①
____青い空と白い雲、その境界を泳ぐ飛竜。
気高く、広大な草原をかける地竜たち。
花たちは咲き乱れ、風は涼やかに歌う。
精霊は遊び、人々は祝っていた。
この平和の訪れと、来たる明るい未来に。
ここアルガリア公国は建国以来、初の真たる平和を迎えていた。
全種族の統一。
人々の長きにわたる争いの歴史は終焉し、世界中に生きるすべての種族は互いに手を取り合うと誓う。
________夢の様だ。
人々は涙した。
人族も魔族も獣族も精霊さえも。
28代アルガリア公は、数万人の聴衆を前に平和を宣言した。
「我々は、幾多の困難を乗り越えた。長きに及んだ憎しみの連鎖、闇と光との対立、数々の試練は重くのしかかり、大きな喪失と破壊を及ぼした。
しかし、如何なる脅威が我々の身に降りかかろうとも、何度も立ち上がり克服した。
こうして新時代を築くことができたのが誰のおかげであるか、ここで改めて紹介する。
我らすべての種族を救った救世主たちに大いなる祝福と愛を!!」
大歓声が国中に響き、聴衆は熱狂した。
大人も子供も老人も皇帝の動きに注目した。
アルガリア公が差し示す方には9人の救世主たちが立っている。
照れた表情で頭を搔いている者。
大きな笑顔で手を振る少女。
慣れない大衆の面前に顔を伏せる者。
爽やかな笑みを振りまく者。
無邪気な喜びを表現する者。
にこやかに仲間を見つめる者。
安堵の表情を浮かべる者。
腕を組み自信に胸を張る者。
涙を浮かべる者。
9人全員が凱旋の喜びを顔に浮かべている。
そう、この世界は真の平和を手にしたのだ。
_____________________
ここは日本のとある地方都市
国道沿いのファミリーレストランは平日なのに込み合っていた。
このレストランで最も安い、フレンチフライとドリンクバーのセットを注文したのは4時間前。長時間の滞在に、苦情の一つも寄越さない日本のファミリーレストランは、国際社会に於いての日本そのものに思えた。
俺はコンビニで買った週刊誌のグラビアを眺めながら、その若くて大きく柔らかそうなおっぱいの感触を想像していた。
おっぱいの感触。
走行中の車から手を出して感じる風圧は『ナビエ・ストークス方程式』というので求められる。
それによると時速60キロでDカップのおっぱい、時速100キロでFカップのおっぱいの感触を得られるらしい。
そうか。このグラビアアイドルがFカップらしいから、これを見ながら時速100キロで走行すれば圧倒的な没入感と没乳感が・・・・・・。
「井上さんですね?」突然、男の声がした。
俺はすぐさま雑誌をたたみ、平然を装った。内心はビビりまくっていたのだが。
20代前半だろうか、細身の濃い紺色の背広を身にまとった男は、見た目に反した低い声でそう尋ねた。こんなイケメンの知り合いはいない。
「そうですが、なぜ私を?」
__知っているのか?俺を知っているやつなんてこの町にはいないはずだ。
目の前のイケメンは、さわやかな笑みを浮かべるとほっそりと長い右手を俺に差し出した。
「初めまして。芳田と申します」
意外にも普通な名前。
「草冠に方向の方、それで芳、耳なし芳一の芳と同じ字を書きます。
『耳なし芳一』がどんなお話かご存じですか?
耳にだけお経を書かれなくて、亡霊からもっていかれちゃう話。
どうして耳に書き忘れちゃったんでしょうね。
哀れだな。そう思いませんか?」
自分の名前に対して大層な執着があるらしい。芳田と名乗る男は、俺の正面に腰かけた。
「なぜ私の名前を?」
俺はもう一度尋ねる。
「ああ、すみません。あなたを探してたんですよ、井上さん。驚かせてしまいましたね。
井上ダイさん37歳、みずがめ座のO型、長崎県出身、独身、昨年ここ盛岡に越してきた。あってますよね。」
芳田はへらへらと話した。
あってますよねだと? 恐ろしさが背中を伝う。
「すいません。アイスコーヒー」
芳田はウェイトレスを呼び止めるとアイスコーヒーを注文した。窓の外は雪が降り続けていた。
「あんた誰なんだ? どこから個人情報を手に入れたか知らないが、急に訪ねてくるなんて、少し異常じゃないか!?」
見ず知らずの突然の来訪者に俺は恐怖していた。
昨年来たばかりのここ盛岡に知り合いなど居るはずもなく、仕事を辞めてからは人との関わりを極力避けてきた。
自宅のアパートにならともかく、わざわざこんなファミリーレストランに訪ねてくるなんて。一体何が目的なんだ?
「悪いが、失礼させてもらう!」
テーブルの端に丸められた伝票を掴むと、俺は立ち上がった。
「ちょっと待って下さい。怪しい者じゃありません。」
慌てた芳田は左手を上げて制止した。
「怪しいやつは皆そう言うんじゃないのか? それに、こんな真冬にアイスコーヒーを注文する奴は信用できない」
「いいから座ってください。冷たいコーヒーが好きなんですよ。それにほら、店内は暖かいでしょ」
確かに暖房は効いていたが、それでも俺にとってはひんやりと冷たく感じられた。どうなってるんだ東北地方は。
「九州の冬はもっと暖かいんですよね。降雪しないとか」
「そこそこ寒いし雪は降る、ここほどじゃないが。てかそんな事より一体何の用なんだ!」
諦めて席に着く。
「ようやく話を聞く気になってくれたんですね。改めまして、芳田です。芳田保といいます。井上さん、あなた定職に就いていない。そうですね?」
芳田は話し始めた。依然表情は柔らかい。
「だったら何なんだよ。」
そう俺は答えた。
13年務めた会社を辞めたのが去年の暮。社内の小さなトラブルがきっかけだった。
納品先からのクレームに対応しきれなくなった後輩が無断欠勤してから、俺の管轄が倍に増えたことに始まった。
休日出勤や連日の残業で、何とか後輩の穴を埋めようと励んでいたが、クレームに逆恨みした後輩は、あろうことか取引先の倉庫に火をつけて、逮捕されてしまった。本社からの連絡に、何が起きたのか、初めは理解ができなかった。
よっぽど頭に来たとしても、放火なんかするだろうか。
信じられなかったが事実だった。それからというもの、取り調べや裁判で、業務は完全に停止してしまった。もともと人手不足の支店内で、歯車はだんだんと崩れていった。
最初に潰れたのは支店長だった。
新築のマイホームをフルローンで購入した矢先に起こった事件だった。監督責任を問われた支店長は、本部からの嫌がらせに耐えられず、体調を崩して休職した。
エリア長は、取引先からの度重なる契約破棄に責任を感じ、鬱病と診断された。少し前まで健全だった職場環境が、たった一人の若手社員に潰されてしまったのだ。
俺も例外ではなかった。
泊まり込みの残業が続いていたある日、突然に髪の毛が抜け始めた。始めは数本だった抜け毛も日を追うごとに数十本と増えていった。
食欲も失せ、日中は急な睡魔に襲われることがあった。
それでも仕事に専念し、なんとか持ち堪えようとした。
だがある日の通勤途中、ホームに入った特急列車に手を伸ばしていた俺は、駅員に引っ張られてホームに倒れた。
触れていれば死んでいたが、俺の意識は会社のデスクでキーボードを叩いていた。現状に頭は回らないまま、「邪魔するな!」と駅員に怒鳴っていたらしい。
どうやら俺にも限界が来ていたらしい。
心療内科で鬱の診断を貰うと、何故だか気持ちが楽になったのを覚えている。
この男は、俺の一体何を知っているのだろうか。
「そうだ、仕事を辞めて半年、貯金も底をついてきた。あんた、助けてくれるのか? そうでなきゃ、宗教の勧誘か? 悪いがそんな余裕はないんだよ。あんたらにお布施をあげるくらいなら、真っ先に小麦粉でも買い込んでうどんでも打つ。粉もんが一番安くて腹に溜まるからな」
そう自嘲ぎみに答えた。
「井上さん、あなた今なんと?」
芳田は目を丸くした。
「だから小麦粉でも買い込んで…」
そう答えると、芳田は話を遮って言った。
「その前です!」
「なんだ助けてくれるのか?」
「宗教です」
「だからそんな余裕はないんだよ!」
なんなんだこの男は!まったくふざけやがって!
もういい。怒鳴り散らしてやる!
大きく口を開いたその瞬間、芳田はまたも遮ってこう言った。
「井上さん。よく聞いてください」
イケメンの表情が初めて硬く真剣みを帯びた。
「あなたに・・・・・・教祖になっていただきたい!」
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立花ホノカは、ひと際目立った。
168cmの長身に細長い手足、腰の位置は高く、顔自体は小さいが、控え目で小さな鼻を除いて他のパーツは大きく、丁寧に焼かれた陶磁器のように白く滑らかな肌を持っていた。
短く揃えられたヘアースタイルは、さらに彼女の小顔を強調させた。アーモンド形の瞳は、魔力を孕んだ宝石のように人々を虜にした。
10代の女子の一生に一度訪れる、新緑のような、ひと時のきらめきの域を凌駕した、まさに咲きこぼれるままの美しさを放っていた。
すれ違う人々は誰もが振り返り、男は恋に落ち、女は嫉妬した。
殺風景で平凡なこの教室では、その存在はひと際目立ち、教職員を含め男子たちを混乱さえさせた。
小学3年生の夏、ホノカはある事件に巻き込まれた。
両親が共働きに出ていた放課後、アブラゼミの鳴く蒸し暑い道を、ホノカはガードレールを小枝で突っ突きながら、セサミストリートのビッグバードはなんで大きいのに黄色いんだろう?
そんなことを考えながら一人歩いていた。
人通りの疎らな商店の並びを抜け、細い路地に進入したところで、ひんやりとしたものが首元を伝った。
振り返ると何か真っ黒なものが・・・そう思った時にホノカはその場に倒れこんだ。
そしてそのまま意識を失った。
仕事から帰宅した母親が、娘が帰っていないのを不審に思い、方々に電話をかけたが、学校も友達の家にも手掛かりはなかった。
誘拐の二文字が頭をよぎった。
半狂乱になった母親は交番に駆け込んだ。
「娘が帰って来ないんです!」
対応にあたった若い巡査は、署に要請をしホノカの母親を励まし続けた。
母親は最悪の事態を想像しては泣き続けた。
捜索開始から7時間、未だに手掛かりは掴めなかった。
その頃、ホノカは、暗くじめじめとしたアパートの二回に監禁されていた。
目が覚めた時、目に入ったいつもと違う天井に、一瞬ここが長野の祖父の家だと思った。
カーテンの色が違うことに気づき、畳の感触が違うことに気づいた。
祖父の家で昼寝をしているときには、いつも掛けられているタオルケットも無い。
だんだんと感じ取れた違和感は、恐怖へと変わっていった。
どこか知らないところに連れて来られたのかも知れない!
恐怖で動けなくなってしまったホノカは、記憶を辿っていくことにした。
「今日はプールの時間があって、ミキちゃんと息止め競争をして。ビニール袋に、濡れた水着をちゃんと入れて口を結んだ。ランドセルのなかに入れて、帰りのホームルームで先生が(ふしんしゃ)に注意して帰りなさいって。(ふしんしゃ)って何だろう?・・・まいっか。」
「先生さよーなら。皆さんさよーなら。」
「ガードレール、かんかんかんって。それから細い道に曲がって・・・それから、冷たいのが。」
そして振り返ったホノカは、その一瞬に自分が一体何を見たのか、思い出せなかった。
記憶を辿れば辿るほどに、この小さな体を恐怖が支配してゆくのだった。
カーテン越しに、外が光った気がした、ぼやけた光の柱が右から左に大きく移動し、車の走行音が後を追った。
窓ガラスは小刻みに震え、音を立てた。
「おうちに帰りたい。」
ホノカは勇気を出して立ち上がると、じりじりと窓ガラスに近づき、埃と黒カビの積もったサッシのロックを下げようとした。
しかし、長年閉ざされていたのだろう、少女の力ではロックを解除することは容易にはいかなかった。
しばらく力を込めたが、この古い建物にそぐわない迄の屈強で無機質なロックよりも、ホノカの両手が先に悲鳴を上げてしまった。
赤くなった指先を見て、とうとう涙が溢れてきた。
紛れもなく少女は監禁されていた。
このような事が起きて良いのだろうか。
初めて味わう非日常に、不条理に打ちのめされたホノカは、ただ泣いて助けを待つことしかできなかった。
しばらく静かに泣いた後、ランドセルの中の水筒のお茶を飲んだ。すでに氷は溶けぬるくなった麦茶は、更にホノカを悲しい気持ちにさせた。
そんな矢先、下の階から物音が聞こえた。
「ゴトっ・・・・・・」
息を潜めたホノカは、この部屋が二階にあるのだとその時初めて気づく。
何か大きなものが静かに倒れた。そんな音を耳にした。
「・・・・・・かい・・・・・・?」
この部屋の一つしかない入り口の扉を隔てて声が聞こえた。
「え・・・・・・?」
ホノカは咄嗟に反応する。
「泣いているのかい?」
今度ははっきりと聞こえた。
「おうちに帰りたい・・・・・・」
ホノカがそう言うと、扉の先から優しい声が帰ってきた。
「もう大丈夫だよ。君はお家に帰れる。今すぐにでもね。」
「あなたが、ホノカを閉じ込めたの?」
「いいや違うよ。まさかそんなことしない。君を泣かせることなんかしないさ。」
「悪い人が居るの? ふしんしゃ?」
「そうだね。この世界にもあの世界にも、悪い人はたくさん居るんだ。君はそれを知っていなくちゃいけないよ。」
あの世界?
「君は特別なんだ。いや、みんな特別なんだよ。でも君はみんなとは違う。ある一つのきっかけと成り得る存在と言える。そう、あの世界とこの世界にとって」
「よく分かんないよ・・・」
「とにかく大丈夫、今日は帰ってママとパパと一緒に寝るんだよ。ゆっくりね。学校はお休みするといいさ。君にはそれが必要だよ。」
「ねえ、あなた誰? ドアを開けてよ」
「名前はまだ無いんだよ。そうだな、ビッグバードにしよう。いい名前だと思わないかい? セサミストリートのビッグバードだ。なんだか楽しい気持ちになってきただろう?」
その時、大きな音ととも、下の階からホノカを呼ぶ声が響いた。
「ホノカちゃん!居たら返事をしてください!」
二階の窓の外は、赤いライトが素早く何度も走り、部屋の中を照らした。
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教祖になれだ?
何を馬鹿なことを言ってるんだこいつは。
「教祖になれだって?ファミレスでスカウトするものなんだな。ふざけるんじゃない。」
「ふざけてなんかありません。あなたにはその素質があるんです。」
へらへらとしていた芳田の表情が、一瞬真剣みを帯びた気がした。
「あんた、芳田さんだっけ?まあいい。話だけなら聞いてやるよ。」
井上は、半ば諦めて芳田の話に耳を貸すことにした。
「ありがとうございます。いきなりですが井上さん、あなたには魔力があります。」
「は・・・・・・?」
「期待通りの反応です。というか、想定の範疇といった感じでしょうか。」
あっけにとられている井上をよそに、芳田は真剣な面持ちで続けた。
「1000万人に一人、生まれつき魔力を備えた子供が生まれます。多くは魔力の存在に気が付くことなく生涯を終えますが、ごく稀に、あらゆる刺激によって、その能力を発動させる者が現れます。一般的にエスパーとか、超能力者とか呼ばれる物がそれにあたると考えてください。訓練すれば、火も出せますし、水も湧いて出ます。電気を放出するのなんて楽勝です。」
ヤバいやつに捕まってしまった。
「いよいよ胡散臭い話を・・・・・・。じゃあなんだ?証拠でもあんのか?」
早く帰ろう。こっちまでどうかなってしまう。
井上は立ち去ろうと考えたが、素性が割れている分、アパートにやって来られても面倒だと思い、話を最後まで聞いてやることにした。
「証拠ですか?そうですね、僕には魔力が見えるんです。これ結構貴重なスキルなんですよ。」
「そんなの証拠になるかよ。てかなんだよスキルって。ゲームかよ。」
「スキルって言うと大体伝わるでしょ?正式な名称なんて無いですよ。だって世間的には公表されてない事実なんですから。僕たちはスキルって言ったり、能力って言ったり、そんなところです」
ニコニコと話す芳田は少し目を細めて井上を見つめた。
「僕のスキルは心眼。相手の魔力量、信念の強さ、心の動きや考えも少しだけなら読めてしまいます。時間を掛ければ結構な情報を読み取ることも可能です。ヤバいやつじゃないですよ。大丈夫です。アパートに押しかけたりしませんから安心してください。」
アパートに押しかけたりしないだと?まさか、ほんとに心を読んだのか?
「まさかです。読んだんですよ。」
驚いた。こんなことが現実世界で起きていいのか?
俺は恐怖を感じていた。
「落ち着いてください。少し心に壁を作れば僕の心眼は防げますよ。そうですね、脳の端っこで考える感じです。色んなことを同時に考えるのも効果的です。」
「そんなこと急に言われてできるわけないだろ!」
「信じて貰えてよかった。全然聞いてくれないんですもん。」
「俺にもそれができるのか?心眼だっけ?」
「残念ですが無理ですよ。これは僕の才能なんですから。井上さんにも何らかのスキルが発生するとは思います」
「じゃあ教祖って何なんだよ、お前がなればいいじゃないか!」
「お前って・・・・・・なんだか口調がきつくなってますよ井上さん。それに僕じゃ魔力量が足りません。うちでは基本的に魔力量が多い方がトップなんです。気づいてないでしょうが、井上さんの魔力量、異常なほど高いんですよ。なんていうか、言うなれば魔王ってレベルに。」
「は・・・・・・? まおう・・・・・・?」
「最近、命に係わる出来事とかありませんでした?死ぬとこだったー、みたいな。そういうのをきっかけに覚醒されるんです。」
確かに数か月前、俺は鬱状態で電車に飛び込みそうになったことがあった。
あの日々は、俺という人間を確実に殺し、立ち直れないほどの傷を与えた。
あれ以来、働く意欲も果て、社会に出る恐ろしさに震えていた。
今日だって、リハビリのつもりで外出し、飛び込んだファミレスだった。
アパートを出るのを何度も諦めては挑戦し、電車にも乗れず。
特急列車がホームを通過する、大きな音と同時に過ぎる激しい風が死ぬほど怖かった。
俺はもう人生を諦めていたんだ。
それに、それに、
なにか熱いものが込み上げてくるのを感じた。
誰かと、誰かと会話をするのだって久しぶりだったんだ。
「井上さん、大丈夫ですか?」
芳田は、井上の心が読みづらくなってきているのに気が付いた。
こんなに早くコントロールができるなんて・・・・・・!
いや、僕のスキルを知ったうえで潜在的にシャットアウトしている!
井上の目からは大粒の涙が溢れてきた。
とめどなく流れる涙に、逆らうように顔を歪めている井上を、芳田しばらくの間、何も言わず眺めていた。
「辛かったんですね。」
井上は立ち上がり、長い腕を差し出し静かに言った。
「僕と一緒に行きましょう。あなたを必要としている者がいます。」
_________________________________________
監禁されていた建物の一階に居たのは、三島俊治 52才 自動車の整備工の男だった。
過去にも、小学生の女児を誘拐しようとしたところを、パトロール中の警官から現行犯逮捕されたことがあった。
無事に保護された私にケガはなく、事件は終結したかに思えた。
一つの大きな謎を残して・・・・・・
三島俊治は死んでいたのだ。
それも、全身の血を抜かれて。
9年前の事件を、私は今でも思い出すことがあった。
狭い路地で振り返った時に見たもの
ビッグバードと名乗った者
そして死体・・・・・・きっと、ビッグバードが殺したんだ。
あれ以来、ビッグバードは現れていない。
あの世界とこの世界のきっかけ?
特別な存在?
