12話 第一次信長包囲網
久しぶりの投稿ですいません。
元亀元年 8月
織田信長が率いる3万の軍勢が摂津に向け出陣した。
これに従軍している善郎たち三人衆はこの戦いの先鋒を任されることになった。
摂津国に織田軍が入り、そこに野田城と福島城の2つの砦を築いた。
そして織田軍優勢で戦は進み摂津の城を奪回して行った。善郎たちも畠中城の攻城戦に参加した。
城内では乱戦になり多くの敵が善郎たちに向かって来たが、善郎らはそれをものともせず敵を次々と切り伏せていき、その過程で何人かの侍大将の首を挙げた。
「殿、城内を制圧しました。今日はこの城で過ごすことになりそうです。」
「ああ、だが警戒を怠らないよう皆に徹底させろ」
「かしこまりました」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その日の夜
善郎たちは辺りの警戒をしながらも勝利の余韻に浸っていた。
「これで我が領地を奪還するのも近い。それもこれも、善郎殿たちのお蔭です。」
「池田殿、その言葉はこの戦いが終わってから言ってください。」
「はははっ、確かに。ではこの戦いが終わったら皆で宴会でも開きましょう。」
「約束ですぞ。」
そこに突然現代でも大晦日に良く聞く寺の鐘が辺りになり響いた。
その鐘の音が鳴ったことを雑兵などは気にも留めてはいなかったが義継や勝正は信長に判断を仰ぐ為に本陣に出向いたが史実を知っている善郎は、「源三郎、皆に戦支度をさせよ。」と指示をだすと自らも支度を行った。
「わかってはいたが、堕落した糞坊主どもめ!。説教を食らわせてやる。」
突如ここで本願寺が挙兵したのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして翌朝本願寺が三好軍に加勢したことにより形勢が逆転してしまい、その上本願寺軍が織田がせき止めて堤防を破壊したことにより海水が溢れ多くの砦が浸かってしまった。
それから約3日間摂津では海水が引かなかったため逆に大きな戦闘は起こらなかったが近江で浅井・朝倉連合軍が織田の背後突くべく進軍を開始した。
連合軍を食い止める為に重臣の森可成と信長の弟である織田信治が自らの命と引き換えに4日以上の時間を稼いだ。
その4日の間に信長は摂津から撤退して近江に軍をむけた。
信長は弟である信治と重臣森可成の死の知らせを聞いた時怒鳴り散らしたと言われている。
池田勝正も領国を奪還することを断念せざるおえずかなり落胆した。
これが長く続く戦いの始まりだというのを善郎以外はまだ知らない。




