心の拠り所と迫る危機
広間を出るとライティアは駆け足で部屋に戻った。
慌ててクラージュも追いかけ、自分の部屋の前で蹲る彼女に追い付いた。
鍵を開けエスコートしようとするが、その前にライティアは中に入ってしまった。
ベッドの上にある兎の人形を掴み、お気に入りの場所に柱を伝い本棚の段差を使って移動する。
クッションを背中に置いて体制を整えると、彼女は兎を力強く抱きしめて動かなくなった。
こうなると当分動かないだろう。
昔から閉じ込められているため友達も作ることが許されない。
同い年のクラージュにも殆ど話しかけてはこない。
そんな彼女は感情表現が苦手になってしまった。
そこで彼女が心を開いたのはこの兎の人形だ。
レナルドから誕生日にもらった人形で彼女の感情が昂った際によく抱きしめたり頭を撫でたり心中で一緒に話をしたりするようだ。
そして今は怖さに怯えている時。
彼女はいじめられても泣くことはなく、物に当たることもない。
その代わりに彼女は兎を抱きしめることによって感情が通り過ぎるのを待っているのだ。
人に相談できず、自分で自分を傷つかないように本能的に編み出した自己防衛故の行動だ。
クラージュは部屋の中でも彼女をいつでも守れるように出窓の下に控えている。
すると扉を静かに叩く音がした。
素早くクラージュは扉前に移動し、外の人物に素性を聞く。
「レナルドだ。開けてくれ。」
国王であることを知るとクラージュはすぐに扉を開けた。
ライティアの家族の中で唯一信用できる味方だからだ。
他の家族がこの部屋に入ることを許さなくてもレナルドだけは彼女が許すのだ。
「今日はベアトリスがすまなかった。言い方が明らかに刺々しくて聞いていて腹が立つ。大丈夫か?」
心配そうに聞いたレナルドにライティアは小さく頷く。
「また何か買ってこよう。前に買った本は読み終わった?」
また彼女は頷いた。
「じゃあ次の本を買ってこよう。どんなのが良い?」
「…童話が良い。御伽噺が好きだから。」
小声ででも弾んだ声にレナルドも嬉しそうな顔をする。
「分かった。街で今流行の童話を買おう。それまで前に買ってきた本を読み返して待っていおくんだよ。」
そう言ってクラージュにも頼んだと肩に手を置いて出て行った。
レナルドはライティアのことを最もよく理解しようとする家族だ。
部屋に2日に1回は来てライティアと話をしている。
ライティアが本好きになったきっかけは何に興味を持つか分からないからとレナルドが部屋に沢山おもちゃや楽器を置いている中で、本棚に置いてあった本からだった。
人目につくような行動は取れないとしてライティアには王室教師を雇って教養を身につけたり、王族の嗜みである楽器を教えられたりされなかった。
しかし読みたいという一心でその本から字を独学で学んだライティアは、そこにあった全ての本を読み切ってしまった。
それを知ったレナルドは、何かあるたびにライティアの好きな本を買って持ってくるのだ。
レナルド自身も本が好きらしく、ライティアと気が合うようで、2人で話しているときは読んだ本の感想を共有しあっている事もしばしばだ。
ライティアは本の世界を通じて、外の世界を夢見ているようだ。
最近は御伽噺や旅行記を読んでいるらしい。
今読んでいるのも彼女のお気に入りの本の1つ『願えばいつか』という本だ。
これは御伽噺ではないが、この部屋の本棚にあった本である。
主人公の少女は戦争の最中、敵国の兵士に捕らえられて檻に入れられてしまった。
少女は体が弱かったのであと1ヶ月後には殺されるという。
少女には家族も友達も死んでしまい、助けてくれる人もいない。
未練もなく諦めて死を待つ少女。
しかしそこで出会った敵国の青年と仲良くなり、彼と生きたいと願うようになる。
それは彼も同じで少女が殺される少女の逃亡の手助けをすることを決意する。
少女が殺される3週間前、2人で逃亡を図るが少女が見つかってしまい殺される期限があと1週間に縮む。
それでも少女は彼に頼み、逃亡した3日後にまた逃亡を図る。
だが警備が強化された状況であるためやはりすぐに捕まった。
2度も脱獄を図ったことで翌日に殺されることに。
しかも今度は彼も捕まってしまい、国家への反逆罪として少女と同日に殺されるという。
少女は天に願った。
彼だけでも助けてほしい。
私は死んでもいいから、と。
そして翌日、彼が脱獄したことを知る。
少女は安堵し、自ら街に公開された処刑台へ歩いていく。
準備が全て整って処刑人の鎌が振り被った時、彼の声が聞こえた。
と同時に馬に乗った青年が処刑台へ乗り込み少女を引き寄せ攫っていく。
そのまま追手を振り切った2人は国を離れ、全く知らない国に逃れる。
そこで2人は結婚し幸せに暮らすという話だ。
ライティアはこの物語の少女を彼女自身が無意識に投影しているのだろうとクラージュは考えている。
いつかこの『城』という檻から出たいのだと。
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ライティアは気持ちが落ち着いたのか人形を抱きしめるのをやめ、また本を読み始めた。
クラージュは彼女の精神が安定したと判断し、仕事をこなしに行こうと彼女に一声かけて部屋を出た。
部屋を出て階段を降りていると2階で揉める様な声がした。
「税が納められていない。どこの地方だ?」
「タルク、ナユタ、ミュラー地方でございます。」
「農民の地域か。領主は?」
会話の主は国王と徴税人だ。
どこかの村の税金が納められていないという事だろうか?
