2 入院決定
尊敬すべき主君と同僚の眼前で倒れたロードリックは、そのまま城下町の大病院に担ぎ込まれるという失態を演じることになった。
近頃胃痛がひどくなってきたと思ってはいたが、まさか倒れるに至ってしまうとは。
マクシミリアンが帰ってくるまでの仮の領主になって以来、破天荒な部下たちも随分と協力してくれるようになったものの、騎士団長の業務と並行するにはいかんせん仕事量が多過ぎた。寝る間も惜しんで過ごしたこの数ヶ月、鍛錬に時間を割くこともできずに体重が落ちたような気はしていたのだ。
薬剤師のリシャールにも胃の痛みが取れないなら病院に行ったほうが良いと言われていたのに、後回しにした結果がこれだ。
「胃潰瘍ですね」
白く塗られた病室にて医師から告げられた診断結果は予想通りのものだった。
「毒でも盛られたのかと思ったぞ……」
ベッドで上体を起こした姿勢を取るロードリックの側で、腕を組んで仁王立ちになったマクシミリアンが安堵のため息をつく。
今の病室にはこの三人しかいない。先程まで室内には部下たちがひしめいていたのだが、やかましくて敵わなかったので追い出したのだ。
黒髪を七三分けにした四十絡みの医師は、眼鏡の奥の瞳を瞬かせてから淡々と言った。
「原因はストレスです。それに過労。勤務事情を確認させていただきましたが、常人がこなせる仕事量ではありません。抱えたご心労も並大抵のものではないはずです」
医師の目線は物怖じすることなく、我が領主を責める色を宿していた。
マクシミリアンが沈痛な面持ちで黙り込む。治癒魔法で痛みから解放されたロードリックは既に元気を取り戻していたので、とにかく居た堪れない気持ちになった。
「チェンバーズ騎士団長閣下。とにかく、貴方は入院して安静にせねばなりません。
仕事のことは忘れ、此度の謀反についても考えることなく、うすぼんやりとして毎日を過ごすのです」
「う、うすぼんやり……この私が、うすぼんやり……?」
「のんべんだらりでも結構ですよ。聞けば治癒魔法と薬に頼り、騙し騙し業務を続けてきたとか。
病とは原因を根絶しなければ再発するものなのです。
まずはストレスを取り除いて心身を休め、胃に空いた大穴を塞いでしまわなければ」
医師の言うことは紛れもない正論だったので、ロードリックもまた黙り込むしかなかった。
だがしかし、彼の言い分を実行するとなると、本当にしばらくの間は何もせずに過ごす羽目になってしまう。領主の仕事はマクシミリアンが帰ってきたから良いとしても、黒豹騎士団長の仕事は誰がこなすと言うのか。
「今、騎士団長の仕事は誰がこなすのか、とお考えでしたね?」
「何故それを!?」
なんなのだこの医師は。まさか他人の心が読めるとでも言うのだろうか。
「病人の考えることなど大概想像がつきます。いいですかチェンバーズ騎士団長閣下。貴方、こんなことを続けていたら死にますよ」
「死っ……!?」
医師のあまりの言い様にロードリックは絶句した。
それは流石にないだろうと笑い飛ばしたい気持ちで一杯なのに、医師の表情は大真面目だ。
「治癒魔法は便利ですが、自身の自己回復機能を増幅させているに過ぎません。
故に限界には個人差があり、その限界を超えているからこそ吐血をするほど重症化したのです。
要は無茶をしすぎ、ご自分のお力を過信しすぎです。そのような認識では幾度も再発を繰り返すでしょうね」
凄まじいまでの正論にぐうの音も出ないロードリックだが、それでも首を縦には振らなかった。
せっかくマクシミリアンが戻ってきたと言うのに、これでは迷惑をかけてしまう。謀反では何の役にも立てなかったのだから、せめていつものように仕事をしてこれからも恩を返したい。
ロードリックは反論の口を開きかけたのだが、それよりも先に話し始めたのは他でもないマクシミリアンだった。
「話はよくわかった。先生の言う通り、この俺が責任を持って療養させよう」
「マクシミリアン様……!?」
マクシミリアンは揺るがぬ意思を赤い瞳に宿しているようだった。いや、そんなに深刻そうな顔をしないで欲しい。死ぬとか何とか言われはしたが、疲れが胃に出やすいだけで不治の病でもなんでもないのだ。
「マクシミリアン様、私は平気です。今はもうこの通り元気ですし、通院すればどうとでも」
「駄目だ、先生がゆっくり養生しろと言っているんだ。大人しく言うことを聞け」
否を言い放った領主を前に、医師はここで初めて笑みを見せた。どうやら彼にとっては満足行く返答だったようで、ロードリックもまた主君に言い含められては頷くしかなかった。
「そうしていただくのが一番よろしい。領主様、騎士団長閣下をお借りしますよ」
「ああ頼む、先生。どうか治してやってくれ」
ロードリックの眼前で男二人が握手を交わす。こちらは納得しきっていないのだが、患者の考えは完全無視で良いのだろうか。
しかし医師が出ていった後にマクシミリアンが突如として頭を下げたので、ロードリックは黙している場合ではなくなってしまった。
「マクシミリアン様、何を……⁉︎」
「ロードリック、すまなかった。俺が弱かったばかりに、お前に計り知れないほどの苦労をかけてしまったんだな」
「そのようなことはありません! どうか、お顔をお上げください!」
そう、顔を上げてもらわなければ、ロードリックはまた胃が痛くなってくる。己が不甲斐ないが故に主人に頭を下げさせてしまった、その事実がもうしんどいのだ。
無意識に胃の辺りを抑えたのをマクシミリアンは見逃さなかったらしい。痛ましげに目を細めた美しき主君は、すぐに何かを決意したように頷いた。
「大丈夫だ。お前がいなくとも俺はちゃんとブラッドリー領を治めるし、もう間違いを起こしたりもしない」
「え」
何だろうか。そこまできっぱり言い切られると、それはそれで複雑なのだが。
「今まで無理ばかりさせてしまったな。取れなかったぶんの休暇を今取ると思って、どうかゆっくり過ごしてくれ。仕事のことなど気にするなよ、皆で何とかしてみせるさ」
「マクシミリアン様、しかし」
「また見舞いに来るよ。お前の屋敷にも俺から連絡しておく。欲しいものがあったら電話をくれればすぐに遣いを出すから、何も気にせず治療だけに専念すればいい。わかったな」
ものすごく慈愛の込められた優しい声で諭した末、マクシミリアンは静かに帰って行った。
まるで余命宣告された子供をあやすかのような対応だ。釈然としないものを抱えたロードリックは、うっすらとした痛みがぶり返した胃を抱えてベッドに横たわるのだった。