過去 そして 悲しみの始まり
登場人物
・飯田狩虎:あだ名はミフィー君。主人公。
・イリナ:最強の勇者。主人公。
「イリナ起きてー起きてくれー。」
リヒトさん達から十分に離れたと判断した俺は、気絶していたイリナを起こす為に頬っぺたを叩いた。でも全然目を覚ます気配がない。
「最近太った?アジア象おぶってんのかと思ったよ。」
グリンッ!!
高速の縦ジャブが俺の顎に突き刺さり、ほんの数巡意識が飛んだ。
「……妖精みたいに軽いし。タンポポの綿毛並みだし。」
イリナは起き上がり痛む顎をさする。顔が上がった一瞬を狙って顎を蹴飛ばしたのか………普通ならそこまで驚かないが、イリナ相手にそれをやったってのがなぁ。
「見てた感じイリナが負ける要素全然なかったけどな。なんで失神させられたん?」
「信じられないんだけど………リヒトは時間を止められるみたいなんだよね。いつの間にか攻撃を喰らっていて、顔を上げたら蹴られちゃった。」
「………なんていうか、その、あれだな………」
エロいなって言おうと思ったけど、イリナに殴られるのは目に見えていたので黙る。そしてとても深刻そうな表情で地面を見つめ、一言………
「………エッチいな。」
「………脳腐ってるの?」
「灰色の脳細胞とはよく言われる。」
「炎に焼かれて灰になっちゃったんだね………」
「度重なる戦いは俺の脳を焼き切ってしまったのさ………さて、ミレニアルズの話に戻りますか。」
俺はユピテルさんとウンモに視線を向けた。
「今回戦ってみて思ったのは、並の勇者じゃミレニアルズには勝てない可能性が高いということです。彼らは魔力を2つ、勇者と魔族の良い部分を持ち合わせている。相補的に働く彼らに弱点はない。………このまま何もしなければ勇者領は負けますよ。」
カースクルセイドの方が総戦力では上と考えた方がいいだろう。青ローブにより魔力を2つ持つ者が増産されている。非常に厄介だ。
「じゃあ狩虎の力を解放すればいいだけだろう。魔王の力さえあれば戦況はなんとでもなるはずだ。」
ウンモが珍しくまともな事を言っている。いつも焦って滑舌がゆるいから説得力がなかったけれど、普通の時はその太々しさが逆に説得力を上げている。
「いや、ユピテルさんが認めない。それに俺もそれでいいと思っている。勇者は勇者の力で敵を倒すべきだ。俺はいないものと換算するべきさ。」
そもそも俺に頼ってこの戦いに勝てたとして、どうせ俺はすぐにイリナに殺されるのだ。一時の脅威を排除できたとして、根本的な原因を解決できなければまた同じような危機を迎えるのは必然。
「遠回りが最大の近道だ。誰も裏切る気が起こらないほどに誇り高く、不平等を排斥し、幸福である。………そういう勇者領を作ればもう裏切りなど起きやしないよ。」
「めちゃくちゃ壮大なこと言ってない?」
「うん。でもそうしなきゃいけないほどに勇者領は腐りきってるよ。カースクルセイドじゃあないけれど革命が必要なのは間違いない。」
さーてと、イリナに殺される前にやらなきゃいけないことがもう一つ増えてしまったな。
「つーわけだ、カースクルセイドを倒すついでに勇者領も変えちまおうぜ。」
「君は本当に、なんというか………お気楽だね。」
「そんだけ終わってんだよここは。……今回の報告をしにいくか。」
「そうだね。」
俺達は勇者領の中心地へと向かうことにした。
何万年?何十万年?実は100年ぐらい?誰もその具体的な年数を知らないほど、勇者と魔族は戦い続けてきた。そして戦いが長引けば長引くほど悲しみは増していく。戦没者を弔うお墓は数を増やし、畑を耕す者が減れば飢饉が増える。悠久の時と言えるほどの戦乱が齎したのは腐敗と悲哀のみだった。
ユピテルは自室のベットで1人、横たわりながら天井を見上げていた。
「………私は、魔族を許さない。」
流さないと誓っていた涙が頬を伝ってシーツを濡らす。たくさんの人が死んでいった。民を守る為に、自分の信じる正義を守る為…………最愛の人を守る為に。たくさんの人が死に、生存者は悲しみの中を生き続ける。
親指で涙を掬い寝返りをうつ。窓から入る月光に目を細め、儚い光に目を慣らしながらゆっくりと目を閉じた。瞼の裏に映る思い出をはっきりと見る為に………
「………なんで死んだんだ。」
銀色に輝くネックレスを握り締めながらユピテルは眠りについた。
「ちょっと慶次さん!なんで私達に黙ってたの!」
サミエルさんを取り逃がした後、俺達は勇者領の中心地へと赴き慶次さんの元へと向かった。
「それは………飯田さんの勇者の魔力のことですか?」
しかし彼は一切表情を変化させることなくイリナを見つめる。
