旅立ち
茶菓子を片手に茶を啜る。
「ふー……」
茶の温かさが身体に染み渡り、日向の心地よい温度が眠気を誘う。
そんな雰囲気に当てられて、空も随分と落ち着いたようだった。
「――ってぇ! なに和んでんだ、私はっ!」
気のせいだったみたいだ。
また忙しなく、空は縁側から立ち上がる。
「口に合わなかったかしら……」
「い、いえっ、お茶はとっても美味しいです。けど、そうじゃなくてぇ!」
空は一人、取り乱している。
「あの! 天神様!」
「あら、天ちゃんでいいのよ?」
「呼べませんよっ!」
まぁ、人間には難しいだろうな。
「おっほん」
仕切り直すように、空はわざとらしい咳をする。
「私は魔術組合所属の魔術師、伽藍空です。先ほどは、そちらの神楽透さんに助けていただき、こうして――」
「堅苦しいのはいい。言いたいことがあるなら、単刀直入が一番だ」
「……じゃあ」
すこし迷った様子を見せて、それから改めて言葉を紡ぐ。
「天神様。貴女はいま、数多の妖怪にその御身を狙われています」
空の言いたいこと。
それは天の身が危ないという警告だった。
「近頃、下界では近年稀に見るほど妖怪が活発化しています。原因は依然として不明ですが、その目的ははっきりとしています」
目的の見当は、こちらでもすでについている。
つまり。
「天神様から権能を奪い、現世と幽世の垣根を完全に崩壊させる。これが万が一にも成れば、人の世は終わりです」
現世と幽世。
人の世界と、妖怪の世界。
その二つは隣り合っていながら、決して混じり合わないものだ。
もしその垣根が崩壊すれば、人の世に妖怪がなだれ込んでくる。
世界は混迷を極め、のちに滅びるだろう。
妖怪は道理に沿わぬ者。ただの剣、ただの鉄砲、ただの兵器では殺せない。
対抗できるのは、俺のような神の子か。もしくは魔術を会得した魔術師くらいのものだろう。
つまり、俺と、空の仲間たちだ。
「そうなる前に、どうか私たち魔術師のもとへ、来ていただけませんか」
「……それは、私を保護してくれる、ということですか?」
「不躾なのは承知しています。ですが、万が一を起こさないためにも、是非」
「ふむ……」
空の――魔術師の提案を聞いて、天はすこし思案する。
天がいまなにを考えているのか。長い間、子をやってきた俺にはわかる。
「ごめんなさい。嫌です」
やっぱりな。
「申し出は嬉しいですけれど。私はこの神域から出るつもりはありません。例え、妖怪が軍を率いて攻めてこようとも。それが私の勤めであり、存在意義であるからです」
そして、この神域がほかのどこよりも安全だ。
稀に妖怪や人が入り込むことはあれど、それらは何もせずとも排斥される。
迷いに迷って力尽きるか、なにかの拍子に下界に出るかのどちらかだ。
暇つぶしにと俺が相手をすることもあるが、本来なら、そんなことをする必要はない。
「それに貴女たち魔術師の期待には添えないわ。貴女たちは人の子で、私の子ではなくなった。加護を再び授けることは叶いません」
すべてを見透かしたように言う。
保護というのは建前で、本当は天神としての加護が目当てなのだろう、と。
天神の加護は神性、神気の付与。
七つになるまで、子は神性を帯びている。
だから、ありとあらゆる妖怪をはね除け、厄災や不運から守られている。
魔術師からすれば、それは強力な武器となり、妖怪との戦闘で有利をとれるもの。
是が非でも、失った加護を取り戻したいのだろう。
しかし、人の子となった者に、再び加護を授けることは叶わない。
神の子では、なくなったのだから。
「そう……ですか」
落胆したように、そう空は呟いた。
その様子をみて、天もすこしだけ悲しそうな表情を浮かべる。
「では、こうしましょう」
ぱんっ、と天は両手を合わせる。
「貴女たち魔術師に、透を預けます」
「なぁっ」
思わず、素っ頓狂な声がでた。
「どういうことだ。なにも聞いてねーぞ」
「だって、いま思いついたんだもん」
だもん、じゃねーよ。
「透はまだ私の子だし、直々に鍛えてもある。私もかつて子だった人々が、妖怪に敗れて散っていくのは好ましくない。だから、私からの手助けとして、魔術組合に透を預けます」
「俺の意思は無視か」
「いいじゃない。これもなにかの縁よ。一度、下界に降りて人間と接するのも良い経験になるわ。それが将来、透がどの道を行くのかを決める判断材料になるかも知れない。そうでしょ?」
「……まぁ、たしかにそうだけど」
下界に――人間の世界に、興味がないわけじゃあない。
七つの時点で人間になれた彼らに、憧れを抱いたこともある。
その憧憬が未だこの胸に燻り続けているのも事実。
許されるのなら、人間の世界を経験してみたい。
それからでも、遅くはないはずだ。
将来、俺がどちらの道を選ぶか。
神か、人か。
「わかった。その魔術組合とやらの世話になる。それでいいか? 空」
「え? あ、えっと。つまり、神楽透という戦力を、我ら魔術師にお貸しくださる、ということですよね?」
「えぇ、そうよ。存分に、こきつかってあげて」
「――ありがとう、ございますっ」
そう言って、空は深く頭を下げた。
人間が失った神性、神気を宿した神の子。
それが戦力に加わるということが、どれだけ特異なことか。
空はよく理解しているらしい。
「それじゃあ、話も纏まったことだし、さっそく下界に降りるか」
善は急げ、思い立ったが吉日だ。
そうと決まったのなら、ぐずぐずしていられない。
「い、今からか? 支度とか、挨拶とか、そういうのは」
「そんなことはしなくていい。ここには何もないからな。持っていくものなんて何もないんだよ」
「そ、そうか。じゃあ、ここを出て元の……場所に……」
空の声が途切れていく。
なにかを思い出したような様子で、次の瞬間には青ざめる。
血の気が引き、動揺し、一歩後ずさった。
「どうして……忘れてたんだ、私は」
「なにを忘れていたって?」
そう問いかけると、ようやく空は俺と視線を合わせる。
「戦っていたんだ、さっきまで。仲間たちと一緒に。まだ戦闘は続いているかも知れない。はやく、はやく戻らないとっ」
「そういうことか」
なら、尚更、都合がいい。
「と、言うわけだ。行ってくるぜ、天」
「えぇ、行ってらっしゃい」
短く言葉を交わし、空の手を引いて細道へと駆けだした。
「どうやって出るんだ? この神域からっ」
「なに、簡単さ」
そう言って腰の刀を抜き払う。
「こうするんだよ」
そして一刀を振るい、神域を斬り裂いた。
空間が開き、垣根に穴が生じ、俺たちはそこへと飛び込む。
「ほら、抜けた」
その瞬間、眼下に移るは夜の街並みだ。
星の光よりも明るいいくつもの光が、夜の闇を彩っている。
ここが下界、人間の世界か。
「――って、やべ」
次の瞬間、下手を打ったことに気がつく。
「出るところ間違えた」
「――ここ、街の上空じゃないかー!」
すぐさま重力に絡み取られ、俺たちは真っ逆さまに落下したのだった。