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14 自覚と目覚め

 ジゼルの診断結果は「精神的ショックによる気絶」というものだった。

 目の前でオズワルドを蹴飛ばされ、更には頬を殴打されたのだから当然だ。医師によれば治癒魔法で外傷は治っているから大丈夫とのことで、諸々の処理を終えたロードリックはジゼルが眠るベッドの側に佇んでいる。


「すまないな、ロードリック。退院もまだなのに重労働をさせてしまった」


 隣に立つマクシミリアンが本当にすまなそうに言うので、ロードリックははっきりと首を横に振った。


「いいえ。これは、私の仕事です」


 しかし強い声音で言い切っておきながら、心の中では相反する本音が溢れていた。

 違う、これは仕事などではない。ロードリックはジゼルが困っているのならこれからも無条件で救い、守ろうとするだろう。

 姫君の寝顔を見つめて動かない騎士に、マクシミリアンは小さく息を吐いた。その微かな音も今のロードリックは拾うことができず、仕方がないなとばかりに優しい目を向けられていることなど知る由もなかった。


「退院は明後日だったな。この件はお前に任せるから、存分に俺の名を使ってホプキンソンを調べ抜け」


「は。承知いたしました」


「拘束した赤狼どもの尋問もある。俺は城に戻るぞ」


「は」


「今のうちに体を休めておけ、と言いたいところだが……」


 マクシミリアンは何やら大袈裟な抑揚を付けて言い淀むと、病院着の肩をぽんと叩いてきた。


「追手が来ないとも限らないし、お前が警護してくれるなら安心だ。後は頼んだぞ」


 最後に二度肩を叩いて、マクシミリアンは病室から出て行った。ロードリックは主君の背中を見送ると、ベッド脇の木椅子に腰掛けて、引き続き安らかな寝顔を眺めることにした。


 今現在に至るまでに分かったことはそう多くない。彼女がジゼル・マンシェという名前で診察券を製作していたことと、この街に連絡すべき身内はいないということくらいか。

 ジゼルは今までどんな人生を歩んできたのだろう。事件の責任者としては事情を聞かねばならないが、果たして彼女は話してくれるだろうか。いや、むしろそれを問うことが許されるのだろうか。


 じっと思考に沈み込んでいるうちに、窓の外の景色が夕焼けの色に包み込まれていた。薄暗がりの中で無意識に手を伸ばしたロードリックは、滑らかな頬に触れる寸前で手綱を引かれたように動きを止めた。


 ——また私は、性懲りも無く何をしようとしているんだ。


 あれだけ嫌な思いをさせたのにまた同じことを繰り返す気なのか。眠る女性に勝手に触れるなど、騎士どころか男として最低な所業と言える。


 ロードリックは動揺を誤魔化すべく魔具のランプを点灯した。次に室内をうろつき回った上でまた木椅子に座ったのだが、ジゼルが起きた時のことを想像すると胃が重くなるような気がした。

 もし迷惑そうな顔をされたり、ましてや怯えたような反応をされたら流石にきつい。辛すぎる。

 それは、何故か——。


「チェンバーズさん……?」


 物思いに耽っていると掠れた声が聞こえてきた。ジゼルは何度も瞬きをしながらも、茫洋とした視線をロードリックへと向けていた。


「目が覚めたのか……! どこか痛むところは?」


「いいえ……私、どうして……? ここは」


 どうやら状況を掴めていないらしいジゼルに大まかな説明をすると、どうやら倒れる前の出来事を思い出したようだった。小さく息をのんで飛び起きたかと思ったら、今度は必死の様子で問いかけてくる。


「オズワルドは……!? オズワルドは無事ですか?」


「大丈夫だから急に動くな。まだ寝ていた方がいい」


 まさかアンブラーに小便をお見舞いしていたと言うわけにもいかない。治癒魔法はかけたし元気そうだったと伝えると、ジゼルは全身の力を抜いたようだった。


「良かった……本当に、ありがとうございます」


 心からの安堵に微笑むジゼルは、その心の優しさが滲み出るように眩しかった。

 いつもは纏め上げていた黒髪は解かれ、柔らかそうな波を描いて左右に垂らされている。無防備な笑みが愛らしくて、彼女のプライベートを覗き見てしまったような罪悪感に駆られたロードリックは、動揺を誤魔化すべく視線を逸らして立ち上がった。


「医者を呼んでくる。楽にしていてくれ」


「あ……ま、待ってください!」


 慌てたように言ったジゼルが袖口を掴んできたので、ロードリックはまともに緊張した。

 一体どんな用があるというのだろう。好きでもない男に迂闊に触るべきではないと忠告するべきなのかもしれない。


「助けてくださってありがとうございました。倒れる前に申し上げるべきでしたのに、お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。チェンバーズ騎士団長閣下」


 袖口を掴んだ手が弱々しく滑り落ちて行く。

 ロードリックは思考が明後日の方向に行きかけていたので、ジゼルが恭しく腰を折って告げた言葉に、反応するのが遅れてしまった。


「よせ……! 貴女はホプキンソン候の御息女なのだろう? 頭など下げないでくれ!」


 チェンバーズ家はもはや没落して久しいから、ホプキンソンの御令嬢がへりくだる意味などない。しかしまともな理由は頭から抜け落ちていて、ロードリックは知らずのうちに拳を握りしめた。