「そんなの理解できるじゃあないですか。魔王の力を持つ人間が、第二類勇者の力まで手に入れてしまったらもう私達が制御することはできなくなります。まだ強くなる可能性を飯田さんには自覚しないでいてほしかったんですけどね。」
動揺することなく完璧な回答を叩きつけられたイリナは逆に動揺してしまった。そりゃあそうだ、慶次さんほどの人間がこんなことを想定していないわけがないのだ。
「それに魔力を2つ持つことはとても危険なんですよ。魂が2つあるのとほとんど同じですからね。精神の不安定化により暴走を誘発しやすくなる。そして最後に行き着くのは………イリナさんも身をもって経験しているでしょう、魔物化です。魔王と第二類勇者が魔物化したらどうなると思います?」
「そ、それは……………」
「まぁ誰も止められなくなるわな。」
俺は頷いた。慶次さんの考えはとても筋が通っている。彼が俺の勇者の力を秘密にしたのはごくごく当たり前のことなのだ。彼は正しい。
「しかし慶次さん、俺の力がカイに由来するものだと知ってしまったのなら教えるべきじゃあないですか?この力の引き出し方をね。」
「で、でも魔物化したらヤバいんじゃあないの。」
「確かにリスキーだ。でも勇者の力を使えるようになることで得られるメリットは大きい。それに、俺がそっちをメインで戦う方が勇者領的にも賛成なんじゃあないですか?」
「貴方を御しやすくなると………本気でそう思います?」
「御しやすくなると言うよりかは、俺が死ぬ可能性が減ることの方が重要だと思います。…………今回の失踪事件でよく分かったのは、1番狙われているのは俺だ。」
力を封じられていようと魔王は魔王だ。殺しさえすれば魔王の力を手に入れられるというのなら、カースクルセイドの魔族やミレニアルズは俺を執拗に狙ってくる。並の勇者や魔族ならなんとかなるが、どちらの力も使えるミレニアルズを力を封じられた状態で倒すのは骨が折れる。それに俺が倒されれば、魔王の力を手に入れた敵は1番最初にイリナを殺す。………それが1番まずい。
「俺がどこかで野垂れ死ぬ分には勇者領にはメリットしかないですけど、敵側の魔族に殺されるのはデメリットでしかない。………魔王の力を守るために、俺がカイの力を操れるようにするべきだ。」
「…………こうなると言いくるめられそうにないですね。」
慶次さんは椅子に深く腰掛け天井を一瞥した。
「………カイはとある一族の人間です。彼らは魔力を2つ持ちます。1つは先天的に生まれ持ったもの。カイで例えれば水の魔力ですね。そしてもう1つは後天的に与えられた魔力です。その魔力の名は[ブレイク]。自身の死と引き換えに、自身の魔力を他者に譲渡するという危険な代物です。」
「………あの一撃の時か。」
「はい。貴方がカイを殺した瞬間、彼はブレイクを発動させ魔力を譲渡した。記憶まで受け継ぐというのは初めて知りましたけどね。なにせ使ったら死ぬ魔力を使う人間などいませんから。」
なんの意図を持って俺に力を譲渡したのか分からないが、カイは俺に色々なものを託していたようだ。………なぜ俺なんだ?会ったこともない、しかも敵の親玉である俺なんかになぜこんな力を……………ブレイク。それは困難を突破し、進化を促す言葉。
「…………どうしたらそれを操れるようになりますか?」
「それは貴方次第ですよ。傷つけることを恐れているその意思をどうにかして下さい。」
「………………分かりました。」
俺は慶次さんの元から離れた。
「ミフィー君!傷つけるのを恐れてるの?」
「俺は人を傷つけるのが嫌いなんだ。………それだけだよ。」
「もしかして………カイを殺しちゃったから?」
その後、俺は一切喋ることなく現実世界に戻った。
「…………なぁ、俺が人を傷つけてるのって想像できる?」
現実世界に戻ってきてから、俺は自室の机に足を乗っけてゲームをしながら宏美に電話した。
「いきなりだな。…………お前は最低な人間だが、人を傷つけることだけはしてこなかった。誇るべきことだよそこは。」
「そうかぁ。お前がそう言うならそうなんだろうな。」
「………………」
「………………」
俺はゲームの電源を切ると、布団にぶん投げた。そしてボールペンを握りペン回しをするが、相も変わらず不器用な俺はボールペンを落とす。乾いた音が受話器に響いた。
「…………強くなる為に、俺が誰かを傷つけ始めたらお前は失望するよな。」
「当たり前だろ。そんなことし始めたらお前はもう人間じゃねーよ。」
「…………だよなぁ。」
俺は最低な人間だ。それはよく自覚している。平気で嘘をつくし、相手を騙す。でも人を傷つけることだけはしてこなかった。その弱さが俺の誇りだった。………そう、一年前のあの日まで。
