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銀狼の女王  作者: 緋野蒼菜
2/5

月下の静かな探し物

月夜の下、建ち並ぶ貴族(アリスト)の名家の裏路に黒い影が駆ける。


影は決して名家に入ることはなく、ただ細く狭い小道を人を避けつつひた走る。


小道を抜けると景色は変わり、視界が開けた。


成長した小麦が生える畑が民家の裏手に見受けられ、馬車が通れるほどの広さの一本道に沿うように民家が連なっている。


やがて影はその村の一軒の古びて崩れ掛かった家の前で止まった。


ふと赤子の声が聞こえた気がしたのだ。


軽くノックをし、家の主人の応答を待つ。


暫くすると俯き加減の痩せこけた主人が現れた。



「…何か御用でしょうか?」



恐る恐る玄関の前で佇む細身の男の方へ顔を向けた。



「…此処で赤子が今生まれなかったか?」



主人の顔が引き攣った。



「う、生まれておりません。ど、どこか別の家ではないでしょうか…?」



図星か。


明らかに動揺している主人に鋭い眼光で睨め付けつつ、男は硬い言葉で質問を畳み掛ける。



「では中を見ても構わないな?私は国王(マジェスタ)勅命(インペリアル)により、とある探し物をしている。それを妨害し、国王(マジェスタ)様の使いである者に、まさか謀ろうなんて思いはなかろうな?決して虚言を弄してなどおらんな?」



仰々しい物言いにいよいよ主人の顔は蒼白になった。


この国には国民に多くの税が課せられている。

一つ一つの税の負担は重くはない。

だが家族が増えるとその分、税を収める量が増えていく。

それは何かに優れた昔からの貴族(アリスト)の地位にある職人や国王(マジェスタ)に仕える将軍(ジェントル)騎士(シュヴァリエ)などはある程度の貿易や国からの収入があるため、それほど脅威にはならないほどのものだ。

ちなみにこの主人は農民(ピィザン)だ。

それはこのリュンヌ王国で1番低い身分で、貴族(アリスト)などの下でこき使われ搾取される地位である。


今この家には子供が5人いた。


そして今日6人目が生まれた。


主人は貴族(アリスト)の田を耕す仕事をしているが、今の家族分の税を納めるだけで精一杯である為、これ以上養う子供が増えたならもう生活ができるお金が残らない。


それならいっそ生まれた子には申し訳ないが、申告せずに殺してしまおうと思っていたのだ。


しかし、たった今この男にその考えを見透かされたのだ。



「申し訳…ございません。虚言を吐いておりました。先程確かに赤子が生まれたのでございます。どうか…どうか命だけは御容赦を…!」



主人は泣きながらその場に崩れ落ちた。


その泣き声に心配したその主人の娘が中から出てきた。



「おとう、だいじょうぶ?あ…だあれ?」



「中を見せてくれないか?急ぎの用なんだ。」



警戒させないよう口調を緩めるとコクリと頷いた娘は家に男を入れた。


中は藁が敷かれた寝床が7つあり、そのうちの4つに子供が寝ている。


壁には生活に使い古された必要最低限の家具や仕事で使う鎌や籠などの農具、後は服が散らばっているのみだ。


「にぃちゃん。なんか外にお客さんおったったよ。」



寝床で眠っていた子供達が目を擦りながら顔をあげた。


4対のつぶらな瞳がこちらを見るが、目当てはこの子供達ではない。


どこにいるんだろうか。



「おじさん?おいシャル、この人だれだ?」



1番手前で寝ていた5歳くらいの男の子が男の隣にいる娘に聞く。



「分かんないけど外でおとうと話しとった。」



男の子はその回答を聞いて納得しきっていないようだったが、次の質問をする前にその隣にいた年下の男の子が勇気を持って男に訊ねる。



「おいちゃん、なんて名前なの?」



男は明らかに自分に向けられたものだと理解していたが、答える必要もないと判断し、目的の子供がいないかあたりを見回す。


しかし赤子の気配はなく隠しているのではないかと箪笥や棚をひっくり返す。



「おじさん、なにやっとーの?」



「こわさんとってー!」



突然の出来事に驚いた周りの子供達が騒ぎ始めた。



「赤子はどこだ。何処にいる?」



この家の主人は生まれた子がいると言った。


しかし今この家には明らかに言葉が話せるくらい成長した子供しかいない。


という事は母親が何処かに隠れているしか考えられない。


この木材の裏か?農具の陰か?