「もう!全然意味わかんないじゃない!」
「ホノカー。どしたー?」
親友のミキが顔を覗き込んだ。
「ううん!なんでもないっっ」
私は驚いて答えた。
「ホノカの今の顔、ちょーかわいかった! 普段はクールなのに、その焦った顔が最高にかわいいのよねー!」
抱きついて来たミキは、自分の顔を私の首元にうずめた。
「もうー、やめてよー。」
容姿の事を褒められるのは嫌いじゃなかった。
だけど、周囲から距離を置かれることもたまにあった。
そんなとき親友のミキが居てくれるおかげで、私は一人ぼっちになることはなかった。
私たちは、いつも一緒だった。
そんな、親友にも言えないこと。
いや、親友だからこそ。
あの事件で私が経験した不思議な話。きっとミキは信じてくれる。
でも、なんだか良くないことが起こりそうな、そんな気がするんだった。
ミキを巻き込むわけにはいかないんだ。
私には、もう一つ大きな秘密があった。
あの事件以来、不思議な力が使えるということ。
初めは些細なことだった。
薄い紙で指先を切って血が出た時、口に含んだ切り傷の治りが早く、翌朝に傷は綺麗に消えていた。
不思議に思った私は小さな切り傷を作り何度もそれを試した。
試せば試すほど傷の治りは早くなっていった。
自分だけの不思議な力の存在に私はとても嬉しく思った。
だけど、こんな奇妙な現象は、誰にも話せるわけがなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方、郊外にある採石場に俺たち二人は立っていた。
「俺はまだ信じたわけじゃねーぞ」
「何言っててるんですか。わんわん泣いて、がっちり握手したのは誰でしたっけ? あんな、公衆の面前で泣かれて正直引いてますよ」
へらへらと芳田は笑った。
井上は、足元にあった小石を拾って投げつけたが、あっさりと躱されてしまった。
乾いた風に吹かれ、芳田のサラサラの髪がなびいた。
ファミリーレストランを出た俺たちは、人気のない広い場所に移動することになった。
「お前の魔法ってやらを見せてもらおうか?」
「いいでしょう。驚いてちびっちゃだめですよ?」
そう言い捨てると、芳田は人差し指を目の前に上げ、さらに30m程先の岩を指さした。
「・・・・・・我が身より走れ、閃きよ!」
大気がヒリヒリと震えた。
「ライトニング!!」
その一瞬、指先と岩の間に数本の紫色の線が走った。
・・・・・・ガガンッッッ!!!
すぐに岩は飛び散って跡形もなく崩れた。
想像を超えた大きな音と閃光に、井上は尻もちをついていた。
「お、お、お、おいマジかよ・・・・・・冗談だと言ってくれ!」
「まだそんなことを言ってるんですか? 今のが電気を操った基本的な魔力放出です。井上さん、あなたが本気を出せばこんなもんじゃ無いんですよ? さ、試して見ましょう。」
「真似すりゃいいんだな・・・・・・やってやるよ」
「我が身より、なんたらかんたら!!」
「待って下さい!! そんな出鱈目な詠唱じゃ・・・!」
「ライトニング!!!」
その刹那、芳田の心眼が、膨大な魔力の動きに無意識的に反応した。
井上の膨大な魔力が奇妙に形を変え、伸ばした指先に集中する。
その瞬間、空気中の水分が蒸発し、辺りを白く覆った。
激しく強い光が、発光を続け、遅れて巨大な爆撃音が響き渡った。
それはまるで歴戦の勇士が裁きの鉄槌を下すような、破壊のみに許された咆哮に聞こえた。
大地が叫び、空は歪み、全ての生物は恐れ慄き生を後悔するような、異常なまでに暴力的だった。
飛び散った小石や粉じんが容赦なく二人に降り注ぎ、二人はしばらくその場から動けなくなっていた。
芳田自身、経験したことの無い程の大きな衝撃。
やっと霧が晴れたとき、二人を中心に周囲の地形は変わっていた。
「あんた、化け物だ・・・・・・」
この時から、芳田の後悔の日々が始まったのだった。
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翌朝目覚めた俺は、全身の筋肉痛と、激しい頭痛に襲われていた。
部活動以来の疲労感だったが、スポーツ後のそれとは違って爽快感とは真逆の気持ちの悪さに、起き上がることもままならず、ベッドに横たわったまま昨日の出来事を振り返っていた。
まさか自分にあんな力があったなんて・・・・・・
一体何のために・・・・・・
少し前までは、取引先やノルマと戦うだけの中年だったんだぞ。
こんな力を植え付けられて、一体俺に何をさせたいんだろう。
俺のこの能力は、何かを成し遂げるためにあるんじゃないのか?
終了したはずの自分の人生に意味があるんじゃないか。
考えてみたものの、何一つわからない。
だが、これから新たな生活が始まるような期待感と胸騒ぎに、俺の心は踊っていた。
初めての感情が胸を支配していた。
ピンポーン
そんなときベルが鳴った。
安っぽいベルの音、まあ築40年のアパートだ。誂え向きだと言っておこう。
ドアの向こうに居る来客の正体を俺は知っていた。
いや、来客だなんて言葉は勿体ない。
・・・・・・来たか、へらへら王子め。
割れそうな頭を抱えて開けたドアの先には芳田が居た。
「具合はどうですか? 起き上がれたんですねー。すごいじゃないですか。」
「頭が破裂しそうなんだよ! ろくでもないな。魔力ってのは!」
「まあまあ。元気そうでなによりですよ。上がっても?」
俺は芳田を部屋の中へ誘導した。
その時、芳田の後ろに少女が一人付いてきたことに気が付く。
少女は井上の顔を見上げると、大きな丸い目を瞑ってニコッと微笑んだ。
「お世話係のだよ! 宜しくねー!」
少女は、遠慮もなしに部屋の中へと駆けて行った。
「よ、よろしく・・・・・・て、おい!」
「やー! こわーい!」
そうはにかんで言うと、室内に逃げていく。
「彼女は井上さんの身の回りのお世話をしてくれる、うちの教団の信者の一人です。まだ未成年だから変なことはしないでくださいよ~。教祖さま。」
「新しい教祖さまっ、あたしはミキっていうんだよ。どうぞよろしくお願します!」
そうだ忘れていた。
俺は教祖になったんだ。
完全に成り行きで言いくるめられてしまった。
しかしだ、教祖って何すりゃいいんだ?
『魔力量が多い奴が教祖になる』
そう言ってたけど、肝心の仕事内容がわかんねー。
時給いくら?
交通費は?
残業は嫌だぞ!
「もー!教祖さま!聞いてるのー?」
ミキと名乗る少女は、ほっぺをめいっぱい膨らませて言った。
か、かわいいかも・・・・・・。
「い、井上さん。聞こえてますよ・・・・・・僕のスキル、忘れてないですよね・・・・・・」
「読んでんじゃねえよ!!!」
振りかぶった右の掌はあっけなく躱されて、狭い部屋で一人つまづいて転んだ。
「あがっっ」
「教祖さまダッサーい」
「うるせー! ガキんちょ!」
俺はミキを追い回した。
ミキを追い回すうちにだんだんと楽しくなっていく自分に若干の背徳感を覚えたが、次第に興奮に変わっていくさまは、なんとも言い難い悦びを感じるのだった。
性癖に刺さるとはこういうことを言うのか・・・・・・
ゴクリ。
俺は新たな扉を開いた気がした・・・・・・!
「はいはい。さあ出かけますよ井上さん」
「え?どこに?」
俺は振り返った。
「どこにって、教団本部に決まってるでしょ」
そうか。これから俺は教団本部に行くのか。
新たな生活の始まり。
きっと充実の毎日にして見せる!
ボロアパートの玄関のドアが、いつもより軽く感じた。
頭痛はいつの間にか消えていた。
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ここは、アルガリア公国。
荒れ果てた荒野に、一人の竜族の少年が年老いた馬を連れて歩いていた。
少年は褐色の固い皮膚と金色の瞳を隠すように、薄汚れたローブを顔まで被り、ひたすらに北を目指す。
少年の年老いた馬は、竜族の大人二人分の重さの荷物を背負っている。
時折、日陰を見つけては、少年は自分の水袋から少しだけの水を馬に分け与えた。
年老いてノロマな馬だが、ある馬小屋から盗んできてからは無二の相棒になった。
大人の竜族は空を飛ぶことができたが、未発達な少年の翼膜には大きな穴が空いている。
恐らく一生、飛行することは叶わない程の損傷である。
戦乱の続くアルガリア公国では、彼のような孤児は少なくなかった。
少年は、自身の伸長よりも長い槍を背中に装備し、魔物を狩ってはその肉を食った。
少年の名は『サガン』といった。
気高き空の戦士の名をとった。
生まれ故郷の風の谷の里では、皆が自由に空を駆けた。
男たちは狩りの技術を磨き、女たちは帰りを待ち、家を守った。
唯一神である『空の戦士サガン』に祈りを捧げ、彼らは種族の安寧を求めた。
勤勉な竜族は、やや排斥主義ではあったが温厚に慎ましく生きていた。
しかしある日、ある黒髪の魔法使いによって彼らの生活は一変してしまう。
黒髪の魔法使いは、里で風魔法の研究をしていた。
この国では一風変わった髪の色をした男だったが、里の者とも友好的で物腰も柔らかく、薬学の普及や大規模な水耕栽培・水田稲作を伝達したことで里の民からの信頼を得ていた。
風の穏やかな夜だった。
黒髪の魔法使いは、里のシンボルである風車のアーティファクトを媒体に、数体の悪魔を召喚した。
禍々しいまでの見た目に呼応して、それぞれの魔力は驚異的に高く、民は弄ばれ命が奪われた。
少年の家族は必死に抗ったが、7人の兄弟姉妹を含む全員が死んだ。
少年は一人、力尽きた姉の腕の中で気を失って生き永らえたらしい。
美しい姉だった。
翌朝には婚姻の儀を控えていたというのに。
姉は最後に
「・・・・・・生きて・・・・・・。決して、憎しみに支配されないで・・・・・・。」
そう言ったが、幼き少年の心は決まっていた。
里で唯一の生き残りである自分は、使命を全うしなければいけないと。
その日から少年は『サガン』と名乗る。
守られるだけの存在だった自分との決別の為、名を捨てたのだ。
そして気高き空の戦士は、復讐を誓った。
「俺は強くなる。そして必ず殺してやる」
一族の背骨から作られたこの槍で。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アルガリア領に入り、荒野を歩き続け四日が過ぎたころ、突如として俺の目の前に巨大な城壁が現れた。
エル・アルガリア城とその城下町だった。
そびえ立つ城壁に対して、小さな城門には屈強な兵士が二人。
「なに用かな。少年よ」
兵士の一人が尋ねた。大きな猫耳族の男だった。
「人を探して旅をしている。町に入りたい」
「残念だが少年、身分の不明確な旅人を通す訳には行かない。そのローブを取って顔を見せて証明してくれ。町の中に魔物や盗賊をみすみす入れたとなっては、我らは職を失ってしまうのでな」
「俺が魔物だって?だったらどうするんだ?」
「魔物は言葉を持ちはしない。言葉を持つものを魔人と言う。だが魔人とは高度な知脳を持つのだ、君はその様には到底見えないがな」
俺は槍に手をかけ、静かに魔力を込めていた。
いや、よそう。ここで騒ぎを起こすのは愚かな行為だ。
無神経で意地が悪い奴だ。
もっとも猫耳族に悪気はないのだが。
俺はローブを取って褐色の固い肌を日に晒した。
するともう一人の兵士は珍しそうに俺の瞳を見つめた。
「竜族か、なんと珍しい種族だ。少年よ、この国の民には君のことを好奇の目で見るものも多いだろう。長期の滞在には十分注意するんだ」
この人族の兵士はそう言うと、城門を開き俺を町に通した。
エル・アルガリアには四つの区域が存在する。
城門から中心部まで伸びる区域を商業区、中心から西側を占めるのが工業区、対して東側から北側迄の大部分を占めるのが農業区、そして北側の高台にあるのが王宮区である。
商業区の更に中心部には巨大なマーケットがあり、武器から食料まで古今東西の商品が並ぶ。
俺は、馬宿に相棒を預け、食料の調達に向かうことにした。
残金は200リル。
精々もって一月といったところだ。
この町で仕事を探そう。
そう考えていた矢先、馬宿の掲示板に魔物の討伐依頼を見つける。
『グリーンワーム狩り』
西の森にグリーンワームが大量発生している。
1匹あたり2リル、10匹討伐するごとに1リル上乗せ。
なるべく早く稼げるだけ稼ごう。
ギルドに登録しないと依頼は受けられない。
所謂、『冒険者』になるという事だ。
ギルドの受付は人族の女だった。
「冒険者ギルドへようこそ。受付のキキィと申しますわ。・・・・・・あら、あなた竜族ね」
物珍しそうに俺を見ると、ギルドのルール、報酬や待遇、冒険者が死亡した場合の手当てなど、一通りの手続きを行ってくれた。
「しばらくの間はわたくしがサガン様の担当になりますわ。ランクが上がれば専属の担当になることもありますの。魔物に殺されないように、頑張ってくださいな」
「俺は死なない」
「フフフフっ。ルーキーは皆様そうおっしゃるのですわ。だけれど5年後も現役の方はごくわずか。ご自身の力を過信なさらないようにしてくださいな。冒険者登録の解除手続きも面倒ですのよ」
どうやらこの女は俺の心配をしているわけではないようだ。
「グリーンワームの討伐は、正直イージーですわ。さっきもルーキー二人組が向かいましたところですのよ」
ちっ! ダブルブッキングか・・・・・・
急がねば。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは西の森
4匹目のグリーンワームを倒し、『触覚』を切り取って鞄に詰めたその時、背中に激しい衝撃が走り、俺は地面に伏した。
生暖かい液体が首筋を伝っていくのを感じた時、背後の影に気が付く。
それは二つの長い牙を備えた猛獣、サーベルファングだった。
迂闊だった。
こんな明るい森に、サーベルファングが生息しているとは・・・・・・!
出血が多すぎる。
このままでは・・・・・・。
最後の力を振り絞り立ち上がる。
「クソッ・・・・・・後悔させてやる!」
俺は槍を構えると、その矛先へ最大限の魔力を込めた。
「我ここに闇に誓わん、電撃の槍!」
閃光とともに、矛先はサーベルファングの喉元を貫き、一撃で絶命させた。
胴体から飛ばされた頭部は、しばらくの間咆哮を続けたが、その眼はだんだんと光を失っていった。
繰り出した奥義の反動により、俺はその場に倒れこんだ。
大量の温かい血液が、俺の体から流れて出て行くのを眺めながら、俺の冷静な思考は後悔を始めるのだった。
こんなはずじゃなかった。
『一時の油断は、一生の傷となる』
里の男たちの伝承だった。
「今更、意味が分かったよ・・・・・・みんな。俺はここでお終いだ。ごめんよ・・・・・・みんなの仇、とれなかった・・・・・・やっぱり俺は子供だったんだ」
悔しいよ。
だけど・・・・・・ごめんよ。
姉さん。
遠くで声が聞こえた。
「・・・・・・ねえ!・・・・・・丈夫!?・・・・・・ねえ・・・・・・しっかりして・・・・・・ヒーリング・・・・・・!」
体中が、陽だまりのような優しさに包まれて行くのを感じていた。
遠のいて行く意識の片隅で、俺は美しい人族の少女を見ていたのだった。
そして俺は、ゆっくりと眠りについた。
________________________________________
「はじめまして。」
靄のかかった真っ白な空間に、俺は意識を取り戻した。
目の前には珍妙な風貌の、くちばしを持つ魔物の姿があった。
その細長いフォルムは、二足歩行の大きな鳥のように見えた。
黄色の羽毛がふわふわと揺れ、
「やっと会えたね。」
そいつはそう言うと、大きな丸い目玉をくるくると動かしたが、俺と目線が合うことはなかった。
「お前は誰だ。」
俺は聞いたがそれは名乗ってはくれなかった。
「君は今から目覚める。瀕死の君を救ったのはホノカという少女だよ。君と彼女は出会う運命にある。これから君は旅を共にするだろう。この世界とあの世界にとって二人は特別な存在なんだ。」
「何を言っている、この魔物め!」
俺は槍をそれに向けた。
その時、俺は自身の怪我が消えていることに気づいた。
「ここは夢の空間さ。君の怪我は無かったことにしたよ。この空間のルールは僕さ。その槍を消し去ることも僕には容易にできるんだよ。」
「だけれど、この槍には何か特別なものを感じるんだ。恨みや、怨念とも違う、呪いの類とも違う。君はどこでこれを?」
俺は黙っていたが、それは納得したように頷いた。
「そうなんだね。よくわかった。君はずっとそれを守っていかなければ行けないみたいだね。槍を守るだなんて矛盾していると思ったかな? だけれど、『言葉』や『思い』というのは強い力を持っているんだ。概念とは、イメージする気持ちなんだよ。『思い』の強さは精神力に影響する。大事なのはいつも想像力を持つことだよ。君はもっと強くなれる。想像よりもずっとね。」
「俺は強くなる。誰よりも。」
「君に教えておかないといけないことがある。君の目的についてだ。」
「黒髪の魔法使いはどこにいる。」
「あれは災厄を呼ぶもの。この世の理から外された存在だよ。名を『グレイシード』。人を辞めた魔人だよ。己の研究の為に悪魔に魂を売った男。今の君では、到底足元にも及ばない。君はそれでもあれを探すのかい?」
「奴を殺すのが生きる理由だ。」
それは目玉をコロコロと左右に振った。
「君はまだまだ弱すぎる。とにかく北を目指すんだ。もう少し強くなったら、また会いにきておくれ。」
その瞬間、空間が大きく歪み、その渦の中に俺は巻き込まれていった。
「生きるんだよ。竜族の子、『英雄サガン』の生まれ変わりの子。」
目が覚めた俺は宿屋のベッドで横にんなっていた。
「気が付いたのね。よかった・・・・・・。」
美しい少女がそこにいた。
「お前が助けてくれたのか。」
どうやらこの少女の名はホノカというらしい。
夢の魔物の言ったとおりだ。
ホノカは数日前、ここアルガリアの北の祠で目覚め、リールという単眼族のレンジャーと行動を共にしていた。
ホノカには祠以前の記憶がない。
美しく聡明で、職業はプリースト。
初級の回復魔法が使えた。
その目を一度見ると、心の中を覗かれたような、そんなむず痒い感覚を覚えた。
「その、お前って言い方は良くないと思うわ。」
叱られた。
芯のある女だ。
リールはこの町の商業区出身。
代々鍛冶屋を営む家系に生まれたが、自由を求め冒険者になった。
単独で祠の周辺の魔物狩りをしているとき、木の影で眠っているホノカを発見した。
危険だと思い揺り起こしたのがホノカとの出会いだった。
単眼族は人族の10倍以上の視力を持つ。
一見華奢に見えるが、鍛えられた四肢には俊敏な筋肉がバランスよく備わっていた。