「順番にアルフォン、ハミル、クルドでございます。」
「分かった。城に連れてきて意見を聞こう。伝令を飛ばせ。」
「御意。」
国王の部屋から徴税人の男が出てきた。
扉に気配を消して立っていたクラージュに気づくと、一礼して階段を降りていった。
入れ替えにクラージュが入室する。
クラージュが外にいたのをレナルドは知っていたらしく、聞いていたんだろ?と苦笑していた。
「ライティアは落ち着きました。いつも通りのルーティンに入られたようです。」
「そうか、ならいいんだが。」
後で本を買ってきてやらないと、と嬉しそうに呟いているレナルドを温かい眼差しで見ていたが、先程気になったことを質問する。
「それより今の話は?」
「あぁ。それなんだがな…、また徴税率が下がっているらしい。」
レナルドの父サラン王の時代では、徴税率が下がることはなくむしろ捧げ物を持ってくる者もいた程の善政だったらしい。
レナルドもそれを見習って政治をしてきたが、それでも支持が減る一方である。
このままでは国王の座を追われ、政権も地位も無くなる。
600年続いたラパン家を自分の代でただの王族へと落とすわけにもいかない。
そうなる事を避けたいと領主達を呼んで要望を聞こうと決断したという事だった。
クラージュはあらかじめ王室に仕える上で、国の実情がわかるように地理と一般以上の教養を受けてきた。
10歳ではあるが、成績は優秀でもう大人と対抗できる思考を持っていると評価された。
だから度々国王と政治について語るのだが、1つさっきの話の中で気になる点があった。
このタルク、ナユタ、ミュラーって…
「気づいたか?」
卓上にある資料を目で追っているとレナルドが聞いてきた。
「ええ。多分ですが、ソレイユ王国の国境のあたりの村々ですね。」
「ああ。そしてイブ家の息がかかった一族が住んでいる。」
やはりそうなのか。
という事は。
「イブ家がソレイユ王国と手を組んでこのラパン家を潰そうとしている、という事ですか?」
「多分な。考えすぎかもしれないが、可能性は十分にある。」
レナルドの政治が不安定な今、イブ家が動き出すのは当然の事だ。
しかしこちらも何かしらの手を打たないと今後まずいことになる。
クラージュとレナルドが考えていると20代半ばの侍女が紅茶を持ってきた。
「考え込みすぎは良くないですよ。国王様。」
「メリサか、ありがとう。いい香りだね。」
紅茶が入れられたティーカップを手に取りつつ、クラージュの分を注いでいるメリサに感謝を伝える。
「ええ。気持ちを落ち着かせるカモミールティーでございます。お気に召しましたか?」
褒められた事で頭の高いところで結んでいる三つ編みがリズミカルに跳ねる。
二人が肯定の意を示すとメリサはニコッと微笑んで下がっていった。
「少し場が和んだな。」
「ですね。」
張り詰めていた空気がメリサによって取り除かれたのはいい事だった。
変な緊張感の中で生み出されたものは中途半端なものしかできないだろうから。
クラージュはレナルドに後で対策を将軍や騎士達と話し合いましょうと告げると部屋を後にした。