「おやめください。弟達が怖がっております。」



凛とした声が響いた。


男は荒らしている手を止め、その場で静止した。


至って冷静な声に血が上っていた頭が冷やされる。


壁側に沿って寝ながら動向を伺っていた長男と思しき少年が近づいてきた。


肩を引っ掴み振り向かせた時、男の胸元についている月と兎が組み合わさった紋章に気づいた。



「これはラパン家国王(マジェスタ)様の紋章。数々の無礼、失礼いたしました。みんな頭を下げなさい。」



素早く少年は子供達の頭を下げさせた。


男は声の発生源である少年の方へしっかりと向き直った。


農民(ピィザン)の割に痩躯な体つきをし、身なりも整っている。


何より話が通じる子供がいてよかった。



「生まれた赤子は何処だ?さっきの君達の父親に聞いたから、いるのは分かっている。」



取り敢えず直球で居場所について聞いてみる。


教えなかったら別の手段を取るのみだ。



「その子の所在を聞いてどうするのです。国王(マジェスタ)様にお仕えできるような子であるとお思いですか?所詮農民(ピィザン)生まれの子に。」



少年はこちらに冷め切った目を向け、なお問いを投げかけながら詰問を受け流す。


やはり、すぐには教えてくれないか。


ならば、と男は少年のもとへ強引に間合いをつめる。



「条件は一つクリアしているのだ。後は私が見極める。だから早く案内しろ。」



少年は少々考えてから身を翻し、裏口へ向かった。


強引な手の方が効いたか。


次からは強気に出てもいいかも知れない。


その思考の的の少年は裏口の戸に手を掛け、外を覗くとゆっくり振り返り冷酷な瞳で男を見上げた。



「…その赤子はもう此処にはいません。一応連れて行きますが、もしかすると『時すでに遅し』かもしれませんよ。」



「何ッ?どういう事だ?」



「この先の話は道すがら話しましょう。」



下の子たちには聞かせられませんから、と付け加える。


2人は裏口から出て、彼らの家が見えなくなった頃に少年は口を開いた。



「何かを悟った母は貴方が来る約10分程前、生まれた弟を連れて行きました。そして感づいた私にだけ理由を教えてくれました。」



ー『この子は生まれてきたことを後悔することになる。

農民(ピィザン)の子は農民(ピィザン)』。

その連鎖は断ち切ることはできない。

苦しい生活を強いられ、辛いだけだわ。

だから今、その命を潰えさせた方が楽だと思うのよ。

あなた達とこの子には申し訳無いけれど、私は罪を犯すわ。

もし私が帰ってきてもいつも通りでいてね。

帰ってこなければ後をお願いね。

そしてこの事は誰にも話してはいけないわ。

分かったわね。』



「正確な場所は何処なのかは私も知りません。教えてもらっておりませんので。しかし母なら此処にいるだろうという憶測の下、今は動いています。」



どこに行くか分かっていないのか?