職業はレンジャー。探索や補助を得意とした。
「なんやねん! ホンマ良かったわー。えらい出血量やったもんな! 死んだおもたでー! しかし、あんた一人でサーベルファング倒したんかいな!」
不思議な訛りを持っていた。
うるさい奴だがすぐに打ち解けることができた。
下級職同士、最下位Eランクの俺たち3人はパーティを組むことにした。
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「そやそや、サガンの狩った触覚が4個、うちらのが6個、足して21リルや! パーっといくでー!サガンの歓迎会や~!」
「ねえ、まだ痛む?」
「いいや。もう大丈夫だ。」
本当は痛んだが、なぜだか俺は嘘をついた。
町の中には至る所に酒場がある。
竜族は酒を飲まないが、俺は冒険者だ。流儀には従おう。
「酒場には色んな情報があるのよ。探し物は酒場にあるって言うらしいわ。」
「探し物か、ホノカの記憶はここにはないのか?」
「町中の酒場に通ったわ、だけどダメだった。私はどこから来たのかな・・・・・・」
俺は想像してみた。
知らない土地、知らない人々、常識も非常識も、すべての記憶を奪われる恐怖。
ホノカは何も見えない深い霧の中を、裸足で歩き出したのだ。
俺たちが、俺が、失った記憶の代わりになれるだろうか。
酒場には多くの冒険者たちが酒を飲み交わしていた。
酒場にもルールがあるらしい。
ギルドランクに応じた席が決められていた。
俺たち最下級のEランクの席は入り口の近く。
自分たちより上位の席には不必要に近づいてはいけない。
逆もまたしかり。
秩序を守るための暗黙のルールだ。
この店、『しっぽ亭』にはこのほかにも、
1.料理や酒を残さない
シンプルだが絶妙な味付け。俺達ははすぐに虜になった。
2.料理や酒の文句を言わない
「この麦酒、薄いんじゃねーかー!?」
苦情を言った酔っぱらいは、巨体の店主トマから投げ飛ばされていた。
3.猫耳娘たちに手を出さない
「かわええなぁ~。お店終わったら一緒に飲み行かへん~?」
リールは店主のトマから一発お見舞いされた挙句、閉店後の清掃をやらされた。
「堪忍してやぁ~」
俺たちは、入り口近くの丸いテーブルを囲み、これまでの事、そしてこれからの事を話し合った。
リールの失態を笑いあい、俺の話を黙って聞いてくれた。
まずは強くなること。
この町を拠点に強くなろう。
目標はBランクになること。
Bランク以上の冒険者には、それ以下のランクでは公開されない依頼や情報が転がり込む。
世間的な地位も高くなり、生活するうえで困ることはなくなるだろう。
有名になればホノカを知る者も現れるかもしれない。
俺は強くなるため、ホノカは自分を探すため、リールは・・・・・・
「あんたらといると、おもろいからな~」
目標を見つけるまでは一緒に居ると言ってくれた。
それから俺たちは、毎日のように討伐依頼をこなしていった。
Eランクでは一番の業績を積み、期待の新人だとか噂されるようになっていた。
しかし所詮はEランク、受注できる依頼は大量発生した雑魚の駆除や、町の警備、それから土木作業の現場など、取るに足らないものばかりだった。
「このままで、私たち強くなれるのかしら・・・・・・。」
「手っ取り早く、ランクアップしたいな~。」
確かにその通りだ。
Dランクからは依頼された魔物の危険度が跳ね上がる。
それは早期のレベルアップを意味するわけだが、今の段階では得られる経験値が低すぎるのだ。
虫を100匹狩ったところで何になる。
そんな小物の討伐依頼に飽きてきたころ、ある事件が起きるのだった。
________________________________________
俺とホノカは防具の修理でマーケットに来ていた。
そこそこの小金が貯まったところで、パーティは装備の充実を図ることにしていた。
この前のように背中から一撃、だなんて事のないようにとホノカは言って聞かなかった。
「私のヒーリングに頼ってばっかじゃいけないわ!あなたたち二人は無茶が過ぎるんだから。特にサガン! あなた死にたいの?」
俺は姿勢を正した。
ホノカには逆らえない。
「さっきのあれは何? なんで一人で突っ込むの? 少しは強くなったからってサーベルファング2匹同時は無理があるでしょ!? 私の魔力だって無限じゃないのよ? 回復できなくなったらどうするの? 死ぬわよ?」
ホノカの説教を黙って聞いていると、通りすがりの冒険者から噂話が聞こえてきた。
「酒場のトマさんが?」
「ああ、今朝、店の裏で見つかったらしいんだ・・・・・・」
「なんでまたトマさんが・・・・・・」
「さあ、わからねえ。誰かから恨みを買うような奴じゃなかったぜ?」
「信じらんねえ・・・・・・店はどうなるんだ。」
俺は駆け寄って話を聞いた。
「トマさんがどうかしたのか!?」
「ねえ、何かの間違いだよね?」
「当たり前だ、あの人が簡単にやられるわけがない! あの人は、酒場の店主である以前に、ランクBの元冒険者だぞ!」
二人は急いで『しっぽ亭』へ向かった。
冷たい雨が降り始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺達三人は、既に『しっぽ亭』の常連になっていた。
旨い料理と酒、それよりもトマさんの人柄に惹かれていた。
彼は、よく三人を気にかけてくれた。
「お前ら、新米冒険者か?」
初めて『しっぽ亭』に訪れた時、不愛想な接客に面食らったが、店が暇なときやトマの気分がいいときは同席して酒を酌み交わした。
トマは酔っぱらうと、息子の話をよくした。
トマの息子サムは戦士職の冒険者だった。
サムは強かった。
「息子は、人の世話を焼くのが好きでよ、困ってる人がいるとすぐに首を突っ込んじまう。たとえ金にならなくても関係ねえ。喜んでるやつの顔を見るのが何より好きなんだとよ。お人好しってやつだ。まったく誰に似たんだか。損をする性格だ。だけどよ、それでいいんじゃねえかと思ってたんだ。毎日ボロボロになるまで働いて、ただいまって帰ってきたら直ぐに麦酒飲んで大声で笑ってよ。仲間たちと大騒ぎしてた。幸せそうな息子を見てるとこっちまで嬉しくてよ。だけどよ、幸せってのは続かねえもんだ。ある日から急に息子たちは帰って来なくなっちまった。
パーティの奴らも一人残らず帰って来ねえ。生きてるかもしれねえし、死んでるかもしれねえ。
冒険者ってのはそういうもんなんだ。どっかで人助けでもしてるんだと俺は信じてるがな。」
そう話すと、トマは寂しそうな顔をするのだった。
俺を待ってる家族はいない、だがリールやホノカの家族も同じ気持ちなのかもしれない。
もし帰って来なかったら、もし我が子の死を突き付けられたら・・・・・・。
トマさんの悲しそうな顔を見るのが俺は嫌いだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『しっぽ亭』にトマさんの姿はなかった。
入り口には臨時休業と書かれた真新しい張り紙がある。
俺たちは泣きじゃくる猫耳娘達を落ち着かせ、話を聞いた。
珍しく店主がいなかったこと。
裏で血まみれの「何か」を見つけたこと。
怖かったこと。
その「何か」がトマさんだったこと。
首に大きな噛み跡があったこと。
トマさんが殺されていたこと。
冷たい雨は止むことはなく、3日間降り続いた。
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この国の司法、立法、行政すべてを執り行うのが中央議会である。
他国の多くが三権分立としているのに対し、偏った政治を行使し大きく発展したのがここアルガリア公国であった。
よって、アルデウス議長を中心とする中央議会が絶対的な権力を持ち、その上層にある王族さえもその力により支配されつつあった。
その傲慢さで辛くもバランスを保ってきた議会も今やその体制は破綻しつつある。
警察力も乏しく、一市民の死など書類一枚で簡素に処理された。
適切な捜査など行われるはずもなく、『魔物被害』という事故名が付き、トマの死は片づけられるのだった。
「納得がいかないわ! 人が一人殺されたのに、あんなに親切にしてくれた人が、こんな最後を迎えるだなんて酷すぎるじゃない! どうして捜査は打ち切られるの? 何も努力が見られないわ!」
こんなに憤慨したホノカは初めてだ。
だが無理もない。
記憶を失った彼女にとって、親切にしてくれたトマさんの存在はとても大きなものだった。
俺たちを含め、ホノカは皆のことを家族同然に接していたのだ。
ギルドのロビーに集合した俺たちは、どうすることもできずにいた。
『魔物被害』。
魔物には知性がない。
町の外では様々な魔物に遭遇する事ができるが、議会直属の衛兵によって町への侵入は防がれている。
上空からの監視も四六時中行われており、並みの魔物では周辺を飛行することすら困難、魔術衛兵による攻撃魔法によって標的になる。
しかし、知性を持った魔人なら?
魔人の中には、我々と同じ言語を話し、姿を変える者もいると聞く。
それの侵入を許したという可能性は十分にあるだろう。
だがそれらの可能性が公にされることはない。
責任の所在を追及されるのを避け、市民からの不信感を潔癖に嫌うのが中央議会のやり方らしい。
「おい、あんたら。」
振り返るとそこには頬に傷を持つ女が一人。
「どうりで臭えと思ったらよ、竜族のガキじゃねえか。ちょっと面貸せよ。」
「いきなり何ですかあなた! 失礼ですよ!」
ホノカが女を睨む。
女は頬の傷を半分覆っているフードをとってホノカを睨み返した。
猫耳族のその女の毛は燃えるように逆立っていた。
「へー、やるのかお嬢さん。人族の分際で獣人に勝てると思ってんのか?」
『獣人』
猫耳族、猪鼻族、犬牙族などの獣人の身体能力は人族よりも高いと言われる。
はるか大昔、この世界の創造主が人と獣を配合し、より強い種を作りだした。
それぞれの種は独自の進化を続け今に至る。
その進化の旅から外れたものは魔人と呼ばれている。
創造主に唾を吐き、悪魔との契約で強大な能力を持つものも少なくない。
ホノカを制止しリールが前に出た。
「あんさん、えらい差別主義みたいやけど、うちら今それどころや無いねん。わいは男も女もかまへんで。相手したるわ、かかってき。」
「落ち着けリール!」
「止めんといてくれ、わいは仲間が傷つけられるのは我慢ならんねん。」
ロビーを出た俺たちの周りにはすぐに人だかりができた。
そこにはAランクの『武神ヨウメイ』、同じくAランクの『純白の魔術師アリステラ』の姿もあった。
「おやおや若人や、いきりなさって。」
武神ヨウメイは微笑んで眺めた。
最強の人族と謳われるヨウメイは至極会の師範。至極流の使い手である。
幼少より傭兵としてアルガイア公国に尽くし、齢50にして至極流を立ち上げた。
数多くの門下生を戦地へ送り出したこの国の英雄の一人として数えられている。
リタイアしてからは冒険者として世界を放浪し、数年でAランクまで登り詰めた。
「あらヨウメイ様。随分楽しそうだこと。」
純白の魔術師アリステラは武神ヨウメイの姿を見つけると、美しい口元を覆って控え目に笑った。
周辺の男たちは唾を飲んだ。
耳長族のアリステラは齢にして357才。
しかしながらその風貌は乙女のようで、行き交う男たちの羨望の的となった。
その実力も折り紙付きで、各系統の上級魔術をマスターし、驚異的な魔力量で、先の大戦では7日間不休で敵地に火炎魔法と水氷魔法を交互に打ち放った。
『純白』とはその容姿の美しさの事ではなく、火炎と水氷の相互攻撃により水蒸気爆発で辺りを白く覆ったことから由来している。
そして彼女は性格が悪かった。
特に美しい女性に対しては。
「・・・・・・あの小娘、男から守られてるのね・・・・・・生意気だわ。」
アリステラは小声で呟いた。
「でもあの猫耳も鬱陶しいわね。邪魔してあげる。・・・・・・妖艶なる森の精、業魔の綻びを彼の地に・・・・・・グランブースト」
静かに唱えるとリールに対して強力な身体能力向上のバフをかけた。
リールの攻撃、防御、俊敏のパラメータが大幅に上昇した。
当のリール本人はそんなことは気づくはずもなく、
「猫耳女! あんさんが誰だか知らへんけど、あんまり舐めへん方がええで。」
リールは手の関節を鳴らし、構えた。
「お前らがトマと揉めてたことは割れてんだよ。正直に白状しな! トマを殺ったのはお前らなんだろ!」
そう吐き捨てると、女は鋭い爪を尖らせリールに飛び掛かった。
「いまなんて!?」
「殺してやる!!」
「やめろ! 誤解だ! 俺たちじゃない!!」
俺はそう叫んだが、興奮した猫耳女の耳には届かなかった。
リールは攻撃を躱し、女をなだめようとした。
しかし女は執拗にリールを狙って攻撃を仕掛ける。
鋭い爪がリールの左腕をえぐった。
ホノカはヒーリングを唱え止血したが、リールは痛みに眉をひそめた。
「ちょっと黙らせんといかんみたいやなー!」
リールは拳を大きく振りかぶると、女の腹をめがけて打撃を放った。
その瞬間、リールは異変に気付く。
自分の意識よりも先に鋭い撃力が女の体を突き、想像以上に大きな衝撃を生んだこと。
リールの右腕は女の体を貫き、内臓を辺りにまき散らした。
口からは大量の吐血があり、目はグルんと真上を向いた。
「キャーーー!!!」
人だかりの中で誰かが叫んだ。
「殺しだ!!!」
一斉に騒ぎ出した人だかりは俺たち三人を取り囲んだ。
「・・・・・・え・・・・・・なんでや・・・・・・?」
リールは放心状態で、抱きかかえた女の顔を眺めていた。
「ヒーリング!!!」
何度も唱えられた治癒魔法も効果がなく、女の心臓は動きを辞めた。
「あらあら、ブーストの効果が強すぎたのかしら。にしても弱すぎるのがいけないんですわ。知ーらないっ。」
アリステラは消えた。
「逃げるぞ!!!」
俺は叫んだが、二人は動けずにいた。
「早く!! 行くぞ!!!」
二人を無理やり引っ張ると城門の方へ駆けた。
「若人や、それは叶いませんて。」
リールは背後に何か驚異的な力を感じ、動きを止めた。
いや、空中に縛り付けられていた。
ヨウメイの闘気がリールを捕らえたのだ。
そのときヨウメイは不審な魔術の残り香に気付く。
「ほほう、あの白狐に摘ままれてなさる、一つ目の御子よ。」
そう言うとリールを手放した。
ヨウメイはリールの身体能力の大幅な上昇を感知しすべてを悟った。
「可哀そうな子らよ。戦いの最中ゆえ罪を背負うべきとは思わぬ。逃げなさいな。強くなり晴らしてみよ。」
多くの冒険者を背に三人は必死に走った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二日ほど北に歩いたころ、追手は来なくなっていた。
三人の会話はほとんどなく、ホノカとリールは罪の重さに潰されそうになっていた。
どうしてこうなった?
どこで俺たちは間違えたんだ?
売られた喧嘩だった。
だが、間違いなく未熟な三人の罪だった。
最後のヨウメイの言葉で、何者かの手によりブーストがかけられていたことを知ったが、人を殺めたことに変わりはない。
俺たちは逃亡犯として手配されるだろう。
あの時、ヨウメイが俺たちを離さなければ・・・・・・あそこはギルドの目の前だ、きっと誰かに捕まっていた。
恐らく、アルガリア公国でのギルド登録は失効されているだろう。
一行は逃げるように、北の国『シベル共和国』を目指すことにした。
________________________________________
『教祖』
・・・・・・ある宗教・宗派を開いた人。(Google調べ)
「おい芳田、俺は何かの宗教を開くのか?」
今更ながらこんな質問をなげかける。
そもそも何の信念も無い男が一体何を説こうというのだ。
俺は、というかうちは代々無信教(厳密には浄土真宗)だし特に神も仏も信じちゃいない。
ごく普通にクリスマスは迎えるし、お正月は初詣にだって行くけどな。
ただ深い意味合いなんか考えたこともないし、ちゃんとした戒律?流儀?そんなのも知らない。
ほとんどの国民がそうであるように、ただのイベントごとでしかない。
仮に神様だの仏様だのがいたとしても信用はしないね。
助けてくれねーし。
魔力が備わったわけだし、魔王とか悪魔とかそんなのは居るのかもな。
現実味はまだないけど。
「何の心配も要りませんよ。『教祖』なんて名ばかりですから。我々のように大所帯になってくると実態を隠蔽するのは難しくって困るんですよ。だからあえて体裁を取って宗教団体として存在させているんです。よって団体は単にここでのカモフラージュでしかありません。」
SUVの運転席から芳田が答えた。
助手席のミキはうんうんと頷いている。
「ここでのカモフラージュ?」
ここでの?ほかにどこがある。外国か?
「ええ。ここでの。そして今から向かうのがここでは無いところですよ。」
いやに含みのある言い方だな。
それよりも気になるのは魔力のことだ。
芳田は魔力についての解説を始めた。
「以前に、何かのきっかけで覚醒すると伝えましたよね? 恐らく、井上さんの心的ストレスによって閉ざされていた魔力の蓋がこじ開けられたことになります。それから、われわれの組織は強力な魔力を手掛かりに井上さんを見つけ出したんです。魔力はもともとあなたの体に潜在されていたもので、電気的信号を基本としています。『ライトニング』を披露したのもイメージをつけやすくする為です。『ライトニング』の原理としては、体内に流れる電流を増幅させて放った、といった感じでしょうか。ほかにも炎の『バーニング』、水の『ウォーター』、氷の『アイス』などの初級魔法があります。空気中の元素に電気信号で干渉して化学反応を呼び起こすのが基本的な考え方です。呼び名は、まあ、なんていうか・・・・・・そのまんまですけど。」
助手席のミキはうんうんと頷いている。
漫画かゲームの世界だな。
そうこうしているうちに、車はどんどん森の中へ突き進んでいった。
しばらくすると道路は砂利道に変わり、無舗装になった。
それでもSUVは悪路など物ともせず突き進む。
標高が上がり緑は青々とし、ミズナラや白樺の木が目だってくると、芳田は林内に停車した。
「ここからは徒歩で行きましょう。」
ミキはピクニックにでも向かうかのように楽しげだが、歩きなれない山道に俺は額の汗を袖で拭った。
おじさん疲れちゃった。
「着きましたよ。」
そこには山肌に空いた大きな穴があるだけだった。
「穴じゃん。」
「穴ですよ。」
「おっきい穴だよっ。」
おっきいとか穴とか言わないの、はしたないっ!
