試験
夜が明けた。
居住区の一室を与えられ、初めてベッドで眠りについた。
布団しか経験がなかったけれど、存外わるくない寝心地だ。
「ふあっ……妙な気分だ」
目が覚めると、見慣れない景色がある。
いつもの木目の天井も、畳の床も、ここにはない。
あるのは、話に聞いていたカラクリがたくさん。
テレビ。冷蔵庫。炊飯器に、いろいろ。
触ると壊してしまいそうだから、指一本触れてない。
「さて、と。たしか時間は……」
歯を磨いたり、顔を洗ったりしつつ、昨日の夜を思い出す。
空が言うには、件の試験は今朝にあるらしい。
正確な時刻を聞いていたはずなので、記憶の引き出しを探ってみる。
「あぁ、午前九時だったか。まだ二時間くらいあるな」
外出の準備をゆったりと進め、新品の衣服に袖を通す。
軍服姿は流石に目立つということで、空に用意してもらったものだ。
ワイシャツにジーパンという奴らしい。
慣れない服装は落ち着かないが、幸い動きやすくて文句はない。
「さて、いくか」
すこし余裕をもって部屋をでる。
それから持たされた地図を頼りに、俺は訓練場へと向かった。
「――ここか」
一度、ロビーを経由して、訓練場へと向かう。
たどり着くと、その空間が一望できる高い位置に出る。
俯瞰視点から眺めるそこは、かなり広い場所だった。
海があり、山があり、草原があり、森がある。
それら極小の環境が、この広い訓練場に詰め込まれている。
魔術で空間を拡張してあると言っていたけれど、こんな芸当も可能なのか。
「魔術は奥が深いな」
訓練場に降り立つため、緩やかな傾斜の階段に足を下ろす。
この空間の外周に沿うように造られたそれから眺める景色は、見ていて飽きない。
「なぁ、おい。誰だ? あの後ろの奴。知ってるか?」
一段一段、ゆっくりと下っていると、前方にいた集団から声が漏れてくる。
訓練場にいるあたり、彼らも試験の参加者だろうか?
どうやら、会話の内容は俺についてらしい。
「いや、見たことない」
「どうせ、田舎者でしょ」
「ほっとけよ、どうせ受からないんだから。ああ言うの」
「ま、この中の誰も知らないってことは、その程度ってことでしょ」
くすくすと笑っている。
なにが可笑しいのやら。
人間は、ときどきよくわからない理由で笑う。
この先、魔術組合に属していれば、それもわかるようになるのかな。
そんなことを考えつつ、階段を下り終える。
土の地面に足をつけ、そこから見える景色は鬱蒼とした森林に絞られていた。
どうやらこの緑溢れる環境で、試験は行われるらしい。
「さて、気合い入れますか」
自分を鼓舞するような言葉を言って、歩みを進める。
試験の参加者はすでに集まっているようだ。
その中に加わると、試験官と思われる男性が口を開いた。
「――全員、揃ったようだな。では、これより試験官を務める私から、改めて簡単な説明をしよう」
魔術で増強された声が、響き渡る。
「諸君らにはこれから、この森で狩りを行ってもらう。対象は人為的に造り出した疑似妖怪。随時、投入されるこれをできる限り多く狩ること。それが試験内容だ」
つまり、出会い頭に妖怪を叩き切っていればいいってことか。
想像していたよりも単純だ。
これなら下界にうとい俺でも、なんとかなりそうだな。
「それから――」
それから制限時間や、負傷して戦闘不能になった際のこと。
その他もろもろの話がなされる。
「ここまでで、なにか質問は?」
「はい」
参加者の中から手が上がる。
「疑似妖怪は全部で何体いますか?」
「答えられない。だが、いまこの場にいる者は――急遽参加することになった一名を加えた五十名。そこからおのおのが考えを巡らせれば、大方の見当がつくはずだ」
試験をしている間、支部長がどこかで見ていると言っていた。
つまり、五十名分の力量を計れる程度には、数が用意されているということ。
それなりに多そうだ。
「ほかには?」
「はい」
また手があがる。
「ほかの参加者を妨害してしまった場合、失格になりますか?」
「ならない。とは言え、これは飽くまでも試験だ。もし仮に勢いあまって殺してしまった場合、即時失格となり二度とプロにはなれないと思ってほしい。魔術師の本分は妖怪狩りだと言うことを、努々忘れないように」
質問はこれで最後となり、いよいよ試験開始が迫る。
「最後に、諸君らには徒党を組むことが許されている。二人、ないし三人組となって試験を受けてもいい。もちろん、一人でも構わない。これよりすこし時間をとる。その間に決めてほしい」
