛けて投げてきた!
恐るべきキメラの腕力よ。
さながら砂場に落とした磁石の様に、成長したその鉄骨の総重量は、ゆうに数トンを超えている。
玉掛けの資格をもつ俺が言うんだ、間違いないだろう。そんなことは良いとして、あれをまともに受ければ大怪我じゃ済まされない。
電気には電気だ!
俺は奴よりも強力な磁場を作り上げた。
投げられた鉄骨群はそれに吸い込まれるようにして軌道を変えた。
キメラが明らかに動揺している。
まるで初めて自分の能力を超える者を見たように。
自分の実力が通じないことを理解したようにキメラは落胆する。
そうだ。
これが俺とお前との力の差だよ。
奴の体が緑色に変わっていく。
今度はなんだ?風の攻撃か?
そう身構えたが杞憂に終わった。どうやら戦意はないようだ。
もとの肌色が緑色なのだろう。
キメラは言った。
「パパ、ここには居ない」
そうか、性急すぎたか。
「お前、名前はなんていうんだ?」
キメラはたじろぐ。
「別に俺はお前を殺しにきたわけじゃねえ。分かってるよな? お前のパパがどれだけ罪を重ねてきたのか」
キメラは答えない。
キメラってのは魔物と魔物の配合だって聞いていた。
だからそれには知性は無いのだと。
だがどうだ?
こいつにはちゃんとした知性がある。それも話せるくらいに上等な知性だ。
こいつ、もしかして・・・・・・。
「魔王。パパは悪い人じゃない」
「ああ、そうだろうよ。奴は魔人だ。お前の精神を操るのなんて簡単にできる。俺はお前のパパを知らねえが殺されてもおかしくない程の悪いことをしてきたんだ」
「ちがう。ちがう!」
「違わねえ!!」
キメラは口をつぐんだ。
「頼む。俺はお前を殺したくはねえ」
「・・・・・・パトリシア。」
キメラは言った。
始めは何かの呪文かと思ったが、どうやら自分の名前を教えてくれたらしい。
「パトリシアって、お前まさか女か?」
パトリシアはコクリと頷く。
「そうか、パトリシア。お前はキメラなんだな?」
「そうだ。人と悪魔から作られた」
やはりそうか。
パトリシアは人を使ったキメラ・・・・・・この世界の倫理観はどうなってるんだ。
いや、俺がおかしいのか?・・・・・・クソ!
だが悪魔ってのはどういうことだ?悪魔といえば召喚術の中でも最も高等とされるものだ。
悪魔は魔族や魔物とは全く異なった存在。それは神の使いである天使と対をなすもの。魔界に住むものだぞ?
人と悪魔の配合ってことは、半分神様だって言ってるようなものじゃねえか。
だけれど、こいつには何の罪もない。
出来れば俺は、こいつを自由にしてやりたいのだが・・・・・・恐らくパトリシアの半分の悪魔は召喚術によるものだ。
その召喚術を施したのがグレイシードだとしたら?
