復讐
「空間転移って奴か」
気がつくと、そこはすでに木々に囲まれた森林の中だった。
周囲は背の低い植物ばかりで見通しはいい。
神域にある森とは随分と雰囲気が違っている。
薄暗く、冷たく、それでいて人工的だ。
生物の――まともな生き物の気配がしない。
「では、試験をはじめましょう」
「あぁ、そうだな」
森林の様子に意識を傾けつつ、風花のほうを見やる。
すると、その格好が変化していることに気がついた。
先ほどまでは白を基調とした洋服だったけれど。
今では絢爛なドレスに変わっていた。
「どうしたんだ? そのドレス」
「これですかぁ? これは私の魔装です」
「魔装?」
「魔力を編んで戦闘衣とする高等魔術です。並の魔術師には扱えないものなんですからねぇ」
魔力を衣服に、か。
「あぁ、そういう。それなら俺にも出来るぜ」
「え?」
百聞は一見にしかず。
俺も風花に続くように、魔力ではなく神気を編む。
形作るのは、慣れ親しんだ軍服。
いつも俺が神衣として構築しているものだ。
「ほらな」
軍服姿となって、神衣を披露する。
まぁ、風花からしてみればそれも魔装に映るだろうが。
「……では、魔刃も?」
魔刃。
魔装が神衣だから、魔刃は神威のことだろうか?
そう思い、神気を編んで得物を形作る。
神威として顕現させるのは、一振りの刀だ。
「こいつのことか?」
そう訪ねると、風花は目を丸くした。
「これは驚きましたねぇ。貴方のような人が、この二つを習得していただなんて」
「どういう意味だ? それは」
「褒めているんですよ? どうやら私の判断に狂いはなかったようですねぇ」
ご機嫌な様子で、風花は森林の奥へと歩き出す。
「さぁ、行きましょう。露払いは任せましたよぉ」
「仰せのままに、っと」
その背中を追って、俺も足を進めた。
どうやら千堂風花という人物は、人の上に立ち慣れているようだ。
そうなるべくして生を受け、そうなるべくして育ってきた。
ある種の親しみやすさを覚える空とは、また違った人物である。
だから、面白い。
「――おっと、お出ましか」
ある程度、森林を進むと妖気を感じとる。
前方にいくつか。いや、すでに周囲を取り囲まれていた。
茂みから、木の陰から、何体もの疑似妖怪が姿をみせる。
見た目は四つ足の獣といったところ。犬科の動物のようにみえる。
「さて、どうする? 互いに好きにするか、連携してみるか」
俺はどちらでも構わないけれど。
折角なら後者をしてみたい。
「そうですねぇ。たまには協力してみるのも悪くないかも知れません。私は遠くの妖怪を相手にするので、貴方は」
「近くの奴、だな。よし、任せとけ」
「うふふ、理解がはやくて助かりますねぇ」
俺は腰の刀を抜き払い、風花は手に扇子として魔刃を顕現させる。
それぞれの得物を手に取ったのを見てか、疑似妖怪たちは牙を剥いた。
全方位から一斉に襲い掛かってくる。
「躾のなっていないわんちゃんには、お仕置きですよぉ」
花柄の扇子で扇ぐことで、いくつもの鎌鼬が巻き起こる。
風の刃は慈悲もなく触れるモノすべてを両断し、一度に多くの疑似妖怪を断ち斬った。
その切れ味たるや、名のある刀と遜色ない。
「負けてられないな」
触発されて、こちらも気分が乗った。
柄を握る手に力が入り、振るう一刀に神気が宿る。
それは刀身にて疑似妖怪を斬り伏せ、同時にその先まで剣の圧が飛ぶ。
間合いの外にまでいたる剣圧は、一種の飛び道具として次々に命を奪う。
遠距離の敵を風花が担い、中距離から近距離の敵を俺が担当する。
その成果があって、疑似怪異は瞬く間に数を減らした。
「これで最後っと」
いま、剣圧にて最後の一体が引き裂かれた。
命を散らした疑似妖怪は、その場に力なく倒れ伏す。
そして、妖怪と同じように、霞となって死体は掻き消えた。
「二十七ってところか。そっちは?」
「二十四。うふふ、負けてしまいましたねぇ」
「まだ決まってないさ。それに倒した数が合格基準とは一言も――」
そう話していたところ、不意に何者かの気配を感じとる。
同時に、こちらに向けて放たれるなにかを視界の端に捕らえた。
身体は反射的に、飛来するなにかを斬り捨てる。
「あ、やべ」
斬った瞬間に、それが罠だと気がついた。
真っ二つにしたのは煙玉だ。
たったいまの衝撃によって、それは爆ぜて視界が煙りに染まる。
「小賢しい真似をしてくれますねぇ」
だが、それは一瞬にして払われる。
風花が巻き起こした風が、煙幕を吹き飛ばした。
その瞬間、明瞭になった視界に第三者が映り込む。
剣を構え、間合いに踏み入ってくる何者か。
脳裏に過ぎるのは、妨害の二文字。
何者かの剣は案の定、俺たちに向けて振るわれる。
だから、それを下から掬い上げるように弾き上げた。
上を向いた剣に釣られて両手も上がり、がら空きになった胴へと蹴りを入れる。
「ぐふッ――」
鳩尾に食い込んだそれの勢いに押し流され、何者かは地面を何度か転がった。
そして、苦しそうに腹を抱えて、こちらを恨めしそうに睨み付けてくる。
「妨害目的か。意外とせっかちなんだな」
まだ始まって間もないというのに。
いや、だからこそか。
「……お前は、知らないんだったな」
「なにをだ?」
「千堂がどういう奴らか、だ」
彼はそう言いながら、立ち上がる。
その目つきは変わらない。
けれど、その視線は風花に向けられていた。
「俺は――俺たちはッ! 千堂に家を潰されたんだ!」
俺たち?
