6 ひととき
それからもロードリックの見舞客はどんどんやってきた。
どうやら最初の頃は疲れさせたら悪いと遠慮していたらしく、先遣隊の二人から思ったよりも元気だったと聞いた者たちがこぞって出掛けてきてくれたのだ。
マクシミリアンも本当に見舞いに来たのには恐縮してしまった。ゴードンなどは安堵からほぼ泣いているような顔をしていたし、イシドロまでふらりと訪れたのは驚きだった。ただし見舞いの品は酒だったので、奴の辞書に気遣いという単語は存在しないことを思い知らされる結果となったけれど。
他にも多くの部下、友人、使用人、更にはブラッドリー城の職員たちまで来てくれたものだから、ベッドの周りは花と見舞いの品で溢れんばかりになっている。
担ぎ込まれた当初とは比べ物にならないほど華やかになった病室にて、ロードリックは苦笑をこぼした。
病になれば心配してくれる。そんな相手がこんなにたくさん居るのだから、確かにもう少し周囲を見て頼るべきなのかも。
——それにしても、こんなにたくさんの品を貰ってしまうとはな。
何せ病院食をやっと完食できるような有り様なので、このままでは傷んでしまう可能性が高い。
看護婦たちにでもあげようかと考えついたところで、またしても扉を叩く音が室内に響いた。返事を受けて開いた扉の先にいたのはオドランで、彼女の斜め後ろに立っていたのは予想外の人物だった。
「こんにちは、チェンバーズさん。お加減はいかがですか?」
ジゼルは先日と同じワンピースを身に纏い、どこか遠慮がちな笑みを浮かべていた。ロードリックは暗殺を警戒しなければならない身の上なので、事前の連絡がない来客は受付を通さないと入れないことになっているのだが、どうやらオドランが付き添ってくれたようだ。
ロードリックは突然のことに驚いたが、ともかく入るよう促すことにした。ちゃんと患者の顔見知りだったことを確認した有能な看護婦長は、それではと無愛想に言って立ち去って行った。
「ジゼル嬢か、驚いた。この間は世話になったな」
「覚えていて下さったんですね」
「つい3日前の出来事だろう。だいたい、私は恩人の顔は忘れない」
ロードリックが座るよう勧めると、ジゼルは少しのためらいを見せつつもベッドの側の木椅子に腰掛けた。
彼女に特別な用事があるとは思えないから、純粋に見舞いに来てくれたのだろう。
「突然申し訳ありません。お体の調子はいかがでしょうか?」
「ああ、この前よりもだいぶ良いんだ。わざわざ来てもらってすまないな」
「それはよろしゅうございました。こちらお見舞いです……けど、もう素敵なお品物が山積みになっていますね」
ジゼルは茶葉を詰め込んだ缶を差し出して来たのだが、ベッドの周りを埋め尽くす食べ物の数々を見て恥ずかしそうに目を伏せた。
「すみません、こんな小さなもので」
「いや、とても嬉しい。ありがとう」
それはロードリックにとって素直な感想だった。
年若い部下たちは栄養があるからと胃にきそうな食べ物を持ってきたから、どんなに体調が悪くても飲めるお茶は正直ありがたい。
何よりそんな合理的な理由よりも、たまたま遭遇しただけの相手を気遣える優しい人に出会えたことが、ロードリックは嬉しかった。
「そう仰っていただけると助かります……。チェンバーズさんは人気者なのですね」
「そんなことはない。何だかんだ人の好い連中だったというだけのことさ」
ロードリックが微笑むと、ジゼルもようやく曇りのない笑顔を取り戻した。
良かった。ロードリックのような堅物にだって、女性には笑顔が一番なのだということくらいはわかる。
「あと、こちらをお返ししなければと」
ジゼルが紙の封筒に包んで渡してきたものの正体がわからず、首を傾げながらも受け取ってみる。その途端に金属が小さな音を立てて、ようやく中身を察したロードリックはつい瞠目してしまった。
これはあの時渡した銀貨の残りだ。重みから察するに、恐らく殆ど手をつけられていない。
「先日は過分なお心遣いを頂きありがとうございました。ありがたく使わせて頂きましたので、その残りです」
