表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/25

一日目 夕

 部屋に荷物を置いてすぐ、俺はパーティー会場の準備を手伝うため、ホールへと戻ってきた。ホールでは得雄氏がまだ忙しく立ち働いていた。俺の姿を認めると、

「お~い、瀬名君。ちょっと手伝ってくれんかね、ちょうど腰が痛くなってきたところだったんだ」

腰をさすりながらそう言った。既にホールの半分ほど、十組以上のテーブルと椅子が並べてあったが、それでもまだ足りないらしい。誕生日パーティーと聞いて、身内や親戚、ごく親しい友人が集まるものを漠然と想像していたのだが、どうもだいぶ規模が違うようだ。


 得雄氏と、途中からは高部運転手も加わり、三人で協力して椅子とテーブルを運ぶ。大きめの丸テーブルに、紅色の繻子が張られた猫脚の椅子が四脚。まだ並べられていないテーブルもいくつかあるので、単純に考えれば五十人以上が参加する計算になる。タフガイ・得雄氏によって既に半分以上のテーブルが並べられてあったので、残りの作業はそれほど多くなかった。特に、ガタイのいい高部運転手が加わってからは丸テーブルがクラッカーのように軽く感じられ、最年少なのに一番楽をしている自分が申し訳なく思えてくるほどだった。


 全ての椅子とテーブルを運び終えると、得雄氏の提案により、俺達三人は控室で休憩を取る事になった。時刻は午後四時を回ったところ。パーティーまではまだだいぶ時間がある。窓を叩く雨音が少しずつ強まっているように感じられた。

 控室に備え付けられていたテレビの電源を入れると、ちょうどワイドショーのお天気コーナーが放送されていた。地図の等高線に似た気圧の配置図を指しながら、気象予報士が何やら解説をしている。

 天気予報の精度そのものは年々上がっていると聞く。しかし、ここ数年は天候のほうが不安定になってしまったせいで、体感的には昔より当たらなくなっているように感じるのだが、気のせいだろうか。個人的には、当たるも八卦、当たらぬも八卦という感覚で天気予報を捉えている。

「関東地方では今夜から未明にかけて雨脚が強まるでしょう。山沿いや山間部では土砂崩れに注意を……」

「おいおい、よりによって今夜か……こりゃ、パーティーは早めに切り上げて、客を帰してやらなきゃいかんな」

 得雄氏が悪態をつく。画面は芸能ゴシップに切り替わり、得雄氏は無言でチャンネルを国営放送に回した。


 テレビを見ながら一息ついていると、気を利かせた黒木さんがコーヒーを三つ、お盆に乗せて持って来てくれた。砂糖とミルクがついていないのが残念ではあったが、熱々のコーヒーは乾いた喉を大いに潤した。

「パーティーの開始時刻は六時だから、結構ゆっくりできるな。若者が来てくれたおかげで、予定より早く片付いた。しかし、年には勝てないね。すぐに腰が痛くなってかなわん」

 その若者は一番役に立っていなかったのだが……。

 それにしても、この得雄氏はいったいいくつなのだろう。一見すると高部さんより若く見えるが、頭髪は豊かで白髪もなく、立ち振る舞いにも老け込んだ様子は全く見られない。しかし、真紀の母親の兄ということは、計算上はもう五十を超えていてもおかしくない。気にはなったものの、真正面から聞き出す勇気は出なかった。後で真紀にでも聞いてみよう。


「ところで、瀬名君」

 得雄氏に突然話を振られ、体がびくりと震えた。心が読まれたのか……? いやまさか。

「君は医学部だそうだが、そうなると、真紀ちゃんは経済学部のはずだから、学部が違うね。どうやって真紀ちゃんとお近づきになったんだい?」

 こんなこともあろうかと、作業中に、想定されるいくつかの質問と返答を考えてある。この質問は想定の範囲内だ。

「私の幼馴染みが、真紀と知り合いだったんです。彼女も同じ大学の同級生で、家族で市内に住んでいるのですが、元々は都内で暮らしていたそうなんです。東北に引っ越してきたのは彼女が六歳の時なのですが、それ以前、都内にいた頃に真紀さんのご家族と少々ご近所付き合いがあったらしくて」

