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黒い足音

作者: 玉樹詩之

 あまり良い気分では無かった。はじめその話を聞いた時、僕は真っ先に作り話だと疑った。しかし彼女は真摯な瞳で訴え続けた。「私はストーカーに狙われている」と。

 彼女は僕のバイト先の後輩で、早紀という。容姿端麗で純朴で、確かに見る人が見ればモテるような人種であるように感じる。僕としても全然視界に入らない人物。と言うわけでもなく、声をかけられると少し体に緊張感が走るくらいの容姿である。そしてなんと言っても彼女の良さはその性格だと僕は思っている。誰に対しても笑顔を絶やさず、決して他人のウィークポイントを抉るような真似はしない。陰口も言わず、相談を受ければ全身全霊で請け負う。そんな彼女の実直な姿を見ていれば誰かが惚れてしまうのも仕方がないと僕も思う。

 少し事を進めよう。たった今前記した通り、彼女は良く言えば誰にでも平等である女神のような存在である。しかし悪く言ってしまえば八方美人である。取り繕った自分を表に出し、いろんな男を、特に勘違い男を虜にしてしまう人種なのだ。するとどうなるか、ストーカーが彼女に付き纏っても不思議では無いという事である。それなのに何故、はじめこの話を聞いた時に僕が作り話だと疑ったのかと言うと、彼女がもうすでにここ数か月付け回されており、それに職場まで来ているというのだ。職場と言うのはコンビニエンスストアで、勤務を終えて外に出るとその男が居るのだと言う。勤務を終えた後は、時たまにだが僕は彼女とともにコンビニエンスストアを出る。しかしそんな怪しい男など見たことも無いのだ。要約すると、彼女の性格と容姿を見ればストーカーが居るのも頷ける。だが僕自身、職場間近まで来ていると言うストーカーを見たことが無いのが何だか気味が悪い。という話である。

 大分の遠回りを経て、早紀というアルバイト先の後輩女子に付き纏うストーカー事情を説明したが、若干の嫌悪を示しつつも僕は彼女の相談に乗ることにした。理由は簡単で、アルバイトを辞めてもらうわけには行かなかったからである。


「彼、彼はいつも私のことを見ているんです。どこからかいつも視線を感じるんです」

「それは意識が過敏になってるだけだ。毎日彼と言う実体が君を追いかけ回してくるのか?」

「そ、そう言うわけでは無いんですが……。でも毎日見られている気がしてなりません!」

「分かったから、落ち着いて話してくれ」


 僕は彼女を宥めながら、今度はストーカーの詳しい情報を引き出そうと質問を始めた。

 カランコロン。喫茶店に誰かが入店し、出入り口に付いているベルが鳴った。僕と彼女は今日、アルバイトが無かったのでこうしてコーヒーを啜りながら……。おっと、彼女が話す気になったらしい。僕は右手に持っているカップを小皿に戻し、両手を組んで彼女の言葉を待った。


「……こ、怖くて直視したことは無いのですが、いつも帽子を被っていて、大体暗がりに隠れています。それにいつもバイト終わりの夜ですので、顔なんてめっきり見えません」


 彼女は両肩を落とし、自分の目の前に置かれているオレンジジュースの水面に目を落としながらそう言った。その瞳を見て、僕は彼女が抱えている問題の深刻さを悟った。


「なるほどね、なんの手掛かりも無いわけだ。それじゃあこうしよう、ストーカーを更にストーキングするんだ」

「ストーカーを?」

「あぁ、そうだ。そうすれば奴の行動パターンや住居がわかるだろ?」

「た、確かにそうですけど、危険じゃ無いですか?」

「大丈夫だよ。僕に任せておいてくれ。今度君が一人で出勤の時、僕もコンビニの近くに隠れているから、君は普通に帰ってくれ。そうしてその後を行く男を僕が追うから」

「わ、分かりました。よろしくお願いします」


 彼女は申し訳なさそうに、何回か頭をペコペコと下げながらそう言った。依頼を達成もしていないのに僕は少し偉そうに、えっへんと威張り調子で彼女に笑って見せるとコーヒーを一気に飲み干した。


「ここは僕が払っておくよ」


 僕がそう言うと彼女は謙虚にそれを断ったが、僕としてもここは何としても払いたかったので、大丈夫大丈夫。と彼女に言い聞かせ、先に彼女を喫茶店の外へ追いやり、僕は会計をするためにレジへ向かった。

 レジに置いてあるベルを軽快に二度鳴らすと、見慣れた女性が姿を現す。花村。と書いてあるネームプレートを一瞥した後に僕がニヤリと笑うとウエイターの彼女も小さく会釈をした。僕はこの喫茶店の常連客なのだ。

 そうして会計を済ませると、去り際にウエイターの彼女にウィンクを投げたい気持ちを抑えて喫茶店を出た。早紀はスマホを弄っていたようで、僕が喫茶店から出てくると同時に鳴った、カランコロン。と言う音に反応して顔を上げた。アイコンタクトを済ませた僕と彼女は歩き出し、その日は彼女を家に送り届けて僕は来た道を引き返した。そしてつい数時間前に訪れた喫茶店に舞い戻り、入店することも無く、喫茶店を通り過ぎて僕は近くの本屋に立ち寄って興味も無い小説を立ち読みし始めた。