「……………」
「……………」
「………あれはお前のせいじゃない。」
「いや、俺の責任だ。誰も傷つけないというのは、誰も助けないのと同じだ。正義も悪も、どっちも庇わないのと同じ。ギリギリ善人のつもりだったけれど、本当は俺は悪人だった。力があるのに世界を変えるための行動をせずに傍観していた。そのツケが回ってきたのさ。…………俺の罪だったんだよ。」
俺は目を閉じた。網膜に焼き付いている俺が勇者を虐殺した映像が瞼の裏に投影される。………俺が生み出した地獄か。震える右手を無理矢理押さえつけて俺は通話を続ける。
「どこまで行けるか分からないけれど、もうちょっと頑張ってみるよ。」
「苦しかったら止めていいんだぞ。」
「途中で諦めることの方が俺は嫌いなんだ。………また明日な。」
俺は通話を切った。ああ、また眠るのか。また……あの夢を見るのか…………脳裏に焼きついた映像を見ながら、俺は眠りについた。
~一年前~
「狩虎、確かに君ならあの勇者の集団をどうにかできるだろう。でも何も1人で行くことはないじゃないか。応援を待ってから安全に助けに行くべきだよ。」
「いやダメだ。そんなこと言ってられる状況じゃない。今のあいつは狂っている。なにをしでかすか分からないんだ。」
希望の塔から10km離れた場所で、俺は遼鋭とテレパシーで交信しながら鎧を装備していた。
「それでもあと3分………たった3分なんだ。」
「待てない。………俺の妹が人質に取られてるんだぞ。」
俺は遼鋭の忠告を無視して飛び出した。あの青ローブの目を見た時、俺は心底恐怖した。目が血走り、ギョロンギョロンと瞳孔が動いていたのだ。あれは常軌を逸している。俺を誘き寄せるためなら、奴は簡単に人を殺すだろう。そういう目をしていた。全力で炎を生み出し、その無限の熱エネルギーで空間をたわめた俺は10km先の希望の塔へとワープした。そして俺が炎を放つと希望の塔が崩壊した。
あの時俺は自分に酔っていた気がする。身内を助けるためなら人を殺してしまっても構わないと、なぜか息巻いてあの場に立っていた。怒りのままに青ローブを殺し、退路を確保する為に敵を惨殺する覚悟を決める。そんなこと本当は許されるはずもないのに…………もっとやり方はあったと思う。ちゃんと考えて臨めば、勇者だって殺さずに済んだはずなんだ。でも俺は…………目の前に存在する大量の敵を見た瞬間、正気を失った。もう必死だった。決めた覚悟が逆にひっくり返ったのを感じた。自分が殺さなきゃ殺られる気がして、捨て身で突っ込んでくる勇者達を焼き殺していった。屍が無慈悲に地面に転がっていく。一歩間違えればお前もこうなるんだぞと、自分に言い聞かせながら俺は躊躇なく人を殺し続けた。燃える人間はまるで踊っているように両手をバタつかせる。喉を掻きむしり、空気を求めて口を開けっぱにして死んでいく。………分かっている、分かっているんだ。こんなのは全部俺が作り出した幻覚。俺の炎に当てられた人間は、そもそも死体すら残らないレベルで焼失するのだから。炎を振るう度に俺の脳裏には地獄が広がる。
そんな地獄に一筋の光が差した。それは高速で火炎を避けながらこっちに近づいてくる。救いの光か?いや、そんなはずはない。彼らは勇者なのだから。でも敵の雷光がやけに眩しく感じた。強大な敵に立ち向かおうとする輝きに、あの時の俺は心を奪われていたのだ。そこから先は無我夢中だった。ひたすらに敵の攻撃を捌き続け、敵が諦めたと思った瞬間………俺の魔力が発動しなくなった。敵の魔力だと理解した瞬間、全てを壊すことを本能が決めていた。気づいた時には俺ですら制御できない速度で青色の炎がイリナにぶつかろうとしていた。俺は止める為に炎に向かって必死に手を伸ばす。でも結局、分かっていた通りにその手は何も掴めず青色の爆発が起きた。………最後、残ったのは呆然と立ち尽くすイリナと、カイの鎧だけだった。鎧が地面に落ちる音だけが虚しく響いた。そして俺は………逃げ出した。
次に現れるのはカイとイリナの記憶。彼らが笑い、人を助け、喜ぶ記憶。俺がこの手で消してしまったもう2度と戻らない過去。彼らだけじゃない、俺はもっと多くの人間の将来を燃やしその過去を消し去った。踊り狂いながら燃える人間が夢に出てくる。俺を地獄に引きずり落とそうと……………
「……………」
目覚めた俺はシャツを脱ぎ捨てるとタオルで身体を拭く。しかしどうしようも拭えないこの倦怠感を洗い落とす為にシャワーを浴び、俺は居間へと向かう。
これは贖罪だ。全てを奪い全てを無視してきた俺が齎す、一世一代の大贖罪。
鏡に映るその顔に灯るのは覚悟か、それとも………
悲しみが連鎖していく




