終 彼が定時に帰る理由
ロードリックが夕方の街並みも悪くないと気付いたのは、こうして普通の時間に帰宅の途に着くようになってからのことだ。特に領主の仕事を請け負ってからは屋敷に帰れない日も多く、使用人たちにどうかお休みくださいと泣きつかれたこともあった。
人が活動する時間帯に街を歩くと、いかに活気のある街なのかがよくわかる。夕刻の喧騒を心地よく感じながら歩いて行くと、大通りに面した場所にあるのは一軒の花屋だ。
軒先で花に囲まれて佇むほっそりとした人影を見つけて、ロードリックは歩く足を早めた。
「ジゼル」
「ロードリックさん」
待たせてしまったかと問うと、いいえと言う穏やかな声と共に微笑みが返ってきた。
ここで働き始めてから、ジゼルは徐々に草花の知識を蓄えているらしい。
見た目によらず体力には自信があるそうで、すぐに簡単な手伝いから始めることができたようだ。店の人たちも皆優しくて親切だと、以前楽しそうに話してくれた。
「行こうか」
「はい」
夕暮れの街を二人で歩く。するとジゼルが言いにくそうに切り出してきたのだが、その内容はいつもと同じだった。
「毎日来ていただいてありがとうございます。でも、お忙しいのならご無理はなさらないで下さいね」
「大丈夫だ。あんなことがあっては一人歩きなどさせられないからな」
ホプキンソンが逮捕されるまでは、ジゼルを毎日家まで送り届けるつもりでいる。
窮屈な思いをさせているだろうが仕方がない。それでもロードリックはといえば、毎日会えて嬉しいなどと思ってしまうのだから末期的症状だった。
「その……申し訳ないのですが、今日は食材の買い出しに行かなければならないのです」
「ああ、もちろん付き合う。商店街の方に行くか」
ジゼルが本当に申し訳なさそうに言うので、ロードリックは何でもないことだと首を振った。
女性に食材の買い出しは大変だろうしちょうどいい。荷物持ちくらい喜んでするし、何なら重量のある買い置き品を今日のうちに買ってしまってもいいかもしれない。
ホプキンソンが逮捕された後でも付き添ってやりたいくらいだ。いや、むしろ早く結婚すればいい。そうすればいくらだって使用人を雇うし、暮らしの苦労をさせずに済む。
「ロードリックさんは……その、この後はどうされるのですか?」
「この後ならまっすぐ帰宅するつもりだが」
あまり食料品店の場所は詳しくないが、ジゼルは何を買うつもりなのだろう。野菜と小麦と、肉あたりか? 酒は飲むのだろうか。そうだ、甘いものは好きだがあまり食べる機会が無いと言っていた。最後に菓子店に寄ってケーキでも……。
「でしたら私、何か食事をお作りしますので、よろしければ我が家にお越しになりませんか?」
「ああ、それはありがた——」
——ん?
何だか今、とんでもない台詞を聞いたような。
ロードリックは錆びたブリキのような動きでジゼルの方を向いた。彼女は相変わらず澄んだ目をしていて、春のような笑みを浮かべている。
ああ、とても可愛い……ではなく。
「……食事を作ってくれるのか?」
「はい! お口に合うかわかりませんが、精一杯頑張ります」
——あ、これ、本当に食事するだけのやつだ。
ロードリックはちょっと遠い目をしてしまった。
ジゼルのことだから、いつも迎えに来てもらっている礼のつもりなのだろう。
これはあれか。一人暮らしの家にそう簡単に男を招いては駄目だと、そこから諭したほうがいいということなのか。
「ジゼル。あの、だな」
「はい、何でしょうか」
純真無垢な眼差しには「本当に来てくれるなんて嬉しい」と書いてあったので、ロードリックはあっさりと陥落した。
戦において始まる前から白旗を上げたことなどありはしないのに、どうにもこの笑顔には弱い。そうだ、己が自制心を強く持てば済む話だ。彼女が笑っていてくれるなら、それでいい。
「……ケーキ、買って帰るか」
「まあ、素敵ですね。大賛成です」
ジゼルが朗らかに頷くので、手を差し出してみれば恥ずかしそうに華奢な手を重ねてくれた。夕刻の街は賑やかで、二人もまた他愛もない話をしながら歩いていく。
何を食べたいかと聞かれて、ロードリックは自分が腹を空かしていることに気付いた。
彼女が作ったものなら、きっとどんなものでも美味いだろう。
《働きすぎ騎士団長は逃亡令嬢を救って甘やかしたい・完》