言葉に引っかかりを覚えてすぐ、その意味を理解する。
気がつけば俺たちを包囲していた存在が、妖怪から人間に置き換わっていた。
二十人はいる。参加者の約半数近くが、この場に集っている異常事態。
この場で初めて会って意気投合したって訳じゃあなさそうだ。
「見ろ! これだけの家が、千堂の繁栄のために養分にされたんだ! 今じゃ五大名家の一つに数えられているほど肥え太った! だから、復讐してやるんだよ、いまここで!」
「なるほどね」
状況は、概ね理解できた。
まぁ、だからと言って、彼らに同情する理由はないのだけれど。
そういう意味も込めて、改めて刀の鋒を彼へと向ける。
「知ったことじゃあないな。そんなこと」
「……千堂に味方するのか。そいつがどんな奴か知った上で」
「知らねーよ。風花がどんな奴かなんて」
まだ会ってから数十分の付き合いだ。
それで個人の何かを知った気になるつもりはない。
「話を聞く限り、お前たちは千堂に恨みがあっても、風花個人にはないんだろ?」
「……なにが言いたい」
「復讐する相手が違うんじゃねーのかって言ってるんだよ」
彼ではなく、彼らすべてに向けて言う。
「復讐がしたいなら千堂家現当主を闇討ちすりゃいいだろ。それが一番確実で、一番すっきりするんじゃあないのか? 風花は風花だ、当主じゃない。復讐の相手を履き違えるな」
坊主が憎けりゃ釈迦まで憎い。
その気持ちを理解はできるが、だからと言って風花を巻き込むのは困る。
この試験中は俺の相方だからな。
「ふざけるな……ふざけるなよッ。俺たちが今までどんなに思いで恥辱に耐えてきたか、知りもしないくせに!」
「知ったことか。憂さ晴らしがしたいなら余所でやれ」
強大な復讐相手に挑もうともせず、手頃な風花に目をつけて恨みをぶつける。
やっていることは子供の癇癪、児戯とさほど変わらない。
そう言った意味を込めた言葉が引き金になったのだろう。
図星を突かれ、言い返すことが出来なくなり、だから感情的な行動に出る。
もはや言葉とも、叫びともとれない声を発して、彼はほかの者に号令を出す。
それを合図に、周囲を取り込んでいた人間たちが一斉に魔術を放とうとする。
けれど。
「――煩わしいことですね」
天に扇子が掲げられる。
かと思えば、次の瞬間には人間が宙を舞っていた。
吹き荒れる風。渦を巻く旋風。切れ味を増す鎌鼬。
それらは竜巻となって舞い上がり、巻き上げた人間を切り刻んだ。
「こいつはまた」
膨大な魔力と精密操作。
その両方がなければ、ここまでの竜巻は造れない。
魔術に明るくはないが、素人目にもその難易度の高さは見てとれる。
五大名家の名は、伊達じゃあないみたいだ。
「――ぐあッ」
竜巻はものの数秒で鳴りを潜めた。
そして、巻き上げられ、切り刻まれた者たちが次々に落ちてくる。
傷だらけで、血まみれではあるが、死んではいないようだ。
その証拠に、いたるところから苦しそうな呻き声が聞こえてくる。
それはそれで、酷なことだけれど。
「これに懲りて、もう二度と可笑しな気は起こさないことです。然もなくば、次はありませんよぉ」
ぴしゃりと、扇子は閉じられる。
もともと彼らの復讐は遂げられることのないものだった。
風花はこの人数を、ものともしていなかったのだから。
「さぁ、試験を続けましょう」
何事もなかったかのように、風花は言う。
視線をこちらに寄越すこともなく、先に歩き始める。
「あぁ、そうだな」
風花にとって、こんなことは日常茶飯時なのだろう。
とても手慣れていて、まるで近寄ってきた虫を払うようですらあった。
周囲の人間から憎悪を向けられることを、なんとも思っていない。
思わないように、なってしまっている。
だからこそ、風花の背中がとても小さく見えた気がした。