34話 雨降って地固まる?
朝。
どこからともなく、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
うっすらと目を開けると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
まぶしい。
ぼんやりしていた頭が少しずつはっきりしてきた。
「えっと……」
今、何時だろう?
首を動かして、枕元の時計を見る。
6時半。
「……もうちょっとだけ大丈夫」
私は目を閉じて、心地いいまどろみに身を委ねようとして……
「……あれ?」
ふと、気がついた。
体が重い。手足が自由に動かせない。
まさか、金縛り……?
私は恐る恐る目を開けて、部屋を見回した。
そして、視界に入ってきたのは……
「……橘さん、なにやってるの?」
私をまたぐように、上に乗っている橘さんの姿だった。
「風祭くんの匂い、感触を堪能して……ではなくて、起こしに来たところです」
今、なにがすごいことを言いかけたような気がするけど、深く追求するのは怖いから聞かなかったことにしておこう。
「さあ、起きてください。もう朝ですよ」
「えっと、色々と疑問があるんだけど……」
「はい、なんでしょう?」
「どうやって私の部屋に? というか、どうやって家の中に?」
「普通に玄関からたずねたら、篠宮さんが快く中に入れてくれました。ついでに、風祭くんの部屋の場所も丁寧に教えてくれました」
「あの子は……」
朝から頭が痛くなってきた。
「ほら、そろそろ起きてください」
「えっと……」
「朝は余裕をもって行動した方がいいですよ」
「あ、あの、橘さん……顔が近いんだけど」
身を乗り出すような感じで、橘さんは私の顔を覗きこんできた。
綺麗な顔が目の前にあって、ふわっと、女の子特有の甘い匂いがする。
「これくらい普通ですよ」
「ふ、普通かな?」
「ええ、普通です」
そう言いながら、橘さんはさらに顔を近づけてきた。
私の視線は、吸い寄せられるように橘さんの唇に向いてしまう。
桜色の唇はしっとりと濡れていて、とても柔らかそうで……
「……んくっ……」
「ねえ、風祭くん」
「な、なに?」
「このまま……してもいいんですよ」
「なにをっ!?」
「それは、もちろん……ふふっ」
「そういう意味深な笑い方をするのは桜だけで十分だから!」
怖い! 色々な意味で、橘さんが怖い!
「というか、なんで橘さんは、わざわざ私を起こしに?」
「夫を起こすのは妻の役目ですから」
「つま?」
ツマって、刺身料理に使われるつけあわせのこと?
現実から逃げるように、そんなボケが思い浮かんだけど……
「この場合の妻というのは、もちろん、夫婦の妻のことですからね?」
「な、なんでそうなるの!?」
「忘れてしまったんですか? あの時の約束を」
「約束……?」
その言葉で、とある光景がよみがえった。
雪の日の公園。
あの時、橘さんと最後に交わした言葉が、確か……
『もし、再会できたら……その時は、私がおよめさんになってあげますね』
「まさか……」
「思い出していただけたみたいですね、なによりです」
橘さんはにっこりと微笑んだ。
「あらためて約束もしたことですし、今日から風祭くんの妻として、精一杯がんばらせていただきます」
「ちょ、ちょっと待って! いきなりそんなこと言われても……約束のことまでは思い出せていなくて……っていうか、あの時から私は女の子の格好をしていたよね? それなのに、なんで橘さんは私のおよめさんになるって言ったの?」
「愛の前に性別なんて関係ありません!」
「とんでもないことをきっぱりと言い切った!?」
なんだかんだで、橘さんはほのかちゃんの姉だ。しみじみとそんなことを思った。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「いや、だから……」
「もしかして、私が相手ではイヤですか?」
「イヤというか、突然すぎるというか……」
「では、ゆっくり時間をかければいいんですか?」
「いや、でも、私は女の子だから……」
「いいえ、風祭くんは男の子です。今から、私がそれを証明してみせます」
橘さんは、そっと私のパジャマに手を伸ばしてきた。
そのまま、ボタンを一つ一つ外していく。
「な、な、なにをっ……」
「ふふっ」
「ちょっ、まっ……」
ダメだ、この状況はまずい。なにがまずいって……とにかく、まずい!
神様仏様閻魔様! 誰でもいいから助けてください!
混乱の極みに達した私は、よくわからない祈りを発して……
「ちょっと待ちなさい!」
祈りは届いた。
扉がばーんと勢いよく開かれて、ほのかちゃんが飛び込んできた。
「ほのか……ちゃん?」
なんで、ほのかちゃんまでウチに……? 橘さんと同じように、桜が……?
でも、なんでもいいや。今のこの状況をなんとかしてくれるなら……
「なにお姉ちゃんを襲っているのよ、このケダモノっ!」
「ええっ!?」
助けてくれるどころか、ものすごり言いがかりをされた!