「入りましょう。」
芳田とミキは飛び込むように真っ暗い穴の中に突き進んでいった。
「待ってくれよー!」
俺は得体のしれない深い闇の中へ二人を追いかけた。
一瞬強い光を浴び井上は目を閉じた。
「!!!」
恐る恐る目を開けると、石畳の上に立っているのに気づく。
石畳には赤い塗料で、風変わりな、見たこともない模様が施され、残留した魔力が青白く鈍く光っている。
顔をあげるとそこには5人の人影がこちらに向かって膝まずくように並んでいる。
皆一様に同じローブを纏い、それぞれに奇妙ないで立ちをしている。
馬の顔の被り物をしている者、白目をむいたカラーコンタクトをつけた美女、逆に黒目しか見えない大男、ほかにもよくわからん奴ら。
なかなか工夫された歓迎だなー。
会社員時代の忘年会の余興を思い出す。
しかしよくできてるなー。
作り物には到底見えん。
その中の一人の馬頭が口を開いた。
「お待ちしておりました。新たなる我らが主。新世界の魔王様!!」
「んんん?」
俺は芳田を探した。
芳田とミキは並んで拍手をしていた。
パチパチと。
二人はとてもいい笑顔をしていた。
_________________________________________
アルガリア公国から逃れたサガン一行は北の大地を目指していた。
北の地には大賢者の住む国『シベル共和国』がある。
『シベル共和国』までの道のりは馬で7日、人の足で二月と言われていた。
俺の老いた馬はアルガリアの馬宿に置き去りのまま。
引取りののない馬はどうなるのか、俺は知らなかったが、無事でいるだろうか。
しかし逃亡犯の馬、望みは薄いだろう・・・・・・。
あれから三日間、俺たち三人は殆ど無言で歩き続けた。
特にリールの憔悴ぶりには気をもんだ。
食事もままならず、睡眠も浅い。
リールにはアルガリアに家族が居る。
心配事は尽きないが、様子を伺うこともできない。
俺たちは無力なうえにとても弱かった。
道中、魔物の群れに何度も遭遇した。
戦闘をこなすにつれ、俺たちはだんだんと気力を補っていった。
そして少しづつ経験を積み強くなっていくのを感じていた。
途中何度か小さな町や村に寄ったが、直ぐに金は底をついた。
食事は自分たちで調達することになった。
普通の冒険者ならば口にすることのない魔物を狩っては調理して食べた。
最低限の調理器具と調味料、それからホノカの料理の知識が役立ち、基本的にはなんでも美味しく食べた。
獣系の魔物は特に食べやすく、積極的に狩ることにした。
今日はブラッドハイエナを食べる。
俺とリールの倒したブラッドハイエナは全部で5匹。
まずはホノカの治癒魔法で毒抜きを行う。
殆どの魔物に毒は無いが、念のために解毒を行うのだ。
この時、先に皮を剥いでおき内臓を取り除いておくと解毒が早く済む。
次に部位ごとに切り分ける。
やはり、最初は解体の作業が一番の障害だった。
ホノカは悲鳴を上げながら魔物の腹にナイフを突き立て、深く刺しすぎて内臓を傷つけて内容物をぶちまけたりしていた。
いまはもう手慣れたもんだ。
「まっピンクで新鮮なお肉だねっ! あれ? ・・・・・・なんか、白い球が出てきたよ?」
そんなホノカを見て、リールも元気を取り戻していった。
「ホノカ、それハイエナの金玉やでー!」
「キャーーー!」
顔を真っ赤にしたホノカはそれを投げた。
それを投げつけられた俺は思わずキャッチし、リールに投げ返す。
「わわわ! 何すんねん! 金玉はいらんがなー!」
俺たちは暫くその白い球を弄んで笑いあった。
血抜きと内臓をとった肉は色んな料理に使った。
煮たり焼いたり何にでもだ。
その日に食べきれない肉は、薄く切ってホノカお手製の調味料で味付けをする。
そして風魔法で水気を極限まで飛ばす。
そうすると保存食の干し肉の出来上がりだ。
実際干しはしないが、魔法を使えればすぐに完成だ。
他に俺が特に気に入っていたのが、肉を薬草と塩でしばらく漬け込んだ後、炭火で焼く食べ方だ。
両面をしっかり焼いて、ちゃんと中まで火を通して頂くことにしている。
脂が滴るアツアツカリカリの肉を頬張る、甘い肉汁が口いっぱいに広がり薬草の香りが鼻に抜ける。
一瞬で疲れや不安も消え去った。
特に、見た目が豚に似た魔物の肉は脂がうまくていい。
それに、こいつらと食べるとなおさらいい。
一人で旅をしているときには気付きもしなかった。
飯を食うってのは楽しい事だ。
そんなことをしながら俺たちは北へ進んだ。
ある日、大きな森に差し掛かった。
森に入る前に宿営をする。
暗く魔力が籠りやすい森には魔物が生息しやすい。
「この森には大型の魔物が出るらしいねん」
リールは酒場で聞いた話をした。
「あるCランクの冒険者がやられたゆうて、近づきたなかってんけど・・・・・・しゃあないな・・・・・・」
あれからたくさんの経験値を積んできた俺たちは、冒険者ランクではどのくらいになるのだろう。
「今夜は早めに休もう。ただでさえ森の中は魔物が多い。明日の明るいうちに森を抜ける。」
夜明け前、辺りはまだ暗く静寂に包まれていた。
小さな物音に気付き、俺は目を覚ました。
と、そこには、ホノカの荷物を漁っている人影があった。
俺は狸寝入りをしたままそれをしばらく眺めていた。
それは子供だった。耳長族の少年のようだ。
5,6歳といったところか、金色の髪に白い肌、とがった耳、目つきは鋭く尖っていた。
手慣れた手つきでホノカの鞄を調べていた。
どうやら食べ物を探しているようだ。
こんなところに子供?しかも一人で?
子供は鞄から干し肉の袋を見つけると、一口つまんだ。
暫く咀嚼した後、目を輝かせ、干し肉を袋ごと自分の背中のずた袋に押し込み、音を立てないように、ゆっくりと森の中へ逃げていく。
あんなに目をキラキラとさせて、さぞかし旨かったのだろう。
まあいい。
子供の仕業だ。
放っておこう。
普段ならそうするところだ。
だが今回は見逃すわけにはいかない。
それは俺たちの貴重な食料。
しかもホノカ手製のスパイスの効いた旨いやつだ。
俺はゆっくりと寝袋から這い出て、子供をつけることにした。
二人はまだ寝かしておいてやろう。
子供を捕まえて、袋を取り返したらまた寝よう。
それで終わりだ。
こんなところに、なぜ子供が一人でいるかだなんて知ったことじゃない。
まだ暗い時間に森の中に入るつもりはなかった。
しかししょうがない、万全の注意で進もう。
子供の背中はすぐに見つかった。
俺は住処を見つける為に後を辿った。
森の中はとても静かで、少しだけ不気味だと思った。
途中には小川が流れ、山菜が豊富に茂っている。
森の中に石造りの小さな小屋があるのを俺は発見した。
その小屋に入っていく子供。
小さな小屋は大きな木の根元に寄り添うように作られていた。
木の根は小屋の石壁を半分近く浸食し、蔦は小屋の全体を覆っている。
屋根には煙突が一つ。
灰色の煙が細く漏れていた。
小屋には小さな窓があったが、内からも外からも汚れていて中を覗くことはできない。
この暗く静かな森の中で明らかに異質な存在であったが、植物の浸食によりそれはもはや森の一部のように感じられた。
暫くの間、木の影から様子をうかがった。
だんだんと朝日が昇り、木洩れ日で辺りが明るくなり始めた時、突然に獣の咆哮が響き大気を揺さぶる。
「!!!」
なんだ!?
そう思ったとき、目の前に巨大な魔物が立っていた。
深い緑色の大きな体躯、俺の体よりも太く硬そうな腕、体中には黒光りする体毛がびっしりと生えていた。
オーガだ!!!
二足歩行の魔物を相手のにするのは初めての経験だった。
俺は槍を構え、その知性のかけらも感じられない顔面を睨みつけ、魔力を矛先に込めた。
オーガは大ぶりの打撃を放ったが、躱せない速度ではない。
オーガの左腕は地面を揺らした。
またも腕を振り上げたオーガの攻撃も躱し、体勢を整えると同時に矛先で背中を切りつける。
のろい!
オーガの背中から赤黒い血液が噴き出す。
またもや咆哮を上げたオーガは突進を始めた!
来い!
その推進力を利用し、一閃。
槍はオーガの硬い皮膚を貫き心臓を吹き飛ばした。
返り血を大量に浴びた俺は、顔を拭った。
オーガの血は少しだけしょっぱくて生臭い。
オーガの巨体は大きな音をあげて倒れた。
森の中で動物が騒ぐ音がした。
リールの言う大型の魔物の正体はこれなのだろうか?
初見は驚きさえしたが、戦ってみるとどうということはない。
無傷で倒せてしまった。
きっとリールやホノカでも単独で相手ができる。
その程度の強さだろう。
これにCランクがやられた・・・・・・?
俺たちが成長したのか?いや驕りは危険だ。
それに、まだほかにいるのかもしれない。
慎重にならなければ。
そう考えていたとき、オーガの死体が一瞬光り、煙のように消えた。
なぜだ!?
魔物を殺しても死体が消えることなど今までなかった。
魔物ではない?いやオーガは昔から存在する魔物。
切りつけた感触も魔物のそれだし、返り血だって・・・・・・
無い!!
全身に浴びていた返り血が跡形もなく消えている!
だが、オーガが作った地面の跡はまだくっきりと残っている!
幻か?夢か?幻術にかかっているのか?
俺は大量の汗をかいた。
緊張に足が震えた。
その時、
「お、おい、お前!」
小屋からさっきの子供が顔を出して言った。
「あ、あ、あっち行けよっ!」
耳長族の子供は怯えた様子だった。
「オーガを倒すなんてただものじゃないな!! じいちゃんならいないぞ!!」
じいちゃん?そうかこの子供は一人で暮らしているのではないのだな。
「耳長族の子供。干し肉を返せ。それはお前が勝手に食っていいもんじゃない。」
「やだよー!これはオイラもんだっ!」
べー、と舌を出して言った。
憎たらしいガキだ。
「ほう、そうか、おまえもオーガのようになりたい様だな。しょうがない、子供は相手にしたくはなかったが・・・・・・」
俺はそう言って、槍を向け、子供を威圧した。
「ギャーー!!やーめーーてーーーー!」
耳長族の子供は目を真ん丸にして叫ぶと干し肉の袋を放り投げた。
「食ーべーーないでーーーー!!」
子供はとうとう泣き出した。
いやいや、食べるとは言ってないんだが。
まさか俺がオーガを食べるとでも思ってたのか。
食えるのかなオーガ。
いやマズそうだな。
返り血の生臭さが鼻腔に残っている気がした。
「食べ物をなげるんじゃない。それに俺はお前を食ったりしない。そんな風に見えるのか?」
「じいちゃーーん!!こわいよーーー」
子供は小屋の中に隠れた。
すると今度は小屋の中から耳長族の男性が一人現れた。
「タオがとんだ失礼を。竜族の若者よ。」
男性は若く美しい容姿をしていたが、おそらくは高齢なのだろう。
耳長族は長寿で有名だ。
________________________________________
「サガン!! こんなとこおったんかいな~!」
「もー!心配したんだから~!!」
そこへ二人が駆けてきた。
「あれ? こちらの方々は?」
とホノカ。
「私はリリアス。この子はタオと言います。どうぞお茶でも。」
リリアスは三人を招いた。
「なんや知らんけどお邪魔しま~っす。」
「ちょっとリール! 初対面なのに図々しいわよー。いきなりごめんなさい。私たちは『シベル共和国』を目指して旅をしている者です。この森を安全に抜けたいんです。なにか情報があれば教えてもらえませんか?」
「そうでございましたか。残念ながらそれは叶わないでしょう。森の奥には大蛇が住み着いております。とても狂暴で強力な毒をもつ巨大な魔物です。先ほどのオーガよりも強大な魔力を持っております。」
リリアスはゆったりとした口調でそう話した。
「そんな・・・・・・。でも森を抜けないといけないんです。」
困った。
しかしここまで来て引き返すわけには行かない。
俺たちには前に進む選択肢しか残されていない。
「とにかく、中でお話でもいかがですかな?」
俺たちは小屋の中に招き入れられた。
「改めまして。私はリリアス。耳長族の神官をしておりました。職を退いてからはタオと二人でこの森の保安を任されております。タオが悪さを働いたようで大変申し訳ございません。」
「いいんです。このぐらいの年齢だといたずら位しょうがないですし。でもタオくん! もうしないって約束できる?」
「ごめんなさい!綺麗なおねえちゃん。」
タオはホノカに抱き付いて言った。
その目はいやらしく光る。
「あかんでホノカ!このガキまたやるで。目を見たらわかんねん。」
「そうだな。酒場の猫娘を見るリールの目と一緒だ。」
「そうや、下心の現れやで!」
「まあまあ二人とも、怖い顔しないのー。このお兄ちゃんたちほんとは優しいんだから大丈夫だよ。」
タオはホノカから、よしよしと頭を撫でられながらもニヤニヤと頬を緩ませている。
早くホノカから離れろ!
「それよりも、リリアスはん。大蛇の事教えてくれまへんか?」
リリアスは俺たちに紅茶を差し出すと椅子に腰かけ、目を細めながら語りだした。
「あれはこの子が生まれてすぐ。この子の母親は亡くなり、父親も後を追うように・・・・・・。天外孤独となったこの子を私が引き取ったあたりから始まります。私も子を持ったことが無かったものですから、子育てという物に四苦八苦しておりました。タオという名はこの子の母親アンネがつけたものです。古い文献によりますと『道』という意味があるそうでございます。まっすぐに育ってほしいという思いが込められているのでしょう。もともと冒険者だったアンネは、タオを妊娠してからだんだん体調を崩すようになりました。それが妊娠によるものだと皆が思っておりました。体が強かったアンネも妊娠にはかなわない。周囲は心配しながらも幸せなことだと信じておりました。長時間の分娩で力を使い果たしたアンネは、タオを抱いたまま力尽きることになります。その顔は満足感と悔しさを持ち合わせておりました。」
リリアスは遠い目をしてお茶をすすった。
そして一息つくと話を続けた。
「父親のロクスンは酷く落ち込みました。妻と子と三人、幸せな家庭を築くつもりでしたから、その反動には耐えられなかった。現実を受け止めるのに暫くの時間を費やすことになります。その間、タオは私の勤める協会に預けられました。育児を放棄したロクスンを責め立てる者も多かった。しかしながら、愛するものを突如失った痛み、私には痛いほど伝わった。ロクスンとタオのため、そしてアンネのため協会は支援をします。ようやくロクスンが、タオと二人の人生を新たに歩みだした矢先、ロクスンにも病魔が・・・・・・。無念であったでしょう。『俺は大切な人を、不幸にしかできなかった。』ロクスンが病床で最後に語った言葉です。」
タオも、俺やホノカと同じ天涯孤独の身、というわけか。
ホノカは、膝の上に乗せたタオを強く抱きしめていた。
タオは黙っている。
「リリアスはん。タオの出生と大蛇と、どういう関係があるんでっか?」
「ええ。深い関係がございます。サガン殿。あなたが先ほど倒した魔物。オーガはタオが召喚したのです。」
「え!? 私たちが来た時にオーガの死体なんて見えなかったわ。サガン、どういうことなの?」
驚く二人にオーガとの戦闘の顛末を告げる。
なるほど、死体が煙のように消滅したのもそのためか。
しかし、『召喚術』とは本来、熟練した賢者のみが実現できる高等魔術。
この世界にも使用者は数えるほどしか居ないとされている。
なのにこんな子供があれほどの魔物を召喚するだなんて。
「もしや、その大蛇というのも」
「そうでございます。この子が意図せずに、無意識に召喚してしまった産物でございます。生まれながらに召喚術を使うタオ。周りの大人たちは恐れました。」
「それでこんな山奥に・・・・・・。」
「タオが召喚獣をコントロールできるようになるまでは、この森を出るわけにはいきません。
たくさんの冒険者が大蛇に挑んでは命を落としました。サガン殿、悪いことは申しません。どうか、あなた方も引き返していただけないでしょうか。」
「リリアスさん。訳は分かりました。だが、俺たちは引き返すわけにはいかない。
それに、タオが召喚術を使いこなすためには、それに立ち向かうことが一番の近道ではないだろうか。」
「・・・・・・サガン」
ホノカが心配そうな表情で俺を見ている。
「それにやで、本来、召喚術っちゅうもんは、大賢者様の魔術やさかい、タオが使いこなすんは何十年かかるか分かったもんやないで。それまで、ここに縛っておくわけにいかんやろ。」
「大蛇を私たちで抑制して、従わせるのがいいのかもしれません。タオがオーガを使役したように、弱った大蛇を従わせることができるのかも。」
ホノカにはすでに、他人事には思えなくなっていた。
「皆様の協力があれば、良い方向に働くのかもしれません。しかし約束してください。危険が迫った場合は直ちに逃げ帰るのですよ。」
こうして俺たちは大蛇の討伐を引き受けることになった。
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二人が住むこのもの森は、本来は危険な魔物の少ない森で、豊富な木の実や野生動物の宝庫であった。
美しい小川が優しくせせらぎ、川魚やさわ蟹も生息している。
リリアスは、タオとともに一日の多くを釣りをして過ごした、
それは食用の為だけではなく、精神統一の修練としても用いられ、教育の一環とした。
木の実を数えて演算を学ばせ、罠で捕らえた鹿のさばき方や調理法など生活や遊びのなかでタオに教育を施した。
同年代の子どもは学校に通い、友達を作るだろう。
しかし、この子には私しかいない。
いつか森の外を見させてあげたい。
そう思わない日はなかった。
タオが無意識的に召喚したオーガは、タオに敵意を向ける相手のみに攻撃をするようになっていたが、タオが制御することはできなかった。
対して例の『大蛇』であるが、オーガよりも上級な魔物であるためか、タオの制御は当然のごとく届くことはなく、その上、主人であっても見境なく攻撃してくるありさまであった。
『ヨルムンガンド』
大蛇の名は『大いなる精霊』を意味するヨルムンガンドと呼ばれた。
白く巨大なうえ動きは非常に俊敏で、魔力を霧状に飛ばし戦う。
その霧には毒性があり、四肢の末端から徐々に腐らせ、獲物を死に至らしめる呪いだった。
未だ、サガン達が出会うことのなかった強大な敵であった。
リリアスはこう語る。
「サガン殿のパーティは、戦士、僧侶、レンジャーのバランスのとれた編成でございます。主力はやはりサガン殿の矛。そこに集中させるためにお二人の補助が必要不可欠。長期戦に持ち込めば勝機はあるでしょう。その場合、ホノカ殿の魔力量が重要なカギとなります。しかし今のホノカ殿では少々不安があります。ホノカ殿、私の元で修業してみるつもりはございませんか?魔力量を倍にするまでが目標です。」
リリアスの目は真剣だった。
俺たちはそれぞれ、修練を積むことにした。
リールと俺はとにかく魔物を狩りまくった。
プリースト不在の俺たちは何度も死にかけた。
そのたびに力がついていくのを感じる。
『ヨルムンガンド』を倒す。
その明確で単純な目標だけが俺たちを突き動かした。
リールは考えていた。
あのアルガイアでの事件の時、わいにかけられてたんはブーストや。
そんなんも気づかんと戦闘を続けてもうた。
売られた喧嘩やったとしてもや、殺してもうたんはわいが未熟やったんやからや。
あの猫耳女は何でわいらに因縁吹っ掛けてきよったんかいな、
裏で糸引いてるやつがおんねん。
とにかくわいは強くならんといかん。
あのブーストの感覚を思い出すんや。
逃げてばっかじゃあかんねん!
一方ホノカは、リリアスが保有する魔法書のすべてを読破し、攻撃魔法の習得にも励んだ。
一日2時間の瞑想は小川の岩の上で行われた。雑念を断ち、『何も考えない』ことを行った。『何も考えない』ことを考えてしまうとき、微細な魔力の動きをリリアスは見逃さなかった。
ホノカの神経は研ぎ澄まされ、自然と一体になる。
元来、森の精霊とともにあった耳長族は自然と一つになることで己を高めることができる。
ある日ホノカは精霊の声を聴いた。
「フフフ、何しているの?フフフ」
「フフフ、遊ぼうよ。」
「風が歌うよ。」
暖かい風が頬を撫でる。
「水が鳴くよ。」
どこかで魚が跳ねた。
瞑想の時間は前日より長く設定されたが、彼女はその過酷な瞑想をこなした。
日に日にホノカの魔力は大きくなる。
その成長の早さに驚きを禁じ得ないリリアスであった。
「・・・・・・彼女は、精霊と友達になれたのかもしれません。」
ぼろぼろになった俺とリールを迎えてくれるのは、ホノカの温かい手料理と笑顔・・・・・・ではなく、疲れ果て、今にも倒れそうな彼女だった。
その酷い顔に俺たちはお互いを笑いあった。
そして俺たちは、少しだけ強くなった。
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リールが補助に徹し、ホノカは回復、そしてサガンはひたすら攻撃。
単純な戦法だが、三人の能力は依然と比べ飛躍的に向上していた。
それに加え連携も取れている。
木陰に身を潜め、三人の戦闘を見守るリリアスは感心していた。
ヨルムンガンドに遭遇して、サガンは風のように素早く一撃目を入れた。
矛先はそのゴツゴツと大きな頭の骨をえぐり、出血させる。
その瞬間、ヨルムンガンドは大きく口を開いた。
「引け!!!!」
三人は距離をとる。
大木を丸呑みするかのように異常なほど開かれた口には、細く長い牙が二本、その先から毒の霧が発生した。
「その霧を吸えば最後、吸ってはなりません!」
サガンは掌に魔力を集め強風を巻き起こした。
「なんとサガン殿!風魔法を習得しましたか!」
「じいちゃん!霧が晴れていくよ!」
風を纏ったサガンはヨルムンガンドの左目を突き破った。
「ギュオオオオオォォォォォ!!!!」
雄たけびをあげたその長い巨体はバネのようにのたうち回り、木々を払っていく。
サガンの左半身に衝撃が走る。
大蛇に対してあまりに軽い体は吹き飛ばされた。
「グ・・・・・・!」
俺の体は大木にぶつかって止まる。
「ヒーリング!」
ホノカの回復魔法でサガンの傷はたちどころに癒えた。
「わいも負けてへんで!スピード!!」
リールは自身にバフをかけた。
「へび公! あんさんの3倍動いたるで!」
素早い動きで俺にブーストを何度もかけた。
「まだまだや! 最高の一撃をプレゼントしたるで!!!」
俺は飛び上がり、槍を大きく後ろに引く。
体が弓のように屈曲して引き締まる。
反動を最大限に活かし、ヨルムンガンドの額を目掛け、全力で槍を放った。
「貫けェェェェェェェ!!!」
俺の槍は大蛇の額に深く刺さった。
「まだ足りなかったか・・・・・・!」
その時、大蛇は更に体をひねって暴れまわった。
長い尾がサガンとリールの二人を同時に払い飛ばし、ホノカに向かって牙を剥いた!