 矛盾するようではあるが、上手に嘘をつく秘訣は、なるべく嘘をつかないことである、と俺は考えている。

「へえ、それは奇遇だったね。そんな小さな頃のことを、よく覚えていたもんだ」

「幼馴染みの方は忘れかけていたようなんですけど、真紀さんの方から声を掛けられて思い出したんだそうです」

 答えに納得したのか、得雄氏はふんふんと頷いている。これは完全に事実なのだから、当然といえば当然である。それから彼は、にやけ顔で次の質問を投げてきた。

「真紀ちゃん、相当モテるだろう?  どうやって彼女をモノにしたんだい?」

 これは想定外の質問だ。もっとも、想定していたとしても答えは出なかっただろう。俺にはこれといって彼女を口説いた覚えがないからである。

「いえ……どうやって……ううむ」

「もしかして、真紀ちゃんの方から?」

「……はい、どちらかと言えば……」

 すると得雄氏は、膝を叩いて笑いだした。

「はっははは、なるほど。たしかに、君はそんな軟派な奴には見えないし、真紀ちゃんはああ見えて結構押しが強そうだからなあ」

 すっかり尻に敷かれています、という言葉が危うく喉から出かかったが、すんでのところで堪え切った。

「いやあ、結構結構。なんだか、俄然君に興味が湧いてきたよ。まあ今回はじっくり話す時間が取れないかもしれんが、次に会った時はゆっくり酒でも飲もう」


 一応俺はまだ未成年なのだが、元々飲みサーに所属していたぐらいだから、それを指摘できる立場にはない。

 どうやらこの得雄氏、男にしてはかなり話好きらしい。少々面倒なことになった。決して凡庸な人物ではなさそうだし、話せば話すほどボロは出やすくなるものだ。まあ、自身でも言っていた通り、話す時間があまりなさそうなことが幸いではある。一泊二日ぐらいなら何とか凌げるだろう。


 パーティーの開始時刻が近付くにつれて、次第に館内が騒がしくなってきた。駐車場には既にたくさんの車が停められており、その数はおそらく二十台は下らないだろう。


 俺は真紀に再度着替えを命じられ、これまた彼女が用意したタキシードを着用することになった。

 自分の部屋に移動し、衣装一式を確認する。俺なんかが着てしまうとコスプレに見えはしないだろうかと一抹の不安がよぎったが、これも真紀の指示なのだから仕方がない。

 黙々とミッションを遂行する。スラックス、シャツ、上着、までは何の問題もなかった。


 しかし、蝶ネクタイの結び方がわからない。何しろ、平凡な一般市民の俺は、タキシードなんて着たことがないのである。仕方なく、真紀に助けを求めることにした。


 ノックして真紀の部屋に入ると、彼女は既に着替えを終えていた。露出を抑えた、清楚な印象の白いドレス。腰のあたりに白薔薇をあしらったコサージュがポイントになって、上品さをさらに際立たせている。その姿を見て、俺は心の底から美しいと思った。本当に俺なんかがこの子の彼氏でいいんだろうか……。

「あら瞬、どうしたの? ねえ、どうどう? このドレス」

 真紀はにこやかに微笑んで、その場でくるりと身を翻した。

「とっても綺麗だよ」

「それだけ?」

「いや、う~ん……その、なんだろう、純潔の女神みたい……」

「うふふ、ありがと♡ ところで、用事は何だった?」


 『純潔の女神』はもっと大事な場面の時のためにとっておきたい表現だったのだが、これでもう使えなくなってしまった。また違う言葉を考えておかなければ……。それはそれとして、俺は正直に蝶ネクタイの結び方がわからない旨を伝えた。

「だろうと思った……世話が焼ける子だなあ」

 真紀は苦笑しながらも俺の首に手をかけ、手際よく蝶ネクタイを結ぶ。これはまるで……


「新婚さんみたいだね」


 俺の心の声が、真紀の言葉とシンクロする。

 視線がぶつかる。

 彼女の顔がすぐそこにある。目に鮮やかな真紅の口紅。よく見ると、アイラインがいつもと微妙に異なっている。新しいアイライナーだろうか。

 蝶ネクタイを結び終えても、真紀の手は俺の肩に置かれたままだった。この雰囲気は……。

 彼女の大きな瞳がゆっくりと閉じられた。

 腰に手を回し、彼女の華奢な体をそっと抱き寄せる。ほんの少し力加減を間違えたら、たちまちボロボロに砕けてしまいそうだ……真紀の体に触れるとき、俺はいつもそう思うのだった。ドレスの生地はとても滑らかな手触りで、それがシルクのドレスであることに、この時初めて気が付いた。


