1 騎士団長閣下、倒れる
本編未読の方は1〜3話までわかりにくいかもしれませんが、人物相関図は覚えなくても大丈夫です。
4話からヒロインが登場します。
よろしくお願いします!
主君たるマクシミリアン・ブラッドリー公爵が領地に帰還したのは、春のある日のことだった。
黒豹騎士団と城内に勤める者全てが勢揃いした大広間にて、マクシミリアンは前へと立っている。謝罪とこれからについての決意を語る堂々とした立ち姿を眺めながら、騎士団長ロードリック・デミアン・チェンバーズは人知れず安堵のため息をついた。
「皆の献身に感謝する。これからは心より陛下にお仕えする所存ゆえ、どうか変わらず支えて欲しい」
演説に聞き入っていた者全てから歓声が上がる。マクシミリアンが一礼して一歩後ろに引いたのを受けて、ロードリックは代わって皆の前に立った。
黒い騎士服を着た男たちが、主君の帰還に沸き立つ心を押さえて居住まいを正したのがわかった。33歳という若輩の騎士団長に、彼らはよく着いてきてくれている。
いや、実のところ最高幹部は個性派揃いすぎて扱いにくいのだが、それはこの場で考えるのはやめにしよう。
着なれた騎士服の背中を意識して伸ばすと、その拍子に焦茶色の長髪を括った髪紐が揺れた。
端正ながらも生真面目な性格がそのまま現れていると評される顔を更に引き締めて、ロードリックは大広間の隅々まで届くように声を張る。
「マクシミリアン様がご帰還なされたことは、諸君らにとっても最も喜ばしい出来事であろうと思う。我ら騎士団はより一層職務に励み、忠節を果たすものとする」
大広間全体に、数百人分の返事が木霊した。
これならば大丈夫だろうと思わせてくれる、鋭く切り揃えられたような声だった。ロードリックは小さく笑うと、いくつかの連絡事項を伝え、この会はお開きとした。
充実した笑みを浮かべた臣下たちは、マクシミリアンに挨拶をしながら方々解散していく。立ち止まって世間話を始める者もいて、賑やかな喧騒が大広間を包んでいた。
「マクシミリアン様、まことにご立派でした!」
ロードリックもまた大仕事を終えた主君を労おうとしたのだが、真っ先に駆け寄っていったのは、満面の笑みを浮かべたミカだった。
「ミカ、ありがとう」
「えへへ! マクシミリアン様にまたお仕えできるなんて、僕は幸せです!」
ふわふわとした薄青の頭をマクシミリアンが撫でる。ミカは少年兵だった数年前、敵将のマクシミリアンに戦場で拾われて騎士になったという経緯を持つ。
地獄から救い出してくれた主君を前に、ミカはいつもは独善的な冷たさを宿した瞳をキラキラと輝かせていた。
騎士団幹部のイシドロと薬剤師のリシャールも徐にマクシミリアンの元へと集ってくる。彼らもまた見たことのないような緩んだ笑みを浮かべているあたり、やはり安堵と喜びを抱いているようだ。
「ボス、体は鈍ってないだろうな」
「イシドロか。いや、残念ながら鈍りまくっているよ。取り戻すためにも後で手合わせ願おうか」
「マジで!? よし、忘れんなよ!」
イシドロがいつになく晴れやかに笑う。唯一マクシミリアンだけをボスと認める猛獣のような男だから、もしかすると誰よりも純粋に喜んでいるのかも知れない。
「リシャール、その後の暮らしに不自由はないか」
「はい、マクシミリアン様。お陰様でのびのびとさせて頂いております」
リシャールが女性だと知った時、マクシミリアンもまた大層驚いていた。
そして同時にこれまでの扱いについて謝罪したのだ。二人がお互いに平謝りするという妙な事態に陥ったので、ロードリックは適当なところで止めに入らなければならなかった。
「……俺は、皆に愛想を尽かされるものと思っていた。お前たちが生きていてくれて、本当に良かった」
誰にともなくこぼした言葉は、マクシミリアンの本心だったのだろう。
全てが終わった後、ブラッドリー城を去った者は一人もいなかった。
臣下たちはマクシミリアンが王になると思ったから付いてきたのではない。マクシミリアンが王を廃すと言ったから付いていったのだ。
「ロードリック。お前には一番苦労をかけてしまったな」
闇が抜け落ちて元の輝きを取り戻した赤い瞳がロードリックを見据える。復讐という楔から解き放たれたことは、きっとこの主君にとっての幸いだったに違いない。
——結局、私は何もできなかったが。
そんなことを考えついたら、慣れた痛みが胃の腑を苛み始めた。
あれは昨年末のこと、マクシミリアンは妻の仇を取るために女王への復讐を企て、結局のところ王立騎士団に阻まれて失敗した。
結果としてはとても平和的な解決を見たと思う。こうして誰一人死ぬ事なく、マクシミリアンはブラッドリー領へと戻ってきたのだから。
しかし自身の不甲斐なさについては話は別だ。
ロードリックは何もできなかった。マクシミリアンの擁する黒豹騎士団の団長という責任ある立場でありながら、主君を守ることすらできなかったのだ。
「いいえ、マクシミアン様。私は貴方様から騎士団を預かる栄誉を得た身です。貴方様の為に働くことの、何が苦労でありましょうか」
正直言って今もとても胃が痛いが、大丈夫だ。私は、まだまだ働ける。
「ロードリック……心から感謝する。また、俺を支えてくれるか」
「もちろんです。これからもどうか御身に」
報いるため、精一杯仕えさせていただきたく。
ロードリックはそう続けようとしたのだが、残念ながら言葉は声になって出てくるのを拒んだ。
胃が痛い。まさに内部から食い荒らされるような、激烈極まりない痛みが——。
「……ロードリック?」
マクシミリアンの怪訝そうな顔が、細くなった視界の中で歪んでいる。大広間の喧騒は遠く、足にも力が入らなくなってくる。
何だか吐き気がして咳き込んでしまい、咄嗟に口を手で押さえた。しかしその手のひらに赤が付着したのを見て、ロードリックもマクシミリアンたちも同時に色をなくした。
——え、なにこれ。
詰まるところ、ロードリックはその場で倒れた。
自身の体が落ちる重たい音から一拍、会場の空気が一斉に揺らぐのを感じた。喉に血が絡んでいるせいもあるが、あまりの痛みにもう反応を返すことすらできない。
「ロードリック! ロードリック、どうしたんだ!? しっかりしてくれ!」
マクシミリアンと幹部たちが、切羽詰まった声でそれぞれ呼びかけてくるのが聞こえる。とくに敬愛する主君の呼び声には悲痛な色が混じっているのがわかって、ロードリックは自己嫌悪を抱えながらそっと目を閉じたのだった。