「危ない!!!」
間一髪で躱したホノカは回復魔法を二人に放った。
「今はその時ではない!!」
ホノカが気づいた時にはもう遅かった。
高く宙に飛ばされたホノカの体、折れたロッド、倒れた俺とリール。
放ったばかりの回復魔法は彼方へ消えていた。
私このまま地面に落ちればどうなるのだろう。
薄れていく意識の片隅で思ったのは遠い記憶。
お母さん、お父さん、ミキ・・・・・・。
あなたは誰?
『名前はまだ無いんだよ。そうだな、ビッグバードにしよう。』
ビッグバード・・・・・・。
地面に打ち付けられたホノカは意識を失った。
「・・・・・・なんや・・・・・・わいら強うなったんやないんか・・・・・・ゴホっ」
「ホノ・・・・・・カ・・・・・・待ってろ。今行く・・・・・・。」
俺たち二人は重たい体を引きずり大蛇に立ち向かう。
「もう勝機はありません! 立ち向かわず逃げるのです!!!」
リリアスさんがそう叫んだ瞬間、強力な魔力の発生にその場の全員が振り向いた。
「消えちゃえ------!!!!」
タオが泣き叫んだ。
そのとき大蛇は長く白い巨体を丸め、とぐろを巻いた。
そして一瞬にして音もなく煙になって消えてしまった。
タオの召喚魔法が解放されたのだった。
「最後の最後に、やりおったで・・・・・・。」
「ちっ、逃がしたか・・・・・・。」
「強がり、言うてはんな・・・・・・。」
安心しきった俺たち二人は意識を失い倒れていた。
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井上ダイは異世界に居た。
「おい芳田・・・・・・。一体全体どうなってんだよ!! そうか今日はハロウィンか!?それともここは映画村か!? どうして人外さんたちがこんなにもいらっしゃるんだよ!」
「何言ってるんですか。みんなあなたの味方、側近の魔族達ですよー。ほらほら、みんなザワついてますよー。シャキッとしてー。」
おいおいどうなってんだ?
俺は教祖にされるために来たんだよな?
魔王様?魔族?側近?いったい何の冗談だってんだよ!
よく見たら馬の被り物じゃねぇ!!
馬そのものじゃねぇか!!
姉ちゃんもカラコンじゃないし!
おまけにツノ生えてるし!!
おい!大男!!怖いからこっち見るんじゃねえ!!!
そして他の二匹!!
舌の長い妖怪とゼリー状のやつ!!
絶対人間じゃねーだろーー!
だって浮いてるもん!!!
こいつら自然と飛んでるもんーーーー。
ここは怪物ランドだったーーーーーーーーーーー!!
「違いますよ。失礼ですねー。みんなれっきとした魔族ですよー。ほらみんなご挨拶してー!」
バズ「はっ。私はあなた様が魔王軍の幹部、幻影のバズでございます。よくぞ戻られました、我らが主。転移されたばかりの慣れぬ環境、何なりとこのバズに御申しつけくださいませ。」
スイ「ちょっと何よバズ。偉そうに。私のダイ様に軽々しく何なりとなんて言ってんじゃないわよ。キモチ悪い顔して! 殺すわよ! あっ、申し遅れましたダイ様! わたくしは魔王軍幹部の一人、毒闇のスイリエッタ・アンジェリエッタでございますわ。”スイ”って呼んでくださいましっ。」
スイという美女は頬を赤らめながら名乗った。
「井上さんも隅に置けないな~。スイリエッタは井上さんの顔を念視したときからずっと待ってたんですよ~!」
芳田がニヤニヤと言った。
「ああ、そうなの・・・・・・。」
魔族(?)から好かれる人生だったとは。驚きだ・・・・・・。
でも悪くないかも・・・・・・。美女だし。おっぱいデカいし。・・・・・・ツノ生えてるけど。
「わー! なんかエッチい事考えてるー! 教祖様きもーい!」
ミキはけらけらと指を差して笑った。
一瞬、風が吹いた。
ぽとっ。
地面に何か転がった。
俺はそれを拾い上げる。
「ん? これって・・・・・・。」
それはよく見慣れた色、形をしている。
ぷにっと柔らかく、小さく先は尖った、何やらプラスチック片を思わせる造形。・・・・・・指のような?・・・・・・指だーーーーーーーーー!!!!
ミキの指先からは真っ赤な血がどぼどぼと流れていた。
「ぎゃーーーー!!ミキちゃんダイジョブかーーーー!!?」
「おまえ誰に指さしてんのか分かってんのか? このガキんちょが。」
殺気を剥きだしにしたスイが鋭利な爪を舐めながら言った。
「ダイジョブですよ~!ほら!」
ミキは手品でも始めるかのように、血まみれの指先にハンカチをかけた。
小さな花柄のハンカチはみるみる真っ赤に染まっていく。
それを見て俺は卒倒しそうになっていた。
そしてハンカチを取ると・・・・・・
なんと、切れ落ちた指は元に戻っていた!
「これだからヒステリックおばさんはこわいよーーー。」
「なんですって、このクソガキ!」
仲がよろしいこと・・・・・・。
「これはどうすりゃ良いんだよ!」
俺の手には切断されたミキの人差し指がある。
「・・・・・・拙者が頂こう。」
すると長い舌を、さながら象の食事のように巧みに使って、舌の長い妖怪がミキの切れ落ちた指を口に含み咀嚼を始めた。
ゴリゴリ、むしゃむしゃ。
ごっくん。
「いや、キモい。キモいけどさ、一人称の拙者の方が気になるよ! てかミキちゃんまで魔族だったの!!!!???」
「そーだよー! あたしはお花の化身、だから指だって生えてきちゃうの~! すごいっしょ!」
そんなこんなで俺の教団本部(異世界)での新生活が始まった。
どうやらここは漫画やアニメやゲームのような、いわゆる『剣と魔法』の世界らしい。
初めは疑いこそしたが、あんな非現実な連中を目の当たりにするとそうも思ってられない。
なんとか現実として受け止めなければいけない。
俺の周りは化け物だらけなのだ。
芳田までもが正体は”死霊”だと。
なんだかよくわからんが、理解しようと思っても無駄らしい。
そして一番理解ができないのが、この中で一番強いのが『俺』だということだ。
ホントか?こいつら全員でからかってんじゃね?
そう思っていたが、俺が廊下を歩いているだけで幹部軍の兵隊どもは全員ひれ伏して迎える。
それに何だか最近思うんだよな・・・・・・。
いくらこいつらが束になってかかってきても、返り討ちにできちゃうような変な自信。
相手との力量の差みたいのが手に取るようにわかる。
「俺も、人間じゃなくなっちまったのか・・・・・・。」
日本から持ってきた最後のタバコをふかしながら空を見上げる。
「ま、いいか。」
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教団本部に来て約一か月が経った。
暫く過ごしているうちに色々なことが分かってきた。
ここはいわゆる『異世界』。共通した呼び名は無い。
よく漫画やアニメで目にするあれだ。
この世界には多種族が住んでいる。
獣人やエルフなんかも居るらしい。
外を歩けば魔物も沢山いる。
殆どが知能の低いただの動物だ。
だが巨大な者も生息していて、偶然デカいのに遭遇すると結構びびる。
しかしだ、相手も同じ。
野生の本能か、俺を見ると殆どの生物は逃げ出してしまう。
そんなにも俺は恐怖の対象になっているのか。俺は疑問を感じる。
ただの気の良いおっちゃんだぞ?
『教団本部』というのは日本での通称だったことをようやく教えられた。
日本で活動する上での建前上の名称であって、特に宗教団体ってわけじゃない。
俺の事を王様かのように崇拝していることを考えると、あながち宗教と言えなくもないわけだが。
肝心の教祖の俺に何の信念もないからな。
生活できれば十分なんだぜ。
だがしかしだ。
実はそんなことも言ってられなかった。
俺をわざわざ日本(ここからすれば異世界だ)から引っ張ってきた理由がそれにあたる。
魔王軍にとっての因縁を果たす時なのだ。
さかのぼること100年前。
この世界の安寧は保たれていた。
世界には大きく四つの大陸が海に浮かび、空にはいくつもの浮遊大陸が存在していた。
浮遊大陸が存在する世界。
その時点ですでによくわからないのだが。
それぞれの大陸には各種族によってたくさんの国が開かれていた。
魔王軍の先代魔王『アルス』は魔族の指導者として民からの信頼を得ていた。
その一番の要因はその強さにあった。
取り分けて魔族という種族は、強さという明確な基準に対しての信頼が厚く、それが絶対的な評価だった。
太古の時代、魔族とは、突然変異的に強い魔力や特殊な能力に目覚めた者をルーツとしている。
魔王アルスは歴代の魔王の中でも随一の魔力量を誇り、それによる圧倒的な武力、その勤勉な性格がもたらした知力によって、他種族からの畏敬の念を集めた。
その気になればこの世界を牛耳ることもできただろう。
しかしそうはしなかった。
アルスは優しかったのだ。
この美しい世界を愛し、種族を超え、人々を愛し、小動物たちを愛でた。
強大な魔力によって王となったが、世界の平和を誰よりも願っていたのだ。
そんななか、ある勢力の台頭によりアルスの安寧の日々は終わりを告げる。
『魔王討伐隊』
魔族だって他の種族と変わらない。悪い魔族もいればいい魔族だっている。
だが一部の者の中には「魔族を根絶やしに」という信念を掲げている者がいる。
反自然的な魔術自体を邪悪なものと捉え、魔族の存在を許さない勢力だ。
勇者の素質を持つものが発生し、それを筆頭に武力を行使する輩だ。
そのくせ自分たちも魔術を戦闘に持ち込んでいる。
闘いの目的はすり替わり、「魔族こそが絶対的な悪」とするのが奴ら『魔王討伐隊』なのである。
ある日、その『討伐隊』にカリスマが出現する。
『勇者タリウス』と名乗る人族の若者だ。
その若者は類まれなる剣術のセンスと、魔術を無効化するスキル『崇光の導き』により最強の勇者と崇められた。
タリウスは4人の仲間とともに魔王討伐の旅に出る。
対する魔王軍は1万の軍勢で立ち向かうが、『崇光の導き』により蹂躙されることとなった。
最後に残った魔王アルスは、勇者タリウスに融和を持ちかける。
「我が軍は絶大な損失を被った。家族も、仲間たちも失った。ここで終わりにしよう。このまま我らが争えば、双方に壊滅的な影響が及ぶことは明白。憎しみも悲しみも、我は持たぬ。そう誓おう。さすれば勇者タリウス、真に強き者よ。我が領土の半分をお主に与える。引き下がってはくれまいか。」
すべてを失いかけた末の降伏宣言である。
まだ我ら魔族にも子供たちが残されておる。
次世代に憎しみの連鎖を残すわけにはいかない。
「魔王! 貴様を倒すために俺は生まれた! そしてその使命を果たす時が来た。貴様のような恐怖の存在をこのまま野放しにできるか!」
「勇者よ。恐れているのだな。だが案ずるな。われの命が欲しいのならばくれてやろう。しかし、残された我が種族は復讐に燃えるかもしれぬぞ。我が恐れているのはまさしくそれである。」
「なにを!戦いはもう始まっているのだ! 貴様を討つことこそ、この世界の望みだ!」
「憎しみを捨てろとは言わぬ、だが我々が手を取り合うことこそが真の発展だとはおもわないか?」
勇者タリウスは混乱していた。
絶対悪である魔王に和平を唱えられるとは。
タリウスの中で一つの、それでいて大きな常識が揺らいでいた。
「聞く耳を持つな!!」
タリウスの仲間の一人が言った。
「騙されてはいけない!! タリウス!! そいつは魔王だぞ!! そいつらと手を取ることなんてできるわけがない!」
「そうよタリウス! 今までの旅を忘れたの? 世界中が魔王討伐を望んでるのよ!」
勇者の仲間たちは口々にそう諭す。
「世界中が?」この者たち、洗脳されているのか・・・・・・?
聞く耳を持たない討伐隊と魔王アルスとの戦いは一瞬で終わることとなる。
魔王アルスはすべてを理解した。
可哀そうな若者たちだ。
この者たちを救おう。
魔王アルスは側近の幹部に一言耳打ちをし、勇者たちに自らの首を差し出したのだ。
祖国に凱旋した勇者タリウスたちはそれぞれに領地を与えられ、伝説の勇者一行として未来永劫語り継がれることとなった。
討伐とは聞こえの良いだけの、ただの殺戮だったとは誰も知らない。
それから100年。
魔王アルスは、異世界のまだ何でもない男に転生した。
前世の記憶を残すことなく。
自死の直前、魔王アルスは側近の幹部に最後にこう言った。
「勇者の背後には黒幕がいる。100年後また会おう。」
そしてその黒幕が、勇者たちを洗脳した黒幕が、いま新たな力を備え世界を我が物にしようとしている。
アルスは死後、その黒幕の正体を突き止め転生を遂げたのである。
ある日突然、側近の幹部にの脳内にアルスの意思が清流のように注がれた。
いまは亡き王の言葉に幹部たちは涙を止めることはできなかったという。
「復讐をあなた様が望まないことは承知しております。しかし、その名を聞いたからには私が進む道は一つ。必ずや、新たなる王を導きましょうぞ!」
バズは涙を拭いながらそう誓ったのだった。
黒幕の名は「グレイシード」。
人族の研究者だったが、とうの昔に人であることを辞めている。
グレイシードは自ら手を下すことはない。
異世界から勇者の才能を召喚し、自身の研究材料としている。
グレイシードの名前に、井上は聞き覚えがあるような気がした。
「そうか、俺が魔王アルスの生まれ変わりなのか・・・・・・。」
あんた、頑張ったんだな。
井上ははるかに年上の、正義の魔王様に労いを送っていた。
これから俺たち魔王軍は、グレイシードを殺しに行くんだな。
だが依然としてグレイシードの行方は掴めていないらしい。
もしかしたら死んでいるのかも?
いや、人を辞めた魔人は老いることもなく、とてつもなく長生きらしい。
その代わりに命を糧に生きている。
犠牲者を増やしながら生き永らえているらしいのだが、命を摂取することで自身の能力も向上しているのだと予測されている。
少なくとも百年以上も命を食べ続けた奴は、一体どんな化け物に成長しているのか、考えるだけで恐ろしい。
「魔王さまっ なにぼーっとしてるんですか?」
世話係のミキが横から顔を覗いてきた。
「いまいち実感が湧かないんだよな、俺が魔王の生まれ変わりってのが。」
「うーん、ミキもよくわかんないや。あ、でもわかるかも。ちょっとじっとしててー。」
大きな瞳をしたミキの小さな顔が、井上の無精ひげを生やした顔面に接近した。
俺は思わず息を止めた。
ミキは澄んだ瞳でまっすぐと井上を見つめ、
「キスして。」
そう小さく呟くと静かに瞼を閉じる。
ミキとの距離は10センチにも満たない。
この可愛らしい少女の果実のような桃色の唇はすぐにでも触れられる位置にある。
俺は心臓が不規則に、それも極端に強く弾む。
俺はそれを制御できないでいる。
なにこんな子供に緊張させられてるんだ俺は!
「キスをすれば何かが分かるのか?」
「そうだよ。早く・・・・・・・」
キスをすれば何かがわかるんだな?
これは診察とか医療行為の類なんだな?
そう言い聞かせている自分が空しくなる。
キスをしたら今後俺たちの関係はどうなるの?
なんか変に意識とかしない?
どうなの?
井上は一旦周囲を見回し、誰もいないことを確認した。
ええい、どうにでもなれ!
俺はミキの両肩を掴むと、思い切って唇を重ねた。
その瞬間、ミキの両肩が大きく震えた。
ミキの目は大きく開かれ、痙攣している。
俺は熱い湯に飛び込んだ時のような心地よさを全身に感じた!
そして少しだけの疲労を感じるのだった。
3秒程度の接吻だった。
ミキはお俺から離れると驚いてこう言った。
「魔王様すごかったよー! あたしびっくりしちゃった!!」
「びっくりしてるのは俺の方だ! なんだこの疲労感?」
「エナジードレインだよ! すっごく味が濃くって、甘くてくせになりそう!ほらあたし花の化身っていったでしょ? ドレインすれば魔力の質とか色んな情報がわかるの! でも本当にキスしてくるなんて、それの方がびっくりだよ。」
この小悪魔め・・・・・・ドキドキさせやがって・・・・・・。
「ん? どーしたのー? もしかして照れてるのー?」
「なんでもねえよ!」
「もう一回、する?」
真っ赤になってミキを追い回す俺。
と、それを見ていた芳田。
「何やってんですか。」
「ひゃっ! いつからいたの!?」
「今来たとこですよ。ひゃっ、てなんですか。」
「ななな、なんでもねーよ!」
「あたしと二人きりの秘密だもんねー。」
「コラ!余計な事言うな!!」
「そんな事より魔王様。あなたが来てから、止まっていた歯車が動きだした。不思議とそんな気がするんです。」
芳田の声色が真剣さを帯びた。
「どういうことだ?」
井上が向き直ると、芳田は今まで見せたこともないような、悲しそうな表情を浮かべていた。
先代の魔王を思い出している顔だ。
「グレイシードに関する有力な情報が確認されました。」
_________________________________________
「グレイシードに関する情報が得られたのは約2年ぶりになります。2年前に竜族の風の里の惨殺事件での首謀者がグレイシードです。黒い髪の男性、中肉中背で周りに溶け込むのがうまかったと聞きます。奴は悪魔を使役し、里の民を皆殺しにしています。」
会議室に集められた俺たちに対して芳田の説明が始まった。
俺のアパートの10倍以上の広さがあるこの空間の中央奥に玉座、その周辺から入り口付近まで、幹部連中を始め各部隊長が席についていた。
玉座に座らせられた俺の後ろにミキが立っている。
芳田は魔王軍幹部の中で一番序列の高い参謀役を務めていた。
先代魔王に仕えていたバズは相談役といったところだ。
「竜族の民を皆殺しにした、これだけでグレイシードの戦闘能力を語るには充分でしょう。そして召喚術により悪魔を使役する。魔力量も相当なものと考えられます。それ以降、煙のように消息を絶っていましたが、ある大国で奴の行動が確認されました。その大国とは、『オルテジアン』。経済力と軍事力で今や世界一の大国と言われている人族の国家です。最近では魔法兵団の増強に力を入れており、キメラを培養しているとか。神にでもなったつもりでいるのでしょう。」
「芳田。キメラってなんだ?」
「そうですね、多種多様な生物を組み合わせてつくられた魔物のことです。元の世界では倫理的にタブー視されていたものですね。」
「それにグレイシードってやつが関わってんのか。」
「現段階では推測の域を超えません。しかし奴は元々研究者、それも人族でした。何らかの企みがあって『オルテジアン』に肩入れしている可能性は拭いきれません。
潜入調査が必要かと。
そこでです。ミキちゃん。」
「えっ あたし!?」
「ミキちゃんは一番人族に溶け込むのがうまい。他のみんなは・・・・・・ほらこんな見た目ですから。」
皆は顔を見合わせたが納得したように口をつぐんだ。
「擬態が得意なミキちゃんが潜入調査には適任でしょう。」
「おいおい待て芳田! いくら何でも一人で行けってのは可哀そうだろ!」
「誰も一人だなんて言ってませんよ、魔王様。いいえ、井上さん。一回、人に戻ってみませんか?」
見覚えのある微笑を浮かべる。
「まさか.・・・・・・」
「ええ、そのまさかですよ。見た目は冴えないただの中年ですから。」
皆一同に首を縦に振る。
なんだこいつら。上司を使おうってか。
「わかったよ! 行きゃあ良いんだろ行きゃあ。だがお前もだ芳田!」
「ぼ、僕は参謀としての仕事が」
「参謀役はバズじいさん。あんたに任せた!」
「ははーッ!」
うやうやしくこうべを垂れたバズの横に立つ芳田は、落胆で肩を落とした。
後衛で楽なんかさせてやるか。
「ダイ様~! それならばわたくしも連れて行ってくださいな~!」
「スイは目立つから駄目だ!」
ガーン・・・・・・。
「お前を危険な場所に連れてはいけないからな。俺の帰りを待っててくれるな?」
モテる男はつらいぜ。
この女、美人だけどキレるとヤバいからな。扱いには気を遣う。
「は、はい.」
スイは頬を赤らめた。
「ところでだ。」
全員の注目を集める。
「みんな知っての通り俺は人間だ。異世界から来た。戦闘の経験なんてものは無い。日本じゃ必要なかったからな。だけど俺の中には確かに先代魔王の力がある。それに執念も伝わってくるんだ。先代魔王はきっとすごい奴だったんだろう。お前たちの理想の魔王にはなれねーかもしないが、いっちょやってみるかって気になってるんだ。そしてお前らの悲願を果たしたら元の世界に帰ろうと思っている。一度終わってしまった人生だ。俺が魔王の生まれ変わりなら、全うしてやろうじゃないか!」
皆のすすり泣く声が聞こえる。
バズじいさんは人目もはばからずに涙を流している。
「話は終わりじゃない。これは皆にお願いなんだが。」
全員が息をのむ。
「俺に戦闘の仕方を教えてくれ。」
翌日から『魔王様の強化特訓』が始まった。
まずは属性診断。
ここ教団本部は魔族が多く住む大陸、通称『魔大陸』の中心部アルスハイム地方にある。
アルスハイムとは文字通り先代魔王の名前から付けられているわけだが、緑豊かな山岳地帯に一際せり立った活火山をベースにして作られている。
こんな危険なところに作ったのはどんなアホだと思ったら、ずっと昔、始祖の魔王の趣味でこの場所に作られたらしい。
とんでもない中二病野郎に違いない。かっこつけたくてこんな危険地帯に作ったのだ。
本部には数えきれないほどの階層があり、アリの巣のように大小の部屋が無数に存在した。
活火山に作られている構造上、各階層は筒抜けになっていて、大きく開いた火口を入り口として最下のマグマ溜りまで一直線に抜けている。
魔力により抑えられている為、噴火の危険性こそ無いものの1000度以上のマグマは単純に危険だ。
もっともマグマに住んでる奴も居るらしいのだが・・・・・・。
長年魔力に晒されたマグマは稀に美しい結晶を生み出す。
見た目こそただの手のひら大のガラス玉だが、魔力を込めたとたん光りだす。
光の色によって魔力の属性を診断するというわけだ。
恐らく俺の属性は先代魔王アルスと同じ『闇属性』に区分されるだろう。
ちなみに「幻影のバズ」、「毒闇のスイリエッタ」も同じく『闇属性』だ。
他にも、舌の長い妖怪のような風貌をした幹部の一人、「黄昏のサイエン」は『風属性』、
ゼリー状のスライムの長で幹部の「水龍のモノケル」は『水属性』、
近衛騎士団長で黒目の大男「鉄壁のグランドラード」やミキは『地属性』、
そして『火属性』と、魔族には付与されることの無い『聖属性』、
この6属性が基本的な属性区分だ。
結晶を握りしめた俺は、目を閉じて魔力を込めた。
結晶を壊してしまわないように優しく。
俺は魔力を込めながらこんなことを考えていた。
今まで、こんなに誰かから必要とされることなんてあっただろうか。
こんなところで、こんな奴らに囲まれて、こんなことって想像できるか?
