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11 ジゼル②

 日々は滞りなく過ぎ、23歳になったジゼルはとある噂を耳にした。

 何でも隣のブラッドリー公爵領の大病院では最新の医療を受けることができて、体の傷痕や痣を消したり薄くすることができるらしく、同じ悩みを持つ者が大勢集まってくるらしい。

 最初に聞いた時は自分には関係のない話だと思った。しかしどうにも頭の片隅に引っかかって、ふとした時に傷跡を消すことについて考えてしまう。


 ーーでも、この傷跡は……。


 母を置いて自分だけが生き残った咎そのもの。これを消すなどということが、果たして許されるのだろうか。

 悩んだ末、ジゼルは宿屋の女将に相談した。すると絶対にその病院に行ってみるべきだという力強い肯定が返ってくる。


「あんたのお母さんだってそう言うよ。生きているあんたに、幸せになってほしいに決まってるじゃないか」


「女将さん……」


「行ってご覧よ。あんたみたいな綺麗な女の子がこんなところにいるのは、勿体無いなってずっと思ってたんだ」


 女将は身銭を切って路銀を持たせてくれた。いつでも帰ってきて良いからとの言葉をもらって、宿の主人と仕事仲間にも見送られたジゼルは、決意を胸に慣れ親しんだ宿を後にした。




 ブラッドリー城下に着いてすぐに花屋に雇ってもらえることになり、住む場所も決まった。

 実際に件の大病院にかかってみると、魔法使いでもあるという女性医師は今まで聞いたこともない治療法を沢山提案してくれて、少しずつ試していくことになった。


「完全に消えるということはないでしょうが、かなり薄くはできると思いますよ。頑張りましょう、マンシェさん」


 医師の誠実な微笑みが心強くて、嬉しかった。

 まだどうなるかなんてわからないし、期待なんてしないほうがいい。けれど実際に行動してみると皆が親切で優しくて、自分がどれほど多くの人に助けられてきたのかを自覚することができた。


 ジゼルは世間知らずの無知な女だった。助けてくれる人がいることを知らずに、ひっそりと頑なに生きてきた。

 この喜びを知ることができただけで僥倖だ。治療の結果がどうなっても構わないと思えるほどに。




 それは二度目の通院に訪れた時のこと。

 前を歩く男性の髪がどうみても散髪に失敗した様子だったので、ジゼルは不思議に思って首を傾げた。

 病院着を着込んでいることから恐らく入院中の患者と思われるが、一体何がどうなってこの髪型で廊下を出歩くことになるのだろうか。


「あの、すみません。お髪をどうされましたか?」


 つい声をかけてしまったことに、自分が一番驚いた。

 新しい土地に来て気が大きくなっていたのかもしれない。普段なら絶対そんなことはしないのに、迷惑に思われたらどうしよう。

 緊張しながら立ち尽くしていると、男性がこちらを振り返った。

 とても端正な面立ちに、長身で引き締まった体躯を持つ青年だ。年は30を越えたところだろうか。焦茶色の髪に浅葱色の瞳が映え、直線的な目鼻立ちが厳格な印象を与えている。髪型がおかしなことになっているのと、更には目の下にクマが浮かんでいることを差し引いても、十人中十人が美形だと断ずる容貌だろう。


