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細道にて


 鼻唄を歌う。


「んーんんんー、んーんんんー」


 日の当たる縁側にて。

 寝転がって空を仰ぎながら、口ずさむ。


「んー……ん?」


 気持ちよく歌っていると、不意に邪魔が入る。

 とてもとても邪な気を――妖気を感知した。

 またこの領域に、入り込んできたらしい。


「なんだ、また来たのか」


 ゆっくりとした動作で起き上がり、目深に被った軍帽を正す。

 良好になった視界で日だまりに照らされた領域の様子を窺う。

 なにか変わったことはないかと、ざっと確認してみたけれど、特にない。

 日本屋敷が建ち、ちょっとした庭がつく程度の敷地面積に異変は起こっていない。

 この領域を区切る雑木林にも、変わりはないように見える。


「って、ことは」


 視線は、自然と出入り口である細道へと向かう。

 そこから妖気が流れてきているのが感じ取れた。


「わざわざ玄関口からお越しとは、律儀なことで」


 左手を腰の刀にやりながら、そちらへと向かう。

 ひときわ太い二本の大樹の間を抜けて、細道へと足を踏み入れる。

 一歩、足を進めるたびに、妖気が強くなった。

 今度の訪問者は、それなりに骨のある奴らしい。


「さて、どんな奴かな」


 期待を抱きながら、臆すことなく歩みを進める。

 そして妖気を発する者と邂逅した。


「こいつは驚いた」


 思わず目を丸くした。

 そこにいたのが人間だったからだ。

 ひどく衰弱した様子で、それでも自身の足で立っている少女。

 樹木に手をついて肩で息をする彼女は、どうやら死にかけているようだった。


「よう。こんなところで何してるんだ?」


 そう声を掛けてみる。

 すると、彼女はゆっくりと面を上げた。

 刺青のようにドス黒い文様が描かれた顔を見せる。

 妖気を放つ原因は、どうやらそれにあるようだった。


「だ、れ……軍……服? ははっ、ついに幻覚、まで」

「幻じゃない。俺はここにいる」

「……そっか」


 そう否定すると、彼女は心底安心したような表情をする。


「初対面で……悪いけど。頼みが……あるんだ」


 苦しそうに、彼女は言葉を紡ぐ。


「もう、押さえ切れそうにない……私は、妖怪に乗っ取られる。だから、そのまえに……介錯を……たのむ」


 そう言って、名も知らぬ少女は膝をついて首を差し出した。

 左手の先に鞘が握られているのを、彼女は見つけたのだろう。

 俺がどんな奴で、敵か味方かも知らずに懇願するほど、追い詰められている。


「わかった」


 もはや通常の手段で、彼女を救う手立てはない。

 妖怪に取り憑かれ、かなり深くまで取り憑かれている。

 あと数刻としないうちに、少女は人間から妖怪に堕ちるだろう。

 そうなるまえに首を断ってやるべきだ。

 腰の刀に手をやり、柄を握りしめる。

 そして、鞘の鯉口より刀身は滑り、一閃は描かれる。

 首を断ちきり、頭を刎ねる。

 身体は力なく地に伏し、ごとりとそれは地面に転がった。


「――て、てめぇ! に、人間をっ、斬りやがったな! なんの躊躇もなく!」


 その転がった頭が、そう叫ぶ。

 首から下がないというのに、よくしゃべる頭だこと。


「斬ってねぇよ、人間はな」


 少女は無事だ。

 きちんと胴と頭が繋がっている。

 気を失ってはいるようだけれど。


「斬ったのは、お前だけだよ。三下妖怪」


 人を斬らずに、取り憑いた妖怪だけを斬った。

 少女はいま自分の死を夢想しているだろうけれど。

 残念ながら、身体のほうはまだ健在だ。


「三下……だと」


 妖怪の頭――猿のような顔に怒りの色が現れる。


「この猿神を、甘く見るなッ!」


 その剣幕たるや凄まじく、音圧が頬を撫でる。

 掠めて過ぎていった声音が、後方に集いて気配を持つ。

 振り返ってみれば、そこには見上げるほどの猿の巨躯があった。

 首のないそれは、恐らくあの猿神の本体だ。

 その丸太のように太い腕を振りかぶり、それは拳を突き出した。


「やれやれだ」


 俺はその殴打を、空いた左手で受け止めた。

 ずっしりと重い衝撃が、手の平を通って伝わってくる。

 だが、それだけだ。

 この身を打ち砕くには程遠い。


「何度、言ってもわからないようだから、何度でも言ってやる」


 もう何度目だろう。

 猿の妖怪にこの台詞を吐いたのは。


「ここは天神の領域で、俺はその子だ。この領域内で俺に勝とうだなんて――」


 軽く刀を薙ぎ払い、その巨躯の胴を断つ。


「土台無理な話なんだよ、猿神」


 そう言いながら、猿神の頭部へと向き直る。

 瞬間、目の前には猿神がいた。

 大口を開け、牙を剥き、食らいつこうとしていた。


「だから――」


 ほんの僅かな一瞬をもって神威かむい――銃を顕現させる。

 そして、その口内に銃身をねじ込んだ。


「がっ、あぁっ」


 必死に噛み付いて銃身を砕こうと猿神は試みる。

 だが、その行為はすべて無意味だ。


「言っただろ。無理だって」


 引き金を引く。

 指先に力を込めて、弾丸を放つ。

 それは頭部そのものを破壊して突き抜けた。


「神威の顕現けんげんも、神衣しんいの構築も。この領域内なら一瞬なんだ――って、聞こえてないか」


 細かな肉片となったそれは、地面に落ちるまえに塵と化す。

 妖怪の最後は死体一つとして残らない。

 弔いすらままならないなんて、憐れなことだ。


「さて、と。どうしたものかな、この人間は」


 未だに気を失っている少女。

 ここに捨ておくわけにもいかない。

 連れ帰って、目が覚めるまで保護しておくか。

 あとでなにを言われるか、わからないけれど。 

 その時はその時に考えるとしよう。


「よっこらせっと」


 少女を抱きかかえ、細道を引き返す。

 初めて触れた人間は、妙に暖かかった。

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