 そんな風に他人行儀に呼ばないで欲しい。もう二度と笑いかけてもらえることはないと思うと、泥でも飲み込んだような気持ちになる。

 ジゼルはやっと頭を上げると、ご存知だったのですねと消え入りそうな声で言った。


「今日知ったばかりだ」


「そう、でしたか。……チェンバーズ騎士団長閣下。私はポプキンソンの娘と言えど庶子ですから、本来貴方様と親しくお話させて頂けるような者ではありません。今までのご無礼を、お許しください」


 頭を下げるなと言ったからだろう。ジゼルは一度腰を折ると、すぐに頭を上げた。そうして再び見えた顔には穏やかな微笑が浮かんでいたが、それは明らかな隔たりを示すように整然とした表情だった。


「……何が、無礼だと言うんだ」


 ようやく絞り出した声には隠しきれない寂寥が滲んでいた。自分でも呆れ返る思いがしているのに、胸が刺されたように痛んで上手く口が回らない。


「貴女との時間は、とてもささやかで、穏やかだった。私は……」


 こんな時が続けばいいのにと、あてもない願いを抱いた。

 二人で春を眺め、微睡むような空気を頬に感じたあの日。薄紅の花びらが舞い散る中で振り向いた彼女の、なんと美しかったことか。

 永遠にこの光景を切り抜いて頭の中に焼き付けてしまいたい。そんな馬鹿みたいなことを心の奥底で思って、だからこそつい手が伸びてしまった。


 こんなにも触れたいと、もう一度笑顔が見たいと思うのは何故なのか。ここまで考えついてしまっては、さしものロードリックも自覚せずにはいられない。


「騎士団長閣下……?」


 ジゼルが不安そうに首を傾げている。

 だめだ、自分の気持ちを優先させている場合ではない。謂れのない暴力を受けてようやく目を覚ました彼女を、早く医師に見せなければ。


「……ジゼル嬢、私にこれ以上気を遣わなくて良い。とにかく医師の診察が先だ」


 その後で事情を聞かせて欲しいと願い出ると、ジゼルは少し戸惑うような様子を見せたが、すぐに頷いてくれた。


 結果から言うとするならば、ジゼルの話はロードリックの逆鱗に触れるに十分なものだった。


 どうしてブラッドリー領にて病院に通うに至ったのか、そして何故ホプキンソンは娘を呼び戻そうとしたのか。ジゼルは決して侯爵家や赤狼騎士団の連中をなじったりせず、ロードリックが尋ねなければ彼らから受けた仕打ちをぼかそうとする節すらあった。自身の境遇を嘆く様子もなかったが、どれほど辛い目にあってきたのかなんて想像しても足りないほどだろう。


 ——殺してやる。


 この時、ロードリックはマクシミリアンの気持ちが初めて理解できた。


 この穏やかな笑顔を害するもの全て、塵も残さず消しとばしてやる。特にアンブラー、あいつはこの世に生まれたことを後悔させてやるべきだった。弱者に暴力を振るうような人でなしは同じ目にでも合ってみればいい。彼女の痛みを理解するまで、何度でもだ。


「もしかして、怒っておいでですか」


 ふと気が付くと、ベッドに座り込んだままのジゼルが不安げな顔をしていた。

 自分が案外顔に出やすい方だと知ったのはつい最近のことだ。ロードリックは心を落ち着けるために深呼吸をしてから顔を上げた。ただし、眉間の皺は消えることが無かったのだが。


「こんな話を聞いて怒らない方がおかしい。ホプキンソンもアンブラーも最低の外道だ」


「え? ……あ、ええと。怒っておられるのは、私に対してではないのですか?」


 しかしジゼルは的外れなことを言って首を傾げている。ロードリックは言わんとするところがわからず無言を返したが、ジゼルはその反応を肯定と受け取ったらしい。


「そう、ですよね。大変なご迷惑をおかけしたのですもの。こんなことになるくらいなら、やはり家を出るべきではなかったのでしょう」


「……何?」


「此度のことは私の勝手な家出が招いたことです。さらなるご面倒をおかけして申し訳ありませんが、どうか寛大なお取り計らいを頂けませんでしょうか」


 ジゼルの笑みには諦念が滲んでいて、ロードリックは自身の掌に爪が食い込むのを他人事みたいに感じた。

 彼女はこう言っているのだ。これ以上迷惑はかけられないからこの件は自身の家出が招いた騒動として決着させてほしい。ホプキンソン候と対立などしないで、と。


「……それで、貴女はどうするつもりだ」


「居場所が知られてしまいましたから。家出娘は実家に戻って、縁組を受け入れようと思います」


「それは駄目だ!」


 ロードリックは衝動的に叫んでしまっていた。

 ジゼルが驚いて目を丸くしている。怖がらせたかもしれないと頭の片隅で思ったが、それでも止まらない。彼女がその美しい瞳を陰らせることも、他の男と結婚するなどと言い出したことも、何もかもが許し難いと思った。


「絶対に駄目だ。これ以上貴女を下衆どもの身勝手に利用させてたまるか」


 そして、そう思うのは何故なのか。

 理由などとっくに理解していて、だからこそ迷いなど少しも無かった。

 ジゼルの細くかさついた手を取って、両手で握り込む。勝手に触るべきではないという理性すら吹き飛んでいて、ロードリックはランプの光を受けて輝く青銅色の瞳を正面から見つめた。


「私と結婚しよう。ジゼル」

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