芳田から声を掛けられてから、いろんなことが変わってしまったんだな。
もしかしたら元の生活に戻ることなんて出来ないんじゃないのだろうか。
それでも、俺は、俺を頼ってくれる奴らの力になりたい。
結晶がまばゆい光をあげた。
そして光量は穏やかになり美しい緋色へと変色しては輝きを放った。
「驚きましたぞ。先代魔王のアルス様は紫色、すなわち『闇属性』の輝きでしたが、魔王様はなんと『火属性』を示された! 潜在的に『闇属性』をお持ちのダイ様は訓練次第で二つの属性を100%使いこなすことが可能やもしれませんぞ。」
「それって凄いことなのか?」
「属性とは得手不得手を示すものとお考え下さい。常人よりも二倍のアドバンテージを持つという事でございます。」
「ほう、そうなのか。」
凄いことなのかもしれないが実感は全く無かった。
それぐらい俺はアルスの力に頼ろうとしていたのかもしれない。
大袈裟に騒ぐバズじいさんを横目に、武術の先生「鉄壁のグランドラード」との訓練が始まった。
基礎的な体術の教えを乞う。
グランドラードは世界大会で二度の優勝経験をもつ実力派の武人。
鍛え抜かれた肉体と精神力はまさしく師匠!
男なら誰もが憧れる漢の中の漢!
こいつの肉体に傷をつけるには並大抵の魔力をぶっ放しても無理そうだ。
実力なら魔王軍幹部の中でも随一を誇るそうだ。
そしてこいつ、極端な無口!
教示はすべてグランドラードの副官であるジャックが担当してくれる。
「オッス!団長は口下手ですので自分が代わりに喋るッス!」
魔族にも体育会系のノリってあるんだな。
こいつらと接しているとあまりのギャップに驚かされることが多々ある。
魔族って怖い、危ない、悪い、そんなイメージがあった。
だけれど蓋を開けてみたらどうだ?
良い奴ばかりじゃないか。
どこの馬の骨ともわからない俺をこんな簡単に受け入れてくれて。
100年前、こいつらの種族は人族の勇者に酷いことをされたんだぞ?
いや、酷いなんてもんじゃない。
人族に対しての恨みが無いわけないじゃないか。
それなのに・・・・・・人間の俺を頼ってくれている。
期待に応えたくなっちまうだろ!
井上の拳に力がこもる。
________________________________________
戦いから3日が経った。
ヨルムンガンドの攻撃により、意識を失ったホノカはいまだに目覚めない。
俺とリールの怪我も大したことはなく、翌日には動けるようになっていた。
タオのおかげで俺たちは全滅を免れたわけだが、ホノカが目覚めないことを気にして自分を責めているようだった。
当然タオが気に病むことではない。
弱かったホノカ、いや俺たち3人の問題だ。
あれからタオの召喚術が暴走することも無くなった。
タオは完全に魔力を制御することに成功したらしい。
とても喜ばしいことなのだが、更に一つ重大な問題が起きた。
リリアスの姿がどこにもないのだ。
小屋の周辺を3人で探したがどこにもいない。
ヨルムンガンドとの戦闘が終了した途端に行方をくらましたリリアス。
どういうことなのだろうか。
意識を失ったままのホノカを残し、遠方へ捜索に行くわけにもいかなかった。
ホノカが眠っている間、俺はまともに眠ることができなかった。
あの長い睫毛も小さな唇も少しも動くことがない。
ただ胸元に掛けられた毛布が静かに上下するだけ。
このままずっと目を覚まさなかったら?
あの細く美しい声、タオを抱きしめた優しい手、ブラウンの大きな瞳。
目の前のホノカを、記憶の中のホノカを、俺はどうしたいんだ。
分からない。
この気持ちが何なのか・・・・・・。
俺はまだ知らない。
夢の世界に旅立ったこの美しい少女の右手を俺は一晩中握っていた。
5日目の夜、ホノカは突然目を覚ました。
思わず抱き付いた俺の頬を、ホノカのビンタが飛ぶ!
「きゃーーー!!」
バチンっ
リールとタオは顔を合わせて笑った。
俺もつられて笑い、ホノカもつられて笑いころげた。
「ずっと眠ってたのね・・・・・・。わたし。」
キョトンとしたホノカの顔色はとてもいい。
「ねえみんな、付いてきてほしいところがあるの!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
こんな夜にどこへ?
俺たちは4人は着の身着のままで小屋を出た。
夜の森はとても静かだ。
初めて、この森に踏み込んだ時の緊張感はもうなかった。
この森でリリアスとタオと出会い、たくさんの修業を積んだ。
ここ森は、俺たちの道場であり、それでいて、俺たちの友達になっていた。
ブナの群生林を抜けた時、虹ホタルが飛んでいた。
色とりどりに、緩やかに点滅するホタルのあとを追いかけながら、リールが語りだした。
「虹ホタルはな、アルガリアのにもおったんやで。小さい頃から見慣れとったからな、こんなゆっくり見んの久しぶりやわ。光り方もな、規則性があるんや。暖色から徐々に寒色になってな、ほんでまた暖色になる。けどな、たまに不規則に光る奴もおんねん。光るのに慣れて無いねんな。そいつは、死者の魂やっちゅう話や。」
「ちょっと、リール!」
ホノカが遮った。
タオは俯いている。
「リリアスはんは、もう帰ってけえへんと思うんや。」
「リールいい加減にしろ!」
俺はリールの肩を掴んだ。
「やめてください。お二人とも。」
突然リリアスの声が響いた。
「あ、じいちゃん!どこにいるんだよ!」
リリアスの姿はどこにも見えない。
その時、ホノカの側を一匹の虹ホタルが通った。
虹ホタルはゆっくりと、ふらふらと飛行を続け、赤、青、白、赤、黄色、と光っては不規則に揺らいだ。
美しい小川に差し掛かった時、岩の上に虹ホタルは着地した。
リリアスがいつもタオと釣りをし、ホノカが瞑想をした大きな岩だった。
「じいちゃん・・・・・・。」
「リリアスさん。」
虹ホタルから青白い光が広がった。
その光は朧気に瞬いて人の姿を形作った。
「よくぞ見つけられましたな。ヨルムンガンドとの戦闘、素晴らしかった。よく頑張りましたね。」
「どこいってたんだよ!探したんだぞ!じいちゃん!
オイラを置いていくなんて酷いじゃないか!」
リリアスは答えない。
「オイラ、召喚獣をコントロールできるようになったんだよ!もう迷惑かけなくてすむんだ!」
リリアスは微笑んでいる。
「姉ちゃんたちとも仲良くなったんだ!サガンの飯は旨くないけど、今日姉ちゃんも起きて、みんなで笑ったんだよ!」
「・・・・・・。」
リリアスがようやく口を開く。
「タオ、よく聞くんだよ。」
俺たちも注視した。リリアスさんからの言葉を待つ。
「じいちゃんはね、ずっと昔に死んでるんだ。」
全員が驚きを隠せずにいる。
タオはだ黙ってリリアスを見つめている。
「でも死にきれなかった。願ったんだよ。タオを残して行けない、ってね。古い友人に相談していたんだ。今や大賢者と呼ばれる、古い友人にね。少しだけ、少しだけ命を伸ばしてくれって。だけどね、もう行かないといけない。」
「じいちゃん!!いやだ!オイラずっと一緒に居たいんだ! もうわがまま言わない!悪さもしないから! おいてかないでくれよー!」
「なんとかもう少しだけ!タオと居てあげられないんですか!リリアス師匠!」
「ホノカ殿、あなたは本当に強く成長なされた。皆を守ってあげる強い神官になることを期待しています。」
「リリアス師匠!!」
「サガン殿、リール殿、タオが自分の力を制御できたのはあなた方3人のおかげに他なりません。北の国シベルに私の古い友人がいます。『アイリッシュ』という男を訪ねてください。少々変人ですが、きっと力になってくれるでしょう。そして・・・・・・。タオはもう1人でも大丈夫です。ですが、たまには、遊びに来てやってください。どうか、最後のお願いでございます。」
そう言い深々と頭を下げるリリアス。
それに対してキッとした表情でホノカが言った。
「お断りします!!」
ホノカは、溢れんばかりに涙を浮かべている。
「タオは、タオは私が連れていきます!!」
俺とリールは顔を見合わせた。
そうだ、これがホノカだ。
頑固でお人好し、そして最高に優しい。
「俺たちに任せてくれ!」
「こいつを独りにはさせへんで~!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、ホノカは笑った。
とても綺麗だと思った。
「なんと!本当に、本当に、感謝の言葉もございません。」
リリアスは、今度はタオの目線に合わせるように腰を屈めて言った。
とても優しい声だった。
「タオや。よく聞くんだよ。もう悪さをするのはやめておきなさい。好き嫌いはせずに、何でも食べるんだ。そして寝る前には、しっかり歯を磨くんだ。女の子には優しくしなさい。勉強も怠らないように。泣きたくなったら泣きなさい。もし、辛くなったら助けを求めなさい。強く、大きくなりなさい。そして、皆さんの力になるのですよ。」
「じいちゃん。注文多いよ。」
タオは袖で涙を拭って言った。
肺一杯の息を溜めると、大声で宣言するように、タオは力一杯叫ぶ。
「約束する!だから、だから、ちゃんと見ててくれよな! じいちゃん!いままで、ありがとう!!!」
リリアスは暗闇に消えていく。
もう誰も追いかけては行けない世界へ。
タオの大きな感謝の言葉は、静かなこの森の闇を切り裂いて、遠く響いたのだった。
_________________________________________
『あなたは死にました』
目が覚めると目前には女の子がいた。
金髪で美しい顔立ち。
日本人には見えないけど欧米人にも見えない。
強いて言うならコスプレ?頭の上にはドーナツ型の蛍光灯?
まさか天使の輪っか??
私もそういう格好してみたかったな。
立花ホノカは思った。
そんな事より・・・・・・。
私は死んだんだ。
記憶が全くない。
何かに襲われたような。
だめ。
思い出せない。
・・・・・・え?私、誰だっけ?
思い出せるのは自分の名前だけ・・・・・・。
不安が襲ってくる。
『あなたは死にました』
天使ちゃんはもう一度言った。
あなたは?
『導く者』
無表情だが優しい声。
『立花ホノカ。あなたは死にました。黒の魔人から殺された。理由は一つ』
導く者は言った。
二言以上話せるらしい。
黒の魔人?
『人でも獣でもないもの。あなたの世界にはいない者。あなたが死んだのは間違い』
間違いなら帰して!
『それはできない。あなたの世界の秩序、乱れる。だから立花ホノカ、異世界に転生する』
転生?
『あなたの才能、ずっとずっと開花させる。転生してやり直し』
才能?やり直し?全然わからない!どうにかなりそう!
『心配いらない。あなたは聖女。生まれながらに尊い。稀有な存在。世界を繋ぐもの』
聖女?それは何?私はどうすればいいわけ?
殆ど泣き出しそうになる私。
混乱と恐ろしさ。
聖女?取柄もない私が?
『話しても理解されない。だけれどあの世界。いま未曾有の脅威に晒されている。聖女が必要』
どうして私は殺されたの?
『それは、立花ホノカ。強すぎるから。開花したら誰も近づけない』
開花したら、そのだれも近づけない存在になるってこと?
聞いていると苛立ってきた。
分かったわ!その転生した異世界で暴れまわってやる!そうすればその黒の魔人に辿り着けるってことよね?聖女(?)の力を行使するわ!
『そうとも言える。でも、暴れまわる。それ迷惑』
知ったこっちゃないわ!!突然殺しといて、その理由が強すぎるからー、とか納得いくかっつうの!!記憶もないし。あったま来たわ!!皆殺しよ!!!
『だめ。ホノカ。聖女。弱きものを癒やす存在』
だ、か、ら、そんなの知らないって!!だめならそうね・・・・・・強くて悪い奴をやっつけてやる!!!そうだわ!早く転生させて頂戴!
『転生させる。だけどここでの記憶、すべて忘れる』
はぁ?何でなのよ!?それじゃあ自分が聖女で、強いってことも忘れてしまうってわけ?
『そうなる。こればかりはしょうがないこと。脳に障害が生じない最善策。それと、転生のついでに・・・・・・』
ついでに?
『少し、性格柔らかくしておく』
え?ま、まあそれは別にいいわ。
『一つだけ、ヒント』
助言したいっていうの?
『ホノカ、あなたは美しい。だからもう少し優しくした方がいい。これ処世術』
うっさいわね!!!
ホノカは天使ちゃんの頭を叩いた。
パリンっ
『あ』
あ!!
『ああーーー!』
頭上の輪っかが割れた。
ごめんやりすぎたわ・・・・・・。
『もう知らない。さっさと行け』
そんな怒んないでよ~。スペアとかあんでしょ?
『あるわけない。これ最後の一個だったのに』
割ったことあるんだ・・・・・・。
『まあいい。これから異世界に送る。アルガリア公国の領土。比較的安全地帯。』
教えてくれても忘れちゃってんだよね。せっかく知り合いになれたのに、もうお別れか。ちょっと寂しいね。
『全然』
うおりゃー!
『ゴフっ!』
『行ってしまえ(怒)』
ホノカは白い光に包まれる。
聖女として、未知なる世界へ転生を始める。
『・・・・・・また、すぐに会える』
ホノカを転生させた天使ちゃんはため息をついた。
『ホノカ。面白いこ』
天使ちゃんは遠い日を思っていた。
ホノカと同じ黒の魔人に殺された、魔族の少年の事を。
名前はたしか、ガル・・・・・・。
『ホノカ。黒の魔人を殺して。私たちを救って』
________________________________________
「起床ーーーー!さっさと起きろ!!」
教官の怒号で目覚めるいつもの朝。
外はまだまだ薄暗い。
『大魔族士官学校』に入学してから早二週間、騒がしい一日が今日も始まった。
ベッドから飛び起きた俺たち第3班は、眠い目をこすりながら教官の待つ広場へと急いで向かう。
起床後は、班ごとに点呼を行い教官に報告。
入学当初は辛かったが、二週目ともなれば慣れたもんだ。
だが今日は違う。
整列したのは10人・・・・・・いや9人しか居ない。
1人足りない!
誰だ!?
点呼に遅れれば、教官のしごきを意味する”反省”が待っている。
来ていないのは・・・・・・オークのアルマだ!
アルマの野郎、昨晩の夜更かしで寝坊しやがった!!