「本当に律儀だな。礼なのだからとっておけばいいだろう」
「いえ、ここまでの大金を頂くわけには参りませんので」
相変わらずの強情さでジゼルは首を振った。結局のところ大した礼にならなかったことは心苦しいが、きっぱりとしたその態度はロードリックには清々しく映った。
「仕方がない、では何か食べていかないか。見舞いの品がたくさんある」
「そんな、私みたいな部外者がせっかくのお見舞いを頂くなんて」
「食べきれなくて困っていたところだ。迷惑でなければ食べてもらえると助かる」
適当に箱を手で掴んで差し出してみれば、それはマクシミリアンが差し入れてくれた果物の詰め合わせだった。
あまりこの辺りでは見ないような珍しい品種や、季節外のものまで各種取り揃っている。色とりどりの美しい果物の数々は、領主の財力と手腕があるからこそ手に入る逸品だ。
ジゼルは青銅色の目をぱちぱちと瞬かせていたが、やがて花みたいに笑って頷いてくれた。
「そういうことでしたら遠慮なくいただきます。お茶をお淹れしましょうか」
「いや、客人に茶を淹れてもらうわけには」
ロードリックはベッドから出ようとしたのだが、病気なのだから休んでいて下さいと手で制されてしまった。
ジゼルはどこかからお湯をもらって帰ってきて、自分が差し入れた茶葉でお茶を淹れると、今度は果物を剥き始める。どうやら皿とナイフも一緒に借りてきていたらしい。
「チェンバーズさん、果物は食べられそうですか?」
「ああそうだな、少しなら」
ジゼルの話し方は春の陽だまりの様に穏やかだ。少しという言い回しが気になったのか、心配そうに首を傾げながらも作業の手は止まらない。
「本当に大丈夫でしょうか? ご無理はなさらない方が……」
ロードリックは病状などひけらかすものではないと思っている。何せストレスが原因の胃潰瘍だなんて、情けなくて恥ずかしいので言いたくない。
だが、ジゼルにかなりの大病なのではといらぬ心配をかけるよりはマシだろう。
「いや、ただの胃潰瘍だ。いきなり食べすぎたりしなければ問題ない」
いかいよう、とジゼルはそのままの音を繰り返した。綺麗に皮を取った林檎を更に一口サイズにカットし始めた辺り、どうやら荒れた胃に負担をかけるわけにはいかないと考えたらしい。
「それは大変でしょう。随分と痛むのではありませんか」
「まあ、傷まないわけではないが、だいぶ良くなって来ている。それに自業自得の側面もあるからな」
医者はストレスが原因なのだと言った。
ロードリックは神経質だという自覚があるし、今回のことで部下たちを上手く頼れていなかったことも知った。休息が十分でなかったという反省も得た。
皆の前で倒れてしまうなんて、周囲の者はどう感じただろうか。ちょっと頼りないなと思われても仕方がないように思う。
「自業自得、などということはないと思いますよ」
今度は黄色く長い果物を剥きながら、ジゼルは控えめな笑みを見せた。どうやら手で割く様にして皮を剥くことができるらしく、皮よりも少し色の薄い中身をするりと取り出している。
「どんなご病気かは詳しくありませんが、ご無理をなさったのですね。きっと周りの方々も解っておられると思います」
「……そうだろうか?」
「ええ。だってこんなに沢山愛されている方が、自業自得だなんて思われているはずありませんもの」
ジゼルは色とりどりの病室を見渡す様にして言った。ティーポットから二人分の茶を注ぎ、皿の上に美しく盛り付けられた果物をテーブルに置いて、銀色に光るフォークを差し出してくる。
「さあ、どうぞ。きっと元気が出ますよ」
「……ああ、そうだな。頂こうか」
ロードリックは用意を整えてくれた礼を伝えてから、例の薄黄色の果物を口に入れてみた。
もったりと甘く、全身に滋養が染み渡るような味だ。茶を飲めば胃の中から温まるのを感じて、つい安堵のため息が出てしまう。
ジゼルが同じものを食べて美味しいと笑うので、ロードリックもまた小さく微笑んだのだった。