なら急がないともっと危険だ。


男は目に見えぬ動きで少年の首に小刀を先を押し当てた。



「早くしろ。その赤子に用があるんだ。」



直接的な恐怖を与え、先を急かそう…



「では私からも質問よろしいですか?」



「なんだ?」



刃物を向けられていても全く動じず、尚質問をしてくる少年に男は戸惑った。



「何故、国王(マジェスタ)様は生まれたばかりの私の弟を連れて行くのですか?もしその子が国王(マジェスタ)様の条件に全て適する子でなければ、子供を手にかけようとした母を斬首にでもするのですか?」



ああ、この少年は自分の母親と連れて行く自分の未来を鑑みて真相を見極めようとしているのか。


それならば嘘を言えば絶対に連れて行ってはくれないな。



「一つ目の問いには答えられない。二つ目の問いの答えは肯定しよう。赤子も人なのだから人殺しとして引き渡す。その赤子が生きているなら母親の命を保証しよう。」



言い切ると少年は瞳を少しだけ揺らした。


そして目を瞑った。



「死んでいる場合は斬首。なるほど。御回答ありがとうございます。着きました。突き当たりを右に曲がって下さい。母はそこにいます。」



2人は小さな斜塔が付いた煉瓦造りの教会の前に立っていた。


周りはもう既に薄明るくなっている。


案内してきた少年は既に引き返そうとしていた。


このままあの少年を見逃して良いのだろうか?


あんなに思慮深く、全く物怖じをしない。


あれは農民(ピィザン)として生きて行くには勿体ない。


連れて帰りたいが、今欲しているのは彼では無い。


けれど男は諦めきれなかった。



「では最後に一つだけ聞いても良いか?」



「どうぞ。」



「お前の名は何という。ここまで肝が据わった若者と話すのは初めてだ。また何かの機会に会うことになるかもしれない。」



すると少年は口角を吊り上げたが直ぐに戻した。



「ヴァレリー。10歳。では失礼いたします。」



一つ最敬礼し、去っていった。


男は不思議な空気に呑まれていたが我に帰り、その教会の中に足を踏み入れた。


3列ほどの席が並び、正面には十字架がありその背面に大きなステンドグラスがはめられた窓、しかし物音一つ聞こえない。


あの少年が母親の為に見当違いな場所に連れてきたのか、もしくは。


男の脳裏に、最悪な未来がよぎる。


しかし男の耳に微かだが、赤子の声を捉えた。


その声がする斜塔がある右側の通路を進む。



「…神様、私をどうか許してください。罪深き私に、我が子を手にかける私にどうか御慈悲を…!」



音を立てないよう中を覗くと祭壇の上に赤子をおき、その前で必死に赦しを請う女がいた。


その横には研がれたナイフが置かれている。


安心し、出る機会を伺おうとした矢先、プツリと女の祈りが終わった。



「愛しい我が子、私と共に死にましょう。それなら2人分、税を納めなくても済むものね。」



祭壇から子をあやしながら下ろし、横に置いたナイフを手に取った。


そして抱いた赤子の首に振り下ろそうとした。



「やめろ!ひとまずそのナイフを置け!」



扉を陰から飛び出した男は座る女と対峙した。


その女は肩を大きく震わせた。


そしてこちらを振り向き、ニタリと笑った。



「私、この子と死ぬんです。邪魔しないで。どなたかは存じないけれど貴方は私達を救えない。そうでしょ?」



男が狂気じみた女の空気に呑まれた時、女は常人離れした速さで懐から細い筒を取り出し、男に向かって2度息を吹き込んだ。


男の右肩と左脚に刺さったのは毒矢だった。


刺さった箇所から何度も釘を打たれるような痛みが襲ってくる。


このような症状が出る毒の成分はこの国の深い山奥でしかとれないアコニダンという毒草で、即効性の一時間で身体中に回り、死に至る猛毒だ。


解毒するにはただの解毒剤ではなくその毒草から薬となる成分を抽出した専門の解毒剤を投与しない他に方法は無い。


それを悟った男は悶え苦しむしかできなくなり、その場に縫い止められる。


このままでは赤子を連れて帰るどころか、自分の命の安全すら危うい。


どうにか逃れる方法を探らなければならないのに、耳鳴りと目眩が止まらない…!