「やばいよ!もう間に合わないって!!」
「連帯責任だよー勘弁してくれ・・・・・・」
焦る9人。
報告時刻まで残り僅か。
”反省”は免れそうにない。
「1人足りないようだが、どうかしたのか小僧ども。」
ヒポイ教官がわざとらしく聞く。
士官学校の教官たちほど性格の悪い奴らは居ない。
”反省”をさせようと楽しくて堪らないようだ。
「タイムオーバーだ。」
とうとうアルマは間に合わなかった。
「全員、腕立て伏せー!!」
俺たちは一斉に姿勢をとる。
「1!」
「いーち!」
ヒポイ教官の合図に合わせて腕立て伏せが始まった。
「2!」
「にー!」
起床からすぐのトレーニングに俺たちの眠気は消え去った。
ヒポイ教官の怒号で目を覚ましたアルマが申し訳なさそうに走ってくる。
「みんなごめんよ~」
アルマも列に加わると腕立て伏せの姿勢をとった。
「やっと起きたか家畜野郎!!きさまここに何しに来た!?」
教官の檄が飛ぶ。
ただでさえ恐ろしい顔がさらに鬼のように変わる。
「り、立派な魔族軍人になるために来ました!」
アルマは答えた。
「時間も守れないやつが魔族軍人になって何を守る!!」
「ヤーッ!」
お決まりの掛け声だ。返事のときや挨拶のとき、いつでも通じる魔族軍人スラングだ。
ここ『大魔族士官学校』はあらゆる魔族軍人を育成するために設立された教育機関である。
魔大陸随一の偏差値を誇り、武術や魔術を始め、召喚術、生物学、地学、天文学、戦術学、芸術などのクラスがあり、
”真に誇れる魔族軍人を輩出する”というモットーの元、ここ魔大陸に設立された。
3年間の厳しい訓練を終え、晴れて卒業した先には、魔王軍幹部候補者や魔族軍人以外の国の重要なポストの道が開かれている。
150回目の腕立て伏せが終わったところで、ヒポイ教官は飽きたかのような表情で帰っていった。
俺たち第3班は、腕力を失った重たい両腕を引きずるように朝食に向かった。
食堂では班員10名全員で並んで座る。
三魔神様に御祈りを捧げると、食事に取り掛かる。
悠長に味わう時間も無い、とにかく黙ってかっ食らう。
しかし、今日は黙ってはいられない。
「アルマー! よくもやってくれたな! あれだけ夜更かしするなって言ったじゃないか!」
「ごめんよサウマン。どうしても寝付けなくってさー。」
「朝っぱらからクタクタやないかい!」
「やめろよみんな。部屋を出る前に気づけなかった俺たちにも非はあるんだ。それにいいトレーニングになっただろ?」
「確かにそうだな。教官はそれに気付かせたいのかも。」
「そうかー? どう見ても楽しんでたぜー。」
「案外なんも考えてへんのかもなー。」
辛いことがあってもすぐに笑いあえる。
寝食を共にしてきた僕たちの団結力は強い。
慌ただしくも活気のある朝の食堂で、僕はある少女に目を奪われた。
窓際に座る彼女の周りには、朝日が差し込んで照らした。
そのせいで神秘的に見える彼女から目を離すことができなくなってしまった。
真新しい制服を着ているところを見ると僕たちと同じ新入生だろう。
士官学校にあんな美少女がいただなんて知らなかった。
真っ白な髪の毛、桃色の肌、額からは2本の角が申し訳なさそうに伸びる。
だがその美しさを壊すようには主張せず、先端は丸くとてもキュートだ。
角先を指先で撫でたい。
優しく、じっくりと。
そんなことを想像していると股間が反応した。
健康な男児だ、しょうがない。
みんなに気付かれないように中腰で食堂を出る。
帰り際に彼女の胸元の名札を盗み見る。
ブルーの名札。
名前までは読み取れなかったが、召喚術専攻だと判明。
僕は授業中も彼女の名前を想像した。
僕たち武術専攻の寮、『ゼネディク寮』は校内の端にあった。
ゼネディク寮という名は創設者の1人、魔族界の英雄ゼネディクから因んでいる。
英雄ゼネディクは武術の達人で、士官学校創設者の1人だとか。
学生のすべてが男子であるため女子寮は閉鎖されている。
むさ苦しい寮内の一滴の清涼剤となったのは、寮母さんのパリスさん。
いつも優しくって笑顔。時には厳しくしかってくれる。
武術専攻の学生の殆どが彼女の虜だった。
一日の訓練を終えた僕たちは、支給品のブーツの手入れをしながら雑談に花をさかせた。
「ガルボ!」
サウマンが僕の脇をつつく。
「なんだよサウマン。」
「ガルボ、何かあったのか~?」
サウマンの顔がにやけている。
「何もないけど? なんで?」
「何もないわけないだろ~。この色男~。お前、全然集中して無かったぞ今日一日。」
「それ俺も気になってた!」
こいつらの勘の良さは侮れない。
「好きな子でもできたんだろー?」
「だれだよー? パリスさん?」
「パリスさんは俺のもんだよ!」
「バカ言え! 俺がパリスさんと付き合うんだよ!」
「好きだとかじゃないんだけどさ。気になる娘がいる。」
みんなは声をあげて盛り上がる。
「どこの誰だよ!? 教えろよ!!」
「名前はわからない。でも『召喚術専攻』の娘。今朝、食堂で見かけたんだ。」
「そうかそうか! とうとうガルボも男になったわけだな!」
「武術特待生、真面目一徹のガルボが、ついに恋とはね~。」
「今夜はお祝いだよ! 隠してる酒があるんだ! 飲もうぜー!」
「アルマ!次寝坊したらしばくからな!」
仲間に彼女の事を話してから、もっと気になるようになってしまった。
四六時中、彼女の事ばかり考えた。
何をするにも気になった。
毎朝起きるのが楽しみで眠る。
食堂で見かけると嬉しくて、だけど悲しい気持ちにもなる。
みるみるうちに成績は下がり、訓練にも身が入らなくなっていた。
毎朝見る、彼女の横顔だけが僕の癒しになっていた。
彼女がどんな朝食を食べているのか毎日チェックした。
どうやら野菜好きで、お肉は苦手らしい。
かわいい。
今日は赤い髪留めをしている。
白い髪に映える。
かわいい。
週の初めは眠そうだ。
おおきなあくびを手で隠す。
かわいい。
友達と談笑をしている。
笑うとえくぼができる。
かわいい。
夏場は少し汗ばんでいる。
額に前髪が張り付く。
かわいい。
白鬼族の召喚術師テレサ。
それが彼女の名前だった。
僕はこんなに思っているのに、彼女は僕の顔さえ知らない。
彼女の世界は回り続ける。僕を置き去りにして。
”えくぼは恋の落とし穴”
僕は恋に溺れていた。
そんなこんなで、訓練に集中できない僕は、ヒポイ教官の一撃に受身が取れずに頭を強打、医務室に向かうことに。
ふらふらと医務室に向かう僕は、暑さもあってか途中で倒れてしまった。
倒れた拍子に用水路に落下。
あ、これはまずい。
周りに人影はない。
このまま誰からも見つからず・・・・・・
そう思ったとき、僕の意識は遠くなっていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚めた時、僕は医務室のベッドの上に居た。
酷く喉が渇いている。
虚ろな目で飲み物を探す。
しかし体に力が入らずよろめく。
近くにあった何かに掴まる。
温かい。
それに柔らかくて、汗のにおいが混じったとても甘い匂いがする。
目を瞑ったまま甘い匂いに身を委ねていた。
危険な、病みつきになる、そんな感覚。
何かに抱き付いたまま目を開くと、だんだんと視界が晴れてくる。
そうか、僕は用水路に落下して、誰かが運んでくれたんだ。
誰が?
周りを見渡しても誰もいない。
そういえば僕は何に掴まっているんだ・・・・・・?
そんな時、突然耳元で声が聞こえた。
「いつまでそうしてるの? もしかして、わざとかな?」
か細く可憐。
一つ一つの音が香りを纏って聞こえる。
「!!!!!!」
「ごめんなさい!!!!」
ガルボは飛び跳ねた。
その声から離れると、目の前には少女。
全力でその場に土下座をする。
「わ! や、やめてくれるかな。そんなつもりはないから・・・・・・。」
ガルボは顔をあげた。
するとそこには、テレサがいた。
夢にまで見たテレサがこんなに近くに!
あまりの衝撃にガルボは混乱した。
テンパったガルボはこんなことを口ずさんでいた。
「と、と、と、とってもいい匂いだね! 美味しそう!」
テレサの表情が困惑する。
「あ、ありがとう。だけど、食べないでね。私、きっと美味しくないから。」
肩をすぼめて後ずさる。
「ご、ごめん!! そうじゃないんだ!! いや、まずそうって意味じゃなくって、そうじゃない! 美味しそうなんだけどね! その角とかとっても美味しそう!」
「ひいっっ!!」
テレサの目は潤んだ。
そして少しづつ後ずさるとゆっくりとドアを開けて・・・・・・。
テレサは全力で走って逃げた。
その長い髪を揺らして。
開け放たれたドアが、力なく揺れる。
ガルボはショックのあまり気絶した。
________________________________________
「ここから飛び降りて死んでしまおうか......。」
ガルボは寮の屋上から下を眺めて思った。
テレサはあれ以降朝食の場に姿を現さなくなった。
完全に避けられている。
それもそうだ。
助けた男が変質者で、なおかつ自分を食べようとしたのだからしょうがない。
しかし奇跡のひと時だった。
あんな用水路で僕を見つけてくれるだなんて。
それに医務室まだ送ってくれるだなんて。
大好きな女の子が僕の存在に気付いてくれた。
それだけでよかったのに・・・・・・。
考えれば考えるほど死にたくなる。
だけど本当に傷ついたのは僕じゃなくてあの娘の方。
もう一度会って、謝りたい。
そしてお礼を言うんだ。
助けてくれてありがとうって。
それですべてお終い。
もうあの娘の前には二度と現れまい。
そう誓おう。
テレサという少女、僕は彼女の幸せだけをただ願う。
恋に落ちた男はみなストーカー。
ただ意味もなく会いたくて会いたくて震える。
君になりたい、そう思うこともある。
身勝手な欲望で傷つける。
後戻りできなくなるほどに。
僕もそう。
深みにはまっていた。
「なあ、アルマ・・・・・・。」
「どうしたの?こんなところで。みんなは大浴場に行っちゃったよ。」
「アルマってさ、女の子を好きになったことってある?」
「ガルボ、どうしちゃったんだい!? もちろんあるよ。好きな女の子ならたくさんいるけど?」
「前にも話した白鬼族の娘、名前はテレサっていうんだけど。僕、彼女に酷いことをしてしまったんだ。」
「え! いったいどんなことを?」
僕は事の顛末をアルマに話してみた。
「なーんだ、そんな事か。よかったじゃない。」
「え? よかったってどういうこと?」
人の気も知らないでアルマはいつも暢気だと、少しいらつく。
「だって、ガルボはその娘の知り合いになれたんだよね? それって進歩だと思うよ!それに、用水路に落ちてなかったらガルボはテレサちゃんと出会うこともできなかったんだよ?奇跡だって考えるとなんだかわくわくしてくるじゃない。」
「そんなに楽観的に考えられないよ。彼女は走って逃げるほど僕を恐れていたんだ。」
「鮮烈な印象を与えた。それでいいんじゃないかな。人の気持ちなんて誰にも分らない。この出会いがいい方向に転ぶかもしれないしね。」
アルマは意外にも打算的な発想をするんだと驚いた。
それと同時に僕はなんてちっぽけなんだろう、そう思った。
この出会いがいい方向に。
それはわからない。
ただ、下がりきった僕の印象はこれから上がるしかないのでは?
アルマのようにもっと打算的に、まずは彼女に謝ろう。
さっきまでの暗い気持ちはどこかに消えていた。
僕は彼女のことをもっと知りたい。
そして僕をもっと知ってほしい!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
偶然を装ってテレサに会うには7日間を要した。
「や、やあ。」
「あ、この前の・・・・・・。」
「きょ、今日はいい天気だね。」
天気の話題は定石だとアルマが言っていた。
「そうかな。曇ってるし少し肌寒い。」
しまった。
今日は例年よりも気温の低い日だった。
回覧の天気欄がよぎる。
「僕の名前はガルボ。この前は助かったよ。ありがとう。」
なんだこの淡白な言い方は!自分を責める。
「ううん、用水路に倒れてたからびっくりしちゃった。」
テレサは思い出して微笑む。
あれ?怒ってない?
ガルボの世界で祝福の鐘が鳴った。
その鐘の音に共鳴するように、真っ青にキラキラと輝く海原に美しい魚が跳ねる。
しぶきが虹を作った。
これは100点満点中、300点の微笑み。
ガルボは居てもたってもいられなくなった。
ガルボは真っすぐとテレサを見つめ、腰を折って右手を差し出した。
そして、
「好きです!!! 僕と付き合ってください!!!」
「ええっ!!」
やってしまった。
また暴走してしまった。
あんなに反省していたのに。
まだ謝ってもいないのに!
「あ、あの、とても嬉しい。だけど私、君の名前を今日知ったの。それも1分前。ガルボ君?きみは私の名前も知らないんじゃないのかな?」
動揺を隠せないテレサ。
「テレサちゃんだよね? この前はほんとにごめん! 怖がらせちゃって・・・・・・。」
「ううん、大丈夫だよ。ほら、気絶していた人が変なことを口走っても可笑しいとは思わないよ。それに、急に帰っちゃって、こちらこそごめんなさい。」
「天使だ。」
無意識のうちにそんなことを口走っていたが、テレサには聞こえていなかった。
「名前を知ってくれてるなんて驚き。でも・・・・・・。まずは友達にならなきゃ。ね?」
照れてる?
テレサの頬が赤らんだ気がした。
そんなわけあるはずないけれど。
それから僕たちは友達になった。
すれ違えば冗談を言い合うレベルには。
彼女を知れば知るほど、思いは募る。
だけれど、もうテレサを困らせたくはない。
臆病な恋心はただ膨らむばかりだった。
そんな日常だった。
しかし、ここは恋愛を楽しむような生易しい環境ではなかった。
入学から早半年、訓練の厳しさはだんだんと増し、僕たち『武術専攻第3班』の精神を蝕んでいく。
毎日が戦いの連続。
太っちょのアルマの体脂肪率が一桁になったころ、第3班の関係性も目に見えて変わっていくのだった。
________________________________________
入学当初10人だった僕たち『武術専攻第3班』は、トラヴィス、サウマン、アルマ、バルジェロ、ルメートルス、そして僕ガルボの6人になっていた。
ここは魔大陸最高の教育機関。
無事に卒業できる者も一握り。
沢山の仲間たちが去っていくのを僕たちは見送ってきた。
勉学についていけずにリタイアする者、体を故障して退学する者、精神を病んで消えていく者、そんな同級生たちがその後何をしているのかは知らない。
残った6人の中で特に仲良くなったのが、剣術が得意なアルマ、切れ者のサウマンの二人だった。
僕たちは馬が合った。
大人しくて底なしに明るいアルマがボケる、サウマンがそれに強烈な突っ込みを入れる。
僕はただ笑っている。
そんな関係が心地よい。
「ガルボ!この際だから言っとくがよぉ、ボケ担当は何もアルマだけじゃないぞ、この無自覚型天然野郎め。」
「そうだよ。ガルボは天然すぎて怖すぎるくらいだよ。どっちかと言うとこっち側だよね。」
「セポイ教官のことを『母さん』って呼んでたのにはほんとに戦慄したな」
「この間の筆記試験の時、鉛筆わすれてペンで書いたって本当?」
「天然ってゆうか馬鹿だな。」
「うん。馬鹿だね。」
もちろんそんな自覚はない。
セポイ教官の事は親のように慕ってるし、ペンの方が書き心地がいい・・・・・・なんてことはないけれど。
消しゴムなしに筆記試験を合格できたのはちょっとした達成感。
解いてるときは冷や冷やしたけどね。
そんなくだらないことを話し合う。
この空間が僕にとっては必要だった。
二人のおかげで僕は僕でいる事を忘れずに済んだんだ。
『第3班』のバルジェロ、トラヴィス、ルメートルスの三人とは入学当初は仲良くしていた。
ところが次第に関係性は変わっていく。
三か月が経った頃、自己中心的な性格のバルジェロはアルマに対して嫌悪感を募らせていった。
アルマへの仕打ちがエスカレートし始めたのを気にした僕とサウマンは、ある日バルジェロを呼び出した。
「なあバルジェロ。少しアルマに対する仕打ちが酷くなってはいないか?」
と諭すように話すサウマン。
「なんだよ二人して。そんなに俺一人を悪者にしたいのか?」
「違う!確かにアルマはいつも僕たちに迷惑をかける。だけどあいつだってワザとやってるわけじゃないだろ?」
「あんなデブのおもりか、お前もどうかしてるぜガルボ。あいつがよそで何て呼ばれてるか知ってるか? 負け豚だよ! 底辺のオークにはお似合いだぜ!」
バルジェロは声を上げて笑う。
僕は耐えられなくなった。
気が付いた時には遅かった。
僕はバルジェロの頬に一撃。
奴は地面に突っ伏していた。
それから先は酷いもんだった。
騒ぎを聞き付けたトラヴィスとルメートルスはバルジェロに加勢し、2対3の乱闘騒ぎ。
学生と言えども『武術専攻』。
その戦いは壮絶なものとなった。
幸い教官にバレることはなく処分は免れたが、退学になってもおかしくはなかったと思う。
「ごめん。サウマン。ついカッとなってしまった。」
「気にすんな。俺もムカついてたんだ。」
僕とサウマンは暫くのあいだ立ちあがることすらできなかった。
だけど心は晴れていた。
「尊厳を守れた」そんな気がした。
それ以降、バルジェロのアルマに対する仕打ちは止んだ。
そして『第3班』は二つに割れていくこととなる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日はなんだかみんなの挙動がおかしい。
なぜだろう。
そう思ってカレンダーを見て気が付いた。
「そうか! 明日から休暇か!!」
「なにを今更言ってんだよ・・・・・・。」
「あれれ、ガルボは故郷には帰らないの?」
「全く考えて無かったや・・・・・・。アルマとサウマンはどうするの?」
「僕は故郷に帰るつもりだよ。妹が帰って来いってうるさくて。」
とアルマ。
14歳の妹は兄を慕っているようだ。
「俺は・・・・・・家族は居ないけど帰るつもりだ。何にもなくても故郷ってもんは懐かしいもんなんだよな。故郷から忘れられたくもないしな。」
「そういえばガルボ、君はベルランゴ出身だったよね? ここからだと魔列車で丸一日ってところかな?」
「ああ。ベルランゴか。・・・・・・ずっと帰ってないな。」
帰省する理由も見つからなかった。
休暇に入るとみんな居なくなる。
テレサちゃんの顔を見ることもできなくなる・・・・・・。
彼女はどんな休暇を過ごすんだろう。
休暇なんて要らない。
そう本気で思っている僕だった。
_________________________________________
休暇に入ると寮の人気は一気になくなった。
寮母のパリスさんも休暇に入るらしい。
僕は一人で寮に残ることになってしまった。
僕の故郷であるベルランゴは先の戦争でなくなってしまった。
厳密には人族の国『アルガリア公国』の支配下に置かれている。
アルガリアは支配下のベルランゴに対して圧政を強いることはなかった。
セトミア海に面していたベルランゴは、アルガリアの兵站の拠点として前よりももっと豊かになった。
魔族や人族のみならずたくさんの移民が暮らすようになり、貿易の中枢としての機能は人々に多大な恩恵をもたらした。
最も大きなのは『食』の流通である。
元より魔族は食に対する執着が薄く、人族のように調理に時間を要するような習慣はなかった。
腹が減ればそこら辺に生息する魔物を狩り、大雑把に煮るか焼く、もしくは血の滴るまま頂くのが魔族流。
あくまでも調理とは、毒抜きや寄生虫を殺すために加熱する、その程度の手段でしかない。
調味料を使ったとしても塩か胡椒をかけるだけ。
甘いものを食す機会などは皆無と言っていいだろう。
そこに人族の『食文化』が到来した。
人族は何かにつけて食事を楽しもうとする習慣があるらしい。
多くの国で様々な味付けがあり、食材も多種多様、見た目にもこだわる有様である。
食事に見た目の良さが必要か?僕はそう思っていた。
しかし、ベルランゴに住む魔族たちはそれを美しいと称し歓迎した。
それが真意だったかは定かではないし、忖度したとも考えられるが、それは次第に根付いていくことになる。
今やベルランゴは美食国家として世界中からの旅行者が訪れる美食の聖地となっている。
・・・・・・違う。
そんなのは僕の故郷ベルランゴではない。
美しい海を守る、誇り高き海の一族の国ベルランゴ。
海洋生物と共にある、魔族始祖の1人『英雄ベルランゴ』が建国した美しい国。
だが人族は海を汚し貿易港を作った。
水の精霊の加護を踏みにじった。
ベルランゴの国民は忘れてしまったのか?
戦によって失われたたくさんの命を。
父さん、母さん・・・・・・。
変わってしまった故郷を取り戻すことはできない。
ならば、せめて・・・・・・。
「どうしたの? そんなに怖い顔をして。」
振り返るとそこには天使・・・・・・ではなくてテレサちゃんがいた。
「ガルボ君。人でも殺しそうな顔してたけれど、何かあったのかな? それに今日から休暇だよ。」
「テレサちゃんこそ休暇中にどうしたの?」
「私の実家はすぐ近くなんだ。今日は課題やらなきゃだから学校来ちゃった。」
「そうなんだ!僕は帰省しないことにしたから寮に居るんだ。テレサちゃんに会えるだなんて、帰省しなくてよかった。」
「な、なに言ってるのよ。ガルボ君ってなんだかたまに軽薄に見える時があるなー。」
テレサは照れつつも目を細めて言う。
「そうだ。ガルボ君ちょっと付き合ってくれないかな。」
テレサと二人で校内を歩く。
いつもの騒がしさとは打って変わって、実に静かな校内だった。
茶々を入れてくる同級生も居なければ鬼のような教官の目も無い。
「こんなに静かなんだー。なんだか寂しいくらいだね。」
テレサはそう言ったが僕のそばには君がいる。
それだけで十分以上だと思った。
僕たちは近づきすぎず離れすぎず、そんな距離感を保って歩き続ける。
大きな中庭は良く晴れて眩しい。
誰かが遊んだゴムボールが転がっている。
ずっとこのまま、二人を乗せてこの星よ回っておくれ!
