No.49 P.9
「ねぇ、覚えてる?」
No.2 P.5のこと。
まだ少し肌寒い日が続いている、年度始め。その日は初出勤。
職場の皆さんで分けてくださいと、持参したチョコレートの箱を差し出した。
わ、マジで? ハケンさんから貰ったよー!
あっという間に群がってきた男性陣をかき分けて、「代表して俺が開けます!」と声高に宣言し、職場の笑いを誘いながら、あなたはその包装紙を破っていったね。
宝石箱のようなチョコレートの中で、あなたがいの一番にハートの可愛い形のチョコをひょいっとつまんで口に入れてくれたとき、私の中でとろけたチョコの甘さが広がっていくのを感じて、これは運命かもと思った。
「ねぇ、覚えてる?」
No.6 P.22のこと。
この日はあなたの誕生日。せっかくの誕生日だというのに、プレゼントと言っても上司から渡された自販機のコーヒー缶だけ。
「これで残業よろしくな」
「くっそー俺今日誕生日なんすけど!」
私は吹き出しつつも可哀想になってしまって、定時であがった会社からの帰り道、急いでプレゼントを用意したっけ。
街のセレクトショップをうろうろしていたら、あなたが興味あると同僚と話してた、シルバーのメスティンが目についた。あなたがソロキャンプやってみたいんですよと言って、「寂しいヤツだな」と、職場の同僚に笑われていたのを思い出す。
「プレゼント用に包んでください」
花柄の、真新しい包装紙の香りに包まれながら、あなたのマンションへと向かう。
プレゼントに迷い、ケーキを買っていたら、もうすぐ日にちをまたいでしまうというような、遅い時間になってしまった。
部屋の明かりはついていない。まだ残業、頑張っているみたいだね。ホールケーキと一緒に玄関の取っ手にかけておくけれど。名前は書かない。サプライズ成功するかな?
誕生日、おめでとう。
「ねぇ、覚えてる?」
No.18 P.19のこと。
この日はデート。街の郊外の、有名な遊園地へ行ったんだったね。運転席に座るあなたは、少し身体を傾けて、助手席に乗った人のシートベルトを確認しているみたい。その人の頬へと近づく顔。その唇。
あなたは真面目な人だから「安全運転で行くよ」とかなんとか囁いて、安心させていたんじゃないかな。きっとそうだと思うし、決してキスなんかじゃないと思う。
最近はもうずいぶん、私たちの距離も縮まって、けれどまだ同じ観覧車に乗れないのは、少し寂しい。あなたが乗った3号車、一周回ってくるのを待って、私も飛び乗った。
あなたがさっきまでいた空間だと思うと、嬉しかったし、幸せだったよ。こうしてあなたと同じ空間で過ごしていると、日曜日が寂しくなくなっていった。
「ねぇ、覚えてる?」
No.21 P.18のこと。
普段から優しいあなたは、職場の同僚からも慕われているのは知っていたけれど。
「井戸田さん、ちょっと今いいですかぁ? この書類を一緒に確認してもらっても?」
艶のある声で、栗色のストレートを耳にかけながら、経理から来た女はあなたに寄り添うようにして一緒に書類に目を通す。
雑用ばかり任されている私はこんな時、自分はなんで派遣なんだろうって、正社員を羨ましく思ったり。そんな風に思いつつ毎日、あなたを見ているのが、私の日常。
けれど、この日はいつもの日常とは違っていた。
あなたは私に向かって、「原さん、ちょっと良いかな?」と声をかけてきて(初めて声を掛けてくれた!)、ビルの屋上に連れ出した。
「仕事なんだから、女と仲良くしててもヤキモチ妬くなよ?」みたいなことを言ってくれるのかもと思っていたら、あなたはすごくイライラした顔で煙草に火をつけ、煙草を唇のへりで咥えながら、言った。
「原さんさあ、あんま俺のこと見ないでよ」
え?
「別にそんなに……見てたつもりはないけど」
「その割にはすげえ、目が合うじゃん。俺のこと好きなの?」
好きって言えたらよかったんだけど。突然だったから、ビックリしちゃってたってこともある。
「そういうわけじゃ……」
「なら、もう見んなよな」
煙草をぽいっとコンクリートの床に捨てると、足でぐりぐり火を消した。チッと小さく舌打ちし、足早に去っていく。
なにが起こったのか、事情が飲み込めない。けれど、今日はツイている。あなたに初めて声を掛けてもらったし、二人っきりで話せたし、少し怒られた気もしたけど、会話ができたのは良かった。目が合うってことは、あなたも私を見てくれているってこと! 嬉しくて舞い上がりそう。
私は嬉しさを隠しきれない顔で、あなたが捨てていった煙草に手を伸ばす。まだほんのり温かい。そしてそれを拾ってハンカチで包み、ポケットの中に忍ばせた。
「ねぇ、覚えてる?」
No.28 P.13 『見てんじゃねえって言ってるだろ?』
No.29 P.5 『ドアノブにものを引っ掛けていくのって、あんたの仕業?』
No.29 P.21 『キモいからやめてくれ』
No.30 P.4 『ああウザ。警察に通報するぞ』
…………
「ねぇ、覚えてる?」
No.49 P.9のこと。
あなたが職場の女と浮気した。これで何度目だろう?
私にも我慢の限界ってものがある。
悔しさが腹の底の底から湧いて出て、だから、私は泣いて泣いて泣いて。
こんなにも浮気されるんだったら、もう生きている意味がないんじゃないかって思えてきて。
電車にでも飛び込んで、なにもかもを終わらせてしまいたい気持ちになった。
「浮気だ? あんたと付き合ってもいねえのになに言ってるんだ。ほんと勘弁してくれ! 気持ち悪いんだよ!」
なんでそんな酷いことを言うの? もう私に飽きてしまったの?
あなたからは、優しい言葉のひとつでさえ、貰ったことはない。それどころか、酷い言葉ばかりが積もりに積もっていってしまう。
だから日記を書くのも、ここでもう終わりにしようと思う。
No.49 P.9で最後にしよう、と。
—— ねぇ、覚えてる? ねえ、ねえってば!
「そんなに揺すらないで! ちょっと離れてください! ……この男性、本当にこのビルの屋上から落ちたんですね? 残念ですが、もうお亡くなりになっていますから 」