第2話『黒縁猫のナナシさん』
駅前付近は雨のためかタクシー利用者が列を作っていた。
回すようにこの車の出番がきた。乗ってきたのは女性。
「どちらまで?」
あからさまに彼女はひきつった顔をした。
「皮かぶり……」
皮かぶり。人のフリをする獣。獣のフリする人。
近年の差別用語だ。若者が作り出した造語がメディアを通じて一般用語化した。
こういう反応もここ数年で見慣れたものだ。
「あ、申し訳ありません。気分を害するようであれば他のものに変わりますが。」
「それって時間かかるやつ?」
「申し訳ありません。当社のものが新しい車を用意するのを待って頂くか、もう一度並び直して頂く他ないかと。」
女性は振り返って列をみる。
タクシーを待つ列は先ほどよりも伸びていた。
「はぁ……だして。」
「分かりました。」
ため息混じりに、目的地を告げられた。居酒屋街の入口に当たる場所。夜の仕事か、お酒に関わる仕事。
詮索はしないがどちらにせよこれから仕事であることを考えると同情する。
駅前のタクシー待機所を抜け、左に曲がる。高架下を通り道を抜ける。
(昔と比べてこの辺も発展したな。)
あそこにカラオケがあって、あの辺によく行った飲み屋があったな。情景は少しセピア調でおもいだされる。
歴史を感じる。感慨を感じるのは歳のせいだろう。
といってもこの体になって、あまり年齢はいってない。
「あんた達ってなにして金もらうの?何しなくてももらえんでしょ?」
考えをめぐらせながらしばらく運転していると、訝しげに女性は尋ねてきた。
あまり私たちに話しかけられてもいい気分はしないだろうと感じ、あえて話しかけてはいなかったが向こうから話しかけてきた。
「政府側に訴訟を起こした組織は貰ってるらしいですね。」
「どうせあんたも貰ってるんでしょ?他人事みたいにいうんじゃないわよ。」
「どういう話を聞いてるかは知りませんが、貰わず人として生活してる方々も多くいますよ。」
「どうだか。」
「私はそういう知り合いが多くいるので。」
「どうせその知り合いも貰ってるんでしょ。政府からの永年生活保障なんて貰いながらよく生きてられるわね。恥ずかしくないの?」
「もらってる人間はきっと人としての尊厳を忘れてしまったんですよ。きっと」
「あんた達はみんな尊厳なんてもってないでしょ?」
「尊厳を失ってしまった人達は、自身の見た目の変化に対する周りの方の対応の変化に自身を見失ってしまったんではないでしょうか。」
「はっ!あなた達が勝手に罪を犯しといて、よくそんなに人様ぶった態度をとれるわね!」
「…お客様に何があったのかはご存知ないですが、私はそういう人間ではないですよ。」
「…な、何よ!知った顔しないで。」
「そういった事件に心を痛める方も数多くいらっしゃるので。」
差別意識は教育による洗脳か、体験による種族嫌悪によるものの2種類がある。
彼女はきっと後者だろう。
「私は…」
彼女はなにか話そうとしてやめてしまった。
動物の姿をした人達が往来に出るようになってから数年が経った頃。彼らは最初こそもてはやされたものだが、世の中にはそれを勘違いする者もいた。
飲酒、暴行、強姦。
凶悪犯罪に手を染めるものが出始めた。
これにより見た目による差別意識というものが根強く着いてしまい、今現在も払拭できずにいる。
彼女はきっとそうした犯罪が多発した時期の被害者もしくは被害者の知人にあたるひとなのだろう。
こちら側の人間に非があるとはいいつつも、種族全体としての見方はできれば改善して行きたい。
別段この体に思い入れがある訳じゃないが、生きにくい世の中よりはやって生きやすい方がいいからだ。
彼女は押し黙っていた。
沈黙の空気のまま車は走り続ける。
雨音が少し収まってくる。どうやら雨は小降りになってきたようだ。
「ごめんなさい…」
彼女は急に謝罪を仕出した。
「?お客様どうかなさいました?」
「その見た目を勝手な偏見で決めてたわ。そう言えばなりたくてなってるわけじゃないのよね。」
諦めたような目をしながら彼女は車窓から遠くを見ていた。
「…私、レイプされたのよ。複数の獣人らにね。」
車のバックミラーだけでは分からなかった。彼女は嫌悪感のみで接していたのではなかった。怯えていたのだ。
「私は…あんた達が分からない。心もない、酷い動物しかいない。だから下に見られないように下手に出ないようにする。」
声が震えながら。何かに恐怖するような、申し訳なさそうなそんな気持ちがいりまじっているようだった。
「知り合いに記憶保険を受けていた人がいたの。」
「そうですか。」
「だからまだ、あんた達を信じたいきもちもある。」
「その方どのような人なんですか。」
「分からないわ。あったことも無い。引き継ぎが上手くいかずに死んでるかもしれない。」
いつの間にか彼女から声の震えがきえていた。
「でもその人があんたのようになっても優しい人であってほしい。」
話は終わった訳では無いが、目的地に着いた。
車のエアコンの下くらいに金額が表示される。
「850円です」
1枚札をもらいお釣りを返す。
「ありがとう…それからやっぱりごめんなさい。」
「?仕事ですので。」
彼女は首を横に振りながら答える
「そうじゃないわ。ずっと嫌な態度だったなと思ってね。」
「よくあることですし、仕方ありませんよ。辛い経験があったようですし。」
彼女は少し表情を和らげた。
「私の知り合いもあなたみたいだといいんだけど。」
ハッとしたように忘れていたかのように彼女は続けた。
「そう言えばあなたの名前は何?」
「名前は名乗るほどのものを持ってません。『ナナシ』ってよんでください。」
彼女がふっと口から息が漏れるような笑みをこぼした。
「そう…じゃあね。黒縁猫の『ナナシ』さん。」
ツカツカと足早に車から去っていった。少し後ろ姿を見送った。
いつの間にか人の闇に飲まれて消え失せて行った。
また会えるだろう。何となくそんな予感がした。
彼女の知り合いも生きているなら会いに行ってあげて欲しいと思う。
姿が消えた辺りで車を出発させた。
もう帰るか。
車もまた空の闇に飲まれて小さく消えて行く。