校門の外に出る。
これはもはやデートである!
二人はそんな状況を意識しないように授業の事を話したり、友達の話をしたりした。
「そっか。ガルボ君の班も退学した子がいるんだね。私たち、入学してもう半年になるんだもんね。結構毎日大変だよね。『召喚術専攻』でも何人か辞めちゃったんだ。」
テレサは友達の話を始めた。
とても仲の良かった女の子が退学してしまったそうだ。
苛烈な訓練と難解な術式の授業に精神的に不安定になってしまったその女の子は、「耐えられない」と涙を流した。
何のために”ここ”にいるのか、それが分からないと言った。
テレサは何も答えられなかった。
理想と現実。期待と不安。それの乖離。
僕たちは若くて、とても不安定だった。
「私ね、召喚術の才能が有るって言われてきたの。小さな頃から、なんとなく術式の原理みたいなのが少しわかってた。地元では、天才少女なんて呼ばれたりして...その言葉を鵜呑みにしちゃってたんだよね。笑っちゃう。」
テレサはとても悲しそうな顔をした。
いや違う、これは苦しそうな表情だ。
テレサは僕に助けを求めている?
商店街を抜けて少し歩くとテレサは笑って一軒のお店を指差した。
「やっぱり空いてる!」
指差した先には『サリーズ・ジェラート』と書かれた看板を掲げたお店がある。
「普段は学生の行列がすごくって諦めてたんだけど、ずっと食べてみたかったんだ!」
テレサの表情が晴れた。
苦しい時は楽しいことをみつけて・・・・・・。
そうして自分を騙しながら生きてきたのかもしれない。
そんな考えを振り払う。
「ジェラートって何だろう?」
「ジェラートっていうのは、人族が考えたお菓子の事だよ。甘くて冷たいんだって。さ、いこいこ!」
テレサは僕の袖を引っ張って駆けだした。
僕とテレサはジェラートを一つずつ買ってベンチに腰かけた。
こんなに甘い物はいままで生きてきて食べたことが無かった。
「・・・・・・美味しい!」
「美味しいね! 私、甘い物大好きかも。こんなに美味しいものを人族はたくさん考えてるのね。すごいことだわ。」
テレサの中には人族に対する嫌悪感は無い。
僕は・・・・・・。
ジェラートが溶けてしまわないうちに用心深く食べる。
ベンチには僕たち二人だけ。
テレサの美しい横顔をバレないように見つめた。
「ねえガルボ君。」
「ん?」
驚いて前を向く。
「少し変なこと言ってもいいかな。」
「変なこと? ジェラートが美味しかった。それだけでも僕にとっては変なことだよ。」
微笑むテレサ。
「私ね、休暇中はガルボ君に会えないんだろうなーって思ってたんだ。そう考えると、楽しくないなー、って。でも今日、ガルボ君の背中を見つけて、嬉しかった。」
嬉しかった???
それは完全に僕のセリフだ。
ひょっとしてテレサちゃんも僕と同じ気持ちで・・・・・・?
まさか、まさかそんなはずは無い。
こんな何でもない男のことなんて・・・・・・。
「その、前にガルボ君が私に言ってくれたこと覚えてるかな・・・・・・?」
前に・・・・・・それは出し抜けに『好きだ』と伝えてしまったことだろうか?
「今でも、同じ気持ちでいてくれてるのかな・・・・・・なんて・・・・・・。いいの、いいの! 今のは気にしないで!さ、そろそろ戻ろっか! 課題が途中なのすっかり忘れてた!」
立ち上がるテレサちゃん。
「テレサちゃん!」
僕は立ち上がったテレサちゃんの袖を引いた。
「もちろん同じ気持ち・・・・・・そう言いたいところだけど、実は違うんだ。」
俯いたテレサちゃん。
その表情は硬い。
「君を知って、僕はもっとテレサちゃんの事が・・・・・・。堪らなく大好きだ!!」
僕の大声は辺りに広がり、店員さんは拍手、通行人は驚いて口を覆った。
耳まで真っ赤になるテレサちゃん。
テレサちゃんは俯いたたまま左手を、静かにゆっくりとガルボの右手に添えた。
震えているのがガルボにも伝わる。
僕は手汗をズボンで拭うと、差し出された左手を優しく取った。
怖がらせないように細心の注意を払いながら。
僕の手はテレサちゃんの小さな手を包んでいった。
二人は手を繋ぎ学校へと戻っていく。
遮るものは何もなかった。
________________________________________
「それでそれで??」
『召喚術専攻第1班』のアスカ・ユキムラは椅子の背もたれに跨るように座ると、前のめりにテレサ聞いた。
アスカも今回の休暇は帰省することなく課題に励んでいた。
いわゆる残留組だ。
「それでって、それだけだよ。」
テレサの返事にあきれた表情のアスカ。
「・・・交際初日だしね、まあそんなもんか!」
「これでも頑張った方なんだよ。」
「そうねー。テレサにしては大胆じゃん。どう? 初めて彼氏ができた感想は?」
アスカは冊子を丸めてマイクを作るとテレサに向ける。
「手汗が気になって、それどころじゃなかったよ・・・・・・。」
「ガル坊は汗っかきか~。」
「私の手汗だよ。てかそのガル坊っていうの辞めてくれるかな。」
「だっていっつも、ガルボ君の坊主頭がかわいいとか言ってんじゃん。だからガル坊。安直だがそこがいい。」
「よくない! 絶対本人の前で言っちゃだめだからね!」
「それは、変なあだ名のこと? それとも、先に好きになったのがテレサの方だったってこと?」
「どっちも!! アスカの意地悪・・・・・・。」
「照れちゃってかわいい! でも、不器用だよねー。テレサも彼も。」
・・・・・・へっくしゅんっっ
あれ、風邪でも引いたかな。
「よし、もう少しで掴めそうだ。」
休暇中に少しでも技術を磨こう。
立派な軍人になるため、まずは得意分野からだ。
ガルボはもともと『特待生』として士官学校に招かれたエリートであった。
幼少期より水心流武術の達人であった父の影響で武術にのめり込み、地方大会では敵なしと言われていた。
水心流とは、『魔族3大武術』の一つとして古来より受け継がれる武術であり、その柔軟性と静かな挙動からその名がついたと言われている。
僕の父ロッテは水心流師範代としてちょっとした有名人だった。
父のつける稽古はとても厳しかったが、ここ士官学校では稽古以外の科目が多く、ガルボの自信はさんざん打ち砕かれる。
単に武術のみに特化していたとしても、他ができなければ軍人としての評価は低くなる。
様々な科目を習得することに重きを置いているのが士官学校の方針なのだ。
テレサちゃんとの交際。
それは夢のような出来事である。
あのあと、寮に戻って何度も自分の頬をつねってみたことは誰も知らない事実である。
テレサちゃんとの関係は二人にとって大いなる安らぎと能動的思考を涵養させた。
二人はお互いを高めあう、良好な環境を築いたのであった。
幸せを噛みしめると、やる気が沸き上がった。
稽古場に人気はなかった。
ちょうどいい。
1人で自由に使わせてもらおう。
今日の目標は『正拳突き』2000回。
一撃一撃に魔力を込め、敵を想定して打ち込む。
目の前には敵兵がいる。
保有している武器は様々。
いかなる状況に対しても冷静で確実な一撃を。
一つずつ、一つずつ。
自分自身の癖を強制しながら、もっと強く。
もっと無駄の無い動作を。
休暇明けの実技の試験では教官を驚かせてやる。
達人の突きには精霊が宿るという。
その一撃は音をも置き去りにする。
「僕は、もっと強くなりたい!」
そんなことを思っていた矢先、僕の意識にある映像が浮かぶ。
それは暗闇の中の閃光のように一瞬にして意識を支配した。
これはまさか、
『転写魔術』!!?
予測できな物事は突然に襲い掛かるものだ。
戦術の授業で聞いたことがある。
特定の相手に対して意識を強要させる魔術。
術者は転写魔術によって対象に精神攻撃を仕掛けることができる。
『・・・・・・ロス・・・・・・。ゼンイン・・・・・・コロス・・・・・・』
「殺す!!!??」
僕の脳内に大鎌を持った死神のイメージが浮かび上がり、意識を支配していく。
僕は抗ったが対抗するすべを持たない。
授業の内容を思い出せ!!
自分に言い聞かせる。
精神攻撃を無効化するには・・・・・・?
そうだ!
魔術のアルメダ教官が言っていた!
呪術に対して有効な手段は『痛み』であると!
正常な意識を保てないほどの痛みを自身に与える事、そうすれば術式は解除される!
万が一、回復術師のいない場合にはこれが唯一の手段。
そもそも回復術師なんてものは魔族には生まれにくいと言われている。
僕はグルグルと絡みつく思考の靄を振りほどき、筆箱にあるはずのカッターナイフを探す。
『・・・・・・コロシテ・・・ヤル・・・・・・』
指先の感覚も薄れている。
触れたものが何なのか理解できない。
これがボールペンなのかカッターナイフなのか、はたまた消しゴムかもしれない。
『・・・ナニモカモ・・・ゼンブ・・・・・・ゼンブ』
最低限鋭利なものでなければ自身を傷つける事などできない。
だが考えている余裕などなかった。
このままどこかに引きずり込まれるそんな恐怖心がひたすら僕の意識を掠り取っては痛めつけていた。
とにかく手に取った”長い物”をガルボは自分の大腿部に思いっきり突き刺した!
「!!!」
右足を発端に一瞬にして激痛が走る。
いつもの自分なら絶叫を上げていたに違いない。
それでもその痛みは柔らかく感じられる。
どうやらこの精神攻撃は並みのレベルではないようだ。
それでも痛みによって視界は晴れていく。
ガルボは血まみれの手のひらを開き、そこにあったものを観察する。
それは尖った鉛筆であった。
前回の試験で忘れて以来、欠かさず常備しているそれであった。
こんな状況だが笑ってしまう。
段々と視界はひらけてきた!意識もはっきりとしていく!
「誰だ!!出てこい!!」
反応は無い。
当然だ。
「テレサちゃん!!!」
ガルボは稽古場を飛び出した。
________________________________________
武術専攻の稽古場からテレサのいる教室までは歩いて5分、走っても2分はかかる。
まだ朦朧としている視界を気にすることなくガルボは駆ける。
途中、曲がり角で何かに躓いた。
それが誰かの一部だと気づく。
赤黒い液体に染まったそれは、ついさっきまで意味を持っていたようにたたずんでいる。
しかしながら、今はもうそれはもうただの肉塊だった。
脳裏にテレサの顔がちらついたが振り払う。
何の想像をしている!
自分が恐ろしくなる。
その肉塊と想像に目を背けると急いで立ち上がり駆けだした。
意思に反して涙が溢れてくる。
「テレサちゃん!テレサちゃん!!」
鼻水が流れる。
生きた心地のしないまま無慈悲で最悪の世界にテレサを想像しては、その悪想を振り払った。
早く彼女の元へ!!!
そこかしこから血の匂いがしたが目もくれず、僕はひたすらテレサちゃんを目指した。
この校内で何かが起きている!
何者かが、僕たち生徒を狙っているんだ!!
今すぐ会いたい。
あの優しくて甘い香り。
なににも染まらない健全な果実。
不確かで虚ろ気な横顔。
召喚術専攻の教室の扉を蹴り破った時、ガルボは安堵に包まれた。
そこにはテレサちゃんともう一人の女子生徒が抱き合うようにしてかがんでいた。
小さな教室にはただ二人。
イタチに襲われたウサギ小屋を思わせる。
「テレサちゃん!!」
「ガルボ君!!」
テレサちゃんはすでに泣いていた。
「ガルボ君!! 来てくれるって信じてた!」
「無事でよかった! 何かがおかしいんだ。学校から出よう!!」
「怖いわ・・・・・・廊下で、誰かの叫び声が聞こえたの・・・・・・。」
「ここに来るまでに危険な兆候を目にしたよ・・・・・・でもここに留まっていても仕方がない!」
その時、僕は異変に気付く。
見知らぬ男が教室内に現れたのだ!
音もなく前触れもなく。
窓際にくっきりと逆光を浴び立つその男は黒いローブを被っていた。
表情はなく、目の色はブラウン。
額に垂れているのは珍しい黒い髪だった。
存在感の感じない死人のような白い肌。
置物のようなその男は音もなく消えた。
消えた??
錯覚か?
まさか!
だがおかしい!さっきまでは確かにこの教室には二人しか居なかったはずだ!
それに入り口は一つ。
僕のうしろの扉だけだ。
混乱する僕をよそに、男は再度出現した。
消えた窓際からは離れた教壇に座っているその男は、ガルボの認知に反応したかのようにまたしても姿を消した。
「え!?いま・・・・・・」
男を目視したテレサちゃんと女生徒も動揺を隠せない。
一体何なんだ!!
そう思ったが僕にはなぜだか理解できた。
この男が危険なやつだってことが。
「二人とも!早くこっちへ!」
二人は勇気を振り絞って僕の元へ走りだした。
僕との距離は約10m。
テレサちゃんにとっては果てしなく遠い距離に感じられる。
手を伸ばせばそこには僕が。
けれども遠い。
あと少し。
僕は大きく両手を広げる。
テレサは思った。
あの広くて丈夫な胸に抱かれたい。
不埒にもそう願っている自分に恥ずかしさを感じた。
お互いの指が触れ合った瞬間、おおらかなガルボの優しさが、テレサを包んでは抱きしめた。
力強くも朗らかな香り。
神様が天国を表現したかのような温かさ。
細胞の一つ一つが活性化していく。
恋の病で淫らになりそうな自分を見られないように、厚い胸板に顔をうずめる。
飽きれるくらい単純に、テレサは安心を感じていた。
隣でその様子を見ているアスカは、テレサの表情に驚きつつも安堵で泣きだしそうになる。
「・・・・・・ニガサナイヨ。」
!!!!
僕の耳元に冷たく言い放たれたその一言は、恐怖心を煽るには十分なものとなった。
「行こう!!」
その声を振り払った僕達3人は校門へ向かって走り出した!
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校門へ駆ける三人を待ち受けていたのは校内の悲惨な状況だった。
幸い休暇中であったためか学生の数は少なく、人気はいつもとは比べ物にならないほど僅小であった。
それを幸運ととらえるべきかは精神的混乱に陥った三人には判断しがたい。
だが今は無事である自身たちの生存を最優先にただひたすら逃げる!
そこかしこに倒れている人々に気を取れられたテレサは無意識に足を止めようとするが、僕はつないだ手を離すことなく前へと進む。
僕は理解した。
その者達はもう手遅れであるという事を。
アスカは必死に校門を目指す中でテレサを羨んでいた。
ガルボはまさに白馬の王子。
対するテレサはお姫様。
そして私はただの召使い。
テレサは何もかもを持っている・・・・・・。
先頭を走る僕の手に力が入っているのをテレサちゃんは感じていた。
僕の目線の先にはセポイ教官の変わり果てた姿があった。
「何があったんですか教官!!」
セポイ教官は答えない。
「あなたほどの達人が・・・・・・!」
途端に恐ろしくなる。
さっき出会った男の姿はない。
しかし男は言った。
『ニガサナイヨ』と。
奴は瞬間的に移動できる能力を持っている。
僕たちがいくら逃げまどっていても無駄なのかもしれない。
だけど。
僕は諦めるわけにはいかない!
僕の命は、僕だけの命ではなくなったのだ!
「テレサちゃん。聞いてほしいことがあるんだ。」
僕が意味深に放ったこの一言にテレサちゃんは胸騒ぎを禁じ得ない。
「僕は君の助けになりたい。君を脅かすすべての障害を取り除く術になりたい! よく聞いてほしい。あの日あの朝いつもの食堂で君を見かけたとき僕は生まれ変わった。空っぽだった心の中に君は入ってきて満たしていった。それがどんなに素晴らしいことだったか。テレサちゃん、君は想像できるかい?」
テレサは悔しくなる。
その言葉のすべてはテレサが考えていたことそのまま。
彼女が彼にいつか伝えたかった事。
でも今じゃない。
これを別れの言葉にはさせない。
あなたの事を愛しています。
いよいよ校門に差し掛かったそのとき三人に戦慄が走る。
目前に迫った校門のそばにローブの男が待ち構えていた!
男は両手に生首を掴んでいた。
ガルボはテレサとアスカの目を覆う。
しかし、男に慈悲は無い。
両の手の生首を空に放るとある呪文を小さく唱えた。
聞き取れないそれに困惑する三人。
その瞬間、赤黒い生首は膨張して破裂した。
それは、血しぶきと内容物をまき散らしながらもみるみるうちに巨大な影となる。
舞い散った鮮血は空に丸く意味のある模様を形成する。
それらは重なり合いながらも複雑に魔法陣を象っていく。
テレサとアスカはその魔法陣が何を意味するのかを知っていた。
『ドラゴン!!!!!』
二人が気付いたのと同時にローブの男は天を仰いで叫んでいた。
空中に浮かんでいた黒い影の塊は禍々しい魔力を発生させ辺り一面に雷鳴を轟かせる。
「まずい!!こっちへ!!」
雷と嵐の中、僕は二人に覆いかぶさった。
吹き荒れる嵐は草木を巻き上げ、周辺の天候を変える程の影響を及ぼす。
「ギィィィィィィィィィィッッッ!!!」
時空を引き裂いたかのような金切り声が響く。
それはさながら世界中の不条理をかき集めたかのように暴力的であった。
今や空中に広がる巨大な影から大きな何かが伸びている。
それが生物の爪であることを理解するのにそれほどの時間を要さなかった。
だがあまりにも巨大なそれは、ある巨大召喚獣の一端であるという事実に三人は恐怖することしかできない。
「グオオォォォォォォォォォォッッッッッッッ!!!!!!」
空間が割れる程の咆哮に耳を塞ぐ。
強靭さを隠すことのない巨大な手、張り詰めた胸、鱗立った背中、大きな金色の瞳。
褐色のレッドドラゴンが姿を現した。
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この世界には様々な種族が住んでいる。
力は弱いが手先が器用で知能の比較的高い人族。
森の精霊との深い関わりにより高い魔力を持つ耳長族。
動物の能力を受け継いで進化した獣人たち。
沢山の部族があり見た目も様々、特殊な能力を持つものも多い魔族など、簡単には区別できないほどだ。
魔物と呼ばれるものの中にも多様な種族が存在する。
その中でも最も強力だとされているのがドラゴン族である。
主に爬虫類の見た目に大きな翼が生え炎を吐くものが多く、古来より人々は『空の覇者』と呼んで恐れていた。
しかしその個体は極端に少なく、人族の土地はおろか魔大陸にも一部の地域を除いては生息していないらしい。
そんな幻の生物が今目の前に現れた。
ドラゴン族の中でも上位種であるレッドドラゴン。
火炎を纏ったSランクの魔物である。
突然の出現にガルボ達三人は驚愕し立ちすくんだ。
”ドラゴン”それは召喚術の難易度で見ても最高位の召喚獣。
召喚には多大な魔力と精度の高い魔法陣の生成、それから多大な供物の提供を余儀なくされる。
召喚術専攻のテレサちゃんとアスカにはその驚異的な難易度の高さが理解できているようだった。
召喚術の主任教官でさえドラゴンの召喚には二の足を踏む。
そんな召喚魔法を難なくこなすこの人物はいったい何者なのか。
少なくとも僕たちの想像を超えた存在だという事に間違いはない。
ドラゴンは大きく飛び上がる。その躍動は大きな風圧と轟音をも生んだ。
はるか上空に立ち上るとため息のように軽く一度炎を吹かして見せた。
圧倒的な存在感。
恐怖を超えた先の崇高さ。
美しさとも表現できる筋肉のひしめき。