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4 出会い

 全力疾走したような疲労感とともに、ロードリックは目を覚ました。


 汗で背中に張り付く病院着が不快だ。まさかあの頃の夢を見てしまうとは、青かった自分を思い出したことも甚だ不快である。


 ロードリックは乱れた焦茶の長髪をかき上げて、ふとその手を止めた。早朝の景色を切り取る病室の窓には、見慣れた33歳の自分が映っている。


 鍛錬と勉学に明け暮れた少年時代を終え、父親であるチェンバーズ伯が政争に負けて失脚したのは、ロードリックが16歳の時のことだった。

 謀反のために力を蓄えていたマクシミリアンは、まだ下っ端騎士だったロードリックに代わって全力で父を救い出してくれた。お陰で全領地を失わずに済んだチェンバーズ伯は、その後小さな屋敷で穏やかな余生を送り、妻と子供に看取られてこの世を去った。


 マクシミリアンには返しきれないほどの恩がある。己をここまで鍛え上げてくれたこと、そして実家を救ってくれたこと。ロードリックは必ずこの恩を返さなければならないのだ。


「……髪、切るか」


 ロードリックは誰にともなくポツリと言った。


 北方の大貴族であるチェンバーズ伯領では、成人と同時に髪を伸ばし、以降は好みの長さで揃えて紐で一つに括るのが伝統だった。領地がなくなった今となっては、そんなしきたりを律儀に守る意味などどこにもない。


 それなのに髪を伸ばしていたのは、自分のことになど気を配る暇もなかったからだ。


 危うさを身に纏うようになった主君のこと、破天荒な部下たちのこと、そして彼らと成し遂げようとした謀反。それらのことに気を取られているうちに、いつの間にこんなにも時が経ったのだろう。


「おはようございますチェンバーズさん。朝の検温ですよ」


 振り返れば見慣れた看護婦が病室に入ってきたところだった。

 白衣を纏った体は体格が良く、頼り甲斐がありそうな彼女はオドラン看護婦長という。ロードリックを前にしても変に媚びへつらったりしないため接しやすい相手だ。


「はい、お熱はありませんね。先生にミルク粥から食事を始めていいと伺ってますよ」


 正直言ってあまり腹は減っていないのだが、回復するためには食べなければ話にならないだろう。食べていいと言われたのに嬉しくなさそうな患者を見て、オドランが眉をしかめた。


「食事も治療の一環ですよ」


「わかっている。ちゃんと食べるから安心して頂きたい」


 オドランは適当に相槌を打って病室を出て行った。するとしばらくの後に朝食が運ばれてきて、食べてみるとやはり少しだけ胃が痛かった。




 朝食を終えた後、ロードリックは散髪を実行することにした。


 備え付けの洗面所にてハサミを手に鏡に向かう。まずは長い髪を鷲掴みにして一息に断ち、その後は細かい調整をしてみる。

 終わってみれば素人仕事なりにごくありふれた短髪に仕上がったようだ。特に感慨もなかったが、それなりに気分がすっとするような気もした。


 長髪の残骸を片付けてからカーディガンを羽織り、どこに行くでもなく病室を出る。入院してからこっち、やることがなくて暇だし焦燥感すら覚える。医師の言うところの「うすぼんやりとした日々」に慣れてしまったらどうしてくれるのだ。


 そんなことを考えながら病院の白い廊下を歩いていると、背後に控えめな気配が発した。


「あの、すみません。お髪をどうされましたか?」


 どうやら声をかけられたのは自分らしいと判断して、ロードリックは後ろを振り返った。


 そこには歳の頃20代前半と思しき女性がいた。黒髪を纏め上げ、儚さを感じさせる端正な顔立ちに薄化粧を施している。ほっそりとした身体に纏うベルベットのワンピースは型が古いようで、所々手直しした跡があった。


「髪……もしかして、おかしいか?」


「いえ、その。後ろが揃っていないので、どうなさったのかなと思いまして」


 なんと、どうやら鏡で確認できない部分で大失敗していたらしい。ロードリックは気恥ずかしくなって、女性の青銅の瞳を見ていられずについと逸らした。


「ご忠告痛み入る。先程自分で切ったんだが、失敗したようだ」


「まあ、ご自分で?」


 女性は微笑ましげな表情を浮かべた。ますます居た堪れなくなったロードリックは、早まったことを後悔し始めていた。


 入院生活では邪魔になるだろうと思ってのことだったが、これでは誰か呼んで整えてもらわなければならない。一番上手くやってくれそうなのはリシャールだが、薬師の彼女は城内で重宝がられているし、そもそも話が騎士団に伝わって揶揄われそうだ。横柄な貴族のようで気が引けるが、これはもう理髪師を金にものを言わせて呼び寄せるしか——。


「あの、もしご迷惑でなければ整えて差し上げましょうか?」


 ロードリックは軽く頭を抱えそうになっていたので、女性の申し出は光明と言う他なかった。




 彼女は名をジゼルと名乗った。ジゼルはすぐに鋏と櫛、そして綿布を借りに行ってくれて、二人は中庭のベンチを借りて散髪をすることになった。


「そのお姿を見るに、チェンバーズさんは入院されているのでしょう? 体調は大丈夫なのですか」


「ああ、大した病気ではない。じっくり休めば治ると言われている」


「そうでしたか。それなら良かった」


 後ろに立つジゼルが穏やかに微笑む気配がして、綿布を肩にかけられた後に鋏が小さな音を奏で始める。名前を明かしても正体は知られなかったあたり、彼女はこの土地の人間ではないのかもしれない。


「ジゼル嬢こそ、ここには診てもらいに来たのではないのか」


「……いいえ、あの。ここへは知人のお見舞いに来たところだったのです」


「そうか、それは心配だろう。大丈夫なのか」


 ジゼルは少しだけ手を止めたが、すぐに気を取り直すように軽快に言った。


「もう随分良くなった様ですので。お気遣いありがとうございます」


 鏡がなくともわかるほどにジゼルの手捌きは軽やかだった。慣れているのはどうしてなのかと聞いてみると、気恥ずかしげな声音が頭上から降ってくる。


「あまり裕福な暮らしを送ったことがなくて、昔から自分の髪は自分で切っているんです。頼まれれば周囲の人たちの髪も」


「なるほど、大したものだな」


「ふふ、珍しいことでもありませんわ」


 彼女の持つ雰囲気を考えれば家が貧しいというのはどうにも違和感のある話だが、ロードリックは特に指摘しようとは思わなかった。

 どうせこの場限りの関係なのだし、女性のプライベートを根掘り葉掘りと詮索するものではない。


「それにしても、綺麗なお髪ですね。真っ直ぐでつやつやしていて、女性なら皆が羨むような髪質です」


「……そうか? そんなことは思ってもみなかったな」


「あら、ご自覚がないなんて勿体無いですわ。きっと伸ばしてもお綺麗なんでしょうね」


 羨ましげなため息がつむじを擽る。実はつい先程まで長髪だったのだと言ったら、ジゼルはどんな反応を返すだろうか。


 春風が頬を撫でていて気分が良い。心地のいい鋏の音を聞きながら、ロードリックは少しの間だけ目を瞑って過ごすことにした。


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