「いや、どちらかというと、私が襲われている方なんだけど……」
「お姉ちゃんがそんなことするわけないでしょう!」
「なら、この光景は?」
私にのしかかり、パジャマを脱がそうとしている橘さん。
そんな現実を目の当たりにしたほのかちゃんは……
「とにかく、お姉ちゃんから離れなさい!」
「見なかったことにした!?」
ドドドドドッ、と闘牛のような勢いでほのかちゃんが突っ込んできた。そのまま、ジャンプ。
「はうっ!?」
エルボードロップ。
どすんっと私の上にほのかちゃんが落ちてきた。
橘さんはちゃっかり逃げていた。薄情だ……
「お姉ちゃんに手を出すなんて……」
「あの、だから、これは誤解で……」
「そんなうらやましいことをするなんて!」
「うらやましいんだ!?」
やっぱりほのかちゃんは、ちょっと……いや、かなりズレている。
「ほのか、落ち着きなさい」
「お姉ちゃん……」
橘さんが声をかけて、ようやくほのかちゃんは冷静になった。
よかった……なんだかんだいって、助けてくれるみたいだ。
「風祭くんは、私を襲ってなんかいませんよ」
「うんうん」
「お互いに合意の上だから、なにも問題はないんです」
「そうそう……って、違うよ!」
「やっぱり、お姉ちゃんに手を出そうとして……もう許せない!」
橘さんは火に油を注いだだけだった。
ひょっとして、昨日のこと根に持っている……?
「朝から修羅場だな」
「桜!」
ひょこっと桜が顔を出した。
「この状況をなんとかして!」
「美少女二人に言い寄られてうれしくないのか?」
「うれしくない! あと、言い寄られていないから!」
一人は私を殺る気満々だ。
これで言い寄られているように見えたら、その人は目がおかしい。
「私としては、このまま手を出さない方が面白くなりそうだから放置してみたいんだが」
「鬼がここにいる!?」
「まあ、葵がそこまで言うのなら仕方ない」
桜は手際よくほのかちゃんを私の上からどかした。
「なによ、邪魔するつもり!」
「主の命令だからな。恨むなら、葵を恨んでほしい。私は無関係だ」
さりげなく私を売ることで自分を攻撃対象から逸らそうとしているところが、実に桜らしい。
でもまあ、今はこの場をしのぐことが第一だ。桜のことはひとまずおいておいて、この状況を打開しないと!
「橘さん、逃げよう!」
「あら?」
橘さんの手を取って部屋を飛び出した。
「どうして私まで?」
「あの場に残ったら、色々な意味でロクでもないことになりそうだから」
「私のことを心配してくれるなんて……やっぱり、風祭くんは私のことを……」
「別の部屋に隠れて、ほのかちゃんをやり過ごすからね!」
「無視するなんていけずです……」
ぶすっと睨まれた気がするけど、気にしない。
私は橘さんの手を引いて、手近な部屋に駆け込んだ。
「ふう……ここに隠れていれば、しばらくは大丈夫かな」
「……ふふっ」
振り返ると、橘さんが笑っていた。
心の底から楽しそうに、無邪気に笑っていた。
「どうして笑っているの?」
「いえ……また、前みたいな日々が戻ってきたから……それが楽しくて、うれしくて、つい」
「……そっか」
以前のような騒がしい日々。
当時は、勘弁してほしいと思っていたけど……
今は、これはこれで悪くないかな……なんて、そんな風に思う。
「あとは、風祭くんが振り向いてくれたら完璧なんですけど」
「えっと……あはは」
笑ってごまかした。
「私ではダメですか?」
「大事な友達だと思っているけど、でも、やっぱり恋愛対象となるとよくわからないというか……私は女の子のつもりだから」
「そうですか……なら」
なにかを言いかけたところで、扉がバンッと開いた。
「見つけた!」
「うわっ!?」
ほのかちゃんだ。
まるでサバイバルホラーみたいに、ゆっくりとじわじわ歩み寄ってくる。
「うふふっ……今度こそ逃がさないから」
「さ、桜!」
「あの人なら呼んでも来ないわ」
「桜になにをしたの?」
「そろそろ飽きたから朝食を作ってくる、って言ってどこかに行ったわ」
見捨てられた!?
「さあ、年貢の納め時よ! 覚悟しなさい!」
「そう言われて覚悟する人なんていないから!」
私は再び橘さんの手を取って逃げ出した。
「ふふっ……やっぱり、楽しいですね」
「笑い事じゃないから!」
「風祭くんは、楽しくないですか?」
「……ちょっとだけ、楽しいかもしれない」
それは、正直な感想だった。
ほのかちゃんに追い掛け回されるのは勘弁してほしいけど……
でも、この騒がしい日常は決して悪くない。
「風祭くん、この状況をなんとかする方法を思いついたんですけど」
「それは?」
「私と風祭くんの仲の良さを見せつけて、ほのかに諦めてもらうんです」
「それ、以前もやったし……それに、ちょっとやそっとのことじゃ、ほのかちゃんは諦めないと思うけどなあ。第一、さっきも言ったけど私は女の子であって……」
「それなら、私が風祭くんを変えてみせます」
橘さんは私の頬に手を添えて。
熱い眼差しを送って。
唇を差し出して。
「……んっ……」
「っ!?」
瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
「な、な、な……」
「さっきの話の続きですけど……風祭くんが振り向いてくれないなら、振り向かせてみせるまでです」
そう言って、橘さんは笑った。
それは、いつか見た笑顔だった。
あの雪の日……約束を交わした時と同じように、橘さんは一点の曇りのない笑みを浮かべていた。
「私が風祭くんを矯正してみせますから、覚悟してくださいね」
基本的に、毎日更新していきます。
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