初陣
「いやー、悪い悪い」
「悪い悪いじゃないっ! まったくもー!」
落下の最中にそう叫んだ空は、だがこの状況に対して冷静な対処をする。
空は魔術師だ。失った神性の代わりに、人は魔力を手に入れた。
魔力を練り、術として編み、異能を顕現させる。
それが魔術師という存在だ。
「――風よ」
空は練り上げた魔力で魔術を編み、風を巻き起こす。
俺たちを中心として旋風が発生し、その落下速度を大幅に軽減する。
非常にゆったりとした速度で落下はなされ、着地は無事に民家の屋根の上にて成功した。
あれほどの高さから落下したというのに、衝撃は一切ない。
「便利なもんだな、魔術ってのは」
「お世辞はいいから、いまは仲間たちを――」
そう急かされたのも束の間、遠くで物騒な音がなる。
なにかが打ち砕かれたような、鈍くて重い破壊音。
状況を考えてみるに、その音源にこそ空の仲間たちはいるだろう。
「行こう」
「あぁ。待っててくれ、みんなっ」
俺たちは同時に屋根を蹴って、音源へと向かった。
「――いたっ! あそこだ!」
屋根から屋根へと飛び移りながら最短距離をいく。
そうすると直ぐに、空の仲間たちを発見することができた。
しかし、状況はかなり悪いように見える。
「不味いな」
十字路の中心にて、いくつもの妖怪に包囲されている。
大小様々ではあるが、あれでは退路を開けない。
包囲殲滅は戦の定石。
あれを崩すには、外側から食い破るしかない。
「悪い、置いてくぞ」
もたもたはしていられないので、そう空に告げて加速する。
「え? あっ――おい!」
空を置き去りにして、仲間のもとへと急ぐ。
一つ屋根を蹴るたびに距離は縮まり、妖怪の造形も見えてくる。
先ほど空に取り憑いていた妖怪と同様、姿は猿だ。
どうも、最近は猿に縁があるらしい。
加速に加速を重ね、すぐさま包囲の外側に食らいつく。
「まずは一体目っ」
屋根から頭一つ抜けていた、巨躯の妖怪に刀を振るう。
一刀は風のように吹き抜けて、その首を跳ね上げる。
力なく、だらりと巨躯は倒れて地面を揺らす。
「――な、なんだっ、今のはっ!」
包囲の外側で巨躯の妖怪が倒れれば、その情報はすぐに知れ渡る。
魔術師にも、妖怪にも。
即座に、周囲にいた妖怪がこちらに牙を剥く。
次々に襲いくる猿どもに剣閃を見舞い、あっと言う間に斬り捨てる。
「おっと」
小物をあらかた片付けると、不意に周囲が暗くなる。
見上げてみれば、一目瞭然。
巨大な腕が、月明かりを遮っていた。
振り下ろされる岩石のような拳に、こちらは刃を返す。
じゃんけんなら負けていた。
だが、この刃は道理をたやすく覆す。
剣閃は拳を裂いて骨まで断つ。
激しい痛みに巨躯の猿は怯んだ。
その隙を逃すことなく、屋根を蹴って首を刎ね上げる。
「な、なんなんだ……あの軍服はっ」
「あの狒々《ひひ》を、たった一太刀で」
包囲の外側で暴れたことにより、猿の妖怪たちは次々に戦力をこちらに向ける。
その結果、それ以外の包囲が薄くなって退路を開きやすくなった。
けれど、どうしたことか。魔術師たちは動かない。
「なに呆けてんだ! いまのうちに包囲を抜けろっ!」
俺の頑張りに対して、空の仲間たちは口を開けているだけだった。
なので、そう一喝してやると流石に我に返る。
彼らは自身が置かれた状況を正しく把握し、なにをすべきかを理解した。
「――こっちだ、みんな! 私が退路を開く!」
遅れて、空も現場に到着した。
俺とは正反対の位置から、包囲を斬り崩すように刀を振るっている。
それを見て、彼らもそちらへ向けて動き出す。
あとは、俺がこいつらを引き付けておけばいい。
「――ナニ、モノ、ダ」
猿どもの相手をしていると、奥の一体が人語を話す。
猿神ほど流暢ではなく、たどたどしいがたしかに人の言葉だ。
「人の味方で、お前の敵だよ」
軍帽を正し、鋒を猿どもへと向ける。
「さて、ウォーミングアップだ。束になって掛かってきな」
そう言うや否や、猿どもは雄叫びをあげる。
己を、味方を、鼓舞して一斉に牙を剥く。
俺はそれを相手に一歩たりとも退くことなく、真正面からぶつかった。
「――ふう。まぁ、こんなもんだろ」
うずたかく積み上げられた、屍の山。
滴り落ちては波紋を描いた、血の河。
屍山血河は築き上げられ、地獄絵図と化す。
「神楽っ! 無事か――って、あれ」
刀身にべっとりとついた血糊を払い、納刀していると。
仲間を安全なところへと逃がし終えたのか、空が戻ってくる。
「まさか、これ全部……一人で?」
「あぁ。まぁ、ここは神域じゃないし、俺も十全には力を発揮できないんだけどな」
それでもこの程度の妖怪なら、さほどの手間もかからない。
かすり傷一つ負うことなく、殲滅は成った。
「……ははっ、本当に神楽を戦力に数えられてよかったよ」
「期待に添えたようで何よりだな、そりゃ」
俺は魔術師を有利にするための戦力として下界にきている。
だから、その責務が果たせているようで、すこし安堵できた。
「あぁ、そうそう。空」
「なんだ?」
「俺のことは透でいい。そっちのほうが、はやく仲良くなれるだろ?」
人間は下の名前で呼び合うと親しくなれると天から聞いた。
だから、俺もそれに習うべきだろう。
できれば、空にもそうしてほしい。
「わ、わかった。じゃあ、これからよろしくな……その、透」
「おう!」
幕開けは波乱だったけれど、順調な滑り出しだった。
幸先がいい。
このままの勢いで、天を狙う妖怪たちを打ち倒していくとしよう。