11話 金ヶ崎と姉川と裏切りの嵐
今回もやや無理やりな所があるかもしれませんのでご了承ください
翌年、元亀元年4月
織田信長は、再三に渡る上洛の命を無視し続けた越前朝倉家を討伐する為に進軍した。
この軍には、善郎、明智光秀、木下藤吉郎、義継の家臣松永久秀、京の三人衆池田勝正そして徳川家康を始めとした三河衆が従軍していた。
織田軍総勢3万は越前国の玄関口である敦賀群に侵入し朝倉方の城を次々とその日のうちに陥落させた。
そして翌日になると金ヶ崎城城主で朝倉一門である朝倉景恒を下した。
ここまで快勝していた信長は「はははっ、朝倉も意外と大したことないの~。骨のある連中だと思っておったが、まぁよいあと1月でひねり潰してやる。」と豪語した矢先にある知らせが届いた。
「上様!、近江の浅井が、浅井が兵を挙げお味方を襲っています。」
「なんだと……」
信長は妹の夫である浅井長政の裏切りの知らせを聞いてかなり動揺したがすぐに撤退を決意し急ぎ準備をして、信長はたった数十騎を連れ先に撤退した。
善郎を始めとした池田勝正、明智光秀、木下藤吉郎は織田軍の殿として残った。
「池田殿、明智殿、藤吉郎殿、ここは我らの腕の見せ所にございます。」
「そうだな、裏切り者の浅井長政を討ち取るぐらいの気持ちで戦うぞ!」
殿は池田勝正を大将に据え、善郎は最初に攻めて来た浅井軍と激突した。
「我ら"本物"の近江武士の力を連中に見せてやるぞ!」
「「「おおおっ」」」
善郎率いる1000は一人一人が獅子奮迅の戦いっぷりを見せ、浅井軍を食い止めた。
木下藤吉郎、明智光秀、池田勝正も同様に戦い、そして1000ほどの犠牲を出しながらも撤退に成功し京に帰ることができた。
この戦いから2ヶ月後の6月に織田と浅井・朝倉が姉川にて激突しようとしていた。
善郎はこの戦いには参加せず、勝正の本国である摂津にて不穏な動きがあったため信長の命で京で守りを固めていた。
そして摂津にてことが起こった。
それは池田家一門衆の荒木村重と池田知正が三好三人衆の調略を受けて三人衆に寝返り勝正を摂津から追放した。
追放された勝正は、途中で義継の所に行ったあと2人で善郎が守る京に向かいそこで迎えられた。
「池田殿、ご無事で何よりです。」
「村山殿に三好殿、今回儂を匿ってくれて助かりました。儂が不甲斐ないばかりに2人に迷惑を掛けてしまったこと誠に申し訳無い。」
「いえいえ、池田殿が無事なだけで十分にございます。あと今回のことを報告する為に我々3人で上様に謁見するのがよろしいかと。」
ちょうど姉川にて信長が勝利した知らせが届いた。この悪い報告を勝利した後の信長に伝えることに気が引けながらも会いにいく準備をする3人であった。
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史実では三好義継が仲介して池田勝正を足利義昭に謁見させるのだが、今回は善郎、義継、勝正の京の三人衆で信長に摂津の事を報告する為に自分たちで岐阜に行き謁見した。
「此度の摂津の件、申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに上様にご迷惑おかけしました。いかなる処分も受け入れます。」
「よい、許す。儂自ら摂津の三好三人衆を蹴散らしてくれる。その軍にお主も加わるのだ。」
「身命をとして戦いまする。」
「そして村山善郎、三好義継、その方らも摂津攻めに加われ。」
「「はっ」」
こうして善郎と義継は来たる摂津攻めに備えて戦支度を始めた。
そして池田勝正は一時的に善郎のもとに預けられることになり、そこで村山兵の訓練をするなど彼なりの準備をしていた。