そう試験官が言い終わると、一気に参加者たちがざわついた。
「どういうこと? 組んでもいいって」
「それじゃ個人の評価が下がるんじゃ」
「いや、でも協調性を計るためかも」
「現場で初対面の人と共闘することもあるかもだし。狙いはそれ?」
「とにかく、顔見知りで組んでみよう」
しかし、それもすぐに静けさを取り戻す。
そして、各自の考えがあって、参加者たちは動き出した。
静観する者。分け隔てなく話しかける者。身内で固める者。
様々な思惑が錯綜する中、それを眺めつつ俺は思案する。
「うーん」
誰かと組んでもいいと試験官は言った。
べつに組む必要はないし、一人でも問題はない。
けれど、折角なら誰かと共闘したくはある。
神域にいたころは、妖怪退治を一人でやっていたしな。
天は師匠で、肩を並べて戦うような存在じゃあないし。
「まぁ、とりあえず適当に話しかけてみるか。――と言っても」
周囲を見渡してみて、その難易度の高さを痛感する。
すでに大半の人間が行動を終えていたからだ。
二人、三人で組む者がほとんどで、一人でいる者は少数。
その数少ない静観者も、近づいてくるなと言わんばかりの態度だ。
「んー……おっ」
誰か組んでくれそうな者はいないかと見渡していると、ふと目がとまる。
落ち着いた佇まいに、凜とした雰囲気を纏う少女だ。歳は同じくらいか。
なぜだか、彼女の周りにだけは人が近寄っていない。
別段、周囲を拒絶しているようにも、ほかの静観者のように態度で示している訳でもない。
彼女はただそこにいるだけで、勝手に周囲が離れている。そんな印象を抱いた。
ほかとは雰囲気が違うし、彼女ならもしかすると。
そう思って足を動かし、少女の側にまで歩み寄る。
すると、声をかけるより先に、彼女のほうがこちらに気づいた。
「おや、私になにか用ですか?」
「あぁ。見たところ一人みたいだし、どうかなって」
「私と、貴方が、ですか? 随分と面白いことをいいますねぇ」
彼女はすこし目を見開いて、そう言った。
「貴方も魔術師なら、私のことを知っているでしょう?」
「いや。悪いが知らないんだな、これが。辺境暮らしが長かったもんで」
そう言うや否や、彼女よりも先に周囲の反応が飛んできた。
にわかに騒がしくなり、みんな口々になにかを言っている。
「あいつ、どこの田舎者だよ」
「千堂を知らないって。あいつほんとに魔術師か」
「なんであんな奴が試験を受けに来てるんだ?」
先ほど階段でくすくす笑っていた彼らも、似たようなことを言っている。
彼らの反応を見るに、どうやら素っ頓狂なことを俺は言っているらしい。
魔術師にとって、彼女は知っていて当然の相手か。
「有名人みたいだな?」
「……本当に、知らないんですね」
「最初に言った通り、知らないんだ」
そう答えると、彼女はすこし考え込む。
顎に手を置いて目を伏せ、そして不意に魔術を顕現させる。
「――」
その手に顕現するのは、魔力で編まれた一つの扇子。
開いたそれは鮮やかな花柄を咲かせ、弧を描くことで風を変質させる。
鎌鼬。
風の刃が至近距離で放たれ、俺の頬を掠めていった。
「……瞬き一つしませんか」
「当てる気はなかっただろ?」
動作の一つ一つが優雅で無駄がなく、舞いのようですらある。
だが、そこに敵意も殺意もこもってはいなかった。
彼女は試したかったのだ。俺がどの程度の男なのか。
「いいでしょう。貴方には特別に、私のあとに追従する許可を与えます。これはとても名誉あることなんですよぉ」
「そうかい。そいつはありがたいね。おっと、そうだ」
まだ自己紹介がまだだったな。
「俺は神楽透。そっちは?」
「私の名前は千堂風花ですよ。よろしくお願いしますねぇ」
こうして二人組が成立する。
そのことに周囲の人間は驚いていたけれど、それもすぐに掻き消える。
時間がやってきたからだ。
試験官の呼びかけによって、俺たちは再び一つに集まった。
「では、これより試験を開始する」
その宣言と共に、参加者たちの足下に巨大な魔法陣が描かれる。
「いまから諸君らを森林の中へと転移させる。それが完了次第、試験開始だ」
淡い光の線によって描かれたそれは、次第に輝きを増していく。
「では、諸君らの中から一人でも多くの合格者が出ることを期待している」
そして、俺たちは光の粒子となって魔法陣に吸い込まれた。