 長く静かな接吻。


「口紅、ついちゃったね」

 くちづけの後、彼女の細い指が、俺の唇を優しく撫でる。

「そんなに赤くついてる?」

「うん、結構」

 俺は唇を手で拭った。突然背後から、コンコンとノックの音。俺と真紀は慌てて体を離す。

「はい、どうぞ」

「失礼いたします」

 扉を開けて入ってきたのは黒木さんだった。

「そろそろ、会場の方へお越し頂くようにと得雄様から……あら?」

 黒木さんの視線が俺の顔、特に唇の辺りで止まった。

「あ、はい、ただいま参ります。もう支度は整っておりますので、そう伯父様にお伝えください」

「……左様でございますか、では、お邪魔……失礼いたします」

 黒木さんは折り目正しく礼をして部屋を出ていった。最後の言い間違いがどうにもわざとらしく感じる。


 真紀はふう、と小さくため息をつき、いたずらっぽく、小さな舌をぺろりと出した。どんなにお淑やかに振る舞い、優雅に着飾っていても、中身は普段と何も変わらない、俺のガールフレンド。



 ホールには、既に正装した招待客が大勢集まっていた。

 ステージの前に設置されたスタンドマイクと、その傍に立っている得雄氏。俺達の姿を認めると、真紀にこちらに来るようにと手招きをした。彼女がホールの脇を通ってそちらへ歩いて行くと、客席が俄かに騒がしくなる。誰だ、あの別嬪さんは……そんな囁きが、そこかしこから聞こえてきた。

 俺はどうしたらいいだろう、と辺りを見回すと、隅の方に黒木さんと高部さんが立っているのが見えた。ただぶらぶらしていても不審がられるだけなので、とりあえず二人のところへ向かうことにする。


「黒木さん、先程は失礼しました」

 皆がパーティーの準備で忙しく働いている最中にいちゃついているところを見られてしまったわけで、一言謝っておかなければと思ったのだ。

「いえ、お気になさらないでください」

「もし人手が足りないようでしたら、お手伝いさせてください」

「そんなお気遣いは……と、言いたいところですが、実のところ、ちょっと困っておりまして。真紀さまがお連れになる使用人を、人手として当て込んでいたものですから……それに、葉子さまの具合があまりよろしくないようなので、山根をこちらへ駆り出すわけにもいかず……配膳だけなのですけれど、お手伝い頂けたら、大変助かります」

 食事はバイキング形式で、ステージの左手に並べられた長テーブルの上に、何種類もの料理が載せられている。


 そうこうしているうちに、本日の主役である葉子女史が、車椅子に乗って会場入りした。車椅子を押しているのは山根さん。少し化粧をしてきたのか、葉子女史の顔色は先程面会した時よりも幾分よくなったように感じる。

 葉子女史の車椅子がステージの前に辿り着くのを待って、得雄氏の挨拶が始まった。本日はお忙しい中、云々。葉子女史と山根さんは得雄氏の隣で、そのまた隣に真紀が立っている。姪の真紀です、と紹介されると、会場は再びざわめいた。

 会場の隅から眺めるステージは、とても遠く感じた。一様に高そうなスーツ、或いは燕尾服を纏った招待客たちが、黒い断層のように俺達を隔てており、彼女と俺とでは住む世界が、いや、育ってきた環境が全く違うのだと思い知らされる。

 得雄氏の挨拶の次に、葉子女史からも一言だけ挨拶があったが、その声は面会した時よりさらに掠れていて、痛々しいほどだった。


 挨拶が済むと、葉子女史と山根さんはすぐに退場し、会食の時間となった。得雄氏と真紀が、各テーブルへ挨拶回りを行っている。俺は黒木さん、高部さんと共に、空いた皿を片付けたり料理を運んだり、忙しく働いていた。作業を仕切るのは黒木さんで、てきぱきと仕事を振り分けながら、最も多くの作業量をこなしている。年齢的にはずっと上であるはずの高部さんも、嫌な顔ひとつせず黒木さんの指示に従っていた。彼女への信頼の厚さがうかがえる。


 パーティーは滞りなく進行した。

 真紀に言い寄ってくる男が予想以上に多く、対応に苦慮していたようではあったが、得雄氏がこちらを指差して何か呟くと、大抵は潮が引いたように去っていくのだった。俺が真紀のフィアンセである、と伝えてくれていたのだろう。配膳を手伝うフィアンセというのもいかがなものかと思うが、俺も真紀も、そんな体面に拘る性質ではないのだ。


 夜の帳が降りる頃、雨脚はさらに強くなった。得雄氏は大事をとって、予定より少し早めにパーティーを終わらせ、招待客を帰し始めた。時刻はまだ八時を過ぎたばかり。高級車がずらりと並んでいた駐車場は再びただの空き地になり、パーティーの喧騒が去ったホールの中で、俺と黒木さん、高部さんの三人は、ようやく一息つくことができた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