呻いている光景を見つつ、女は再度息子の顔を眺めた。


「邪魔する人がいたら使おうと思って作ってたけど、まさか本当に使うことになるなんてね。山まで行って取ってきた甲斐があったわ。」



愛おしそうに息子に話しかけるが、その目に迷いなんてなかった。



「見物人までいるなんてね。まるで処刑みたい。産まれるべきでは無い、哀れな息子。そして産んでも殺してしまう、いるだけで罪な私。この状況にピッタリね。」



彼女の息子は、母親を見ながらぐずるのみ。


まるでこの後の展開が分かっているかのように。


あやしても機嫌が治らない息子に女は苛立ちを覚えた。



「私と死んでくれないの?じゃあ無理やり殺してあげる。大丈夫。神様はいつでも私たちの味方よ。」



母親が作る笑顔に恐怖を覚えた赤子はいっそう泣き喚いた。


その地を揺るがす程の泣き声。

生きたいと必死に叫ぶ声。


護衛兼暗殺部隊(ディフェンダー)の入隊の掟の中にこんな一節がある。

マズハ生キテ守ル事ヲ考エヨ。


死んで人を守るな。

生き抜いて守ることだけを考えろということだ。


生きたいとそれだけ叫べるならば、連れて帰る資格がある。


男は毒に浮かされた状態から正気に戻り、自らの感覚を全て捨てた。


そして母親が赤子へ近づけるナイフを手で薙ぎ払った。



「頭を冷やせ!息子を殺す母親を神は許すと思ってるのか?本当に馬鹿馬鹿しい。自ら命を断つ奴など見放すわ!」



怒りをぶつけながらナイフを取りに行こうとする女から足でナイフを遠ざける。


感覚が徐々に戻り、再来した頭痛に耐えながらまだ泣き喚く赤子を丁寧に抱き抱え、女に言い放つ。



「お前の息子は貰って行く。金に困っているのなら望む分くれてやろう。後で使いを寄越すからその時に申し出れば良い。その金で生活を立て直せ。そして自分が犯そうとした過ちをしかと心に叩き込め!」



怒号を女に浴びせると男はふらつく足取りで教会を出て、すっかり朝になった街に消えた。


後に残されたのは教会の中から聞こえる悲痛な女の泣き叫ぶ声だけだった。




********************




「…ただいま帰還いたしました、国王(マジェスタ)様。」



「随分と遅かったな、『ショーヴ・スーリ』。」



回転扉から密かに入った国王(マジェスタ)護衛兼暗殺部隊(ディフェンダー)である男『ショーヴ・スーリ』は国王(マジェスタ)に赤子を見せた。



「申し訳…ありません。相手の攻撃を受けてしまったゆえ遅くなってしまった次第です。この子が同時刻に生まれた赤子です。母親が殺そうとしていた所を救出いたしました。」



「なんと…!そのようなことが。傷は大丈夫なのか?」



「はい。何ともありません。」



心配するレナルドを安心させるように即答する。



「なら良いが…。その赤子、名前は何と言うのだ?」



『ショーヴ・スーリ』は小さく首を振った。



「最初から育てる気がなかったようでしたので恐らく何も決まっていないでしょう。国王(マジェスタ)様と王妃(レーヌ)様がお付け下さい。」



命を奪いかけた母親より心を込めて養ってくれる人に名前を付けて貰った方がこの赤子も本当だろう。



「そうだな。もう下がって良いぞ。ご苦労だった。」



「御意。」



滞りなく淡々と報告を終えた『ショーヴ・スーリ』は自室がある屋根裏に戻ろうとしたが、回りきった毒は確実に彼の体を蝕んでいた。


堪えきれない頭痛と吐き気で神経を侵食された彼は、屋根裏に通じる扉に中に入るためにかけていた手を離してしまい、高さ5メートルから落下した。


彼は心配する周りの声を聞きながら、一瞬意識を失った。

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