 ——そういえば必要外で男性とお話するなんて初めて。どうしよう、緊張するわ。それに、綺麗で……何だか怖そうな人。


「髪……もしかして、おかしいか?」


 けれど失礼な第一印象を吹き飛ばすように、彼は気まずそうに目を逸らした。

 どうやら気恥ずかしい思いをさせてしまったらしい。思ったよりも人間味のある反応に、ジゼルはそっと息をついた。


「いえ、その。後ろが揃っていないので、どうなさったのかなと思いまして」


「ご忠告痛み入る。先程自分で切ったんだが、失敗したようだ」


「まあ、ご自分で?」


 髪を整える提案をしてしまったのも、ジゼルにとっては驚くべき行動力の発露だった。

 お節介にも程がある申し出だったかもしれない。顔に出さずとも内心で後悔に苛まれていると、彼は助かると言って頷いてくれたのだった。




 髪を切った礼としてロードリックから銀貨をもらってしまい、ジゼルは帰路を辿りながらも困り果てていた。

 とっさに見舞いに来たのだと嘘をついたことは後悔してもしきれない。通院の事情を知られたくないと思った瞬間、口から出まかせが滑り落ちていたのだ。

 見舞いの品を買えばいいと言われては、それ以上受け取るのを固辞することはできなかった。ああ、まさかあんなに善良な人から金を騙し取ってしまうことになるなんて。


「どうしよう……」


 沈み込むような独り言が街角に消えてゆく。ジゼルは俯き加減で歩き続けたのだが、やがて脳裏に閃くものがあった。


 ——頂いた銀貨でチェンバーズさんにお見舞いの品を買えばいいのではないかしら。


 考えついてしまえば名案としか思えなかった。

 そうだ、そうしよう。何か小さなものを買って、彼のお見舞いに行こう。

 残った金子は返せばいい。そうすれば、彼が示した使い方そのままになるではないか。


 ジゼルはその足で品物選別のために商店街に赴くことにした。春の空気は浮き上がった気分に拍車をかけて、靴音も軽く聞こえるような気がした。




 ロードリックは紅茶などという貧相な見舞いの品を喜んでくれた。社交辞令だろうとわかっていたけれど、それでもジゼルは嬉しかった。ただし貰ったものを返しただけだから、少しばかりの罪悪感を抱くことになったのだけれど。


 話の流れで見舞いの品を食べていくように勧められたので、ジゼルは高級焼き菓子を頂くことになってしまった。

 果物も見たことがないものばかりで美味しかったし、このマカロンとかいう菓子も絶品だ。食べたことがないほどの味わいに、ジゼルは満面の笑みで何度も頷いた。


「本当に美味しいですね。感動的です……!」


「そうか、それなら良かった」


 ロードリックは果物を少し食べた後は手を付けず、ジゼルが差し入れた紅茶をじっくりと飲んでいる。

 髪を切った時も思ったが彼の所作は柔らかく品がある。立派な個室と見舞いの品々を見るに、きっと高貴な身分の人なのではないだろうか。


 ——私なんかがお見舞いに来てしまって、良かったのかしら。


 来なければならない事情があったとはいえ、それはごく個人的で利己的な理由からなのだ。これだけ見舞客が多ければ疲れているだろうし、図々しくもお菓子を食べている場合ではない気がしてきた。


「甘いものは好きか」


 お暇しようかと思ったところで、ロードリックが他愛もないことを問いかけてきた。ジゼルは気を遣わせてしまったことを申し訳なく思ったが、心のままに答えを返すことにした。


「はい、大好きです。あまり食べる習慣はないのですけど」


 甘いものなど侯爵邸にいた頃は手に入るはずもなかった。ジゼルは一人で社会に出た現在でも贅沢をする気にはなれなくて、何かあった時のために貯金することを常としている。


「好きなのに食べないのか?」


 矛盾した答えにロードリックが怪訝そうな顔をした。甘い物は贅沢品なのでと当たり障りのない言い回しで返すと、彼はサイドテーブルから新たな菓子を差し出してくる。


「それなら好きなだけ食べていってくれ」


「そんな、お見舞いの品なのですからチェンバーズさんが食べないと」


「私はどうせあまり食べられない。美味しく食べてくれる者に食べられたほうが、菓子も喜ぶというものだ」


 ロードリックは大真面目だった。菓子の気持ちを真剣に語る姿がおかしくて、ジゼルはつい笑みをこぼしてしまった。

 優しい上にどこか可愛らしいところのある人だ。皆に慕われる理由がわかった気がする。


「では、こちらも遠慮なくいただきます」


 ジゼルは差し出された菓子を手にとって口に入れた。一口サイズのクッキーは口の中でほろほろと崩れ、コクのある素晴らしい味わいがする。


「すごく美味しいです……!」


「良かった。どんどん食べてくれ」


 この後もロードリックはあれやこれやと勧めてくれた。美味しいと言うたびに彼が小さな笑みを見せてくれたので、ジゼルは調子に乗って食べ過ぎてしまうのだった。


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