グレイシードの死は召喚術の解除、すなわちパトリシアの死を意味する・・・・・・。
「パトリシア。お前、ここに閉じ込められていたのか?」
またもこいつはコクリと頷く。
その時、背後から物音が聞こえた。
「魔族め! くらえ!」
がれきの影から三人の研究員が顔を出した。
奴らは大砲のような武器を構え、それを俺に向けて発射した。
そうか俺は魔族に見えるのか。なぜだか誇らしいじゃないか。
大きな発射音と共に、無数の火炎弾が俺の体に降り注ぐ。
恐らくは魔力を動力源にしているのだろう。だがそれは大した殺傷力を持っていなかった。
パトリシアの攻撃の5分の一程度の威力だ。このまま昼寝ができるぜ。
反撃しようとしたとき、パトリシアが先に動いた。
パトリシアは研究員たちの背後に素早く回り込み、手刀一閃。研究員たちはバタバタと気絶していくのだった。
「おいおい、そんなことして大丈夫なのか?」
「あいつら、嫌いだった。でも殺しはしない」
「・・・・・・そうかそうか」
「お父さん!!」
「井上さん! 突然どうしたんですか!?」
芳田と帆乃佳、竜族の少年、確かサガンとか言ったか。三人が駆けてきた。
「聞いてくれ」
俺はグレイシードがここには居なかったこと、それからパトリシアの事を話した。
理解してもらえないだろうと思ったが、俺はパトリシアを連れていきたいと言った。
芳田は難色を示したが、帆乃佳たちは笑って迎えた。
どうして俺が、こんなにこいつに肩入れしてしまうのかが今分かった。
パトリシアと、いつかの帆乃佳を重ねてしまっているからだ。
肝心の本人の意思を聞いていなかったが、パトリシアの表情が柔らかくなったのを見て、俺はそれ以上を聞かないことにした。
「ところで、一次試験はどうなったんだ?」
すっかり忘れていた。
「そんなの中止に決まってるじゃないですか」
芳田がため息交じりに答える。なんだこいつ残念がってる?この戦闘狂め!
「闘技場周辺は大混乱よ!」
腰に手を当て、帆乃佳が責めるとも心配するともとれる表情で、やはり責め立てた。
ああ、なんて大きくなったんだ。お母さんそっくりじゃねえか。自然と涙が浮かんでくる。
「これをお父さんが?」
がれきの山と倒壊した建物を見てサガンが聞いた。お父さんだ!?また言ったな!?
「そうだ。お前には無理だろうがな!」
「うわ、この人サガン君のこと敵対視してますよ・・・・・・」
「お父さん・・・・・・」
俺はこの時、誰かの事を忘れていることに気付く。
芳田と俺は暫く目を合わせて考えた。
「あ!!! ミキは!?」
ちょうどそのタイミング、遠くから呼ぶ声が聞こえる。
「いのうえさーーーん!! よしださーーーん!! どこいるのーーーーー!?」
闘技場の方向から蔦を周囲に大きく広げ、魔族感丸出しのミキが歩いてくる。
そうだすっかり忘れていた!
芳田が「ここだよ!」と手を振ったのを合図に、横に居た帆乃佳がミキに駆けていく。
驚くミキ。全力で走る帆乃佳。
俺たちは二人の関係性を知らなかった。
だけど抱き合い、涙を流しあう二人を見て、その親密さを理解した。
普段は末っ子キャラのミキ。普段はしっかり者の帆乃佳。
普段と違う、「二人の世界だけの二人」がここには居る。
種族や世界を超えた、何か重要なものを二人は既に持っているらしい。
俺はここまで来れてよかったと、心の底から思ったのだった。
既にグレイシードは、この国にはいなかった。
というか行方をくらましていた。
まるで俺たちの行動を予期し自ら姿をくらましているかのように、周到で計画的な失踪だった。
オルテジアンの軍部はもちろんのこと、研究所や王族までもが彼の行方を知らされていなかった。
グレイシードはパトリシアのことを研究所に閉じ込めていたらしい。
愛情を与えられなくても、パトリシアはグレイシードを父だと慕っていた。
それが普通だと聞かされていたのだ。
「放ってはおけない」。
それが素直に感じたことだ。
奴はこれからも多分どこかで誰かを傷つける。
その目的が何なのかは結局分からないままだった。
俺たちは失敗し、作戦は振り出しに戻った。
だけれど今までと違うことがいくつかある。
今までと変わったことがいくつかあるのだ。
それは様々な出会いからなる人々の成長だ。
きっと世界は誰かのシナリオで動かされている。
それを運命と呼ぶべきか、はたまた使命と呼ぶべきか。
いや、どちらとも呼ぶべきではないのかもしれない。
いま俺たちが経験していることは、ゲームや漫画のテンプレートに沿ったシナリオではない。
何度も書いては消して、悩みながら恐れながら進む歴史の片隅なのだ。
「愛する娘を救うこと」
俺の物語はいま始まった。