 それから数日後、僕が休日で早紀が出勤日の時、僕は時計を確認しながら彼女が仕事を終える夜十時に丁度コンビニエンスストアに着くように家を出た。

 ゆっくり歩いたり素早く歩いたりと時間調整の為に不審な動きをしながら僕はコンビニエンスストアにたどり着いた。時刻は十時を少し回っていた。駐車場やその近辺には怪しい人影は見当たらず、僕はブロック塀に寄り掛かって辺りを伺いながら彼女が出てくるのを待った。

 数分後、彼女は小さなハンドバッグを一つだけ持って自動ドアを抜け出て来た。僕はそれを視認すると、彼女を見失わないようにじっと背中を追いながら、ストーカーの存在を確かめるために歩き出した。

 コツコツコツコツ。と、彼女の足音が聞こえる。僕は足音を立てないようにそろりそろりと彼女の後を歩く。すると少し気を緩めた瞬間、僕と彼女の間に人影らしいものが飛び込んできた。街灯の陰からだろうか、電柱の陰からだろうか。どちらにせよ、ストーカーは確かに存在していた。

 僕は彼女とそのストーカーの後を追いながら、十分近く歩き続けた。すると彼女は自宅に到着したようで、立ち止まって柵を開け、辺りをチラチラと見回した後に家族が待つ家に入って行った。

 ストーカーはしばらく電柱の陰に潜みながら彼女の家を伺っているようだったが、彼女が出てこないと見越したのか、電柱の陰から姿を現して歩き出した。僕は気付かれぬように足元と足音、それにストーカーの背中を見逃さないように視線をキョロキョロと動かしながらストーカーを追い続けた。

 ……そうして今度は二十分近く歩き続けると、ストーカーはとあるアパートの前で立ち止まり、自分の部屋であろう一階の一番奥のドアの鍵を開け、そのまま暗闇に飲み込まれていった。


「ここは……」


 人影を追うことに熱中していたせいか気付かなかったが、よくよくアパートを観察してから僕は思わず声を漏らした。そこは僕がよく訪れる、花村さんのアパートだったのである。

 まさか……。僕は少しギョッとして、速足にその場を離れた。カツカツ。コツコツ。カツカツ。コツコツ。歩き始めて少ししてから気付いたのだが、僕の他に誰かの足音が聞こえる。それによって僕は更に青ざめ、ついには走り出した。

 無我夢中で走っていると、僕はいつの間にか自分のアパートにたどり着いており、小刻みに震える手を何とか抑え込んで鍵を開け、部屋に飛び入るとすぐさま鍵を閉めた。ストーカーだ。これは明らかにストーカーだ。僕は全身を布団に潜り込ませながらそう思った。僕の家もバレた、これは誰かに相談せねばならんぞ。僕はそんなことを考えながら、浅い眠りを何度も繰り返して朝を迎えた。

 目覚めると、枕元のスマートフォンの電源をすぐに点けた。充電はギリギリ生きている。それを確認したすぐ後、待ってましたと言わんばかりに電話がかかって来た。僕は誰でも良いから助けを呼ぶべきだと思い、すぐに電話に出た。


「もしもし!?」

「おはようございます。先輩」


 声の主はつい昨日護衛したアルバイト先の後輩、早紀であった。


「もしもし、大変だ! 今度は僕にストーカーが付いちまった!」

「面白いことを言うんですね。因果応報って言葉を知っていますか?」

「何悠長なこと言ってるんだ! 早く警察でもなんでも呼ばなくちゃ! 今もすぐ外にいるはずだ!」

「えぇ、いますね。いますとも」

「は? 何言ってるんだ?」

「何故昨晩、花村さんのアパートを見て逃げ出したんですか?」


 僕には何が何だかさっぱり状況が理解できなかった。そのために僕は喉で言葉がつっかえ、全く反論も出来なければ理由を答えることも出来ない。


「知ってたからですよね。あそこが花村さんの家だって。先輩の大好きな花村さんの家だって」

「……あ、いや」

「それに、そんな大好きな花村さんがストーカーだったなんて、ましてや女が女のストーカーをしてるなんて。あなたはそう思って逃げたんですよね?」

「な、なに、べ、つに、そんな……」


 やっと出た声も言葉にはならず、僕はただ口をガクガクと震わせながら早紀の冷たい声を聞き続ける。


「私のストーカーは嘘です。ただ、あなたがストーカーなのは本当でしたね」


 彼女はそう言うと、僕が弁明をする暇を与えず通話を切ってしまった。ちくしょう! 僕がそう思ってスマホを地面に叩きつけようとした時、自宅のドアノブが、ガチャガチャ! ガチャガチャ! と今にも壊れそうな音を立てて回り始めた。


「開けなさい! 通報があったんだ。少し話を聞かせてもらうよ!」


 警察はすぐそこまで来ていた。きっと今外に出れば彼女らもいるのだろう。まさかこうなるとは思わなかったが、やはり最初から気分の悪い相談になんて乗るんじゃなかった。最初の直感は正しかったんだ、作り話だ! そうだ、何もかも作り話だ! 僕はストーカーなんかじゃない、僕は何もしていない! ……そんなことを思っても、真意はただの同族嫌悪だったのだ……。同族の失態を笑いたかっただけなのだ。僕はバレずにストーキング出来ているという優越感に浸りたかっただけなのだ……。例えそれが他人を傷付けていようとも……。

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